皇国最後の反攻:novelized 作:[このユーザーは存在しません]
作戦の開始が宣言された翌日、山本五十六長官が飛行機を使いアンカレッジの聯合艦隊に合流、出港した。アメリカ太平洋艦隊を撃滅し、彼らの本土に刀を刺し込むために。
1947年9月23日、聯合艦隊は北太平洋で米国主力艦隊を捕捉しこれに決戦を挑んだ。空母15隻、戦艦16隻が参加する人類史上最初で最後の大海戦がここに勃発したのである。
まず日本の空母艦隊から航空隊が発艦し敵空母に猛攻撃を開始した。1000機以上の航空機が空の中で入り乱れながら戦闘し、その様子はまさしく地獄と呼ぶに相応しかった。
日本機は被害を出しながら敵の航空隊を強引に突破し敵空母に向けて雷撃と爆撃を敢行、敵空母2隻を見事撃沈した。更に駆逐艦や軽巡洋艦を累計23隻も撃沈したがここで不運が起こる。
敵戦艦の発射した砲弾が偶然にも空母「翔鶴」に命中、弾薬庫に引火し大爆発を起こして轟沈した。
更に駆逐艦を1隻失った聯合艦隊はアメリカ太平洋艦隊と同時に一度引いて再度出撃、第二次北太平洋海戦が始まった。
しかしこの戦闘では異例の事態が発生した。なんと敵戦艦が特攻を仕掛けてきたのである。超弩級戦艦「ミズーリ」「アイオワ」を先頭とした突撃に対し航空隊が出撃したが一歩間に合わず、集中する肉薄攻撃に耐えきれなかった新型空母「富士」は水底に沈んでしまった。
出撃した航空隊は100機以上の犠牲を出しながら敵戦艦2隻と敵駆逐艦15隻を撃沈、大日本帝国海軍は反撃を開始した。防衛用戦艦を失った敵空母艦隊に生き残った航空隊が猛攻を開始、特に銀河によって編成された雷撃隊が猛威を振るい空母2隻と重巡2隻の撃沈に成功した。
両軍は撤退し再補給、互いに自軍の被害の甚大さを噛み締めながらも敵艦隊を撃滅するべく再度出撃。ここに第三次北太平洋海戦が幕を開けたのである。これが最後の海戦になるだろう、という想いを皆が噛み締めて。
聯合艦隊の空母から残存する航空機が次々に発艦し、敵の特効を阻止するべく戦艦に攻撃目標を絞った。しかし米艦載機の奮闘によって弾薬庫に爆弾が命中した空母「隼鷹」が撃沈された。だがここで大和と武蔵を主軸とした攻撃隊が猛威を振るい、敵艦を射程圏内に収めると撃てる限りの砲弾を撃ち続けた。敵空母2隻がその猛攻を喰らって航行不能となり、それを航空隊が追撃し見事撃沈。大和と武蔵も魚雷や爆弾をいくつか喰らったが、まるで何事もなかったかのように砲撃を続け、更に敵戦艦6隻を撃沈し、最後に残った敵空母2隻も大和の一斉射撃が撃沈し轟沈していった。
これにて米国の太平洋艦隊は海の底に消え、両軍合わせて11隻の空母と9隻の戦艦、18隻の巡洋艦と55隻の駆逐艦、そして300機の艦載機を飲み込んだ太平洋の上には傷だらけの聯合艦隊が旭日旗を掲げていた。
この海戦により制海権が確保されると速やかに上陸部隊が出撃、世界最大規模の上陸作戦が行われた。
山下将軍の予想通りこれほどの飽和攻撃を予想すらしていなかったであろう米軍は次々に港を明け渡し撤退していき、1947年10月3日には沿岸部の多くの拠点を確保しワシントンへ向けて進撃を開始した。
最初は順調に進んでいったものの予想通りロッキー山脈が立ちはだかり進軍は停滞していった。各地で現れる州兵を相手にしながら日本軍は強引に前進、十万人近くの被害を出したもののロサンゼルスの確保に成功した。
ここに12個の六式中戦車師団が入港し敵拠点への攻勢を開始した。米軍の歩兵部隊にはこの戦車を破壊する有効な手段が存在せず、ただひたすらに蹂躙されていった。山岳地帯を突破した機甲師団は後方の拠点を荒らしながら前進し山岳の防衛に固執する敵部隊に両翼から追撃し1947年10月28日に敵部隊の包囲に成功した。
ここで20万人以上の兵力を失った米国はこの地獄の戦争を続ける意思が砕け、ついに大日本帝国に講和会議の開催を申し出た。29日には停戦命令が発令され、6年も続いた大東亜戦争は終焉を迎えたのだった。