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私の時代は終わったのだと。私の栄光は過ぎ去ったのだと。私はもう、走れないのだ、と。そう納得したい。燻り続けていた。栄誉を、名誉を、欲しいものを手にして引退したレース。それで残ったものはなんだ? 金か、名声か。
『良いじゃねぇか、Secretariat。世の中満足に走れない奴は腐る程いるし、満足な体で引退する方が珍しい時だってある。アンタは最高のアガリを迎えたんだ。それ以上に望むものがあるのか? お前のその願望は贅沢だろうよ』
本当にそう思うか?
『姉御。アンタの気持ちは解るよ。だけどな、姉御の時代はもう終わったんだ。本格化、終わって来たんだろう? 直に解るさ。走りたくても走れなくなるって事の意味が。私らは結局、運命に縛られるがままに生きてるのさ』
本当に、そう思うか?
『馬鹿な女だよ、アンタは。けど嫌いじゃない。足掻きたいなら足掻けば良いじゃねぇか。どんだけ見苦しくても、それを選ぶのはアンタの自由だろ』
『全く、貴女は何時も勝手ばかりですわね、Sunday……Secretariat様? この馬鹿の言う事は話半分で結構ですわよ』
結局、私の想いを肯定したのはSunday Silence、お前だけだったな。その愚かさが好ましかったのだ。その愚かさが嬉しかった。馬鹿なのは私だけじゃないと言ってくれたお前が、嫌いじゃなかった。そして自然と似たような馬鹿が集まるのも嫌いではなかった。
そうさ、きっと私達の時代はもう既に終わってしまったのだ。最高のアガリを迎えたのは事実で、何も間違っちゃいない。だけどこうやって五体満足で、走ろうと思えばまだ走れる。体も、心も、まだまだ若く全力に耐える。なのになぜ終わらなければいけないのだろうか? 運命に縛られているから? それがルールだからか?
―――納得だ、
言い逃れ出来ない程の終わりを。私の時代が終わったという事の証明を。
一度は引退した身。墓場に身を沈めた事もあった。だが終わらせられなかった。まだ心も体も走れると叫んでいる。なのにどうして眠らないといけないのだろうか?
あぁ、Fear―――愛しい後継者よ。お前という奇跡が現れた事に感謝している。ウマソウルなんてふざけたものを呪った事さえあった。だが、お前の存在がその全てを否定した。魂に縛られる必要はないという証明を行った。闇の中で輝く赤い星になったんだ、お前は。
だから焼き尽くせ。
この道を疾走して駆け抜ける。
肌も肉も命の全てをこの身に受ける風で削ぎ落とすように。
ただただ全力で、感謝の祈りだけを込めて―――伝説と謳われた全てを完全に発揮して。
「―――いやあ、参ったね。アレはもう化け物という言葉しか見つからないよ」
Eclipseの領域が粉砕された瞬間、覚醒するSecretariatの姿を見てパーマーが声を零した。チャーチルダウンズ競バ場の歓声は死んでいた。恐怖からでも驚きでもなく、純粋な畏怖が競バ場を支配していた。声を上げる事を躊躇わせる迫力、本気になった、なってしまった赤い伝説が駆けだす姿にはもはや歓声を上げる事すらできなかった。
現役時代に最強の名を手にし、そのまま伝説として引退した姿がターフを駆ける姿に浮かぶ勝利のイメージはない。
「マジやばたにえん。え、アレマジでエンジンとか積んでないの? ウケる~。ジェットタービンならついてそう」
真顔で言い切るヘリオスの言葉に誰も否定の言葉を上げられなかった。カブラヤオーなんて本能的にその強さを、恐ろしさを感じ取ってしまった結果競バ場から逃げ出そうとさえしていた。それほどまでに2代目と呼ばれる赤毛の王は格が違った。
限界まで肉体を追い込み、たった1度のレースの為に調整した領域。多くの屍の上に立つ理想は彼女を全盛期のスペックにまで押し上げる。そう、Eclipseの領域など所詮蛇足でしかない。彼女にそんなものは最初から不要だった。
領域、使われて結構。
使われた上で基礎スペックの暴力で殴り殺す。
それがSecretariatという暴力の化身だった。
憧れ、畏怖、恐怖。見る者全てを魅了する赤い影が上がってくる。上がり続ける―――抜き去って行く。
Secretariatの前にあった最後尾まで10バ身以上の差は一瞬で消し飛んだ。そこから減速もせず、撫で切るように一気に半数を抜き去って先団を覗く。その瞳は先頭を走るInvasorを捉え、その背後のAfleet Alexを盗み見、そして二人を風除けに使う愛弟子の姿を捉えた。
誰もがその表情に、笑みが浮かぶのを見た。
「は―――」
短い音、短い声。しかし良く競バ場に響く。極限までのスタミナ消費と限界突破の加速、それは現役時代に誰もが見た姿。それが完全な形で蘇ってチャーチルダウンズを襲う。抉れるダート、拭き跳ぶ足元、だが赤い影が加速し続ける。
全てが雑兵だと切り捨てるようにその姿は抜き去る相手を意識すらせずに追い抜く。
それでも速度は上がり続ける。ワールドレコードなんて踏破して当然の事実でしかないと言わんばかりのトップスピードはもはや現役時代すらも超える。それほどの迫力と悪夢を背負った姿が上がってくる。
「―――」
玉のような汗を散らせながらクリムゾンフィアーが歯を食いしばる。持ち出す領域はこの場では他の誰でもない、ツインターボの領域だ。スタミナを犠牲にする事で限界を超えて加速し、速度を許すツインターボの領域が状況と環境に一番マッチして凶悪だ。
逆に言えば、これだけ強引な加速をしなければ話にならない。他の2人をスリップストリームに利用した事で限界まで大逃げを見せながら足を溜めていたフィアーがスズカの如く溜めて差すように前へと飛び出す。他の2人を抜き去ろうと前に出て、更に残りの2人が前に出る。
限界まで加速し続ける3人の背後に、赤い影が迫る。
食いしばり、噛みしめる歯をむき出しに、人を殺す様な表情はもはやレースではなく殺し合いをしていると言わんばかりの表情をしている。
速い―――速すぎる。
敵はいないのか? あの赤い影を墓場に叩き戻す事の出来る猛者は存在しないのか? 一瞬で最後尾から先頭に立つ赤い影の姿を前に、誰もがレースにおける絶望という理解を得ようとした所、走る4人の中にある考えは違っていた。
―――
テンポが、ペースが、レースが。レースは確かに競い合いだが、同時にただ速ければ良いだけという訳ではない。ツインターボの破滅逃げは異端の中の異端だ。それが許されるのはまだ垂れるからであり、スタミナには限界が存在するからだ。
当然、加速すればするだけスタミナはもっと要求され、燃焼される。
限界まで加速し全てを撫で切って先頭に立つSecretariatのスタミナはこの一瞬で凄まじい勢いで消費された。だがその想定は彼女の想像以上であり、同時にその速度は3人の予想よりも遥かに速い。
即ち、この先頭争いに入る4人の間の意識は共通として、速すぎるという認識であっていた。
フィアーが日食を割った事でレースは更なる加速の下地を得た。それがレースを更に加速させた原因であり、それを絶対に成し遂げると信じていたInbasorとAlexがそれを利用して息を整え、序盤に手札を温存していたのもまたその理由だった。
細い、か細いが勝機がレース場に見えた。
限界を超えたチキンレースを行ったからこそ生まれた唯一無二の可能性。もはや4人の間に脚をへし折って吹き飛ばすかもしれないという認知は当然あり、それを飲み込んだ上で走る事を選択していた。
この一瞬、この刹那に全ての感謝と意志を。
ただただ、伝説を踏破する為に命の全てを込めて走る。
ハナに立つSecretariatの姿が加速する。前に出る赤い影が1バ身、2バ身と距離を作る。だがそれ以上作る事を拒否するように脚に走る痛みを無視して加速が追いかけて来る。思考に言葉を作る余裕さえもない。ただ本能的に唯一の勝機を理解し、走る。
それだけが許された行いだった。
だから3人の挑戦者は更に加速し、圧をかける。枯渇するスタミナは継承領域と技術を駆使して補充し、脚に走る痛みを無視する。そしてその加速をプレッシャーに、もっと速度を出すように赤い影に催促する。
「―――」
笑う様な気配に赤い影が応え加速する。
3バ身。
4バ身。
5バ身。
走っているのは間違いなく世界最高峰のウマ娘達。クリムゾンフィアーは間違いなく世界最強クラスの1人、Afleet Alexは何度も敗北しながらもその背中姿を見て再戦を誓う不屈のウマ娘、そしてInvasorは今年の最高傑作とも呼べるだけの実力を備えている。
だがそれでも、赤い影が前に出る。
5バ身。
最終コーナーを抜けてホームストレッチの見える距離で絶望的に見えるリードが生まれ始める。
だが誰一人として、その事実に心を折られるウマ娘はいなかった。信じていた。全力は尽くした。祈る必要はない。必然の結果とは努力に人事を尽くして成し遂げるものだ。現役時代ですら出したことのない速度、それはSecretariatからスタミナを急速に奪う。
もし、彼女が欠片でも速度を抑えてゴール前で差す事を選んでいれば。
破滅逃げなんてものに馬鹿正直に付き合わなければ。
彼女は当然のように勝利していたかもしれない。その結末を観測する事はもはや不可能だろう。だが現役時代ですら出したことのないスピードに、その老いた体は完全にはついてこられなかった。
ゴール、26メートル前。
赤い影が、垂れ始める。
スタミナは燃焼し終わる。後はもはや気力のみ。
加速は消え去る。しかし最強のプライドがその体を前へと運ぶ。食いしばる身から汗が弾け飛ぶ。本格化が終わり、肉体は劣化し、諦めずに体を維持して―――それでも、それでも衰えて行くスタミナだけはどうしようもない。
それでもその現実を否定する。
今、この場で、そんな些細な事実を敗北の理由にするわけにはいかない。強者としての傲慢と矜持がSecretariat自身が垂れる事を許さない。それでも5バ身、その距離を一瞬で3人が詰めてくる。最後の直線にもはや咆哮するだけの酸素は残されていない。
残り10メートル、半バ身差。
横並びになる4人。
誰が抜け出すかなんてものはもはや解らない、混沌の時。
もつれあう様に4つの姿がゴールラインを切った。
Secretariat
楽しかっただろ?