パドックに出てきた瞬間発生する歓声の爆発に関してはもはや耳が痛くなるレベルだ。頭の上のウマ耳にも慣れたが、こうやって大きな音が鳴り響く瞬間だけは痛みに近いものを感じて好きになれない。耳をペタン、と髪に落として音を回避する。これがまあ、賢い。
ちなみにこれはすごくどうでもいい話になるが、ウマ娘は馬がベースとなっているので耳も鼻もヒトカスよりも遥かに有能だったりする。その何がキツイの? って話をするとトイレとか電車とか臭いの籠りやすい環境だったりする。
後ヒトカスと違って尻尾の事に気を使わないといけないからトイレの形がちょっと違ってたりする。具体的に言うと尻尾乗せる所がある所とか。有マで考える話じゃねぇなこれ。
「カイチョー」
パドックに出て真っ先にルドルフを見つけるのでそのままラリアットを仕掛けに行く。当然のように残像を残して回避するルドルフ。そう、ウマ娘は無駄に戦闘力が高いのだ。特にこの3年間カイチョーチャレンジで持ち技を増やしたルドルフの化け物っぷりは多方面で発揮されるようになっていた。
「駄目だよフィアー、レース前の攻撃は」
「ういーっす」
パドックでの茶番を終えたのでルドルフとハイタッチをする。最近というか近年のカイチョーはゴルシ系に対しても高い対応能力を持っていてこういう事をしても普通に対応して怒らないでくれるから好き。ルドルフ、強くなったな……そっち方面であんまり強くなってほしくなかったな……。
「へい、ハーツ!」
「ん? おう」
呼んでハイタッチ。次のウマ娘にもハイタッチ。ヘイヘイヘイとハイタッチ決めて観客に向かって中指を突き立てる。クリムゾンフィアーはエンターテイナーである。そこそこ楽しいパフォーマンスを観客に提供するのは義務である。それはそれとして今日は割とテンションが高め。
やっぱり、大きなレース前となるとテンションが上がるのはしょうがない事か。
「それでも基本的に緊張や気負いとは無縁だね、フィアーは」
「あぁ、良い意味でも悪い意味でもいつも通りって感じだな」
ルドルフとハーツの言葉に腕を組んでまあ、と声を零す。
「全力で走って勝つのを目指すのは当然として、勝って引退するのも負けて継続するのもぶっちゃけ、俺はどっちでも良いんだ」
勝ってアガリを迎えるのはそれはそれで楽しいレースだった、と満足して引退できるし。負けたら負けたで笑ってもっと満足できるレースを続けられるというだけの話だ。クリムゾンフィアーは既に精神的に完成されたウマ娘なのだ。勝っても負けても精神性が揺らぐ事はない。
「大事なのは勝敗ではなく、その中身。全力を尽くし、そして本気で走る事が出来たか否か。俺というウマ娘はそこに尽きるんだ」
「ま、タイトル的にもうこれ以上は存在しないから言える事だろうな、それは。GⅠ未勝利バの前で言ったらキレられそうだわ」
「だってぇ、俺ぇ、世界最強だしぃ?」
慢心は強者にして王者の特権だ。そして俺は俺の強さを世界に対して証明した。だから全てのウマ娘を―――今、パドックに上がって来たディーを含めて全員を見る。そう、全員だ。この場において明確に強いのは俺だ。
国内負けなしの漆黒の英雄でもなく。
無敗7冠のレジェンドとなった皇帝でもない。
「今、この場において最強は俺で、その他はチャレンジャーだ。だから緊張する必要も、気負う必要なんてどこにもない。頂点にして唯一無二とは俺の事を示すんだからな。俺がその事実にドヤるのは当然の事実でしかない」
言い切るとピリッとした空気がパドックに走る。誰もが視線を俺へと集中させ、そして獰猛な笑みを隠そうとする。いや、一部それを隠そうともしない奴もいる。だがこの場にいる全てのウマ娘が、明確に俺を格上として認識して食らいつきに来ている。
……味わった事のない感覚だ。
アメリカ三冠はライバルと環境との戦いだった。常に新しい事に挑戦し、そして挑み続ける戦いだった。ドバイは復活の為に限界まで自分を追い込んだ。新しい境地への挑戦であり、自分の殻を破る為に必要なレースだった。
KGⅥ&QEステークスは世界への挑戦状だった。ダラカニ、色褪せない強さを見せつけてくれたその姿は永遠に忘れる事はないだろう。凱旋門賞は歴史との戦いだった、これまで成し遂げた事のない勝利をライバルと共に駆け抜けた。
そしてBCクラシック、それはこれまでの自分と全てに打ち勝つためのレースだった。伝説を終わらせて新しい伝説へとなり替わる為のレース。絶対的な強さに挑む為のレースだった。
これまでの俺の人生は考えてみれば常に挑戦してみる側だった。新しい事、伝説に、自分自身に挑んできた。だがここでその立場は逆転する。頂点に立って見下ろし、そこで這い上がってくる存在が良く見える。
誰もが求める、強さの頂点と呼ぶべきものを。今、その場に解りやすいタイトルでそれを握る俺を倒す為に集まっている。
自分が今、切望される立場にある事を、なによりも楽しく思う。
「かかってこい、有象無象共。俺が相手してやる」
一度は言ってみたかった言葉を口にする。競バ場に集う観客の声が少し落ちる程の闘志がパドックに満ちる。その全てが自分へと向けられる心地よさを覚える……やはり、レースは良いものだと思う。この心地よさが生を感じさせてくれる。
「皆さん、そろそろレース場への移動をお願いします」
やがてスタッフから声がかかり、パドックからの移動が始まる。パドックを出て地下バ道へと入り、そのまま中山競バ場のレース場へと向かう道に入る。そこで一旦息を吐き、肺の中に新鮮な酸素を送り込む。それが活力となって体を前に進ませる。
もはやこのバ道で言葉を口にする者はいない。言葉で語りつくす時間は終わったのだ。これ以上は無粋でしかない。
地下バ道を抜ければ今度は本レース場へ。パドック以上の観客と輝きがターフを満たす。ブーツの裏から感じる野芝の感触に日本のターフに帰って来たんだと漸く実感する。思えば長く、日本から離れて走って来た。サンデーサイレンスも滅茶苦茶な事をしてくれる。
……だけど運命が大きく変わったのも、サンデーサイレンスのおかげだろう。彼女がいなければとてもではないがアメリカで走るという発想はなかった。今使っている幽世の領域も、元々は菊花賞で披露予定だったし。これで奇襲してディープインパクトを撃破し、その三冠を阻むのがオリジナルの計画だった。
まあ、その計画も今となっては無意味なものだ。もっと楽しいレースを走って来たと思うし、勝っても負けてもあの頃以上の満足感がここにはあると実感できている。
ふと、惹かれるものを感じて視線をゲートから客席へと向ける。その視線の先で立っているマミーの姿を発見した。そのすぐ傍にはバンダナの姿があって、その周囲には昔ストリートレースで走った連中が集まっていた。
思えば俺のレースデビューはあの走りづらいアスファルトの上だった。お小遣い欲しさの賭けレースで走っていた、フリースタイルレース場よりも遥かに劣悪で最悪なレースと環境だった。だがあそこで走り始めたからこそ、今俺はここで走れている。
そしてあのヒトカスバンダナが俺にトレセン学園への道筋を付けてくれたからこそ、今この場に居る。
「そういう意味じゃ、なによりもお前に感謝してるぜヒトカス」
間違いなく、走る楽しさという色彩を俺の人生に与えたのはお前だった。お前が始まりだったんだ。だからそこで見ていろ、
「クリムゾンフィアーさん、ゲートインをお願いします」
―――今この世で最も最強に近いウマ娘の走りを。
クリムゾンフィアー
感謝はしてる、恋愛感情は一切ない
マミー
今日は現地応援
バンダナ
ルドルフのバ券握って笑顔で手を振ってる