「―――よ、クリムゾンフィアー」
「ん?」
ゲートに入る前に、声をかけられた。横に視線を向ければマイネルレコルトがいる。俺と同じように自分の思いを込めた勝負服に身を包んだバ体の調子は良さそうだ。こいつは走る、と思わせる気迫が体に宿っている―――強敵だろう。
無条件に自分が勝てるとは、決して思わない方が良い。
と、そこでマイネルレコルトが手を差し出してきている。
「走る前に、握手良いか?」
「おう?」
まあ、応じない理由もない。ウマ娘って顔は良いし友情ごっこはファンサになるのかなあ……なんて考えながら握手をすると、マイネルレコルトが身を寄せてきた。アメリカ式の握手からのハグだ、身を寄せてきたマイネルレコルトが呟く。
「貴女とは走ってみたかったんだ……良い勝負をしよう」
「自信満々だな?」
「そうじゃなきゃGⅠなんて舞台にはでないだろうさ」
そう言って身を放し、ゲートへとマイネルレコルトが向かう。ありゃあ強敵になりそうだな、と軽く頭を掻く。
「クリムゾンフィアーさん、ゲートへお願いします」
「あいあい」
腕を伸ばし体を捻る―――男の時にはなかった、胸を避けて腕を横に引っ張るという感覚はここ十数年の人生で馴染んだ所作だ。そして今、思いもしなかったレースを走ることになる。
ゆっくりとゲートの中に進んで行き、後ろでスタッフがゲートを閉ざす。腕を回し、手を振り、此方へと向けられるカメラに中指を突き出す。ヒールとしてのパフォーマンスは忘れない。海外はともかく、日本はこの手のパフォーマンスをあまりやらない。
だからちょくちょくツイッターでは“ご意見”が噴出してたりする。めんどくさいなぁ、日本人。文句あるならお前が走れ。
『さあ、各ウマ娘がゲートに収まりました……』
―――コンセントレイト。
一瞬で集中力が引き上げられる。自分がゲートに収まりながらも他のゲートの様子を察知する。一部、落ち着きのないウマ娘がいるのはGⅠという舞台故だろう。出遅れるか、或いは掛かるか。どちらにせよ、メンタルコンディションの調整を間違えている相手は考慮に値しない。
ぐぐっと拳を握る。脚を揺らし蹄鉄の感触を芝に馴染ませる。
呼吸を整える。
―――先行コツ◎。
先行の理想的な走り方はテイオーとマックイーンで覚えた。合宿中、砂で蹴りの力の余分な部分を削ぎ落とし、体形に合わせて走り方を調整する。体の方は能力を伸ばさなくても十分なほどあるから、夏は徹底してフォームと走り方の矯正に費やした。
走りだしを意識してスターティングを整える。クラウチングスタートはしない、不思議とウマ娘がアレをやっても人間ほどの速度が出ないのだ。だから走りだしを意識して大地を踏み込む様に右足を前に出し。
静かに待つ。
『さあ、第X回朝日杯フューチュリティステークス……今、始まりました!』
がこん、ゲートが開ききる前に体は既に飛び出していた。
ギリギリ、体がぶつかる事無く通る程度にまで開いた瞬間に体がゲートの外へと飛び出す。足元の芝を蹄鉄で抉りながら前へ、前へ飛び出す。一瞬でハナを奪えば、後ろから猛追してくるウマ娘の姿が見えてくる―――ストーミーカフェだ。
「……っ!」
逃げの脚質であるストーミーカフェがハナを奪おうと加速してくる。当然、ハナを奪う事に価値はない。加速して前に出てくるカフェに前を譲る。その姿が横を抜ける時に小さく呟く。
「ここで急加速しちゃって、後で体力が残ると良いな」
「この……っ!」
ささやきを放って軽く心を乱しつつ後ろへと少しずつ下がる。他にも前に出たがるウマ娘はスルーしておく。逃げでも先行も問題はないが、レースをコントロールする以上は先団から中団で控える辺りが最もやりやすい。
だから2,3人と前を走らせるがそれ以上前に出てくるような事はない。ちらり、と後ろへと視線を向ければマイネルレコルトが俺の直ぐ後ろに控えているのが見える。俺をスリップストリームに使っている? 成程、メイクデビューの時の真似をされたか。
まあ、問題はない。寧ろ問題は前を走る2人は此方へと視線を軽く向けて意識している事だろう。アレはどうやら俺を最大の障害として認識しているようだ。何らかのアクションを取って来てもおかしくはないのかもしれない。恐らくはデバフの類か……俺が良くやる様な手を使ってくるかもしれない。
―――だが、だ。それを跳ねのけられる様な力が無ければGⅠで勝つ様な資格もないだろう。
抜くにはまだ早い。
序盤の直線を抜けて中盤最初のコーナーが見えてくる。コーナーに合わせて間延びする隊列は加速すれば抜き去るチャンスでもある。後ろから上がろうとしてくるウマ娘達が前目に付けようとしている。僅かに膨らむ内側、それに合わせて内ラチにぴったりと張り付く。
きぃん、金属音が響く。
ぺたん、と音を嫌がるように一部のウマ娘の耳が倒れる。やったことは簡単だ、着ているコートの袖の金具を軽く内ラチにぶつけただけだ。響く金属音が他者の集中力を阻害し、加速力を妨害する。
それに合わせ前を走る姿に威圧を叩きつける。脚を引っ張るように、心臓を掴む様に睨んで殺意にも似た感情を叩きつける。それに気づいた姿が軽く視線を送ってくる。
「くっ、これが……!」
コーナーに合わせて息を整え、スタミナを軽く回復させる。中盤を抜ければもう既に最終コーナーに入り、そっからゴールまでは直線だ。
俺を潰しに来るなら最終コーナー辺りになるだろう。
「それじゃ……!」
マイネルレコルトが上がり始める。視線がストーミーカフェを捉えている。それに合わせ前のウマ娘が減速し始めている。垂れている? いや、抜け出しを牽制しているのか。大外から上がり始める姿が此方を横から抜け出すのを阻止しつつ前に上がろうとする姿が見える。
―――しゃらくせぇ。
抜け出し準備に入る。上がってくる姿を視界にとらえながら大きく外へと向かって上がる。相手が此方の動きを封じ込めるよりも早く加速し、スピードを上げる。最終コーナーから終盤に入り溜めていた脚を解放し始める。
ターフを踏む足元に彼岸花が生える。
「来た……
「惑わされるもんか!」
「攻略してやるッ!」
ハッ。攻略する? 惑わされる? そんな事を言っているなら。
「絶対に乗り越えられないな―――」
抜け出し―――抜け出した。正面にいる二人を交わし、競り合うストーミーカフェとマイネルレコルトを視界にとらえる。最終コーナーを抜けて直線に、直ぐに下り坂に入る。だが溜めていた脚を解放した事でスパートに入っている。
「来たか!」
「クソ、逃げ切る……!」
呼吸の合間に漏れてくる声に闘争心が宿っている。そう、そうだ、そう来なくちゃ。そうじゃなきゃ走ってても面白くはない。
「真っ向勝負、行くぞ」
「ッ!」
彼岸花が咲き誇る。ターフを深紅の恐怖が満たす。そう、彼岸場は死の象徴、俺の死という存在に対するイメージの具現。咲き誇るのは死の形、敏感に物事を感じ取れてしまうウマ娘は無意識的に死の存在を感じてしまう―――人類が最も強くストレスを感じる概念に触れてしまう。
そう、死を人は忌避する。ヒトであれ、ウマであれ、どれだけ心が渇いていても死という存在は無意識にストレスを呼び起こす。それが脚の鈍り、体力の浪費という形で出現する。
そして俺は……寧ろ落ち着く。慣れた死だ、今更抱擁する以外に感情はない。
だから彼岸花の領域が咲き始めると同時にレースが動き出す。
3番手で控える。競り合う先頭の2人―――マイネルレコルトが競り勝ち、前に出始める。
下り坂から上り坂。レース最後の難所が1600mを走るウマ娘達に襲い掛かる。ギリギリの競り合いで体力を削り合う中で、彼岸花に心を蝕まれ体力が限界まで削られている。徐々に、意識しないレベルで速度が落ちてきている。
それを前に、疾走する。
「おぉぉ―――」
上り坂に蹄鉄を叩き込んでマイネルレコルトの姿が駆けあがる。最後の体力を燃やしきるように、ゴールへの最後のストレッチを走り切らんと全てを吐き出し始める。
それに、息を飲み、姿勢を更に低く、レース会場の全てを領域に飲み込んで―――ラストスパートに入る。
「負けるか、GⅠ、渡すものか……っ!」
上がる。上がって行く。垂れてくるストーミーカフェを回避し更に加速する。
環境はなかった。一般家庭に生まれて、走る為の設備なんてなかった。だからネットで調べた知識で坂路を走ったりプールで泳いだりしてトレーニングをしてきた。
だがそれ以上に、記憶にある技術をずっと磨いてきた。野良レースで何回も何回も走る事で実戦の中で己という存在を磨き上げてきた。強敵とぶつかれば、本気で走れば走るだけ
だから、今もそうだ。全力で走るウマ娘達。全力で削り合う俺。
楽しい。面白い。心地よい。
余分なものがそぎ落とされて行く。必要な形へと技術が研磨されて行く。
末脚が、全力全開の走りへと昇華される。歯を食いしばるように笑みを浮かべながら彼岸花のカーペットで敷かれた道を行く。マイネルレコルトの存在を捉える。先頭を行く姿に並ぶ。
「負け、ない……!」
食いしばって吠える言葉に応えるように更に強く踏み込む。既にゴールは見えている。だがスタミナはまだ切れない。パワーは衰えない―――まだ速度が出る。
「―――っ!」
悲鳴にも似た息が聞こえるのを置き去りにして前へ、前へ出る。一歩、二歩、三歩。誰よりも前に出て、抜き去り、置き去り。
―――そのままゴールラインを切る。
『そして今! 先頭でゴールイン! 1着はクリムゾンフィアー! 2着マイネルレコルト! 3着はストーミーカフェ! クリムゾンフィアー! 素晴らしい末脚! 着差以上の強さを感じさせてくれました!』
『力強い走りでした! 終始レースをコントロールし、ギリギリまで脚を溜めてから一気に末脚で差し切ったレース運びはまさしく見事以外の言葉が見つかりません!』
「ははは」
笑い声を零しながら徐々に速度を落とし、中指を突き立てながらウィニングランに入る。観客席に視線を向ければ中指を突き返している観客がいる。これ、そういう挨拶じゃないんだけどなぁ、まあいっかぁ。
ゆっくりと、速度を落として足を止めてから、息を整えるように深呼吸。胸を満たす高揚感の心地よさに感じ入るように目を閉じ。
「うっし、まずは1冠目」
聞こえてくる歓声と舞うバ券に祝福され、GⅠの栄光を手にした。
「掴んだぜ、スキルのコツを」
まだだ、まだ強くなれる―――勝利しても、さらなる激闘と勝利に俺の心はまだ、飢えていた。
クリムゾンフィアー
ウマ版サイヤ人。GⅡ以下のレースに出ると白ヒントを得る。GⅠに出ると金ヒントを得る。
バンダナ
ゲーミングバンダナを付けて応援に来てた。ついでに単勝100万のバ券を用意してた。