―――明晰夢。
つまり夢を見ている事を自覚している夢。大抵の人は夢を自覚せずに夢を見る。そして起きた頃にそれを夢だと知る。それが普通だ。夢とは脳の整理、脳がそれまであった情報を整理している出来事なのだから。夢を見る事に意味などない。科学がそれを証明している。
だが、俺にはちょっとした自慢にならない特技がある。
明晰夢。
俺が夢を見る時は、決まって明晰夢となる。
いや、正確には違う。俺が見る夢は固定されていて、それを見る時が絶対に明晰夢になるというだけの話だ。
つまり死。
死んでいる時を思い出す。生まれる前の状態を、死んでいる間の出来事を。この世ではない場所での体験を思い出す……まあ、体なんてものは存在しないのだが。
俺は転生者だ。或いは転生バとでも言うべきか。俺は命の輪廻を超えてきた存在だ。だが神様と出会う事はなかった。閻魔様もいなかった。天獄も地獄もなく、あるのは死という概念に満ちた世界だけだった。或いはそれすら、世界と呼べるものではないのかもしれない。
あの世というものは非常に不思議なもので、特定の形や姿を持たない。初めてあの世にいる事を自覚した時は一面に彼岸花と鳥居が咲き乱れる空間だった。川が流れ、無限へと向かって流れ出していた。だがそれは日本的宗教観というフィルターを通して見た世界だった。
視点が変われば見える世界の形も変わってくる。考え方が変われば捉え方も変わってくる。俺は何をどう見ているのかは決して重要ではないという事を気づかされた。人によって、その時の意思によって揺らいでしまうものに果たしてどれだけの価値があるのだろうか?
命の答えが、死というものの理解がこんなものなら考える事に意味はあるのか? 俺はダンテのように彼岸を旅した。だが終ぞ、ベアトリーチェと出会う事等なかった。導きもなければ答えを与えられる事もなかった。ただただ、そのまま自分で考える事のみが全てだった。
そしてふと、気づくのだ。考えれば考える程物事は本質から外れて行く。
故に、ありのままを受け入れるしかないのだと。
物事はそのありのままを受け入れるのが最も美しく、形として正しい。
そしてウマ娘に転生した俺は、己のありのままを受け入れる事にした。他人から与えられる想いを、領域を、走法を、期待を、そして事実を受け入れる。
そうして、クリムゾンフィアーは恐怖の意味を知る赤毛のウマ娘になった。
「―――フィアー、ベルモント競バ場についたよ」
浅い眠り、明晰夢はトレーナーの声によって遮られて消える。口を開けば欠伸が漏れる。
「ふぁぁ……ぁ……もう? 早いなぁ」
「結構ぐっすり眠ってたからね、早く感じたんじゃないかな」
車の中で、後部座席で背筋を伸ばして夢の旅から帰還する。明晰夢を見るとどうしてもアンニュイな気持ちが先行してしまう。だけど同時に自分という存在を再認識できる。本当は俺みたいなやつは存在しない方が良いんだろうなあ……なんて思えてしまう。
だけど、まあ、生まれてしまったのならしょうがない。あるがままを受け入れるだけの話だ。
走るのも、ふざけるのも、全部その延長線上の出来事だ。
それで本来得られる筈の栄光を俺が掻っ攫っているなら―――まあ、生まれた時代が悪かったって事で。俺だってここまで走れるとは思わなかったし。この際、燃え尽きるまで行ける所まで行ってみよう。
「んっんー、生憎の曇りだけど風は気持ち良いな」
「季節柄、からっとしていて気持ちが良いよね」
車の扉を開けて外に出る。もう一度背筋を伸ばして空へと向かって手を伸ばす。今日も調子は絶好調、コンディション調整も完璧でレート用のパーティーも完成した。後はどれだけレートで勝てるかというだけの話だ。ちなみに自慢じゃないが俺はレートがへたくそだからあんまり勝率は良くない。
と、そこでカシャという音がした。折角気持ち良く車から降りて競バ場に入場しようと思ったのに、既にパパラッチの姿がそこにはあった。カメラを向けてはカシャカシャカシャと目障りな音とフラッシュを焚いている。
「下がれ下がれ! フラッシュは禁止だ!」
警備のウマ娘が直ぐに出てくるが、それを気にすることなく距離を取ってフラッシュを焚いてカメラを回してくる。こいつら、恐れを知らないのか? そう想いながらパパラッチ達から視線を外すように競バ場、スタッフ用の入口へと向かう。
「Crimson! 是非コメントを!」
「日本バが三冠を取る意義を教えてください! どうしてアメリカへ来たんですか!?」
煩い声が背中にぶつけられてくる。何度もアメリカで走っているうちにこういう声にもだいぶ慣れてきた。それでもナイーブなウマ娘はこれで調子を落としたりするらしいが、
俺は素直に中指を突き立てて返答する。
「クソみたいな給料の為に人間性捨て去るのお疲れ様ー。俺はお前の塵みたいな収入とは違って今日60万ドル掴むからな。あばよ」
「フィアー、君さあ……」
トレーナーの呆れた声を聴きながら後ろに聞こえてくる声を全部無視して早歩きに入場する。中に入ってしまえばこっちのもんだ、邪魔をする様な奴はいない。中に入った所でふぅ、と息を吐くとスタッフがやってくる。
「Crimsonさん、控室は此方です」
「おう、お疲れ様」
ぺこりと会釈するスタッフに先導されて控室へとやってくる。車から勝負服を持ってきてくれたトレーナーも控室に入り、それをテーブルの上に乗せる。セクレタリアト御大の勝負服に似せて作ったアメリカ遠征用の勝負服、日本のウマ娘がこれを着るのは最高に皮肉っていると思う。
まあ御大本人は滅茶苦茶嬉しそうだが。相当自分の後継者を待ち望んでいた様だ。
「それじゃ、外で待ってるから早く着替えてね」
「あいあい」
「ってまだ外に出る前に服を脱ぎ始めない!!」
シャツのボタンに手をかけると凄い勢いでトレーナーが控室を飛び出す。その焦る姿にげらげらと笑い声を零しながらシャツを脱ぎ捨てて、ズボンを脱ぐ。下着姿になった所でさっさと勝負服を手に取って着替える。
勝負服に袖を通す度に意識が鋭さを増し、覚醒して行く。
勝負服とはそれだけウマ娘にとって特別なものだ。
「フィアー、着替え終わったかい?」
「今全裸」
「嘘を言うな。……嘘だよね?」
「着替え終わったよ」
笑っていると扉を開けて西村Tが中に戻って来た。俺が勝負服に着替え終わった姿を見て、ほっとしている様子だった。椅子に座ってまだ履いていないブーツを手に取ると、ひっくり返して蹄鉄の調子を確かめる。こればかりはレースを走る直前まで調整しなくてはならない事だ。
かんかんかん、と蹄鉄を叩いてく確認する作業も既に慣れ親しんだものだ。レースだけじゃなくて日常的にも繰り返しているが、今回使う蹄鉄は新しいものだ。しっかりと確認しておきたい。
「はい、フィアー。これ」
「ん?」
そうやって蹄鉄を確認しているとタブレットをずい、っと差し出された。その中身を確認するとスピカの部室が映し出されていた。
『おーい! フィアー! 元気ー?』
『フィアさーん! 応援してますよー! 三冠最後もけっぱるべー!』
『聞こえてるこれ? 聞こえてる?』
『マーチャン!』
『はい、マーちゃんです』
『ただでさえ狭い部室が狭いですわ……!』
『まあ、ぎゅうぎゅう詰めだしなぁ』
「おぉぅ」
タブレットにはスピカの面々に応援してくれるウマ娘達の姿が見えた。日本の時間的に今は深夜だろうに、起きてリアルタイムで応援してくれるらしい。日本でも何時も通りらしい皆の姿に笑みがこぼれる。
「夜更かししてていいのかよ」
『こっちはお前の事で盛り上がってるぞ?』
『そうそう、日本中が熱狂中なんだからな、恥ずかしい姿を見せるなよー!』
『カッコいい所を見せてくれよ先輩!』
タブレットの向こう側から応援してくる皆の姿にサムズアップを返しつつ、
アメリカクラシック三冠、最後のレースが始まる。
クリムゾンフィアー
今の人間性の高さはマミーの功績が大きい
サンデーサイレンス
赤毛が去った後にやって来てパパラッチにカピ君を放った
カピ君
天狼抜刀牙