怪異から逃げ切って辿り着いた先はスピカの部室。息を整えながら部室内部を見渡すが―――やはり、凍り付いている。見える範囲の全てが薄い氷と霜に覆われている。そこでカフェは腕を組みながら部室内を見渡す。
「ここがスピカの部室……流石に訪れた事がないから変化が解りません……ん?」
カフェの視界が、色のある物体を捉える。凍り付いていないそれは彼岸花の花束だった。近づき、それに触れて感触があるのを理解し、置いてあったテーブルの上に戻す。
「ここにも彼岸花……自分の痕跡、という事でしょうか」
ポケットの中に手を突っ込んで考える仕草を取る。ここでも彼岸花……クリムゾンフィアーとの縁の濃い場所に。
「ヒント……花束? いえ、それ自体はそう関係ない様な気もしますね」
ふむ、とつぶやき部室内を見渡す。よく見てみればウマ娘達の私物が置いてあるのが見える。スピカメンバー全員分のSwitchや、スピカで遊ぶためのPS5が置いてあるのはまさにスピカとしか言いようのない部室だ。偶にトレーニングを放り出してゲームに没頭するチームなんてスピカぐらいだろう。
「トウカイテイオー、ミスターシービー、メジロマックイーン……」
開かれた名簿を確かめる。スピカに所属しているウマ娘の名前が書かれている。
「スペシャルウィーク、サイレンススズカ、ダイワスカーレット……ウオッカ……これは読みづらいですが、ゴールドシップでしょうか?」
妙に掠れているというか後付けで書かれたというか妙な書かれ方だがゴールドシップの名前が名簿には書かれている。だがそこにクリムゾンフィアーの名前は無い、彼女の存在が消されたように。その代わりに部室には彼岸花の花束が置かれている。
「不吉な暗示のようにも思えますが」
コーヒーが欲しい、とカフェが思う。ここではコーヒーを口にできないのが残念だ。
「……成程、確かにフィアーさんの痕跡が消されて彼岸花に置換されていますね。この部室では少なくともフィアーさんは存在しない事になっているようですね」
少しずつ、朧気にだがこの階の構造が見えたと呟く。
「次は……そう言えばトレセン学園にいる間は良く三女神像前にいるという話でしたね。そこと教室を回って、最後に栗東寮の自室でしょうか」
考えが正しければ自室がゴールだろうと思う。だからスピカ部室の外を伺い、チェイサーが存在しないのを確認してから素早く三女神の像へと向かう。凍った校舎の姿は思いのほか静寂感に満ちており、心細さを感じてしまう。
それを振り払うように急いで三女神の像がある広場へと向かう。
歩きなれたトレセン学園の敷地、道を間違える事も邪魔される事もなく三女神の像の前まで到着する。だがその姿は現実のものから変化していた。水瓶から絶え間なく溢れ出す水は凍り付いて止まり、そして三女神の像、その顔が黒く塗りつぶされている。
そしてその足元には彼岸花が咲いている。
それを確認したカフェはポケットに手を入れて考え込む。
「無神論……ではなく不神論、という所でしょうか」
顔を塗りつぶされた女神像からはどことない否定性を感じる。存在を拒否している? 否、これはどちらかと言えば……不信に近いだろう。存在を信じてはいるが、行いを信じてはいない。成程、確かにクリムゾンフィアーらしいとカフェは思えた。
「そう言えばフィアーさんは怪異やオカルトは信じても、神に関しては常に懐疑的でしたね」
触れられる者は信用に値する。だが触れられず届かないものはどれだけ信じても中身がない。或いはそういう風に三女神を捉えているのかもしれない。
「……ん? これは」
跪いて彼岸花の中をかき分ければ、そこに数発の銃弾が落ちているのを見つける。掲げて確かめればどことなく見覚え……否、聞き覚えのあるものだ。確か、と思い出す。サンデーサイレンスの領域が銃撃のイメージを構築したものだった筈だ。
与えられた運命に反逆し神聖を否定したウマ娘と不神論を持つウマ娘、相性は良かったのかもしれない。
「神を信じないウマ娘……そう言えば、宗教のモチーフは何時だって救済に通ずるものがありましたね」
腕を組みふむ、と呟いた。宗教の根本にあるのは不理解への理解と恐怖を乗り越える為の祈りだろう。人は理解の出来ない事、答えの欲しいものに対して宗教という答えを出した。信心は恐怖に対する明確な答えだ。
「恐怖の名を持つウマ娘が信心を否定する……彼女には神を必要とする答えが必要なかった」
クリムゾンフィアーに、不理解無理解から来る恐怖への返答は必要なかった。彼女は恐れていなかったからだ……或いは、他の人が到達していない答えそのものを知っていたのかもしれない。そもそも彼女の領域そのものが死のイメージから構築されているという話だ。
クリムゾンフィアーは、死の意味を理解しているウマ娘である。
つまりはそういう事なのだろう。
「あ……時間切れですか」
銃弾をポケットの中に入れたカフェが足早に去ろうとする。その耳は少し離れた位置からかしゃん、かしゃん、ぱから、ぱからとチェイサーの蹄が近づいてくる音を拾っていた。追いつかれたらロクな事にならないと理解したカフェはすぐさま三女神の像から離れ、次の目的地である教室へと向かう。
ジョギング程度の速度で広場を出ると、慣れた校舎の中へと戻りフィアーの所属していたクラスへと向かう。確か高等部2年だった筈だ、と。記憶の片隅にある情報を引っ張りだし、階段があのチェイサーの追跡を緩めてくれる事を祈って階段を上がった。
そして到着する教室にも、彼岸花が咲いている。
「やっぱり……」
ここでも彼岸花が咲いている。恐らくはフィアーの席なのだろう、椅子から机までが彼岸花に覆われている。
「花言葉は情熱、諦め、独立、悲しい思い出……毒を持ち墓地に咲く手向けの花」
本質的に考えれば彼岸花とは死者へと送る花だ。どうしてその意味を誰も今まで考えなかったのだろうか? カフェは教室内を見て、視線を外して。答えはもう出た。振り返り、教室を出る。
向かう先は最後の場所、栗東寮のクリムゾンフィアーの部屋だ。追い立てるように聞こえてくる床を蹴る蹄の音に素早く教室から身を翻して栗東寮へと向かう。
普段であれば行儀が悪いと言われるだろうが、ここでは咎める者もいない。
窓を開けて飛び出すとそのままグラウンドを横切って栗東寮までダッシュで向かう。聞こえてくる蹄の音は前よりも大きくなっている。距離を詰められている。それを理解しながらも落ち着いて走る―――この手の怪異に追われるシチュエーション自体は、そもそも人生で何十回も経験している。
今更、カフェの中に焦燥感と呼ばれるものはない。
栗東寮へと駆け込んでも振り返らない。そのまま階段を駆け上がって一気に部屋の前までくる。逃げ込む様に扉を開けて中に体を滑り込ませる。
ふぅ―――と息を吐いて整えて向ける視線の先、目の前に広がる景色は暴力的な程の赤色に染められていた。床が、壁が、机が、ベッドが彼岸花に覆われて赤色に染まっている。
「……入っては来れないみたいですね」
一瞬だけカフェが後ろに視線を向けてチェイサーが部屋に入れないのを確認する。それから再び視線を前に戻し、部屋を観察する。
彼岸花は狂う様に咲き乱れている―――部屋の半分、フィアーが生活する点を中心に広がっており、残り半分には触れないように咲いている。恐らくそれがディープインパクトとの部屋の境目なのだろう。
「脅かしたくない、触れたくはない……神聖視している、という感じですね」
靴で彼岸花を踏みしめてかき分けながら前に進む。やはり、と呟く。フィアーの私物は全て彼岸花に隠されるように咲き乱されている。ここまで来てもはや間違える事も出来ないだろう。
「彼岸花は手向けの花、それは自分へと向けたものだったんですね……フィアーさん」
恐らく、クリムゾンフィアーは己という存在そのものを許容していないのか、或いは嫌っているかどちらかだろう。
「潜在的に自分に対する自己嫌悪か異物感を感じている。この心の学園で自分の居場所を塗りつぶそうとしているのはその心理が現れた結果でしょう」
だけど、消せない。クリムゾンフィアーの生きた痕跡は強く残されている。アメリカ3冠の記録は前代未聞で、この先日本のウマ娘にそれに並ぶ事が出来る者が現れるかどうかさえ怪しい。それほどまでにクリムゾンフィアーというウマ娘は強く、素晴らしい。
「フィアーさん、貴女は―――きっと、どこかずっと消えたいと考えてたんでしょうね」
彼岸花をかき分けてベッドの根元までやってくる。彼岸花に覆われてシーツが良く見えない。が、そんな物は関係ないとベッドに手をかけてそれを横に倒す。そうすると、ベッドの下に隠れている大穴が見える。これが恐らく彼女の心、更に奥への入り口だろう。
「時間はかかりましたが、これで1層目はクリア……有マまでに間に合うと良いんですが」
そうでなければ、報われない。ディープインパクトが。そして救われない、クリムゾンフィアー本人が。あのウマ娘達は互いに向き合っているようでどことなくすれ違っている部分がある。その原因は人慣れしていないディープインパクトではなく、クリムゾンフィアーの方にある。
故にマンハッタンカフェは小さく溜息を吐き、
「行きますか」
ぴょん、と穴の中へと飛び込んだ。
どんどんどん、と保健室の扉が叩かれる。ベッドではフィアーが、横のベッドではカフェが眠っている。その姿を椅子に座って眺めるタキオンはもさもさと持ち込んだバナナを食べながら眺めてから溜息を吐く。
「タキオンさん? アグネスタキオンさん! 保健室には病人がいます! ふざけていないで開けてください!」
「いやあ、悪いねえ。今乳首だけを発光させる薬品をここで零してしまって人に見せられない状況になってるんだよ! あっはっはっはっは!」
「乳首を!?」
無論、そんなものでっち上げの嘘だ。モルトレであれば既に薬漬けなのでその程度可能だろうが、そんなバイオハザードタキオンだって早々にやらかさない。やるとすれば5徹越えた辺りの時期からだろう。とりあえず1徹迎えたタキオンにはまだ人間らしい判断能力が残されている。
「うーん、しかしこれは少し参ったね」
タキオンが保健室の窓の外へと視線を向ける。未だにどんどんと叩かれる扉を無視して向ける視線の先、1台の車がトレセン学園を出て行くのが見える。先ほどディープインパクトがアレに乗ったのを確認もした。つまりレース会場へと向けて彼女が移動を開始したという事だ。
有マ記念開始の時間が迫っている。
「急がないとこれは間に合わないぞぉ」
と、ガンガンと扉を叩く音が強まった。
「アグネスタキオンさん? ここを開けないと扉を壊す事になりますよ」
「おぉっと、たづなさんまで出てきちゃったかぁ。うーむ、困ったなぁ」
バナナを食べながらタキオンも思案する―――さて、この状況をどう乗り越えたものか、と。
クリムゾンフィアー
過去貯水タンクにタキオン印の光る薬を流し込んだ前科がある
学園総発光事件
容疑者黒幕実行者が秒でバレた
マンハッタンカフェ
普段から警戒してミネラルウォーターを使ってる
モルトレ
責任取って薬の混ざった水を全部飲んだ