「―――生まれた日の事を覚えているか? 医師の手によって抱き上げられた瞬間を。母の手に抱かれた瞬間を。生まれた時の孤独感を。世界の一部が個という形に切り分けられた瞬間を。カフェ、俺は全部覚えている。全てを経験し、覚えている」
「現代風に言えば転生者、でしたね。フィアーさんは」
マンハッタンカフェの言葉に然りとフィアーが答える。
「俺には生まれる前の記憶―――前世とも呼ばれるものがあるし、生まれる前の死んでいる間の記憶もある。俺がオカルト関係に圧倒的に強いのは結局、そこら辺の経験の差の話なんだよ。まあ、そんな誇れるもんでもないと思ってるが」
うーん、とフィアーが唸る。違うな、そういう話じゃないな、と。
「余計な話をしたわ。カフェ、俺このまま去ろうと思うんだけど」
「それを止める為に来たんですよ。馬鹿ですか。あまり言いたくはないですけど、タキオンさんを潔白だと信じるダイワスカーレットさん並みですよ」
「ダスカちゃん可哀そう」
けらけらと笑う姿は平時と何ら変わりがない。精神を病んでいる様にさえ見えない。だからこそ1人、このまま世を去ろうと言ったフィアーの言葉の異常性が際立つ。女は恐らくそれを理解している。理解した上で言葉を口にしている。だから言葉をカフェが吟味する。
「これは……常々考えていた事、なんですね」
「うん、まあ、そういう事になるのかなぁ?」
苦笑する。
「別に、人生がつまらねぇって言ってる訳じゃないぜ? 寧ろ楽しい事ばかりで申し訳ない限りだよ……だって面白い連中が周りにはいるし、本気で走っても勝てるか解らない奴だって世にはいるしさ。そんなのに囲まれてて楽しくないわけがないだろ?」
「なら、どうして半年間も眠っていたんですか。……起きようと思えば貴女なら起きられたのでしょう?」
うん、まあ、とフィアーは視線をそらして呟き、それから頬を掻いた。
「ほら」
「?」
「生きるのって、努力義務だろ?」
「……?」
急に難しい事をフィアーが言い出すのに、カフェが首を傾げた。腕を組むフィアーは解らねぇかなぁ、と呟く。
「人は生きるからこそ思考できる生き物だ。我思う故に我あり。自分の存在は自分でしか観測できないから自分の存在しか究極的に肯定できない―――だから死を恐れる。どうなるか、どうなってしまうのか解らないから。死の先を、その後を知らないから」
「ですが貴女はその先を知るから恐れない」
頷きが返される。
「だから、生きる事って義務だと思うんだよね。面倒になったら努力するのを止めるってそれで良いんじゃないか?」
暴論としか言えない言葉に、カフェは頭を横に振る。
「馬鹿な事を言わないでください。貴女はそこまで無責任な人ではないでしょう。それっぽい言葉を口にして誤魔化すのは止めてください」
「……」
溜息を吐いてフィアーが向き合う。景色は僅かにだが揺れている様に見える。花の咲き乱れる花畑の花々はフィアーの精神を反映するように淡い青色に染まる。美しい景色だ、だがここはヒトが踏み入って良い場所ではない様な予感がカフェにはあった。
「貴女が優しい人物である事は理解しています。ディープインパクトさんを守った時も、学園でさりげなく困っている人を助けている事も、私とトレーナーさんが霊障で困っている時も……見過ごせばいいのに、それが出来ずに助けに来るような人です」
そんな人物が、身勝手な理由で半年も眠り続けるなんて思えない。カフェが言葉を口にすればフィアーの溜息が盛れる。
「マイネルレコルト」
「……?」
「マイネルレコルト、アドマイヤジャパン、Giacomo、Afleet Alex……」
カフェには聞き覚えのある名前ばかりだ。どれも今のトゥインクルで走るウマ娘の名前だ。それもただ走るのではなく、特別強く重賞を制覇していたり2着で敗れたウマ娘達の名前だ……或いは、クリムゾンフィアーにその栄冠を奪われた娘達だ。
「もしや自分がいなければトロフィーは彼女達の手に渡っていた……とでも言いたいのですか? それは彼女達への侮辱ですよ」
「そうかもしれない。そうではないかもしれない。神様は何も答えてくれなかった。俺に導きも、指示も、そしてヒントさえくれなかった。生まれ変わる事にどれほどの意味があるんだカフェ? これはそんなに特別な事なのか? そんな意味のある行いなのか?」
ふと、眠って思い出したとフィアーは言う。
「トラックが目前にまで迫った時、ふと思ったんだ―――もう悩まなくていいかもな、って。体は反射的に回避と防御を取ったのにな。でもこれであれこれ悩むのから解放されるかもしれないって考えた」
はぁ……という溜息の音がやけに重く響く。
「マミーには感謝してるんだ。生まれてからずっと全てが虚しく思えて。生きる意味にそこまで重みを見出せなくて。それでも何も楽しめないならいっそ、全部忘れられなくても馬鹿になればそれだけで人生は楽しめるんだって教えられて」
けらけらけら、と笑い声が響く。顔を抱えるように笑う姿はどことなく痛々しさを感じる。そしてふと、冷静になった。
「なんか自分語りしてるの恥ずかしくなってきたな……ちょっとタイム取らない?」
「良いから帰りますよ」
近づこうとするカフェから逃げるようにフィアーが全力疾走する。それを追いかけるようにカフェが全力で走る。しばらくの間全力疾走が続いてから2人して息を切らして花畑に転がる。こいつ駄目だ、無理矢理に連れて帰ろうと決心するカフェの横で、フィアーがまあ、待てと手を出す。
「落ち着こうカフェ! 実力行使は良くない! 暴力ダメ!」
「言い訳は現実の方で聞きます」
「あ、この女マジで躊躇しねえな! あ! こら! 手を掴むな! うおー!」
両手で手を掴まれたフィアーがそのまま出口を目指して引っ張られるが必死に抵抗し、花畑に転がる。それを見下ろすカフェが呆れた視線を向ける。
「私も皆に一緒に謝りますからね? 帰りましょう?」
「何で優しく諭されてるんだよ。く、クッソ! 俺舐められてるなこれ!」
カフェから逃れたフィアーが両手を掲げて威嚇のポーズを取り、カフェが対応するようにファイティングポーズで威嚇する。それを見ていて呆れたオトモダチがどこからともなくやってくると一発、フィアーに蹴りを入れる。
「迎えが来たんだ、とっとと帰れ」
「……」
花畑に転がされたフィアーは横を向いたまま倒れ込んで黙り込む。
「また、ハーツクライが勝つぞ」
「それが運命って奴だろ。抗う程のもんでもない。それにハーツクライがディープに勝ったあの有馬は伝説的な勝利だ……無理に変える必要はねぇんじゃねぇかなぁ」
ごろり。
「無理に物事を変える必要がどこにある? 別段、変わる事を悪しと言う訳じゃない。だが元々そこにあったものはどうなるんだ? その時の高揚感に全てを任せて走って……終わった後に何時も微妙な後悔を抱いて。いない方がはるかにマシなんじゃねぇかなぁ」
「それが根本にあるものでしたか」
クリムゾンフィアーの根本にあるのは負い目だ。自分という異物が存在する事に対する負い目。だが親への感謝がある、友人への愛がある、走る事への熱量がある……本人の気質が、手を抜いて生きるという事を許さない。
それこそ手抜きで走る事こそが冒涜でしかないだろう。
それをフィアーは理解している。
母の為にも虚無のまま生きる事なんてできなかった。
息をひそめて生きるなんて息苦しい事も出来ない。
だから本能に任せていける所までを目指した―――その結果がこれだ。走って、笑って、人生も悪くないと思えた所で殺されかけた。別に堪えた、苦しかった、怖かった……と言う訳ではない。そういう所は既に通り越している。
ただ、楽しんでいる所に冷や水をぶっかけられた様な気分だったのは事実だ。
クリムゾンフィアーに命に対する執着はあまりない。
それは彼女が生きているのも、死んでいるのも、そう違いはないという考えからくるものだ。それでもまだ、生きている方が良いと思えるのは母親からの教育と愛によって生きている事に価値を見出せているからだ。
それでもどこか、エンディングを常に求めている娘だった。
理由を。
何時だって理由を求めている。
死んでも良い―――終わらせても良い理由を。
そうすれば納得して逝けるのだと思っている。
「そもそもさ、死者が生きて走っている方が違和感があるんだよ。気持ち悪くないか? 一度死んでいる癖に図々しくも栄光が欲しいって言ってるのは」
「さあ、どうでしょうか。私達ウマ娘は異界で走り抜いた魂を継いでこの世界で走り続けています。貴女がそういうのであれば、魂を継いだ私達でさえ全員卑しいという話になりますが」
「その話の持って行き方は卑怯だろうよ」
溜息を吐き、起き上がりながら頭を掻く。
「無理か」
「無理ですよ。貴女が起きなくて泣いている子だっているんですから」
「出会いは一瞬、別れは永劫……痛みも悲しみも、その内慣れてしまうものなのに」
「ですが、慣れないのであればそれに越したことはありませんよ、フィアーさん」
私はですね、とカフェが近づきながら続ける。
「楽しかったですよ。貴女と幽霊退治するのも、レース観戦するのも、応援するのも。そしてそれは私に限っての事ではありません。タキオンさんも、他に貴女に関わった人々もそう思っている筈です。だというのに、いきなりこの世を去ろうだなんて、なんて事をしてるんですか」
「本当になんだろうなぁ」
空を見上げ、呟く赤毛のウマ娘の姿。或いは、彼女でさえ自分の心を完全にコントロールする事が出来ていないのかもしれない。衝動的なものと言えば衝動的なのかもしれない。結局の所、クリムゾンフィアーというウマ娘が本当に求めているものが何なのかは、本人にさえ理解できていない。
ただ、そこには想いだけがある。
自分がレースを走っていいのか。
史実の勝ち鞍を変えていいのか。
反則じゃないだろうか、自分の存在は。
こんな卑怯な事が許されるのか。
走って、勝って、笑って―――それで自分を排除しようとする悪意に気づく。周りが優しいから、認めてくれたら……それで居ても良いんだ、存在してても良いんだ。
そういう意思とは真逆の意見を言う奴だってこの世の中には腐るほどいるという事に。当たり前の事だが、ウマ娘……それも競技者は大事にされている。そういう悪意に触れないように注意されていた。だからこそ忘れていてしまった。
それを知って、思い出して―――それでふと、我に返ってしまった。
―――あぁ、何やってんだろうな、俺は。
そうしてクリムゾンフィアーは自閉していた。気づけば命の根源を思い出し、そこに沈む様に虚無の様な時間を過ごした。考えは纏まらず、心はちぐはぐ、しかし言葉にできない想いは大量に積もって行く。
彼女でさえ、自分の心を完全に理解していなかった。
―――或いは、フィアーさんはずっと誰かが来てくれるのを待っていたのかもしれません。
カフェはふと脳裏に過ったその答えに確信を抱いた。きっと、この人も未だに道半ば。迷っているのだろう。オトモダチへと視線を向ければ、視線がそらされる。それが恐らくこのオトモダチには解っていたのかもしれない。
「フィアーさん、帰りましょう。今日は有マですよ」
その言葉にしばし無言を作ってから、ゆっくりと口を開いた。
「……ディー、調子悪そう?」
「ずっと絶不調ですよ。菊花と宝塚では勝ちましたが、今日は負けるかもしれませんね」
「……でもアイツ、強いし」
「ですが無敵ではありません。誰だって負ける時は負けます。貴女も、ディープインパクトさんもそうではありませんか? ……言いたい事、あるんじゃないですか? 何も言わずに去るのは卑怯ですよ」
「……」
もう一押し、もう一押しでこのボケカスは起きる。それをマンハッタンカフェは確信し、必殺のアイテムを取り出す事にした。
それは西村トレーナーがミッション遂行前にカフェへと渡した一枚の紙片だった。対クリムゾンフィアー必殺兵器。もしも夢の中で彼女と会う事があれば、これを見せれば一発で夢の世界から引き戻す事が出来るだろう……と手渡されたものだ。
西村トレーナーの取り出した秘密兵器だ、カフェはこここそがそれを使う場面だと認識し、取り出し、内容を確認した。
内容に疎いカフェは中身を確認してから首を傾げるが―――メモに書かれたとおりに行動する事にした。静かにフィアーに近づいてカフェは、その肩をポン、と叩く。
「良いですか、フィアーさん落ち着いて聞いてください」
「うん……?」
「貴女が寝ている間にフロムソフトウェアからアーマードコア6の発売が決定されました」
その言葉にフィアーの表情が停止した。無言のまま涙を流し、
「“真剣”かよカフェ!? “幻想”じゃねえよな……!?」
劇画チックな表情に変貌したフィアーがカフェの肩を掴み揺らしてくる。それにカフェはあーうーと声を漏らすように揺らされ、フィアーが立ち上がる。
「還ってくる……オレ達の“黄金時代”が還ってくる!!」
立ち上がり、拳を握ると一瞬で心の世界の出口を生み出し、振り返りながらカフェを見て、頷いた。
「今すぐ“帰国”する……ッ!!」
迷わず心の迷路から飛び出して行くフィアーの姿を眺め、カフェが溜息を吐く。なんてくだらない茶番だろうか―――だけど、これこそ普段の私達らしいとも。
ありがとう、フロムソフトウェア。
お帰り、フロムソフトウェア。
そして体は闘争を求める。
アーマードコア6、発売決定―――!!
クリムゾンフィアー
秒で起きた
マンハッタンカフェ
釈然としない
西村トレーナー
伊達に担当している訳じゃない
フロムソフトウェア
ありがとう、ただただその言葉しかない。ありがとう
この二次は元々60~70話ぐらいでの完結を目標として、どんなに長くても80話前後で終ると思ってます。そしてアーマードコアは素晴らしいゲームです。