『―――さあ、待ちかねました! 漆黒の英雄! 世代を代表するウマ娘! XX年のクラシックを語るのであればまずこのウマ娘は外せない!』
『クラシック三冠無敗にして宝塚に勝利、彼女の快挙を語ろうとすると時間が足りませんね! 5枠10番ディープインパクトです!』
歓声のシャワーの中、パドックでのお披露目が始まる。漆黒のバ体がパドックへと上がり、観客達の声が轟いている。ウマ耳にはこういう大きな音が余計にうるさく感じられる。パドック内そのものにはある程度の遮音対策が施されているものの、此方側はそういう類のものはない。
「頭が痛ぇ……」
「大丈夫フィアちゃん? 後ろの方で休もうかしら?」
「いんや、大丈夫。それよりも見つからないようにパドックを見たい」
マルゼンスキーに支えられながら大量の人混みでごった返すパドックを見に来た。当然だが有マ記念は年末最高のレースであり、日本中の人達が見に集まってくる。中に入るのだって一苦労する所を、関係者のごり押しで中に入っている状態だ。そもそもの収容人数がヤバイ状態なので、中々前に進めない。
マルゼンに手を回して貰って体を支えて貰っているが、そもそもの人が多すぎて中々進めないし、なんなら人が多すぎてパドックの様子が良く見えない。困った、人が多いのがそもそもそんなに好きじゃないんだよなあ。コロニーとか落ちてこないかなぁ。
「おうおう、退け退け! スピカ様のお通りじゃあ!」
「道を開けろー!」
「お」
どうすれば効率的に人類を絶滅させられるかを考えていると、人混みを割ってゴールドシップとトウカイテイオーの姿が見えてきた。此方を見ると笑顔で手を振ってくる。
「やーっと起きたかよ。意識を火星辺りまで飛ばしてるんじゃないかと思ったぜ」
「まあ、この大一番で眠ったままでいるとはボクは思わなかったけどね」
本当かなぁ。テイオー実は何度か泣いてるんじゃない? 泣かせた? だったらごめんな。そういう意図はなかったんだわ。まあ、それはそれとしてゴルシとテイオーが揃った事はちょっと心強い。2人が揃ったおかげでちょいスペースが確保しやすくなっている。
それはともかく、姿を隠すものが欲しい。横に丁度良いコートを着ている男がいる。とんとん、と肩を叩く。
「おい、アンタちょっと良いか?」
「ん? なんだ……はわっ!?」
肩を叩かれた男が両手で口を塞いでいるのに、俺はしーっとジェスチャーを取る。
「ちょっとバレずにレースを見たいんだ、コート借りて良いか?」
「あ、あっ、あっ、ど、ど、どうぞ、これをどうぞ」
「おう、サンキュ……これで良し、悪いな」
「い、いえ! そ、その! お帰りなさいませぇ―――!」
手を振って感謝を告げてから借りたコートに袖を通し、フードを被って頭を隠す。特徴的な赤毛が見えなければまあ、多少はマシだろう。トレセン学園の冬服を着ているとはいえ、流石にコート抜きはちょっと厳しい寒さだったかもしれない。うむ、ヨシ。
常備している口紅でシャツにサインしてやってリリース。応援ありがとな。
レース場に発狂者を生み出しながら助けられてパドックの見える所まで行けば、他のスピカが揃っているのが見える。フードを被っていても近づけば俺の事が解るだろう、近づくと笑みを浮かべて沖野Tと西村Tが挨拶してくる。
「よう、寝坊助」
「遅かったね、フィアー」
「やっと起きましたわね」
「席は確保してますよ」
「やあ、やあ、やあ」
我が所業に関してはノーコメント。起きるだろ、と信じてたのかスピカ面々は割とノリが緩い。そこにちょっとだけ救いを感じつつスピカで確保されたスペースからパドックの様子を見る。バ道を抜けて出てきたディーが勝負服姿で皆に見える所に立つ。
輝くバ体、ハリのある肌、艶やかな黒毛……表面上は仕上がっているディーの姿がそこに見えた。
「トレーナー、調整手伝ったでしょ」
「東条トレーナーに頭を下げられちゃってね。それでも下がり調子な所は止められなかったかな」
そう、表面上は完全に調整されたコンディションであるように思えるだろう。少なくとも肉体的には完璧なラインまで仕上がっている。だが一目見れば解る、彼女の中身はぼろぼろだ。今にも崩れ落ちそうな程に脆くなっている。それだけ彼女のメンタルがぼこぼこにやられているという事の証拠だろう。
ウケる。
いや、欠片も面白くないが……。
「で、どうするんだい? 声をかけてあげるのかな」
シービーの声に、俺はちょっとだけ姿が皆の陰に隠れるように立って、頭を横に振った。
「今姿を現したり声を出せば多分一気に精神的に持ち直すだろうけど……あんまり、良くないと思うんだよな」
結局、それって走る理由の全てを依存させてるって事だろうし。こうなってしまった手前、偉そうなことはあまり言いたくはないし、言うべきでもない。だが勝負の世界は非情で、ウマ―――馬の命が暗殺や事故、薬で失われ、レースが走れなくなるというケースは歴史上そう珍しい事でもなかった。
だから、俺が走れないケースだって別段、ありえなくもない話だ。
その度に調子を落とすのか? 俺は思う、ディーは今が一番苦しい時期だと。俺も、割と肉体も精神的にもキツイ部分がある。何も答えは見つけられていないし、解らない事は多い。だけど悩む事はそう珍しい事ではないし、特別な事でもない。
俺たちはそうやって迷って、苦しんで、考えて成長する―――俺もそうやって成長している最中なのだ。
「信じて見てる事にするよ」
語り掛けるべきではないと思う。
結局―――ターフに立つ時は常に1人なのだから。
「ディープインパクトさん」
「……ゼンノロブロイ、さん」
「ロブロイで大丈夫ですよ」
ゼンノロブロイ、昨年クラシック戦線で誰よりも活躍したウマ娘だった。その勢いはシニアに入っても衰えず、今年のシニア戦線で最も活躍した1人だと言われている。それが今日、自分と同じ有マに出場している。恐らくは誰よりも得難い強敵として。その姿にぺこり、と頭を下げる。
「実はディープさんとは前から会って、話してみたかったんです。中々機会が得られず、スケジュールが合わずでこのような場になってしまいましたけど」
「そう、なんですか……?」
初めて聞く事に首を傾げるのを、面白がるようにロブロイが苦笑する。
「はい……これは少し、唐突な自分語りになってしまいますが、実は私、ロブ・ロイの英雄譚に憧れてまして」
「……?」
微笑む様に、ロブロイが話を続ける。
「英雄譚に憧れた私はトゥインクルでデビューするのにあたって、誇れるような英雄になりたいと思ったんです。レースで走って、勝って、控えめな自分を変えて―――誰もが認めるような英雄に、そんな私になりたい。そう呼ばれるようになりたい、と」
ですが、と言葉は続く。
「私のクラシック期、その年末に英雄と呼ばれたのはディープさん、貴女でした。その走り、風格、全てが人を引き付けて魅了していました……少しずつ、地味でも走れば、勝てば理解される……そんな考えはただの甘えで、幻想でした」
そして、ロブロイは打ち立てた。オペラオー以来誰も達成しなかった秋の三冠達成を。オペラオー、そしてゼンノロブロイ、彼女達のみが秋の三冠レース制覇という偉業を成し遂げたのだ。そんなシニアのウマ娘から、プレッシャーとも言える威圧を感じる。
「……ディープさん、楽しみです。今日、貴女と走れる事が」
振り返り、離れて行く。
「出来れば……本調子の貴女と走りたかったです」
少し離れた場所で観客に手を振るロブロイの背中姿を見て、自分の手に視線を落とす。
「借り物の剣を握った英雄だなんて……」
そんな名声、相応しくない。握る剣も、目指すゴールも全て借り物なのに。自分のものだと言えるものは何一つとしてないのに。
それでも、レースの開幕は近づく。
「私は―――」
何故、走るんだろう。客席を見て、観戦に来ているスピカやリギルの姿を見つけ出す。そこから逃げるように視線を逸らし、目を瞑る。
答えが出なくても、レースは始まる。
未だ暗雲、晴れず。
ゼンノロブロイ
英雄になりたかった。名を先に取られた
ディープインパクト
英雄になろうとも思わなかった。相応しいとは思ってない
コートくん
サインされたシャツを脱いで保管した。半裸で有マを観戦する英雄