転生赤毛バは凱旋門の夢を見る   作:てんぞー

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43話 有マ記念 Ⅲ

『―――ディープ、生まれてきてくれてありがとう。そして産んでしまってごめんなさい』

 

『愛しているわ、ディープ。貴女を心の底から。でもね、同時に貴女は生まれなかった方が良かったのかもしれないと思うの』

 

『サラブレッドとして生まれたら、走る事でしか貴女の心は満たされないわ』

 

『途中で諦めがつくか、それとも走り切るのか……どちらにせよ、サラブレッドとして生まれた以上、背負う運命は一緒だわ。私達は走るのよ、ディープ』

 

『ふふ……言っている意味は解らないわよね。えぇ、そうね、今はそれで良いのよ愛しい子……出来る事なら才能がなく、諦めの付く子であって欲しいわ……才能を持って名家に生まれた者の末なんてそう楽しいものでもないのだから』

 

『ディープ……ディープ、私の子……貴女は才能に満ち溢れた子なのね……あぁ、なんて事……競バの世界は残酷よ。どれだけ頑張った所で人は忘れる生き物なのよ。楽しい事も、辛い事も、時の前に風化する生き物なのよ……』

 

『どれだけ頑張ろうが、どれだけ輝こうが……現代という導から離れれば離れる程人は過去の栄光として語るだけよ。その視線は常に現在しか見ていられないのよ』

 

『それはとてもとても残酷な事なの。私達は忘れられる生き物なのよ』

 

『だから、ディープ。貴女だけの星を見つけなさい』

 

『走る時、貴女を導いてくれる星に……貴女だけの星に―――』

 

 ―――ふと、母の言葉を思い出した。

 

 最後に会ったのは何時か。最後にまともに話したのは何時だったか。母の印象は薄い。愛の形を全く覚えていない。記憶にあるのは本家の人たちにひたすらトレーニングを課せられ、義務のように走り続けた記憶だけだ。家に良い思い出は無い。

 

 だけど何か……何かあった気がする。思い出せない程遠い昔に。まだ幸福だった記憶が。

 

『さあ、各ウマ娘ゲートイン……流石に有マともなると手間取る事もありませんねえ』

 

『良い集中力です。これは好走が期待できますよ』

 

 ゲートの中で意識を高める。集中力を高める。散ってしまいそうな頭の中身を整えてレースに切り替える。余計な事は考えない―――考えちゃいけない。今日の相手は余計なタスクを抱えた状態で勝てるような相手ではない。

 

 有マ、1年の終わり、年末の大一番。暮れの中山に憧れるウマ娘は多い。それは彼女達が、今年を代表するウマ娘であると認められたが故だろう。だから私も、この一年を代表するウマ娘になれたという事だ。

 

 ―――そこに、彼女はいないのに。

 

 ゲートが開く。

 

『今! 有マ記念開始です!』

 

「っ」

 

『おぉっと、ディープインパクト遅れたか!?』

 

『彼女は追込み脚質ですからねえ、わざと遅れた可能性もありますよ。事実、何時も通り飛び出て下がる方向性だった場合は威圧の嵐を受けていたでしょう』

 

 集中力が途切れて出遅れた―――酷いスタートだ、こんな走りを見られたら笑われてしまう。だけどそれが功を奏して威圧やデバフを避ける事が出来た。スタート直後の混戦に捕まる事無く後ろへと下がって行く、前の方で控えるゼンノロブロイを見る……そこに並ぶのはハーツクライか? 東条トレーナーからあの2人は要注意と言われているのを思い出す。

 

「……良い、何時も通り走る、だけ」

 

 何時も通り―――何時も通り走って差すだけ。

 

 マークしようにも私は最後方で控えている。マークしたくても後ろには下がって来れない。必然的に前の方で走るしかないウマ娘達は此方を意識しながらも自分のペースを保って序盤戦を抜けて行く。

 

「……」

 

 足が重い。

 

 体が鈍い。

 

 向けられる威圧を呼吸で受け流して行く。向けられる視線を無視する。それでもちくり、ちくりと心に突き刺さるものを感じる。前方を見れば堂々と走るシニア期のウマ娘の姿が見える。堂々と、夢を追いかけて走る姿は嫉妬さえ覚える。

 

 どうして、私にはないのか。

 

 ―――乱されるな。

 

 心を無にしろ。

 

 余計な事を考えるな。レースに必要な事だけを考えろ。

 

「……」

 

 思考がばらばらだ。まともに集中できていない。レースなのに、レース中の筈なのに。私は、レースだけは完璧なのに。それ以外が壊滅的なのはレースさえ走れれば良いからなのに。

 

 余計な事を考えるな。

 

 黙れ。

 

 煩い心。

 

 走れ―――走れ、ディープインパクト。お前の価値はそこだけにある。

 

 呪いの様な言葉が絡みつく。家で言われた事だったか? 自分自身の言葉か? 走りだしてから頭が重い……いつも以上に気が滅入る。前を走る姿を見ても考える事は何時加速するか、どういうコースを取るかという程度で細かい事を考える必要はない。

 

 末脚で全部踏みつぶして前に出るだけで良い。

 

 そのタイミングを間違えなければ良い。内は駄目だ、コースを塞がれてる。大外から捲って勝てば良い……良くあるパターンだ、下手な事を考えずに全部踏みつぶせ、ディープインパクト。私はそこだけは誰にも負けない最強だろうが。

 

 解っているのに……解っているはずなのに。

 

 中盤に入っても、足が加速しない。そろそろ前に出るべきだ。中盤で加速し、速度を乗せて終盤へと向かう。そこからはもはやミサイルのように全てを抜き去ってゴールを切れば良い。ゼンノロブロイは強敵だが、勝てない相手ではない筈だ。私にはそれだけの能力が存在している筈だ。

 

「はぁ―――はぁ―――」

 

 息が苦しい。加速するべきタイミングで加速できていない。速度が乗らない、誰かの領域が重く圧し掛かっている? いや、確かに領域の展開は感じている。だがそれ以上に自分の心と頭がぼろぼろだ。ちゃんと走ろうと思って心が走れていない。

 

「うる、さい……!」

 

 考えが煩い。振り払いたい雑念。だけど走っていると自然と余計な事ばかり思考に浮かび上がってくる。どうして、どうして、どうして―――!

 

 大事なレース、1年を締めくくるレース。ここで勝てないようであれば国内世代最強を名乗る資格なんてない。私は負けない、負けてはならない、そういう風に走って来た筈だ、そういう者を背負ってきたはずなのに。

 

「―――っ」

 

 段々と視界が黒く塗りつぶされて行く。

 

 心が闇に閉ざされて行く。

 

 走る事から力が抜けて行く。

 

「何のために、走ってるんだろ……」

 

 原因はクリムゾンフィアーの事―――ではない。

 

 彼女は自覚の一因でしかない。そう、ディープインパクトは元から気づいていた筈だ。全てを他人任せにしていた人生を。走る理由も、学園に通う理由も、将来も、全部他人任せにしていた。そのツケがここでついに牙を剥いた。

 

 徐々に、徐々に首に食い込む毒牙が今この瞬間完全に喉に食らいついた感覚。これまで誤魔化して逃げてきた難題へとぶち当たる。レース中に考える事ではないだろう。だが前へと踏み出そうとするディープインパクトの意識は今この瞬間、闇へと落ちる事を自覚した。

 

 どうして、走るのか。考えて考えて考えて、だけど答えは出ない。

 

 それもそうだ、理由なんてなかった。言われて走った。言われたから走った。そしてそれだけで良かった。それに何かが付随するようになったのは最近の事で、それまでの中身は無かった。いや、誰かに依存してただけでそこからも中身は何もなかった。

 

 それは悪い事なのか? 他人を理由にして走る事は?

 

 例えば褒められたい。例えば誰かに認められたい。例えば誰かに並びたい。確かに、フィアーと並びたい、一緒に走りたいという想いは確かに熱を生み出した。それはディープインパクトの人生において最も熱量の灯った瞬間だった。

 

 だが、足りない。信仰心が足りない。

 

 祈りが足りない。

 

 足は重く、泥沼に引きずり込まれる様な感触さえする。

 

 まだ前には10を超えるウマ娘の姿。中盤も中盤、終盤へと備えるウマ娘の姿も見えてきた。だというのに未だに闇は濃く、前が見えない。ゼンノロブロイは既にゴールへの道筋を捉えて走り出し始めた。アレを止めるのは至難の業。

 

「な、のに―――!」

 

 加速しない。加速したいのに体が前へと動かない。どうした、足。どうして走らない。やはり足りないからか、熱量が、胸を焦がす様な領域(いのり)が。

 

 ディープインパクトには領域がない。それはそうだ、まだ自分の願いも何もない奴が領域を発現させられる筈もない。つまりこの場で、一番劣っているのは己に他ならない。当然の始末だ、これまでずっと他人の祈りを借りて走って来た代償だ。

 

 何たる無様。何たる不快。何たる悪行。

 

 愚鈍、愚鈍に過ぎる。

 

「私は―――」

 

 風を切る声が漏れる。熱が見つからない。力が入らない。失速しそうだ。あぁ、そうだ、だったらもう……諦めても良いんじゃないだろうか。走る事を、勝つ事を……求めた結末には程遠く、欲しかったものは届く前に倒れて。

 

 復帰だってもう、絶望的だって解っているだろうに。

 

 彼女が起きたって、また本来の様な走りが出来るかどうか不明だ。

 

 だったら私ももう……走る意味なんて、ないんじゃないだろうか?

 

 ―――それはどうかしら。

 

 ちらり、光るものが闇に見えた気がする。

 

 スーパーカーと呼ばれたウマ娘の姿を幻視する。それはどうかしら、と一言を付け加えて。本当に走る意味なんてないのだろうか? だったら私は今も何故こんなに苦しみながら走る理由を求めているのだろうか? 苦しんで、足を止めたくてもまだ走っている。練習だって重ねてきた。諦めず、折れずに、そして今も走っている。

 

 心はぼろぼろで、メンタルも笑っちゃうほどに最悪だ。今にも闘志は折れてしまいそうで、足を止めたくなる。自分の心の弱さに嫌気がさしてくる。優柔不断で、誰かに頼らないとちゃんとした意見さえ口に出来ない……己の醜さが。

 

 ―――それでも君は走り続けている。

 

 皇帝と呼ばれているウマ娘の姿を幻視する。誰だって最初から完璧ではない、とそう教えてくれた。だって皇帝でさえ、最初はその考えを誤った。道を間違える所だった。それでも支えてくれる人たちが存在してくれたおかげで己の道を進む事が出来た。何も、悩む事は悪い事ではないと、何時も教えてくれていた。

 

 闇に沈みそうな意識。

 

 走る事を諦めそうになる。

 

 それでも走る―――走っている。走り続けている。諦めたくはないから。テイエムオペラオーが、エルコンドルパサーが、グラスワンダーが、ヒシアマゾンが、ナリタブライアンが―――そう、チームの皆は何時だって気をかけていてくれた。今更心が折れそうになってそんな事を思い出す。

 

 練習中でも、私生活でもさりげなくフォローしたり、面倒を見たり、励ましてくれたり……そんな小さな事の積み重ねを今更、本当に今更ふと思い出す。

 

 そういう小さな積み重ねによって自分は今支えられ、走っている。

 

「―――」

 

 息を呑む。中盤の終わりが見えた。加速しなくてはならない。熱を、熱を探さなくてはならない。

 

 我が胸を焦がす熱量。暗闇に浮かぶ光を、私だけの星を。私は何を導に走っている? 私はどうして走りたがっている? 今は横にいない、そこにいない星で何を求める?

 

「ち、がう―――」

 

 帰ってくる。

 

 必ず、彼女は帰ってくる。

 

 赤毛の暴君は必ず帰ってくる。

 

 それを誰よりも自分が、ディープインパクトが信じなくてどうする。何を弱音を吐いている。走る理由なんて結局そんなもんだろう。私は最強のライバルと最高のレースがしたいんだ。持って生まれた才能、環境、継承したもの、その全てを燃やし尽くして尽くせるような全力を出し尽くしても勝てない様な敵が、運命が欲しい。

 

 そう、運命。私を亡ぼすほど強い運命に出会いたい。走りたい。潰し合いたい。

 

 ―――それが貴女であって欲しい。

 

 かちん、と弾丸が装填される。

 

 意思を弾丸に、決意をトリガーに、そして熱量を火薬に。

 

 ここに至り、苦しみの底で苦しみ続けて漸くディープインパクトは己の祈りを見出す。

 

 即ち、最強。

 

 己こそが最強であるべき。最強でならなくてはならない。そうしなくては釣り合いが取れない。彼女に対して。誰よりも強く、自由に輝く星である彼女と並ぶ為には―――己の命を、覚悟を全て燃やしてでも走らないといけない。

 

 足が重い? 余計な思考がノイズになっている? 何を甘えているんだディープインパクト。

 

 その程度全て踏みつぶしてこその己だろうが。

 

 ―――最終コーナーが見えた。

 

 息を吸い込む。上がる。足の重さは消えた。頭の整理は終えた。敗北の予兆は殺した。1人、2人、3人、撫で切ってから引きずりだした。

 

「《汝、皇帝の神威を見よ》」

 

「あっ?」

 

 呆けた声が聞こえるのを無視して抜き去る。まだだ、まだ遅い。もっと速度が必要だ。加速力が足りない。コーナーが見えた。固有を引きずりだす。

 

「《紅炎ギア/LP1211-M》」

 

 限界を超えた加速力が一気に体をトップスピードまで運んで行く。有象無象を撫で切りながら最終コーナーから一気に先頭集団に紛れ込む。その一瞬で全てを置き去りにしながら追いつく―――前を走るのはゼンノロブロイ、そして追い比べするハーツクライ。

 

 ちらり、と視線が向けられる。

 

 凶悪としか呼べない笑み。人の良さからは感じられない本能全開の表情。

 

 だがそれは此方も同じだ。遠慮は無い。躊躇もない。

 

 英雄の剣が振るわれる。有マというコースにおいて大きな力を発揮するロブロイの固有が困難を断ち切るように放たれる。それに対して此方も漆黒の風を纏う、暴風となってターフの上を駆け抜ける事で正面から対峙する。

 

「っ、負けるか……!」

 

「―――」

 

 過ぎ去る姿を見ない。前を見る。祈りとは熱狂。信仰心とは狂気―――信じるのはただ一つ、最強である己の事を。己が最強であるとの証を。そうすれば絶対に、彼女は並んでくるから。確実に、それを許さないから。己こそが最強だとその声を轟かせたいのはきっと彼女もそうだから。

 

 だから矜持を……そう、まだ浅く価値もないプライドを両足に込めてターフを砕くような思いで走る。目の前にはゼンノロブロイの領域たる剣が振るわれる。それを形成したばかりの領域で拮抗させ、ぶつけ合い、精神の削り合いに入る―――可愛い顔をしている癖に精神性は強固だ、見た目通りじゃない。

 

 領域のしのぎ合いは不利、なら単純な暴力で誤魔化す。

 

「っ、ぅぅぅぅぁ―――!」

 

「負、け、ま、せん―――!」

 

 歯が砕けそうになる程食いしばる。瞳孔が開くほど強く前方を睨んで走る。横を見ない。引きずりだした継承領域の効果なんぞとっくに切れている。それでも自分の心を燃焼させて走る。

 

 1歩。

 

 2歩。

 

 3歩。

 

 抜いた。ハナ差。抜けた。差した。差し返された。

 

 ターフの上で咆哮する。序盤の怠慢が足を引っ張っている。いや、アレがあったからこそ今の己があるんだと自覚し、軋む足を意思で補って踏み込んだ。既に意識は肉体を凌駕している。レースの後にぽっきり折れても不思議ではない程の加速力と速力。

 

 でも折れない。

 

 心は何よりも熱く滾り、熱を体に回す。それが今、ディープインパクトが出来る唯一の証明だから。結局、それは走る理由は他人に投げっぱなしかもしれないけど。

 

「それで良いっ……!」

 

 開き直った。正しいか、間違っているかなんて解らない。それでもそうと決まったらもう、負けない。

 

 抜け出す。ラスト50メートル。スタミナはまだある。全てを燃やし尽くして更に加速する。距離が空く、それを確認せずにそのまま一気に―――捉えられる事なくゴールラインを切る。

 

 10数メートル減速しながら駆け抜けた所で立ち尽くし、空を仰ぐ。

 

「はあ、はあ、はあ、はあ―――」

 

 爆発する歓声の中、大粒の汗を垂らしながら荒く息を吐く。整えようと必死に胸を押さえる。だけど生きている事を主張するように心臓は高鳴り続ける。それが何かを主張している様に思えて、視線を観客席の方へと向けた。

 

 そこで、リギルとスピカの集まりを見た。

 

 見慣れたチームメイトたちの姿と、ライバルのチームの姿に。

 

 そこに交じる赤毛の姿を見て、涙が流れる。

 

「フィアさん―――ううん……くーちゃん、私、解ったよ」

 

 祈りを、祈る意味を、やりたい事を。

 

 焚きつけられたのでも、与えられたのでもなく、自分で捧げられる熱量を。人はそれを見て結局何も変わってないと言うかもしれない。だけど私にとっては答えだった。人生で初めて自分で考えて出した答え。

 

 だから熱量を胸に、息を吐く。

 

「最強は、私だ」

 

 年末の覇者ディープインパクト―――ここに、覚醒を果たす。




ディープインパクト
 覚醒完了

クリムゾンフィアー
 ちゃんと責任取れと周りから蹴りを入れられてる最中

シンボリルドルフ
 継承させたら強そうだったし……と供述しており

マルゼンスキー
 あまりにも可愛くて……と供述しており
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