バレンタインの勢いを俺は舐めていたかもしれない。授業を受けながらもそんな事を考える。ホームルーム前からこんな状態だし、そもそもこの大量のチョコの消費方法も考えなくてはならないだろう。全部食べると完全に栄養バランスを崩すコースだし、どうにか消費する目途をたてたい。というか甘いものは好きでも、こんな沢山食べるのは正直そうでもない。
授業を受けながらどうしたもんか、と思って頬杖を突いているとちょんちょん、と肩に感触がある。横に視線を向ければクラスメートが小声で耳打ちしてくる。
「フィアちゃん、授業終わったら早めにどこかへと逃げた方が良いよ。たぶん今日一日追われるから」
「アドバイスサンキュ、参考にしておくわ」
バレンタインは戦争……その意味の重さを俺は良く理解していなかったのかもしれない。
授業が終わって休み時間になった途端、廊下の方が騒がしくなる。教室の窓から乗り出しそうな勢いでチョコを持ったウマ娘達が集まっている。
「フィアさん! チョコをどうぞ、受け取ってください!」「手作りです!」「受け取ってください!」「私も!」「抜け駆けはズルい!!」「私のを先に受け取ってください!」「好きです! 付き合ってください!」「あ、こいつ!」「ギルティ! ギルティ!」「処せ!!!」
いきなり廊下で処刑が開始される。チョコの十字架にウマ娘が1人磔にされ口の中に失敗作が押し込まれ始めている。そこに何故か処刑人側で参加しているディーがいた。お前、そこで何をやってるんだ……? まあ、向こうは向こうで楽しそうなので無視するとして。
俺は連中が忙しそうにしている間に窓枠に脚をかける。
「じゃあな!」
エスケープ!!
それから逃げ回っては再びエンカウント、授業に戻ってエンカウント。どこもかしこもバレンタインに浮かれていてチョコの匂いばかりしている。女子高なのにこういうテンションで良いのか? いや、女子高だからこういうノリなのかもしれない。
ともあれ、朝からずっとこんなペースで物事が進むもんだから本当に疲れる。デジタルなんてファンの子に捕まってチョコを渡される事実に昇天しそうになったら魂を掴まれてそのまま体の中に戻されていた。デジタルのファン、ついにサクリファイスエスケープ封じを習得する。
そんなこんなでバレンタイン狂騒曲はウマ娘達をどこまでもかからせて続く。その喧騒が終わりを告げるのは漸く1日が終わるという頃だった。トレーニングはまともに出来ないし、授業もまともに集中できない本当に酷い日だった。
授業を終えて寮の部屋に到着する頃にはもう、尻尾も髪もしょもしょものしょんもり状態だった。
「はあ、本当に酷い一日だった」
鞄を放り捨ててベッドにダイブすると、ディーも同じようにベッドにダイブする。無敗の三冠馬とダート路線希望の三冠馬。奇しくも同じクラシック戦線で比較できない記録を打ち立てた者同士、俺たちは後輩や先輩から大人気だった。
どこに行ってもチョコ。チョコを気遣ってのプレゼント。どこをどうしても回避できる事なんてなく、どんどんプレゼントが増えて行く事態には困ったとしか言えなかった。だがそれも授業が終わった所では止まらず、放課後になると更にエスカレートする。
トレーナーやたづなさんが最終的には出動する事で事態は沈静化したが、とてもじゃないがネタに出来ないレベルで凄い一日だった。フジも言っていたダートの希望と言う言葉の意味を今になって良く理解するようになった。
「ぶえー」
「むえー」
一緒になって妙な鳴き声を零しながらしばらくベッドに突っ伏してから、笑い声を零して仰向けになる。
「去年の今頃はこんなになるなんて思いもしなかったな」
「それを言うなら、半年眠ってたのも」
「ごめんて」
ディーの未だに根に持っているような言動に苦笑しながら天井を見上げ、息を吐く。ふと、冷静に―――いや、素面になってものを考えてみると恐ろしいぐらい遠くに来たように感じる。最近は3月に向けた調整も始まってコンディションを整え始めた。
それでもドバイミーティングの時には全力の7~8割ぐらいまでしか回復出来ないというのが西村の判断だった。まあ、それでも8割まで持っていけるアレがだいぶおかしいのだが。トレセン学園でも調整神と呼ばれている担当トレーナーの名声は伊達じゃない。
それでも、勝てるかどうか今回は怪しい。何よりあのエレクトロキューショニストが出走してくる。インターナショナルステークスでは僅差でロブロイに負けたが、その実力を疑う余地はない。間違いなく最大の敵になるだろう。
それ以外にも恐ろしい相手は多い……アメリカからもAfleet Alexが俺の参戦を聞いて出走を表明してる。懐かしさを覚える反面、決して甘い相手ではない事は理解できる。だが同時に、難敵を迎える状況はどうしようもなく俺の本能と魂を高揚させる。
「よっこらしょっと」
ベッドから起き上がって背筋を伸ばす。息を吐いて肺の中の空気を入れ替え、部屋に置いてある小型冷蔵庫を開ける―――その中から取り出すのは事前にラッピングして用意しておいたチョコレートだ。まだベッドに倒れ込んでいるチワワの姿を見て、笑みを零す。
「ディー、ハッピーバレンタイン」
俺の言葉に視線を向けて反応するディーは、もそりと起き上がるとベッドの上を這って移動し、目の前までやってくると嬉しそうにバレンタインをチョコを手に取った。
「ありがとう、くーちゃん。でもラッピングしてあるしこれ、カフェさん用だと思ってた」
「唐突にバックスタブするの止めない? 今の相当心臓に悪かったぞ。カフェはカフェでちゃんと別のを用意した」
「したんだ……」
まあ、後日ね。デキる女はちゃんとタイミングをずらしてプレゼントするもんだ。バレンタインの日に纏めてやると印象が薄れるし、何より食傷気味だろうし。あっちにはチョコじゃなくてコーヒーに合いそうなものを用意しておいた。
「くーちゃん、カフェさんには割と、本気だよ、ね」
「本気というかカフェは割と俺のストライクゾーン突いてるよ。大人しくて、同じ空間に居て苦じゃなくて、落ち着く雰囲気があって、頼れるし芯が強い部分。普段は大人しいけど困ったときは手を引っ張ってくれるところとか素敵」
べた褒めするとチワワの頬が膨れてしまった。だって性癖なんだもん。しゃーないだろ。膨らんだチワワのほっぺをつんつんしてしばらく遊んでから、ごめんごめんと謝る。
「まあ、カフェはカフェトレ君と相思相愛だし心配しなくても大丈夫だよ。滅茶苦茶悔しいけど。流石に割って入る様な趣味は無い。DLSiteの検索最上位がNTRジャンルらしいけど俺、そういう所の趣味ないから……寧ろ性癖の乱れっぷりに恐怖感じてるから」
「増えなくて良い知識が、また増えた」
増えちゃったねえ。苦笑しながらコーヒーメイカーの用意をする。ここに丁度カフェお勧めのチョコに合うコーヒーがあるのだ。折角チョコをプレゼントしたのだから、美味しく食べて貰いたい。お前用に作ったそれは割と時間かけて作ったもんだし。
「じゃあ、私、からも」
そう言ってディーはクローゼットの方から綺麗にラッピングされた菓子を取り出した。どうやらディーが作ったクッキーらしい。互いに視線を見合わせ、軽く笑い声を零してからテーブルの準備をする。
皿を出して、コーヒーを用意して、そこに互いに作ったものを並べる。
ちょっとしたアフタヌーンブレイクの始まりだ。
「お、うまく焼けてる。だけどチョコじゃないな」
「チョコは、食べ飽きちゃうかな、って」
「あー、まあ、うん……そう考えるとちょっと俺は芸がなかったかな」
「ううん、凄く、美味しいよ」
「そう言われると嬉しいな」
微笑みながらコーヒーに口を付けて、菓子を口にする。散々な一日で騒がしいバレンタインだったが……そんな一日をこういう風に穏やかに終わらせる事が出来るのであれば……まあ、悪くはない日だったと言えるだろう。
だが時は残酷だ、こうやって穏やかに過ごす間も過ぎ去って行く。
俺が遅れを取り戻そうとする間に他の者は前へと進む。
そしてその歩みを止めない強者たちが集まる祭典が既に、来月にまで迫っていた。
いよいよ、ドバイミーティングは開催目前にまで迫っていた。
クリムゾンフィアー
解ってて虐めてる
ディープインパクト
解ってて弄ってる
マンハッタンカフェ
解ってて対応してる
アグネスデジタル
死ぬことが出来ずにそのうち考える事を止めた