それからすぐにイギリスを出るという事はなかった。
おばあちゃんに滅茶苦茶惜しまれたというのも事実の一つだが、それ以上に徹底してKGⅥ&QEステークスの疲れを抜く必要があったという点がある。ムリなレースではないが、無茶な走りはした。その影響で大きく負荷が脚にかかっていた。
何度もやっている話だが、ウマ娘の脚は消耗品だ。トップレースで走るウマ娘の脚は1レース走る度に目に見えるレベルで削られて行く。限界を超えた走りで寿命を使い切る事だって。それほどにレース中にかかる負荷は練習でかかるものの比ではないのだ。
そういうことで脚のケアを優先して更に半月程イギリスに滞在した。そこで色々とレースを走った娘達と交流してから別れ、飛行機に乗ってイギリスからフランスへと向かう事になった。
イギリスの滞在はファイモ殿下のコネを使ってウィンザー城になぜか寝泊まりする事になったが、フランスの方は普通にトレセン学園に留学する形で逗留する事になった。諸々の準備はMI6の兄さんがやってくれたらしく、特に困る事もなくイギリスを出る日が決まった。
白黒に軽いローキックを叩き込んで名残を惜しみ、イギリスを去る。
ここ数年で慣れてしまったファーストクラスでのフライトを楽しみ数時間。
「―――ここがシャンティイトレセン学園かぁ」
ウィンザー城での生活が数か月間も続くとヤバイグレードの生活に慣れ切ってしまったかと思ったが、空港でリムジンタクシー拾ってシャンティイトレセン学園へと向かう事に寧ろ安心感を覚える感じ、庶民の感性が抜けてない事に安心感を覚えた。やっぱ王宮暮らしは駄目だよ。
「流石フランス最大規模のトレセン学園……府中よりも大きいね」
「だなぁ」
リムジンタクシーから降りると護衛していたSPの人たちがタクシーから荷物を降ろして運んでくれる。流石にイギリスを出ても護衛が必要であるという立場に一切変わりはない。寧ろ世界的なグランプリを一つ達成した事で俺のウマ娘としての価値は更に上がっている。
何せ、芝とダートの両方で世界的なG1を制したのだ、世界的な評価も中々ヤバい部類に入ってきている。実はSPの数も前よりも増えていたりする。そんなSP達を連れてシャンティイトレセン学園の校門をくぐると、白いワンピース姿のウマ娘が待っていた。
「待ってたわよ、フィアーちゃん」
俺は歓迎するように微笑む大邪神シーバードに向けて中指を突き立てた。秒で人の中指を掴んでそれを折り曲げてこようとする西村に意地で対抗しながらぐぬぬと敵意たっぷりの視線をシーバードへと向けるが、それすら楽しそうに受け止めている。
「ふふ、私今はここで理事をしてるのよ? だから迎えに来て上げたの」
「チェンジで」
「さ、此方よ。トレーナー用の部屋と貴女の部屋はちゃんと用意したから荷物を運んでもらいましょう? 細かい話は一旦腰を落ち着けてからの方が良いでしょうし」
「ありがとうございます……それじゃあフィアー、迷惑をかけないようにね?」
「善処する」
手配に従い西村が自分の部屋へと向かい、俺が大邪神と残される。
……にこりと微笑む大邪神の言動に違和感はない。
まあ、フランスURA……フランスギャロって呼ぶんだったか? 詳しい話は良く知らないが、そこでトレセン学園の理事長をやってるなら流石におかしな事をしてはこないか。ドバイの夜、この女が俺の心を抉って来たことは絶対に忘れない。マジで忘れないからな。この領域は一生封印するつもりでいたのに。
ジトリ、と睨んでいる間にもシーバードの指示の下、SP達が荷物を宿泊先へと運び込んで行く。何時までも睨んでいてもしょうがない、と溜息を吐いて大人しくシーバードの案内に従う。シャンティイ学園内には日本中央トレセン同様学生寮が幾つか存在している。
「当然、シャンティイでは複数の留学生を抱えているわ。アメリカからも、イギリスやイタリアからも……いろんな国のウマ娘がフランスでのレースを目指して走るわ。だからそれに合わせて留学生用の寮も用意してあるの」
「無駄な軋轢を生まない為に?」
「えぇ……だってほら、ウマ娘って基本的には繊細でしょ?」
考えてみればシーズンになると色んな国から色んな国籍のウマ娘がやってくるのだ。それに対応する為にも留学生を隔離する為の寮は必要なのかもしれない。特に凱旋門のシーズンとか敵意とか殺意が飛び交っているだろうし。
そういう意味では留学生用の寮というのは合理的な作りなのかもしれない。案内されている間、通り過ぎるウマ娘達から嫌に熱のこもった視線が向けられている気がする。ちょっとだけそれが嫌でサングラスをかけて目元を隠す。赤毛で誰かは直ぐにバレるんだけど。
「あら、注目されるのは嫌い?」
「嫌いって程じゃないけど好きでもない。レースで勝った時に目立つのは好きだけど」
あの時は最高に気持ち良くて脳内麻薬どばどばどばぁ―――!! って感じで最高にハイになってるから特に気にならないんだけど。やっぱ最高に俺がカッコいいと思う姿になってレースを走るのはちょっとだけ恥ずかしさがある事だと思う。ちょっとだけ。今では慣れた。
「ふふ……でも貴女は増々注目されるようになると思うわよ。既に滞在中に貴女の取材を申し込みたいってフランスメディアから申し込みもあったし」
「全部断りてぇ」
「良いわよ、別に。私が断ってあげる」
にこり、と微笑んでカモメが微笑む。加齢を一切感じさせない美しさは全盛期を迎えたまま時が止まってしまったのじゃないかと思う姿をしている。その笑みに魅入られる者は決して少なくないだろう。表面上は美しいだけなのだろうから。
だがその目、だ。目がまともに生き物を見ていない。その強さのみを瞳で捉えている。そしてそれでしか他者を区別できていない。この女にとって強さを持たぬ存在はまさしく名前というタグのついた有象無象でしかないのだろう。
「取材とか、邪魔でしょ? 私も解るわ。そんな時間があるなら自由でありたいものね」
「理事がそれで良いのか」
「良いのよ。ここで一番偉いのは私なんだから。干せるものなら干してみなさい。それで職を失うのはどちらかしら?」
「やっぱこのカモメ邪悪だよ」
俺がこの女を苦手とする理由の大半は、俺が必死に取り繕い、人間らしく振舞う為に纏っている全ての装飾を無駄だと切り捨てている事だ。この女は根っこの部分で俺と似たような生き物だ。ただし、俺は取り繕う。この女は一切取り繕わない。その点だけが違う。
だからこのカモメに対しては嫌悪感の方が強い。その強さに対する尊敬はするが、嫌いだ。
「見えて来たわよ、寮。こっちよ」
ふわふわとした足取りで先導するシーバードに付き添って寮に入って行く……流石フランス最大のトレセン学園だけあって土地も建物も大きい。日本の奴も相当大きかったが、此方の方がもっと大きいのは単純に需要の違いから来るのだろうか。
シーバードが寮のロビーを抜けてエレベーターに乗るのを追いかけ、そのまま上の階へ。
エレベーターのある寮って中々凄いな……と思いながら廊下を抜けた所の扉の前で立ち止まる。ポケットからカードキーを取り出し、それを手渡してくる。
「はい、これが貴女のルームキーよ。学食の利用にもこれが必要だから無くさないようにね。無くした場合は……そうね、私の個人的な楽しみに付き合ってくれたら再発行してあげようかしら?」
「命に代えてでも絶対に無くさないようにするわ」
ルームキーを受け取り寮の扉を確認する。ドバイのホテル同様、カードキータイプのロックだ。鍵を近づけてぴっ、と電子音を鳴らすと鍵が外れて扉が開けられるようになる。
がちゃり、ノブを握ると音が鳴って扉が開く。
「―――あれ、誰、ですか……?」
と、扉が開くのと同時に部屋の奥から人の声がした。止めるまでもなく扉が開ききり、その奥にいるウマ娘の姿が見えてきた。ベッドに腰かけているウマ娘は漆黒の毛を持った、背が低めの少女の姿で……良く、見覚えのある娘だった。
その姿は数秒程俺の姿を目撃するとフリーズし、次の瞬間にはわなわなと震えだす。
「あー……そっか、フォワ賞に向けて入寮かぁ」
「―――くーちゃんっっ!」
飛び出すようにベッドの上からはじけ飛ぶディープインパクトの姿が俺に抱き着いてくる。ずがん、という音を寮内に響かせるの衝撃を巻き起こしながらその姿を受け止める。ごふっ、と血反吐を吐き出しながら静かに視線をシーバードへと向ければ、微笑みが返って来た。
「この方が貴女もこの子もやる気が出るでしょう? ……それが嫌なら私の部屋でも良いのよ? この学園で一番豪華で過ごしやすい部屋になってるし」
「ご配慮くださりありがとうございますッッ!!!!」
キレ気味に叫びながら尻尾をぶんぶん振り回して胸に顔をぐりぐりと押し付ける相方の頭をどうどうと撫でた。
シャンティイでの生活、大丈夫かなぁ……これ……。
クリムゾンフィアー
カモメの視線が湿度高すぎて危機感を覚えてる
ディープインパクト
やる気が上がった。スピードが20上がった。パワーが20上がった。
シーバード
自分の部屋に連れ込めなくて残念って顔をしてる
西村
最近ハニトラが露骨になって来たなあ、って顔をしてる