普通……と言うべきかどうかは解らないが、朝競バ場へと向かおうとするとメディアに阻まれることは多々ある。誰だってスクープが欲しい。誰だって取材したい。当然抜け駆けをするだろう。だから競バ場へと向かうのは一種の勝負だ。どれだけメディアに捉まらず向かえるか、という。
ただこの凱旋門賞においては心配はいらない。この欧州で最も価値のあるレースであり、事実上の芝の最強ウマ娘決定戦でもある。このレースに走るウマ娘に粗相をしてみろ、一生界隈から干されるだろう。というかフランス・ギャロが干す。それだけ凱旋門賞は格が違う。
歴史も、格式も、そしてそれに出場する実力も。
ドバイミーティングもかなりハイレベルで多くの著名人が招待された。KGⅥ&QEステークスもイギリスにおける最高ランクのレースであり、凱旋門賞は評価を見ればこれらを超える地球で最も価値のあるレースだと評価されているのだ……そんなレース前に粗相を犯す人間を生かしておくか? 無理でしょ。
ただでさえレースの価値、重みは前世のレースよりも重くなっている世の中で、凱旋門賞が持つその重みは計り知れない。
そういう訳でシャンティイトレセン学園を車に乗って出て、パリロンシャン競バ場に到着するもメディアが待ち構えているなんて事はなかった。アメリカでは死ぬほど見た光景だったのに一切メディアが存在せず、大人しくパドック側で待っているのには感動すら覚える。
「マジでメディアとか来てないんだなぁ」
きょろきょろと車から降りた所で辺りを見渡す俺の姿を見て、西村が苦笑を零す。
「まあ、ここでバ鹿をする様なメディアは入って来れないってことだね」
「そうね、流石凱旋門賞って所かしら。関われるメディアも厳選されていて一流のメディアのみが今日、この場に来ることを許されているわ」
続いて東条トレーナーとディーが車から降りて来る。ドーピング検査、体調ともに問題無し。完璧な調整が行われている俺達のバ体は理想的なコンディションにあると言えるだろう。無理な減量や制限もなくフルスペックで走れる状態で調整されている。
今日は気分よく走れる。そんな予感を胸にロンシャン競バ場に入る。騒がしさはやや薄目、雰囲気はアスコット競バ場の時に似ている。遠巻きに此方へと視線を向けてくるスタッフ達に軽く手を振って挨拶しながら関係者通路に進む。
ここまでくると控室まで行くのは何時も通りの流れだ。スタッフに案内され、控室に向かい、控室に入る。椅子に座る。横の椅子にディーが座る。
「待て、ディープインパクトお前はこっちだ」
「あっ、あっ、あっ」
当然のように同じ控室に吸い込まれてきたディーがそのまま東条トレーナーに連れ攫われようとしている。
「と、東条トレーナー」
ディーが脚を止めて東条トレーナーを見上げる。
「……」
「控室一緒でも……特に問題、ありませんよね」
東条トレーナーがその言葉に両手で頭を抱えた。西村は申し訳なさそうな表情を浮かべ、俺は知らんぷりした。窺う様な視線を向けるディーを無視して、東条トレーナーはディーと俺を交互に見て、それからたっぷりと溜息を吐いた。
「これもメンタル調整かぁ」
「東条トレ! それ自分に言い聞かせてませんかっ!」
「これがレース前じゃなければ説教してる所だぞ貴様」
メンタル的にこれが一番安定するからしゃーないと諦める表情の東条トレーナーは西村と共に調整の為に控室を出る。その間にそそくさと横に戻って来たディーは椅子を引っ張ってきてぴったりとくっつく様に座ってくる。
「さて、AP消化でもするか……」
「またソシャゲ?」
「だってこの時間割と暇だしな。何をどうするかなんて既に決まってるし、土壇場でやらなきゃいけない事とか特にないからなぁ」
「構って」
「仕方がないなぁ……」
取り出そうとしたスマホをしまう。そうストレートに構って欲しいと言われてしまうと従わざるを得ない。
まあ、このパドックと出走までの時間はトレーナーによるウマ娘へのメンタルコンディションの調整時間だったり、戦術の再確認の為の時間だ。とはいえ凱旋門賞に出る程のウマ娘であればそのような調整今更だという話でもある。
そもそも俺もディーも既にやるべき事は定まっているから、この時間は余計な時間だとも言える。とはいえ、構ってと言われたら全力で構うのが赤毛流。ディーの前に立ち、しゅばばば、とポーズを決めて構える。
「―――覚悟は、良いか」
「……!」
ごくり、と唾を飲み込んでからディーが頷く。それを見て俺は考える……ここからはノープランだ。一体どうやって構えば良いのだろうか? いや、だがディーは基本的にスキンシップ好きだ。ちょっとしたスキンシップをすれば満足して調子が上限突破するに違いない。いや、それはそれでまずくないか?
強くなる分にはまあ、ええか!
「よーしよしよしよし」
とりあえず両手で頬を包んで、顔をわしゃわしゃとしてみる。扱いが完全に人に向けるそれじゃなくてペットとかイッヌにやるそれだが、なんか嬉しそうにディーは目を細めてくる。もしかしてこんな扱いでいいのか? 本当にそれで良いのか? 安すぎないかお前?
もう少し優しくすっかぁ……。
「……君たち、それは新手のプレイか何か、かな」
「え?」
「あ」
チワワをわしゃわしゃしてたら何時の間にか控室の扉が開いており、ルドルフを伴って東条トレーナーと西村が戻って来ていた。その後ろには小さい理事長までいる辺り、顔ぶれとしては相当ガチな応援だ。
「カイチョーもリジチョーもお久しぶりでーす」
「です」
「とりあえずその手の動きを止めなさい」
「相変わらず君たちは仲が良いね」
「安心ッッ!」
ば、と広げられる理事長の扇子には“節度ッ!”と書かれている。仰る通りです。でもこれぐらいのスキンシップは普通だと思うんですよ。割と自室だともっと密着してるし―――いや、待て、もしかしてこの距離感は普通ではないのか?
ちょっと待って、と手を出して目を瞑り、テレパシーを送る。そこら辺どう思われますか女神様。
『ウマ娘はウマ娘で、ヒトはヒトで恋愛すべきだと思います』
「流石三女神だ、やべぇ事を言ってくれるぜ」
「レース前に毒電波を受信するのは止めなさい」
東条トレーナーはそう言うが、こういう時西村は微笑むだけで絶対に止めないんだよな。俺、西村のそういう所割と好きだよ。ともあれ、日本から応援に来てくれた二人がいるのだ。退屈な待機時間を面白く過ごす為にチワワを解放し、自分の椅子に座る。
それを見ていたルドルフがくすり、と声を零す。
「どこに居ようと君たちは君たちらしくいられているようで安心したよ」
「うむ! 陣中見舞いであるッ!」
「ありがとう、ございます」
「理事長たちが来てくれるとは思わなかったけど……日本は今、どんな感じで?」
いえーい、とルドルフと拳をごっつんこ、と久しぶりの再会を楽しんでいると、理事長が答えてくれる。
「日本は今年は凱旋門賞を取れるのではないかと国を挙げて応援している状態になっている」
「実際の所、私達がこっちにスムーズに来れたのは日本URA側が送り出してくれたからなんだ。日本URAも今年はついに悲願を達成できるのではないかと大いに期待を寄せているけど……君たちには関係がなさそうだね?」
ルドルフの言葉にディーと視線を合わせて微笑む。
「まあ、俺達は互いに勝負する事しか考えてないので」
「2勝目、貰います」
「今回で1勝1敗にしてやるわ」
皐月以来のディーとの勝負、俺としては漸く借りを返すチャンスでもあるのだ。これで漸く俺とディーは戦績的にイーブンに持ち込める。
無論、俺達のレースには多くの思惑が絡んでいる。日本URAの悲願、海外の評価、歴史と伝統を守ろうとするフランスギャロの意地、大邪神カモメ姐さんの湿度100%の視線、そして三女神の恋愛発言。
だが結局の所、一番重要なのは俺とディーが勝負するという事実のみだ。
それだけが、俺達にとって最も重要な事実だ。
なあ、そうだろ、ディープインパクト。
その為に俺は生まれて来たんだと思うんだ。
クリムゾンフィアー
毒電波は一生封印しようと思った
ディープインパクト
距離感に関して違和感を覚えない。これぐらいふつーふつー
シンボリルドルフ
ちゃんと8Bitサングラスを持参してる
理事長
実はURAとギャロ両方から色々と言われてて現時点で一番疲れてる