審議中のランプが出ている。だけど横で並んで走ったからこそ解る。ハナ差―――それも数センチ差で俺の方が前に出ていた。ゴールラインを抜けて少しずつ速度を落としてゆっくりと脚を止める。限界まで酷使した肺が酸素を求めている。大きく息を吸い込み、吐き出す。
「ふぅ―――」
吸い込む空気の味が美味い。
「これが勝利の味かぁぁぁああ―――!!」
「負けたああああー! ああああー! 負けた―――!!」
「がーっはーっはーっは!」
ギャン泣きするディーがターフに転がって手足をバタバタする姿に横からスライドインしながら顔を寄せる。
「お前のその表情を見たかった……!」
「うううう……うぅぅぅぅ―――!!」
げらげら笑いながら立ち上がり、満面の笑みでスタンドに向かって中指を突き立てる。興奮する観客を煽るように持ち上げるようにジェスチャーを取れば呼応するように観客席からコールが返ってくる。そしてついに電光掲示板に、一着の表記が出る。
―――無論、俺の番号で。
歓声に包まれるロンシャン、絶叫と怒号に喜びの悲鳴。推しの負けに泣き、推しの勝利に泣く。今ここに、凱旋門賞の勝者が決定した。グランプリ2冠目、その事を証明するように指を二本立ててステップを取るようにターフの上でウィニングランを決める。
俺、今大変気分が良いです。最高に気分が良いです。ふはははは、もしや我ってば……最強なのでは? いや、これで欧州最強なのは確定だろう。カルティエ賞もこれは絶対に貰ったわ。後はエクリプス賞取ってしまえば世界は俺という存在を歴史に刻むしかないだろう。がっはっはっは、やっぱり大変気分が良い。
ウィニングランを止めて、祝福するように舞うバ券のシャワーを前に息を吐く。
「……これで、グランプリ二冠。次はアメリカだな」
楽しい楽しいレースだった。これ以上なく完璧に策のハマったレースだった。領域でのごり押しでもスペックでのごり押しでもない、賢さUG級の完璧な作戦だった。それが綺麗に刺さった瞬間は言葉にもならない心地よさと楽しさで満ちてる。
悔しそうにターフに転がっているディーを見て、ゴールして悔しそうにしている他のウマ娘達を見る。
「最高に気分が良い……!」
こういう敗者を見下すの、悪い事だとは思うけど最高に気分が良いよ。バーン様もそう言ってる。
「おめでとう、フィアー。これで名実ともに欧州最強バだよ」
「俺は今、サイコーに気分が良いわ」
控室に戻った所で笑いながら置いてある椅子に座り込む。流石にレース直後の事もあってディーとは別れている。今頃控室で反省会か何かをしている所だろう、これで終わるとはどうしても思えないし。国内無敗が海外でライバルに敗北ッ! いやあ、最高に気分良いわ。
未だに体の中にレースの熱がある。強制的に択を与え、それを外す。相手にも考える事を強要させるレース、それをその上でコントロールして勝利する。これまでで一番自分らしいレースが出来た気がする。毎度毎度こういうレースが出来れば良いのだろうが、ウマ娘の勝利への執念はすさまじいものだ。
次回までには当然ビデオ研究から心理研究でどういうレースを好み、どういう走りを取るのか金をかけてまで研究してくるだろう。力のごり押しは戦術で対応できる分、戦術的な勝負はその分析で対応できる。理想は二つを合わせた戦い方で勝利する事だ。
そういう意味じゃディーの追い込みと、スズカみたいな大逃げは対処が難しい部類だろう。まあ、それでも今回は俺の勝ちだ。タッチの差勝利でも、その差は読みの差による圧倒的な差だ。次回この差をどう覆すのか、それを考えるだけでも楽しい。
「次は来月にBCクラシック、それが終わったら日本で有マを走って引退だ」
「はい、靴を脱いで足首を見せて。ライブ前に軽く検診するから」
「おう、宜しく……ズボン脱ぐか?」
「慎みを持って」
西村の言葉に笑い声を零して靴を脱いで足を持ち上げる。その前に跪く西村が足首をチェックをする。冷却用のスプレーを近くに置いてあるのはもしもの場合に備えてだろうが、今期はそこまで酷使する走りをしていないから熱はそこまでない。
「しかしディープインパクトが並ばれるのを嫌がるとはよく解ったものだね」
「日常生活を一緒にしてるからね。ディーはね、並ばれると相手にペースを合わせちゃう所があるんだよ。追い込みという走りが得意なんじゃなくて、アイツは追い込みしか走れないんだよ。バ群が根本的に苦手なんだよ」
だから差しも先行も無理。だいぶコミュ能力も上がってきたが根本的な気質は変えられない。ディーはアレでまだまだ人見知りな部分が大きい。だから追い込みでしか走れない。逃げで走ろうとすると後ろを気にしすぎてまともに走れなくなるだろうし。
だからディーだけをマークして走るなら同じ追い込み、速度を合わせて中盤まで加速力を封じ込めつつペースを乱して、そこから1人で前に出るのが一番勝ちの目がある。今回はそれが完璧にハマったパターンだ。
勝つとすればそれに加えて先に前に出るぐらいだけだろう。あの末脚を完璧な形で発揮させないのが最大の勝機だと思う。
「うん、これならライブも問題なさそうだね。汗で軽く乱れた化粧を直す為にスタイリストを呼ぶよ?」
「おう、頼む」
謎技術によってつくられている勝負服、ズボンを軽くまくって靴下を履き直した程度では皺にならないのは相変わらず凄いなあ、と思う。靴下と靴を履き直して軽く立ち上がる。ヨーロッパはヨーロッパで日本とは違うライブ曲を採用している。中には無論、凱旋門賞専用の曲もある。
つまりこれからのライブで歌って踊るのもそういうのだ。実はこのクリムゾンフィアー、何と言ってもこの手の覚えて実践するだけの事は得意なのだ。ダンストレーナーが伝えたい意図を感じ取って実践するだけだから、割と簡単に覚えられる。
ハローとかいう卑しい女も凄い優秀って褒めてくれる。よっしゃ、西村襲って良いぞ。俺は事あるごとに西村をリリースしようと思う。アイツの女性関係滅茶苦茶になってくれねぇかなぁ。もう既に滅茶苦茶か。
「しかし、引退かあ……」
西村がそんな事を呟くのを、俺は自分の右膝を抱く様に椅子に座って見る。
「なんだよ、俺が引退するのが不満か?」
「まあ、不満と言えばそうだし、そうじゃないと言えばそうかな。究極的に僕は君の味方で、君がやりたい事を全力で成し遂げる事を仕事だと思っているし。トゥインクル最初の3年間はウマ娘にとって最も大切な時期だ……それを走り抜けたら引退するも、ドリームに行くのも自由だと思うよ」
「じゃあ、なんだよ」
西村は俺の言葉にうーんと唸る。先ほどから部屋に置いてある俺と西村のスマホが絶えず震えてる。恐らく日本初の凱旋門賞制覇に色々と連絡を取りたい奴で溢れているのだろうが、この勝った直後の余韻を関係のない奴に崩されたくなくて放置してる。
「まあ、勝手な話だけど」
「勝手な話だけど?」
西村は苦笑する。
「大いに迷惑はかけられたけど、それだけ楽しい3年間だったよ。そうだね、もうそろそろ君と駆け抜けた3年が終わりを告げると思うと寂しいと思ってるんだ。騒がしくて、馬鹿々々しくて、それでも終わるのが惜しく思うぐらい……楽しかったよ」
西村の言葉ににへら、と笑みを零す。
「人生のエンディングは既に見えてるんだ。走れば走るだけ俺達の脚は使い減りするんだ。だったらな、どこまで行けるかじゃなくて……大事なのはどういう風にエンディングを飾るか、って事なんだと思う」
終わりを選べない奴なんて世の中腐る程いる。不慮の事故でその後の人生が狂う奴だっている―――俺だって突然の流行病に合併症でころりと逝っちまった。誰が世界規模でパンデミックが起こるなんて事を予測できた?
人は死ぬときは死ぬんだ。
それが何であれ、終わりは絶対にやってくる。人生とはそのゴールを目指して走り続けるレースだ。
だから、どこをゴールにするかを常に忘れちゃならないんだ。確かに、三大グランプリを取って有マを勝って俺のレース人生に終わりを付けるというのは挑発であり、煽りでもある。だけど俺は別段、それで人生の全てが終わりだとは思わない。
他にもやれることはたくさんあるし、見てないものは多い。ターフで走るだけが人生じゃないんだ。名実ともに最強の名を手にしたら、それを一つの区切りとしてもっと広い世界に踏み出すのも決して悪いもんじゃないと思う。
ま、それも全部終わってからの話だ。
「別段引退した所で縁が切れる訳でもないんだし、気楽にやっていこうぜ西村。死力尽くして走って楽しむだけだ」
「また気楽に言うもんだ」
こんこん、と扉のノック音が響く。どうやらスタイリストが来てくれたらしい。レース中に乱れた髪や化粧を直してライブに備える為にさっさと鏡の前の椅子に移動する。
しかし―――あぁ、これで二大グランプリ制覇だ。
史上最強まで、あと一つ。
クリムゾンフィアー
西村の休みの日をストロング葵などに横流ししてる
西村
なぜか休日に良く同僚とエンカウントする