メイドのいる喫茶店   作:飛び回る蜂

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休日出勤のモカマタリ 1

 

 

 仕事は辛い。社会人になってからそう思わなかった日はない。

 生きる為だから。お金の為だから。それに関わるのが好きだから。

 どんな理由を立ててみても仕事は、辛い。

 24時間の内8時間は寝て、残りの10時間は仕事。3食食べる時間と休憩、通退勤で2時間使えば残りは4時間。

 俺みたいな勤め人が一日で自分の為に使える時間は、たったの4時間だけ。

 これが若いころもっと考えようもあったろうが、アラサーにはしんどすぎる。

 

 

「やってられないって」

 

 

 時間というものを可視化してしまったときの絶望は、中々に重かった。

 休日や休暇もあるから、この計算も厳密には違うんだろうけど。

 そんな貴重な休みの日も、今日みたいに休日出勤で潰れれば何も言えない。

 ようやく緊急呼び出し案件を済ませたころには昼を過ぎ、そんな空きっ腹の俺に言い渡されたのは、午後退勤。

 だったら一日仕事にして代休にしてほしかった。こんな時間じゃやってる店がない。

 いっそのこと帰って早く眠りたい、それだけで脳が埋め尽くされてしまう。

 

 

「……そういや」

 

 

 車を走らせる途中、今通っている道から一本外れた場所にある、あの喫茶店のことを思い出す。

 この街で暮らし始め、今の仕事に就いてからそれなりに経つが、一度も入ったことがない。

 一度思い出してしまうと、一回くらい入ってみてもいいんじゃないか?という気持ちがむくむくと湧いてくる。

 

 でもなぁ、どうするかなぁ。仕事終わりだし、眠いし。

 帰り道を外れる、たったそれだけのことが億劫だと感じてしまうことに、軽い嫌気がさす。

 さっさと帰ってベッドに倒れ込みたい欲求が沸き上がるが、たまにはいいじゃないかそれくらい、と自分を納得させる。

 

 

「寄ってみるか」

 

 

 そうして俺は、ほんのささいな非日常の為にT字路を曲がった。

 

 

 

 

 

 

 

 駐車場に車を停め、鞄は持って外に出る。

 スーツ着て喫茶店なんて堅苦しくて心休まらないが、この際仕方ない。

 くたびれた、おじさんに片足突っ込んだ男一人、営業先へのお詫びに疲れてコーヒーを一杯。乙なもんじゃないか。

 ……なんか恥ずかしくなってきた。仕事辞めてぇなぁ。

 そんな現実逃避もそこそこに、ドアをくぐる。ベルが鳴らすカランカランという音が小気味いい。

 

 

「いらっしゃいませ」

 

「……あ、どうも」

 

「ただいま、お席にご案内いたします」

 

 

 店内を箒と柄の長いちりとりで掃除しているのは、メイドさんだった。

 俺の見間違いか?と思ったが、目を擦ってもいなくならないのを見るにきっと現実なんだろう。

 仕事疲れと倦怠感でまともに働かない脳はそう結論付けた。 

 メイドさんはぱたぱたと手早く掃除用具を片付け、カウンター席へと案内してくれる。

 他にお客もいなかったみたいだ、掃除中なのは仕方ないことだ。ゆっくり待つことにする。

 さっきまでの仕事のことを考えながらゆっくり待っていると、いつの間にか隣にいたメイドさんがメニューを差し出していた。

 

 

「こちらがメニューでございます」

 

「ありがとうございます」

 

「お決まりになりましたら、いつでもお声かけくださいませ」

 

 

 ごゆっくりどうぞ、と一礼してカウンター側へと歩いていく。

 メイドさんがやってる喫茶店かぁ……そんな店あるんだなぁ。

 そんな考えがぼんやりと頭を過っては、いやそんなことある?と疑問が湧く。

 電気街で見かけるような、若い子が愛想よく振舞う『メイド喫茶』なら知っている。

 一時期はよく話題になったもんだ。

 

 だがどうにも、俺の知っているメイドとは違う。

 立ち居振る舞いは清楚で瀟洒、歩く姿にはブレがなくおしとやか。

 注文に備えて準備をする手際は淀みなく、綺麗だ。

 ……いや、本来こっちが正しいメイドなんだよな。なんだか長い間錯覚していたような気分だ。

 

 

(なんにすっかなぁ)

 

 

 考え込むのもいいけど、先に注文してしまうか。

 個人経営の喫茶店だし、高くつくかと思いきや、メニューを見た感じはそうでもない。結構リーズナブルだ。

 うん、あんまり重いもんじゃ夕飯に響くし、コーヒーと軽食でも頼もう。

 こういう個人経営の軽食は美味しいと相場が決まっている。

 ましてやこんなに仕事のできそうなメイドさんが働いているんだ、不味い訳がない。楽しみだ。

 

 ……よし、このランチセットにしてみよう。ホットサンドと、選べるコーヒーが二杯分で700円。

 喫茶店の値段としても、昼食の値段としてもまぁまぁな値段、むしろ安い。これに決まりだ。

 

 

「じゃあこのランチセットを一つ」

 

「かしこまりました。珈琲は何になさいますか?」

 

「そうだなぁ。無難にエメラルドマウンテン……いや」

 

 

 コーヒー豆の種類について詳しくないが、有名どころの名前なら外れないだろう。

 そう思っていたが注文する直前、ちょっと魔が差した。

 この端正な顔立ちのメイドさんの、ちょっと困った顔が見てみたいと思った。

 ふとした思いつきだが、試してみるのもアリなんじゃないか?

 そんな俺の好奇心は止まらなかった。

 

 

「苦くないコーヒー、なんてあります?」

 

「苦くない珈琲ですね。はい、ございます」

 

「はは、すみません。無茶を言って……え?あるんですか?」

 

 

 言ってから、何馬鹿なこと言ってるんだこの大馬鹿!と自分をぶん殴ってやりたい気持ちになったが、メイドさんの了承に思わず呆気にとられる。

 苦くない珈琲だぞ?そんなもの本当にあるのか?

 

 

「はい。お客様には是非『モカマタリ』をご用意させていただきたいと思います」

 

「モカ……聞いたことあるなぁ」

 

 

 モカコーヒーっていうのはたまに聞く。

 確かエチオピア産の、香りがよくて……なんだっけ。あんまり銘柄を意識して飲んだことが無い。

 改めて考えると、コーヒーは苦くてカフェインが取れるもの、くらいの認識だってことに自分で驚く。

 それこそ日常的に口にしてる物なのにだ。

 

 一人動揺しているのを他所に、メイドさんは黙々と準備をしている。

 ホットサンドメーカーにパン、ベーコン、卵、マヨネーズ、スライスチーズを敷いてまたパンで挟む。

 ぱっと見結構ボリュームあるなぁ。食べきれるか?

 

 メイドさんはそれと同時に、コーヒーを淹れる準備も進めていた。

 手元にはコーヒーの粉が入ったビン、ラベルには『モカマタリ』と綺麗な字で書いてある。 

 そこから二杯分のコーヒー豆を取り出して、ドリッパーに均して入れる。

 

 

「モカは一般的にエチオピア、そしてイエメンの珈琲豆を指します。甘い香りが特徴的で、この風味は他国の珈琲にはなく、非常に個性的な珈琲と言えます」

 

「確か、モカ港っていうとこから搬出されるからモカって名前が付いたんでしたっけ?イエメンってのは初めて聞きました」

 

「その通りです。エチオピアからアデン湾を挟んだ場所にイエメン、そしてモカ港はあります。今でこそモカの名前はエチオピアを連想させますが、実際にはイエメンのモカ港より広まりました」

 

「モカ港ってイエメンにあるんだ……。てっきりエチオピアかと」

 

「モカとエチオピア、これは切っても切れない関係性です。無理もありません」

 

 

 お湯を注ぐ手元から目を離さないが、その語り口は非常に流暢で聞き取りやすい。

 時折器具から目を離し、コンロで焼いているホットサンドメーカーをひっくり返す。実に手際がいい。

 パンの焼ける香ばしい香りを嗅ぐと、俺もホットサンドメーカーが欲しくなってしまう。

 

 

「珈琲豆の起源は大別すると、アラビカ種とカネフォラ種の二種に分かれ、モカはアラビカ種に分類されます。そして同時に、世界で初めて珈琲として飲まれていた品種でもあります。このことから、エチオピアは珈琲発祥の地と言われています」

 

「じゃあ、今飲んでるコーヒーって、世界で一番古い品種の系譜ってことですか」

 

「時代を経ておりますので、原種とは言い難いでしょう。ですが、それを広めた港の名を関したモカは、ある意味では全ての珈琲の始まりの品種と言えます」

 

「ロマンのある話ですね。全てのコーヒーの始まりかぁ」

 

「はい。そして、お客様がご所望されました『苦くない珈琲』と言えばこれだと、私は考えます」

 

「そうは言ってもねぇ。珈琲っていうのはどれも苦いもんでしょう?いや、俺も缶コーヒーとか自販機ばっかだから偉そうなこと言えないけど」

 

 

 しかしメイドさんはふるふると首を振り、否定の意を示す。

 こうして話を聞いていても、正直なところ半信半疑だ。

 コーヒーっていうのは黒くて、苦くて、飲めば底に黒い粉が残る。そういうものだと身をもって知っている。

 わざわざPCに齧り付いてる時に飲むのは、その苦さで目を覚ます為というのもあるのだから。

 そういう俺の内心が透けて見えたのか、いかにもこれから飲ませるのが楽しみですと言わんばかりに笑顔だ。

 面白いじゃないか、ぜひ飲ませてもらおう。その苦くない珈琲とやらを。

 

 変な対抗心を燃やしていると近くから、猛烈に腹の減る匂いがする。

 お待ちかねのサンドイッチが焼けたらしい。。

 ホットサンドメーカーからサンドイッチを取り出すとまな板の上に乗せ、斜めに包丁でザクッと切り分ける。

 三角形に二つ、綺麗に皿の上にレタスと一緒に盛られるのを見て、内心嬉しさが出てくる。

 なんのことはない、俺は四角形より三角形のホットサンドの方が好きだからだ。なんとなく。

 

 

「お待たせしました。ランチセット、モカマタリでございます」

 

 

 

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