クロフネというウマ娘がいた。
あの《亜光速の粒子》と謳われるアグネスタキオンのライバルとして一躍脚光を浴び、NHKマイルを勝利した《白い怪物》のあだ名を持つウマ娘だ。
新進気鋭の彼女が春秋の天皇賞4連覇を狙うテイエムオペラオーを打倒せんというのは、皆の期待を集めたものだ。
しかし。
「勘弁してくださいよ……」
『今回だけはどうしても使いたいのでご理解ください』
トレーナー達が言い合いをする電話が、彼女の耳に聞こえてくる。
運命の悪戯によって、彼女は天皇賞に挑む事は叶わなかった。
ウマ娘のレースというのは、当然ながら定員となる数がある。満員の場合は、優先順位が上の者がレースに出られる。
正直な話、この時の彼女が“押し出してきた相手”を恨んでいなかったといえば嘘になる。なにせ、そのウマ娘は主戦場がダートであった。
現世代芝路線最強と名高いテイエムオペラオーに勝つなどと、世間も期待していなかった。心無い客は、『クロフネの邪魔をするな!』などとひどい罵倒も並べたものだ。
――『真の勇者は、戦場を選ばない』。
結論を言ってしまえば、クロフネが観戦する前で“彼女”はそれを体現しきった。
『これならば納得でしょうクロフネ陣営も! 勝ち時計2分2秒フラット! GⅠ3勝目は芝2000m! 勝者は《アグネスデジタル》!!』
ダートを主戦場とするアグネスデジタルが芝路線最強のテイエムオペラオー、それに次ぐ強さのメイショウドトウに打ち勝つなど、当事者達以外に誰が想像出来ようものか。
冷めやらぬ大歓声の中、アグネスデジタルはインタビューを受ける。
「どどど、どうも! アグネスデジタルです! あたしはそもそも、ただのウマ娘ちゃん好きで……。そのおしりを……いや、背をッ! 追いかけた結果、ここまで来られたワケで……!」
彼女はテイエムオペラオーやメイショウドトウ、その他のウマ娘達の魅力をどんどんと語っていく。誰のインタビューなのかよく分からないが、それでも観客達は大いに沸いた。
そして、アグネスデジタルは溢れんばかりの感情を込めて言った。
「それから今日は出られなかったんですけど、推しの後輩ちゃん! いつかあの子と走りたいっ。ダートで」
「……せっかく完璧に仕上げたのにね。これじゃあ、何も言えないよ」
クロフネのトレーナーは、アグネスデジタルのインタビューを眺めながら苦笑する。押し出してきた相手に一着を取られては、文句の一つも出なかった。
天皇賞の数日前、クロフネは武蔵野ステークスというレースに出場していた。
奇しくも、この白い怪物も『戦場を選ばない』。重賞であるにも関わらず、9馬身差をつける圧勝。
「……デジタルさんみたいに、二刀流狙うかい。クロフネ」
クロフネは真っ直ぐにアグネスデジタルを見つめたまま、ただコクリと頷いた。
……およそ一ヶ月後。
「お゛っ、お゛っ!!!! お゛ぉぉぉぉぉ!!!!!!???」
寮室でテレビを食い入るように見つめながら、喘ぎ声(?)をあげているアグネスデジタル。
何事かと同室のタキオンが様子を見てみれば、チャンピオンズカップの観戦をしていた。
「そういう声を出すと誤解されるからやめた方がいいと思うんだけどねぇ。主に私が」
呆れたように言うタキオンだが、アグネスデジタルは気にせず画面から目を離さない。
「後輩ちゃんが、後輩ちゃんがぁ……!!!」
肩を竦めるアグネスタキオン。なんとも奇縁なものである。アグネスタキオンにとってライバルと評されたクロフネが、まさか同室のアグネスデジタルに感化されてチャンピオンズカップに出場しようとは。
「何着だい?」
自身と競り合ったクロフネに対して、いくばくかの興味もある。アグネスデジタルは震える指先で、結果を示した。
《1着:クロフネ 2:05.9》
その瞬間、部屋は静まり返った。
沈黙は長かった。中継が一旦切り替わってから、ようやくアグネスタキオンは口を開く。
「東京2100mダートでこのレコード、か……ワールドレコード級、だね……」
タキオンは「ターフからとんでもない怪物が出たものだ」と、くつくつ笑う。芝路線のライバルがダートで偉業を成し遂げるなど、彼女にとっては笑うしかない。
一方で、アグネスデジタルの中にはぐつぐつと滾るものがあった。
(決めました……あたし、後輩ちゃんの勇姿を描きます……!!)
さて、アグネスデジタルはイラストや漫画を描く事を趣味の一つとしている。
彼女の作品は一部の界隈では評価が高い。ウマッターにて匿名で投稿されたイラストの数々が、ファンの間で話題となっている。
そこで公開された作品は『尻尾の気持ち』『秘密の特訓』『亜光速の粒子』などなど……。
そうして出来上がった作品は、多くの同志達を魅了した。
そして今、デジタルはペンタブレットを走らせていた。チャンピオンズカップ、そのレースを観ながら。
「後輩ちゃん……白くて綺麗……カッコいい……! かわいい……! 美しい……! 尊いぃぃぃ……!」
ぶつくさと独り言を呟きながら、尊死しそうな表情でデジタルは画面の中のクロフネを描いていく。
そんな感情を彼女に抱いているうちに、ふと。クロフネが自分に対してどういう感情を抱いているのかと考える瞬間があった。
(……やっぱり、怒ってますかね)
一着を取ったとはいえ、アグネスデジタルが天皇賞から彼女を押し出した事は変わらない。後悔は微塵もないが、罪悪感はある。
(…………)
デジタルは、ペンタブレットを動かす手を止める。
描けない。どうしても、彼女がどういう顔で笑うのか思い浮かばない。ダートにおいて最大級の栄誉を受ける彼女の笑顔。その瞬間が一番描きたいのに。
その時、部屋の扉が開かれた。アグネスデジタルはビクッとして振り返る。
そこに立っていたのは、アグネスタキオンだった。
「あー……キミに会いたいっていう子がいるんだけど、今から出られるかい?」
微妙な笑みを浮かべながら、そんな事を言うタキオン。
その様子に首を傾げながらも、聞き返した。
「あたしに会いたい子、ですか……? どなたでしょうか」
「それは会ってのお楽しみというヤツさ」
タキオンはもったいぶった事を言うが、彼女には何か考えがあるようだ。同室のよしみ。推しの頼み。特に断るでもなし、アグネスデジタルは身支度を整えて、タキオンと共に寮を出た。
寮を出て、そのまま駅前まで行く。
「やぁやぁ、アレだ。白いからヤケに目立つねぇ」
不意にタキオンが立ち止まった。
そこには、一人のウマ娘が待っていた。
すらりと伸びた手足に、白磁のような肌。艶やかな髪に、凛とした佇まい。
クロフネである。
思わず硬直するデジタルだったが、クロフネはテレビで見せてくれるような涼しげな表情で、デジタルを見つめている。
デジタルはおそるおそる、口を開こうとする。
最初に出ようとした言葉は謝罪の言葉であったろうか。
しかしクロフネはそれを遮り、話を始めた。
「デジタルさん」
「ひゃ、ひゃい!!」
裏返った声で返事をするデジタル。周囲の一般人の視線が彼女に集まった。
そんな視線を気にせず、クロフネは続ける。
「今日は、お願いがあって来ました」
アグネスデジタルは、息を呑んだ。
何を言われるのだろうか。怒っているのだろうか。それとも、まさか……デジタルの頭の中に嫌な想像ばかりが浮かぶ。
しかしクロフネの口から発されたのは意外な言葉だった。
「私と、友達になってくれませんか」
デジタルは自分の耳を疑う。しかし目の前のクロフネは真剣そのもので、冗談を言っているようには見えない。返事をじっと待っている。
見つめ合いだけで時間が経つものだから、タキオンが仲介とばかりに口を挟んだ。
「あー、トレーナーからの提案なんだがね。どっちもwin-winなんだし、二人がよければ和解しようっていう事で。どうだい?」
クロフネからどう思われているか、デジタルが思い悩んでいた事に薄々気づいていたタキオン。
「え、あ、はい。もちろンゥ~?」
思いがけない事に、素っ頓狂に間延び声で受け答えするデジタル。その瞬間、ぎゅっと手を握られた。
「へ?」
「宜しく、お願いします」
ぺこりと頭を下げるクロフネ。その拍子にさらりと流れる白い髪が、とても綺麗だとデジタルは思った。
「お友達になれて嬉しいです」
クロフネがたどたどしく、そんな言葉を紡ぐ。
(……………正気か?)
アグネスデジタルは、大喜びで顔を真っ赤にするでもなく、嬉しさに尊死するでもなく、ウマ娘ちゃんから自分へそんな言葉が向けられて逆に冷静になった。真顔である。
「うん、じゃあ。そういう事で。二人でゆっくり話し合ってね」
何が何だかわからないまま、タキオンは立ち去っていく。
(……正気か……?)
その背中を見送りながら、もう一度そう思った。
その日以来、なにかにつけて……クロフネがアグネスデジタルを誘ってくるようになった。
「デジタルさん。トレーニング一緒にいかがでしょうか」
いや、まぁ、二刀流という適正同士だから、合理的ではあるのだが。合理的ではあるのだが。
(近い近い近い近い近いッッ!!)
デジタルの脳内は混乱を極めていた。訓練方法の一種に『パーソナルトレーニング』というやり方がある。柔軟体操やベンチプレスの補助をしてもらうという形なのだが、それは一対一の密着型となる。
必然的に、かなりの頻度で体が触れ合う。同性だから別に気にする事はないのかもしれないが、デジタルにとって推しの後輩ちゃんから急接近されようものなら、運動も始める前から血圧が上がろうものだ。
しかも、クロフネはそんな事など露知らず、無防備に体を寄せてくる。
デジタルにとって、この上ないご褒美……いや、拷問だった。
クロフネの体温を感じるたびに、胸が高鳴り、臨界点に達しそうになる。
(……これ、もう、あかんて……)
しかし、そんな事をおくびにも出すわけにはいかない。
オタクたるもの、推しの前ではクールであれ。下心を見せるなど、マナー違反である。
必死に取り繕って、クロフネとのトレーニングをこなす。
しかし、それが五日も続くと、さすがに限界が来た。アグネスデジタルは、寮の部屋で悶々としていた。
自分のベッドの上でゴロンゴロンと転がり、枕に顔を押し付ける。脳裏に浮かぶのは、クロフネのあの白い髪。そして白い肌。長いまつげに、整った目鼻。自分よりも背の高くて、スタイルの良い彼女。
「死ぬ……死んでしまうぞ! デジたん!! ソロになれ! ソロトレーニングをすると言え!!!」
自分に言い聞かせるように呟くデジタル。心を上弦の鬼にして、尊いウマ娘ちゃんとのパーソナルトレーニングの誘惑を振り払おうとしていた。
――――しかし、ふとした瞬間に思い出してしまうのだ。例えば、クロフネが柔軟をしている時の、その体の柔らかさ。トレーニング後のシャワーを浴びた後の姿……クロフネの匂い……汗の香り……シャンプーの甘い芳香……全てが、デジたんの理性を揺るがす………。
「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……」
「だから私が勘違いされるんだからそういう声はやめてくれないかな」
いつの間にか部屋に入ってきたタキオンが、心配半分呆れ半分の視線をデジタルに向けている。
アグネスデジタルは、慌てて起き上がり姿勢を正して、思い切って彼女に相談した。
「ふぅん。クロフネとの距離が近すぎて困惑している、と」
こくりと、神妙にうなずくデジタル。
「いいんじゃないかい? 後輩に慕われているという事で」
「デジたんがウマ娘ちゃんに慕われるのは
口の中で頬を思いっきり噛み締めながら、くぐもった大声でそう叫ぶアグネスデジタル。タキオンは目を丸くする。それから、何かを納得するように何度か小さく首肯すると、こう続けた。
「友達付き合いしているというのに、トレーニングの時間以外に接点が無いとみえる」
タキオンの言葉に、ハッとするデジタル。
確かにそうだ。いつもトレーニングが終わると、クロフネはすぐに帰ってしまう。
「あれはとても利口な子だからね。トレーナー達からは評判良いよ」
言われてみれば、トレーナー達がクロフネについて話している所をよく見かける。
曰く、物覚えが良い。礼儀正しい。真面目で努力家。根気強い。賢い。
(…………ますます、あたしと「友達になれて嬉しい」という理由が分からん……)
友達になれて嬉しいのはむしろこちらの方だと思っている。
なのに、後輩ちゃんは自分に懐いている。どうしてだろう。
タキオンは彼女が考え込む顔を眺めながら、したり顔でこんな言葉を口にする。
「お互いコミュニケーションのやり方が限られているんだろう? トレーニングではなく、趣味の一つでも誘ってみたらどうだい。ちょうど、美術の宿題が出ていただろう。題材は自由。モデルになってもらえばいいさ」
なにやら意味深な笑みを浮かべるアグネスタキオン。だが、そのアイデアは悪くないように思えた。
「……そうですね。明日の休日に、お誘いしてみます」
そう言って、デジタルは決意を固めたのであった。
翌日、デジタルはクロフネを呼び出して、美術の宿題のモデルをお願いする。
その頼みに対して、彼女は二つ返事で了承してくれた。
「わかりました。光栄です」
澄ました顔で椅子に座る彼女を前に、デジたんは心臓バクバクで死にそうになった。
(……ヤバイヤバイヤバイ。ヤバイですよ。何がヤバイって、推しの顔面が良すぎる)
絵を描く為に相手の顔をじっと見つめると、緊張してしまう。改めて眺めて見ると、やはり後輩ちゃんは美人なのだ。
(……カ、カレンさんみたいに魔性系ですね。こうして見ると……)
そんな事を考えながら鉛筆を走らせていると、彼女の澄ました顔を描くところで手が止まった。
そういえば近頃は考える余裕がなかったが、この子の勇姿を描こうとしていた。どういう顔で笑うのか分からなくて……彼女が自分に怒ってるかどうか分からなくて、一旦筆を止めたのだ。
デジタルは、意を決してクロフネに訊ねた。
「……天皇賞、押し出した事。怒ってます、かね?」
クロフネは少しだけ驚いたような顔をした後、首を横に振る。
「最初は怒りました。でも、今は感謝しています」
デジタルは驚いたように目を丸くした。怒っていないどころか、まさか感謝されているとは思ってもいなかった。
「どうして、ですか?」
おそるおそる問いかけてみると、彼女は表情を一つ変えずに答える。
「勝ってくれた、というのもそうですが。『いつかダートで一緒に走りたい』と言ってくれて、嬉しかったです」
その答えを聞いて、デジタルは顔が熱くなった。思い返すと、テンションに任せて恥ずかしい事を言ってしまった気がする。
クロフネは続けて言う。
「私は、あなたと比べられても恥ずかしくないように、チャンピオンズカップに挑みました」
クロフネがやり遂げた二刀流の偉業は、世間では既に語り草になっている。
――記録を残した。記憶を刻んだ。
それを同じ二刀流のアグネスデジタルが導いたのだから、もはや運命というほかあるまい。
「でも、私はそこで終わるつもりはありません」
デジタルは息を飲む。
目の前の少女は、見た目通りのクールで理知的なウマ娘ではない。
夢と情熱を胸に秘め、前に進み続ける。誰よりも速く走ることを願う、熱い魂を持つウマ娘だ。
そんなクロフネは真っ直ぐな瞳をデジタルに向けながら、こう言った。
「あなたに勝ちたい。それが今の私の“夢”です」
相手から向けられているのは敬意と、そして未だ尽きておらぬ闘志。
デジタルは、尊みとは別の何かで胸が高鳴るのを感じた。
(…………あたしも、この子と一緒に走っても恥ずかしくないウマ娘であらねば……)
後輩ちゃんの為にも、胸の内にあった蔓延っていた邪念を振り払う。心の底から、彼女と走りたいという気持ちがデジタルの中に湧き上がった。
「……分かりました。必ず、いつか公式試合で決着をつけましょう」
その言葉に、クロフネはこくりと首肯した。
スケッチを再開して、ふとアグネスデジタルは思い出した。
「そういえば、一つお願いがありまして! 笑顔の絵が描きたいなー、なんて……」
クロフネは一瞬だけきょとんとした顔をしたが、口元に手を当てて考え込む。
それから――クロフネは、ニコッとした笑顔をデジたんに向けてくれた。
その笑みは、いつもの澄まし顔とは違う。
どこか幼さを感じさせる、あどけない笑みだった。
(…………ッ!!)
その笑みを見た瞬間、デジタルは稲妻が落ちたかのような衝撃を受けた。
後輩ちゃん――後輩だから当たり前だけど――そういえば年下だった。今更ながらに、その事実を思い出したのだ。
自分より大人びた印象だったので、完全に失念していた。
「――コヒュッ……!!」
年下のウマ娘ちゃんと密着トレーニングを繰り返していたという異常なシチュエーションに気づいて、デジタルは呼吸困難で意識を失った。
後に残されたクロフネは、不思議そうな顔で首を傾げるばかりだった。
その日の夜。
デジたんはベッドの上で悶えるしかなかった。
「あ゛ぁ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……!!!!!!!!!!」
「…………寮長、これは違うんだよ。決して、私とデジタルくんは如何わしい真似はしていなくてだね……」
アグネスデジタル先生の方向性
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《ネームド×ネームド》「お悩み解決!」
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《デジたん総受け》「……正気か?」