……アグネスタキオンは学園の図書館から借りた本を読んでいた。
タイトルは『天使の囀り』。
以前、この本についてはライスシャワーというウマ娘が「素敵なタイトル……」と興味を惹かれて手に取り、三日後には真っ青になって図書館にこの本を返しにきていたのを憶えている。
その理由がなんだったか気になって自分も借りて読み進めみたが……成る程、納得がいく。これは純然たるホラー小説だ。しかも幽霊などオカルトで怖がらせるのではなく、グロテスクな方向の。
その詳しい内容は割愛するとして……天使の囀りというファンシーなタイトルと内容の差に、恐怖を抱くなという方が無理だろう。科学的な内容も含まれているので、タキオンの知的好奇心を満たすのにはちょうどよかったが。
≪「脳は常に、過剰なまでに『快感』、『満足』、『幸福』を求めたがるのですが、あまりにもそちらに傾きすぎると、『生存』のためには不適格な行動をとることになりかねず、淘汰されてしまいます」≫
そういう一文が目に入り、タキオンは本を閉じてから寮友の方に目を向けた。
「今日も推しのウマ娘ちゃん達が幸せでありますよーに!!!」
毎日の習慣通り、部屋に飾られた神棚を崇めている。中にはウマ娘ちゃんのフィギュアが飾られているらしい。
アグネスデジタルは、毎日が幸せそうだ。
だが、よくよく思い返してみればアグネスデジタルは仰向けなり前のめりなりに倒れて気絶している事が多い気がする。
――頭を打つからあの倒れ方はあまりよろしくないねぇ……。
タキオンは、そんな事を思った。さっき見た小説に書いてある通り、『快感』、『満足』、『幸福』を求めたがるあまりデジタルは少し危なっかしいところがあるのかもしれない。
「……タキオンさん、どうしたんですか? そんな難しい顔をして? ハッ、まさか……タキオンさんもウマ娘ちゃん達の尊さにお気づきになられましたか……?!」
タキオンがデジタルを見つめてそんな事を考え込んでいると、なんだか的外れな事を言ってきた。
「あぁ、うん。そうだね」
タキオンはとりあえず、話を合わせるように適当に相槌を打っておいた。
アグネスデジタルは、ウマ娘としては珍しく芝ダート二刀流をこなす存在だ。タキオンとしては研究対象としてはなかなか興味深い存在である。
それだけに、頭を打って怪我されては困る。……タキオン個人としては、デジタルが物理的に痛い目を見るというのも目覚めが良くない。
――とはいえ、四六時中見守るわけにもいかないし……。
そんな風に思案しながら、ふとした瞬間にタキオンは閃いた。
――ジジジジ。ジジジジジジ。
アグネスデジタルは脳が焼ける音がしていた。タキオンが読み耽っていた『天使の囀り』とはこういうものだろうか。
周囲には、愛らしくて可愛らしい天使。もとい、それにみまごうウマ娘ちゃん。
「デジタルちゃんかわいいー! ねぇねぇ、今度はこっちを着けてみて♪」
「はい、チーズ☆ 写真映りもばっちり確かめておかないとね~」
スマートファルコン、カレンチャンが妹を可愛がるかの如く、アグネスデジタルに似合う帽子や頭飾りをあれこれと選んで着けさせて、その度に耳心地の良い言葉でデジたんを褒めてきてくれる。
――ジジジジ……デジジジ……おデジ……。
――なんで私は、このお二人に囲まれているんでしょうか。
経緯を思い返せば、始まりはアグネスタキオンの一言からだった。
「キミは帽子をつけたまえ」
唐突にそう言われて、デジタルは不思議に思った。
「ほえっ、ど、どうしてですか?」
首を傾げながらそう訊ねると、タキオンは至極真面目な顔で答えた。
「私が考えるに。キミは頭部を保護した方が良いのではないか。特に、後頭部と前頭部。それを保護できるくらいの大きくて柔らかい帽子で」
タキオンの指摘に、デジタルは思わず自分の後ろ頭を撫でた。
つい先ほど、スマートファルコンとのやり取りで彼女のファンサービスの厚さに感動して卒倒してきたばかりだ。
確かに、それを踏まえると頭を保護した方がいいのかもしれないが。
「あ、あははー……いやいや。ご心配なさらずとも。わたしだって、ウマ娘の一人です。頭をちょっと打ったくらい、大丈夫ですとも!!」
実際、人間よりは多少なりとも頑丈だ。卒倒して頭を打ったくらいじゃ当人としてはどうともない。
その事について、腰に両手を当てて力説するアグネスデジタル。タキオンだってその事はある程度考慮に入れてる。
「しかしだねぇ。卒倒する度に頭を打って、目の前にいる人間、ひいてはウマ娘を心配させる事についてはどう思う?」
「ヴッッッッ」
そこを突かれると、デジたんは何も言い返せなかった。実際、卒倒する度に何事かと心配されている。
そもそも卒倒する癖からやめさせた方がいいのだが。それについては、まぁ、酷というものだろう。
「どうしてもやりたくないのなら無理にとは言わないが、前向きに考えてくれたまえ」
タキオンはそれだけ言ってから、図書室で借りた本とのにらめっこに戻ってしまった。
とりあえず、他人の心配を減らす為にも、頭を保護する事は考えた方がいいのかもしれない。
そう考えたアグネスデジタルは、洋服屋へと足を運んだ。
「とはいえー……」
アグネスデジタルは、服飾のセンスについてはあまり自信がなかった。推しのウマ娘ちゃんのグッズに貢ぐ事ばかり考えて、自分を飾るという発想があまりなかった。
特に私服については値段もセンスも小学生の時からあんまり変わってないかもしれない。その事について当人は別に後悔もないが。
「お店に入ったけど……やっぱり、どれを買えばいいのか……」
そんな風に迷っていると考えていると、後ろから声をかけられた。
「デジタルちゃん?」
「え、何ぃ? 誰ぇ……? って、どわぁーっっっ!!?!」
名前を呼ばれて振り返ってみると、スマートファルコンとカレンチャンがいた。
デジたんは二人の顔を認識してから、驚愕の声を上げてそのまま仰け反るようにしてひっくり返ってしまった。
「デジタルちゃんだいじょーぶ!?」
慌てて駆け寄る二人。デジたんはなんとか起き上がってから、慌てふためきつつ言葉を返した。
「ファーッ!! ファ、ファ、ファル子さん!! それに、カレンさんがあたしの目の前にぃぃー!!」
突然現れた推しウマ娘ちゃん二人に興奮しながらも、拝み倒すようにナムナムと手を合わせる仕草を取るアグネスデジタル。
「う、うん。おっきくてかわいいリボンが見えたから、もしかしてーと思って追いかけてきたんだけど……。なんか今回もびっくりさせたみたいで、ごめんね」
少し申し訳なさそうな顔をしながら、デジタルに手を差し伸べるスマートファルコン。
(あ、あぁぁ……やっぱりタキオンさんの指摘通り、心配させてしまっている……!!?)
その事に気付いたデジタルは、差し出された手を受け取る前に自分の足を使って急いで立ち上がる。
そうして、改めて見てみると、二人はそれぞれ違う系統のおしゃれをしていた。
スマートファルコンは、どちらかといえばデジタルに近いシンプルで幼い感じもするが、それが彼女の雰囲気に似合っていていかにも可愛らしい。
カレンチャンは対照的に、魔性の魅力を感じさせるような大人びた服装だ。その色気すら感じる姿に、思わず見惚れてしまう。
――あぁ、仲の良いお二人が一緒にお洋服の買い物してたんだろうなぁ……捗る……。
自分の事はそっちのけで、そんな事を考えてニヤケているアグネスデジタル。
その様子に、スマートファルコンとカレンチャンはお互いに目配せをした。
「デジタルちゃん。お買い物中かなー?」
「へっ? あ、はい! ちょっと帽子を……大きめの、買おうかと思いまして!」
急に話を振られて、我に返るアグネスデジタル。
「そうだったんだ! じゃあ、わたし達と一緒にデジタルちゃんにぴったりの帽子を探しちゃおっか♪」
「カレンもてつだうよー♪」
「えっ、あっ、いやっ、でも、あのっ……」
推しウマ娘ちゃん達とショッピング。とても光栄な事ではあるが、おそれ多くて萎縮してしまう。
――というか、仲睦まじき二人に挟まるなんて無粋な真似はしない方がいいとガイアが私に囁いています……!
「い、いえ! お、お二人のお手を煩わせるわけ、には!」
「えー、どうしてー? せっかくだから三人で探そうよー」
「そうだよー。いっしょにさがしたほうが、きっと楽しいとおもうし」
「ほらほらー、行こ行こ~♪」
「あの、あ、あぅあぅ……あー????」
結局、スマートファルコンとカレンチャンの二人に両肩に抱き着かれるようにして店内を一緒に歩くハメになったアグネスデジタルであった。
――ジジジジジ……。
――…………これは、なんですか……なんだって、私はこんな分不相応な状況にいるんですか……なんか近頃、立て続けにこういう状況続いてませんか……?
「これとかどうー? デジタルちゃんに似合うと思うんだけど」
「わぁ、それいいかもー☆ あ、これもいいよね~♪」
カレンチャンが選んだものをスマートファルコンが褒めながら、楽しげに話している。
二人に勧められるがままに、あれやこれやと被らされる。
デジたんは、放心状態で虚ろな目をしていた。いつものように喜びや戸惑いの奇声をあげて逃げ惑う事は簡単だが、それをやってしまうと、他二人まで店員さんに変な目で見られかねないのでデジタルは必死に堪えた。
「あ、えぇっと、ありがとうございます。でも、こんな可愛いのあたしなんかに、似合うかな、ってえぇっと……」
なんとか言葉を絞り出すアグネスデジタル。すると、二人はにっこりと笑って言った。
「だいじょーぶだよ! デジタルちゃんとっても可愛いから! 何でも似合っちゃうよ☆」
スマートファルコンがウインクしながら言う。
「ありがとう、ございます……」
内頬を血が出そうなくらいぎゅっと噛んで、堪えるアグネスデジタル。
カレンチャンはそんなデジたんの様子を見て、こっそり耳打ちするように言った。
「クロフネちゃんがね、デジタルちゃんが頭打ったのを見かけて大慌てしてたよ……?」*1
その言葉に、ビクンと身体を跳ねさせるアグネスデジタル。
――タキオンさんやファル子さんだけでなく、そっちにも心配かけてしまってたぁぁぁぁぁ……!!!
そう思うと、申し訳ない気持ちが込み上げてくる。さすがに、反省やら後悔やら、頭を労るやら色々な意味で頭を抱えてしまった。
そんな姿を見ていたカレンチャンは、少し言葉を選ぶように考えてから、いつもとは違う優しい響きを含めた声色で、そっと呟くように話しかけてきた。
「あのね、みんなデジタルちゃんの事が心配なんだと思うよ」
「え!? 私の頭、それくらい心配されてました!!? 確かに打ち付ける事はしょっちゅうですけど……」
「いや、うん、それもあるけど……ほら、天皇賞の」
天皇賞の事を思い返す。そういえば出走前は一部メディアでも、当事者以外の人達からも「クロフネの邪魔をするな!」とか色々言われてた気がする。
「あ。あー、そういえばそういう事もありましたね」
今となってはデジタルが天皇賞で一位を取り、しかもクロフネやそのトレーナーさんとも和解出来て、既に過去の事になっているが。周囲から見たら、「アグネスデジタルが心無い言葉を内心気に病んでいないか」とか、そういう風に思われていたのかもしれない。
正直、デジタルはその辺りは特に気にしてなかった。ファン達にはそう言われるのを覚悟の上で挑んだ道だから、だから、だからこそ本気で走って、オペラオーにもドトウにも、それ以外の一緒に走るウマ娘ちゃんにも、そしてクロフネにも礼儀をもって、全力で走り……そして一着を取った。
その時のあふれんばかりの想いを改めて思い出し、嬉しさを噛みしめる。
その様子を見て、カレンチャンもほっとしたような顔になった。
「カレンも、心配してたけど……デジタルちゃんは大丈夫みたいだね♪」
カレンチャンはいつものような小悪魔的な可愛らしい笑みでいう。
「その元気で前向きな姿、機会があれば"心配してた皆"にも見せてあげてね」
「ひょえっ……!」
意味ありげな事を言って、カレンチャンはデジタルの両肩にポンと手を置いた。推しに勇気づけられたり触れられたりで、思わず変な声が出るデジタル。
ジジジジジ……おデジジジ……。
――あ、危ない……。また、意識が飛びかけました……。
危うく昇天しかけたデジタルだったが、心配どうのこうのの話だった手前、ギリギリで踏みとどまった。
――心配してた皆? あたしなんかを? トレーナーさんや両親とかが心配してくれてたのは分かりますが、それ以外だと一体誰があたしなんかの事を……。
「デジタルちゃーん! こっちの帽子はどうかなっ」
考え込んでいるうちに、スマートファルコンが呼ぶ声が聞こえてきた。
「あ、はい。今行きまぁす……!」
――今はせっかくの買い物中。余計な事など考えず、二人の手厚いご好意に応える事に尽くさねば!!
そう思って、誰が心配してくれているかの思考は後回しにした。
「100の声援があっても、たった1つや2つの罵倒で心を折られるという事は、我々競争者の世界においてはままあり得る。ライスシャワーなどがその例だろう」
タキオンは寮室に訪ねてきたクロフネを目の前に、図書室から借りた本を読みながら語っていた。
「デジタルくんは、他のウマ娘とくらべてずっと自己評価が低い子だ。G1をいくつも勝ってたり、あまつさえ芝路線現世代最強、準最強と謳われるオペラオーやドトウに競り勝つ実力を持っていながらそれを喧伝したり、誇ろうともしない。謙虚と言えば美徳だが、それは時に欠点にもなる」
タキオンの言葉に、クロフネは神妙な面持ちで聞いていた。
アグネスデジタルが、心無い声によって傷つく可能性。それを危惧していたのだろう。
「キミはキミで、未だ『クロフネが天皇賞に出ていれば……』なんて言っているファンを、チャンピオンズカップをレコード勝ちする事で物の見事に黙らせてみせた。そうしなければ、きっとキミのファンは少なからずデジタルくんを恨んだままだったろうしね」
クロフネはその事を肯定も否定もせず、ただ静かに聞いているだけだった。
もしクロフネがチャンピオンズカップに挑んだ理由の一つがソレなのだとしたら……この子も相当に不器用な子なのだと、タキオンは思う。
「デジタルくんは強い子だよ。少なくとも、一緒の部屋で暮らしてる私はそう思っている。だからこそつまらない事で潰れてほしくないし、心配でもあるんだよ。たぶん、私以外の周囲のウマ娘だって同じだと思うよ」
もっとも、その辺りはデジタル相手に限らず、他のウマ娘の友人達に対しても同じだろうが……少なくとも「友人の一人であるアグネスデジタルが潰れてほしくない」というのは共通事項だろう。
「……どれくらいの方々が、彼女の事を心配していたでしょうか」
「さぁて、ね。私やデジタルくんの知り合いはお人好しばかりだから。未知数さ。案外、彼女の事を信頼しきって心配ご無用、なんて場合もあるだろうしね。逆に、度々部屋に訪ねてきて、"純粋なアグネスデジタルが寮室の女の子に誑かされていた"……だなんて誤解をかますくらい心配してる子もいるかもしれない」
視線を本に向けたまま、飄々と言いのけるタキオン。クロフネは整った顔を少しだけ崩して、バツの悪そうな顔をした。
そういって、タキオンは読み終わった本をゆっくりと閉じた。それから、改めて話し始める。
「曰く、"過ぎたる幸福は死を誘引させる毒"だ。祝勝会というシチュエーションで皆がタイミングを合わせてデジタルくんの事を気遣ったり、あるいはその業績を褒め称えたりなんてすれば、また卒倒して萎縮するかもしれない。だから、そういう事は各々がやりたいタイミングでやりたいようにやるべきさ。心配してあげる事も含めてね」
そこまで言って、ようやくタキオンはクロフネの顔を見た。
クロフネは、何かを言いたげな表情で、しかし言葉を発する事が出来ないでいた。
「心配せずとも、デジタルくんとは友人以上の関係でないから安心したまえ。少なくとも"今は"ね」
タキオンはそう言って、意地悪そうな微笑みを浮かべた。
クロフネにとって、それが単にライバルを茶化しているだけなのか、あるいは宣戦布告じみた挑発か、あるいは優しさによる冗談なのかは分からない。
「タ、タキオンさ~ん。ただいま帰りましたー」
おどおどとした可愛らしい声が部屋の外から響いた。
「噂をすればなんとやら、だね」
扉を開けると、そこにはデジタルの姿が―― いや、なんか可愛らしいライダーヘルメットを被った不審者女児がいた。
タキオンとクロフネが怪しげなモノを見るような目を向けていると、その不審者は胸を張ってその視線に応える。
「これで、卒倒して頭を打ち付けてもどうともありません! 完全防備です!」
自信満々な様子で、両手を腰に当てている不審者ウマ娘。どこをどうまかり間違えれば帽子を買う話がライダーヘルメットを買う話になるのか。たぶん、頭の保護目的の辺りで色々とすれ違いがあったのだろう。
見た目可愛らしくよく似合うのは確かだし、頭の保護は完璧だろうが……。
「…………普段からそれ着けてたら間違いなく生徒会辺りに説教されるんじゃないかな」
「え゛っ!?」
呆れ顔で、タキオンはそう言うと、濁った声で驚くデジたん。
先に心配する事含めてタイミングを見極めるべきだという事を話していたが、常々見守ってあげた方がいいのではなかろうか。そう考えざるを得ないクロフネであった……。
次の対戦相手
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テイエムオペラオー
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メイショウドトウ
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唐突なNTR(ナリタトップロード)展開