「デジタルさん! 今日は天気がいいですね!」
ナリタトップロードは、アグネスデジタルに明るい笑顔を向ける。
トレーニングの時間になると最近毎日来る。そう理解しつつも、デジタルは狂喜乱舞する事はなく、やたらぎこちない笑みを浮かべる。
何故なら、トップロードに自分の性癖を誤解されたまま訂正出来ずにいたからだ。
「そ、そうですね。いい天気です……」
「ええ、私はこの青空の様に、清々しい気持ちでいられます!」
トップロードは、デジタルを矯正しようと意気揚々。どこぞのバクシン因子を混入されたかのように、学級委員長然とした振る舞いで、デジタルと距離を縮めようと躍起になっていた。
――いや、あんな不遜なモノ描いて放置してたあたしのほうがどうかしてました……。
誤解しているトプロが悪いわけではない。知り合い達の恋愛模様の空想を描いた代物を見られるところに置いておいた自分が悪い。デジタルはそう自分を戒めた。
とはいえ。
「デジタルさん! 今日は一緒に並走のトレーニングをしましょうか!」
快活にそう言えば、優しくデジタルの手を取ってくる。自分よりも大きいその手から伝わる体温が心地良くて、デジタルの心臓はひときわ大きく高鳴った。
彼女は善意のみで行動している。デジタルの内心を誤解した後も変わらぬ態度――いやますます親切に接する事はあっても、軽蔑する様子は微塵もなかった。
そんな彼女を前にすれば、デジタルも否応なしに頬が緩んでいく。デジたんにとって憧れのウマ娘ちゃんと仲良く出来るというのは……。
――あたし自身がウマ娘ちゃんと仲良くするのは解釈違いぃぃぃぃぃ!!!!!
デジたんは、ウマ娘に憧れは抱いていても『自分がそのウマ娘と親密になるというシチュエーション』は、耐性が皆無だった。
他のウマ娘と切磋琢磨した末に、自然と交流が生まれるというのならばデジたんほどの重度のオタクでも、それは受け入れられる。
だが先日のクロフネといい、アグネスタキオンといい、ナリタトップロードといい、己の中の固定観念が根底から覆されるような急接近具合にデジたんは脳をショートさせてかけていた。
――解釈違いです! 解釈違い!! ……そう、トップロードしゃんはあたくしの事を、解釈違いしております!! じゃなきゃ、こんなふうに好かれるのはおかしいんです!!
自分にとって都合のいい展開を受け入れられる器量は、アグネスデジタルになかった。
これを受け入れてしまっては、デジたんはデジたんにあらず。アグネスデジタルはそう自身に言い聞かせる。
――とにかく、この誤解を解かねば……あたしは、あたしの信念を貫く事も出来ないままです……!
日が経つにつれて己の信念はぐらぐらと揺れ始めていた。なんだかんだウマ娘ちゃんが、しかもあのナリタトップロードが自分に甲斐甲斐しくしてくれるのは、デジタルにとって嬉しくて堪らないものだったからだ。
ナリタトップロードは、自分に対して優しく接してくれている。
だがそれが間違った感情に起因しているのを、デジタルはよくよく理解している。
だから、その間違いを正そうと、自分の手を引いているナリタトップロードの手を、両手でぎゅっと握り直した。
ナリタトップロードはデジタルの行動に少し驚きつつも、己の好意を受け入れて貰えたと思って喜んでいるのか、瞳を輝かせる。だが、デジタルの面持ちは固かった。
「トップロードさん……あなたは、あたしの事を、誤解しているっ!」
「えっ、それはどういう……?」
「あたし、実はっ……あの、その……別に、あの漫画みたいになりたいって、欲望があるわけじゃないんです……」
デジたんは絞り出すようにそう伝えた。誤解されているならそれを正さねばならないという使命感で意気込んだものの、その言葉を口にする事はデジタルにとってとても勇気がいる事だった。
しかし、それは本心だった。アグネスデジタルは、"憧れのウマ娘とそういう仲になりたい"という邪な欲望は一切持っていなかった。
ただ単に、ウマ娘ちゃん達の尊い青春を空気や壁になって見守っていたい。そういう純粋無垢……純粋無垢……? な願望を抱いているただのしがない一人のウマ娘だ。
「では、何故あのような……」
ナリタトップロードは、アグネスデジタルが何を言わんとしているのかさっぱりわからず、困惑する。
特徴的な輪眼を瞬かせると、その黄金色の瞳が僅かに揺れた。
デジタルは人によっては怖がるだろうその独特な眼を、微塵も恐怖する事もなく、真剣にナリタトップロードを見据えていた。
「あたしは……お恥ずかしながら……その、他人に頼まれて、あのような絵を……発注者は、決して言えませんが……」
「……他人に、頼まれた?」
「……はい」
デジタルは、ナリタトップロードに自分の本心を告げた。ナリタトップロードは、また先日のような態度で「誰があんな不埒なものを頼もうとしていたのか」と追求しようとしたが、それを察知したデジタルは大慌てで話題を変えようと言葉を付け加えた。
「あたしは……ウマ娘ちゃんの青春を、邪魔せずに見守っていたい。それだけなんです! 純真な想いのその行く末を、です……」
自分自身に言い聞かすようにデジタルは告げる。ナリタトップロードの輪瞳をまっすぐ見つめながら、彼女は続ける。
「確かに、あたしはああいう絵を描きました。それは間違いなく、あたしの行動です。ですが、私自身はウマ娘ちゃん達を傷つけるようなマネは決してしない、ように心がけるつもりです! それが、あたしの信条です!」
アグネスデジタルはオタクとしての信条を胸を張って告げる。その凛とした表情は、他のウマ娘を優先したいがあまり気後れしてばかりだったジュニア期のデジタルとは、まるで違っていた。
「……デジタルさん」
ナリタトップロードは、その言葉を頭の中で噛み砕き、吟味しているように考え込んでいた。
あの少女漫画のような行為は断じて許されない事だし、デジタルの思惑がどうあれよろしくないものだった事は否めないが……それでも、それを自覚していると伝える事は間違った道じゃないはずだ。
「デジタルさんは、ならば、あのような漫画は今後描かないように心がけてくれると、そう仰るのですか?」
トップロードの提示は、デジタルの作家人生にかなりの制限を掛ける事かもしれない。その自覚はあったが、それでもデジタルはこう思った。
「それがトップロードさんの望む事ならば、あたしは示してくれたその道をひた走ります」
相手の手をしっかり握り、真っ直ぐにトップロードの輪瞳を見つめながら、デジタルはそう言った。
自分の想いが伝わるように、真っ直ぐな瞳を逸らさずに。
その言葉を飲み込むと、トップロードの輪眼は徐々に普段通りの大きさに戻っていき、デジタルに対して明るく優しい笑みを浮かべてくれていた。
そんな笑顔をされて、ドキリとしてデジタルの心臓が大きく脈動する。それを抑えつけようと顔をそらす。
すると、ナリタトップロードはデジたんの小さな体をぎゅっと抱きしめてきた。
――……は?
デジタルは呼吸が止まる。驚愕のあまり、今度はデジタルの方が輪眼になっていた。
トップロードの体温、体の感触、そして制汗剤の香りがデジタルに伝わってくる。あの少女漫画に描いてあったようなハグが現実の光景として再生されたかのような感覚に、デジタルの脳みそは混乱をきたした。
――これは、夢? 夢オチですよね? 夢であるように―! 夢でありますよーに!!!
どこぞの歌詞にあるように、顔を真っ赤にして俯いたまま何度もそう願った。
その願いが通じる事はなく、トップロードは抱擁続けながら語りかけてくる。
「デジタルさんは、素晴らしい信条です。貴女のような心がけを持った後輩を持てて、私は幸せです」
デジタルの耳元で、トップロードが優しく囁いてくる。その柔らかさと吐息に体がぞわつき、デジたんは思わず意識がトびそうになっていた。
コヒュコヒュと奇怪な音を口から漏らしながら、デジたんは顔を真っ赤にする。
――なんか絶対誤解されてる!! これは……『オタクとしての信条』が『一個人としての信条』だと誤解されてるッッ!!
デジたんは呼吸困難で死にそうになっていたが、感極まっている様子のトップロードはなおも抱擁を続けていた。
「デジタルさん、貴女のようなウマ娘ならば、私も安心出来ます。天皇賞、よく頑張りましたね」
そう言ってナリタトップロードは、もう一度デジたんの体を抱きしめた。今度は、もっと強く。
――……あかんコレまた意識飛ぶゥっ!!
デジたんは、本当に昇天してしまいそうになった。
「……最近、オペラオーちゃんと一緒に走っていると、萎縮している自分に気がついたんです」
デジタルの耳元で、トップロードはそう呟いた。
それが真剣な吐露なだとデジタルは悟り、尊死しかけていた意識を飛ばすまいと必死に繋ぎ止める。
「か、ひゅ……え、えっと。萎縮、です、か……?」
「はい。最初は、それが何故なのか自分でも分からなくて。思い返せば、彼女には近頃負けてばかりでした」
トップロードは、そう語り始めた。彼女も、テイエムオペラオー相手に勝った経験が無いわけではない。菊花賞。だが、テイエムオペラオーとナリタトップロードの進む道はそれで終わりではかった。
シニア期に入ってからの、数々の対戦。
その数多の敗北から、ナリタトップロードの中でテイエムオペラオーと明確な差が生まれてしまった。
「ですが、臆したままでは彼女の背中には追いつけない。貴女のような小さな後輩が臆さずに覇王のお尻を追いかけたのだから、自分も臆している場合ではなかった」
そう言ったトップロードの声は、どこか儚げで。でも諦めなど寂しいものではなくも、もっと別の熱い何かが宿っているように感じられた。
――そうだ。後輩ちゃんがあたしに向けていたあの感情と似てる……。
デジタルは、ナリタトップロードから感じる感情の正体になんとなく気がついていた。
それを慰撫するように、デジタルはおずおずと声をあげる
「あ、あたしも臆していなかったわけじゃありません……でも、それ以上に。オペラオーさんや他のウマ娘ちゃんと、天皇賞で一緒に走りたかったから……それで、その……」
デジタルは、言葉を選びながら訥々と話し始めた。
「怖がる自分がいても、それもひっくるめて"自分"なんです。でも、怖い事ばかりでもありませんし……他のウマ娘ちゃんと戦いたいと思う自分もいるというか……なんか、言ってると意味わからないですが……」
自分でも何を言っているのかわからなくなっていた。それでも、トップロードに伝えたい想いがある。それをアグネスデジタルは懸命に言葉にした。
「あなたが臆していても、あたしは、ナリタトップロードしゃんが、菊花賞、そして数々の重賞を制したとても強いウマ娘の一人なのだと、知っております」
それは、本心からの賞賛の言葉だった。その言葉にナリタトップロードは少しだけ驚いたように目を小さくした。
「あ、あはは……で、デジたんなんかがトップロードしゃんを評価するだなんて、おこがましいにもほどがあるかもしれませんが――」
デジタルが言い終える前に、トップロードはデジタルの体を静かに抱きしめ直した。
――??????????????????????????????????????
「ありがとう、デジタルさん」
デジたんは、自分を優しく抱擁するその感触があまりに心地よくて。
自分がウマ娘ちゃんに優しく抱きしめられている事態を今更自覚して、なお頭がついていかず――結局ショートしてしまうことになってしまった。
「貴女のように、来年は私も天皇賞を目指してみようかと思いま」
「ゴヒュッ……!!」
意識が、暗転する間際。トップロードの言葉は、デジタルの頭に入ってこなかった。
「うわぁぁぁ、デジタルさん!? デジタルさん!! しっかり!! しっかりしてください!!」
ナリタトップロードが、焦った様子でデジタルの名前を叫んでいる。
二人の様子を遠巻きに見守っていた周囲は、やはり何事か起こったかととどよめいていた。
「……いくらデジタルくんに好意を抱いているからって、皆の前で抱きしめる事はないだろうに」
「…………それについては同意します」
そう言ったのは、アグネスタキオンとクロフネの二人。致し方なしと、トップロードとデジタルを助けにいく。
アグネスデジタルは、今日も他人に勘違いされたまま、意識を飛ばすのだった。