黒い刺客に成り代わったブルボン推しがデビューを1年ゴネる話 作:ィユウ
そしてハヤヒデ、すまん。
BNWの影にうごめく刺客。ノーマークから主役に躍り出た鬼才。
人は彼女をそう呼ぶ。
名優は惜しむ様子でこう語る。
『あと一年早くデビューしてくだされば、きっと戦えましたのに』
坂路の申し子と呼ばれ、才能の壁を努力で覆した
『……彼女が同世代にいれば、三冠というタスクの難度は劇的に上昇していたと推測されます。しかしながら、そのパターンで予測される獲得マテリアルはリスクを踏まえても得るべき、いや得たいと思考した……させられました』
彼女の強さを、誰もが知っていた。
ある者はもしもを夢見た。絶対を打ち壊してくれたかもしれないその背中を見て、運命の悪戯に嘆息した。
──そして誰も、彼女の心中を知らなかった。
「──マジかよ」
姿見を前に、可憐な声色に似合わぬ砕けた台詞を口走るウマ娘。
より詳細に語るなら、成人男性の人格を内包したウマ娘といったところか。
「これが憑依転生ってやつか……?」
目を醒ました、つまり転生に気付いたのはほんの少し前に遡る。
彼の意識が覚醒するまでのこの肉体は、本来の持ち主のような生活を送っていたものの、5歳という物心つく年齢になってきた頃、母に新しく買い与えられた絵本を開こうとするところで、表紙を前に動きが止まった。
しあわせの青いバラ──。そのキーワードを認識した瞬間、男の自我は解放された。
濁流のように溢れ出す人格、記憶、諸々のデータが脳内を書き換え、最適化していく感覚を味わう忘れがたい経験ののち、状況は今に至る。
「んー……いててっ」
頬や腕やら体の適当な部分をつねってみるが、どうやら夢ではなさそうだ。
大きく息を吐き出し、ようやく現状を完全に飲み込む。
(まあそりゃ、色々読み漁った身だし、夢見たことはあるっちゃあったけどさ)
『転生』と題したライトノベルが人気を博すこともしょっちゅうだった故、それなりに二次元道楽を嗜む身だった彼にとって状況把握は容易かった。
(この目、髪質、デカイ耳……間違いない、ライスだな。ウマ娘の)
鏡に映る自分を眺め回し、再度状況を認識する。
何度見直しても、鏡に居るのはウマ娘『ライスシャワー』の姿だ。幼齢ながらも、低身長な印象が先行する原作とイメージはそう遠くない。
(んー……)
自惚れでなければ、彼にはウマ娘についてもおそらく平均以上の知識があったし、比重はゲーム版寄りであったものの、特典が付くと知ればアニメを収録した円盤を手に入れる位には熱量も備えていた。
(しかし、ライスか。うん)
当然円盤の中身も検めているし、ゲームに実装されたキャラクターストーリーもかじった身だ。知らない訳ではない。よく知っているとすら言える。
しかしそれは、少々込み入った理由があったからだ。
「一番好きなのブルボンなんだよぉぉっ……」
この男、ミホノブルボン推しであった。
無機質なストイックさを保持しながらも、機械音痴だったりどこか抜けていたり、そんなギャップが生み出す魅力に惹かれたのだ。
その彼女の最初で最後の宿敵になってしまうとは、今の今まで思いもしなかった。
沸き上がる困惑に揺さぶられるように悶えた後、いくらか冷静さを取り戻し思考を回転させる。
(どうする、どう動けば良い?)
まず身の振り方に悩む。このまま選手として彼女の道をなぞるのはリスキーだ。
(問題は、ここがどの媒体の世界線か、だ)
アニメ、ゲーム──特にライスはメインストーリー、育成シナリオの差異もある──、その他諸々がある訳だが、それ次第でこのライスシャワーは割とキツい目に遭うことになる。ラストランとなる宝塚記念の顛末も、時系列の調整が入っている育成ストーリーでしか示唆されていないだけに気掛かりだ。
──何より
(……いや、レースに出なきゃいけない義務がある訳じゃない、今までみたいな日常を送るのだってアリだ……でも)
そこで男は一度、レースと縁遠い環境に行こうと決めた。
しかし、打算を司る感情が「大当たりの才能をかなぐり捨てるのか」と語り掛けてくる。
なるほど、確かに未来のGIウマ娘の体になったのだ。それを知っていて活かさないのは愚行と言える。
(ライスの体を……どんな形であれ奪ってしまったというのに、俺は走ることから逃げるのか)
加えて、持ち主への負い目も判断を鈍らせた。
(けどなぁ……バッシング覚悟で勝つ気力はないぞ)
しかし、どうしてもあの菊花賞を描く物語が脳裏によぎってしまう。
勝てばブーイングを浴びると知りながら、本来のライスシャワーの如き血の滲むような努力をするのは心理的に難しい。
かといって、もし手を抜いてブルボンの三冠を眺めたとしても、必ず後悔が残るだろう。
開き直ってティアラへ行くのも考えたが、長距離を主戦場とする彼女の才能で歩むには厳しい道だ。
スプリンターやマイラーとして活躍するのも、ゲームからして適性ランクが低い故に難しいだろう。
悩み、いつまでも悩み、あることを思い出す。
(──待てよ、デビューする年齢って決まってるのか?)
同年デビューのミホノブルボン、ライスシャワーが高等部であったのに対し、マチカネタンホイザは中等部からのデビューだったように、学年には隔たりがあったことを。
(何歳からなんて決まりはなかったはずだ。ドトウやフラワーのシナリオを見た限りじゃ本格化がいつ来るか次第で決まるんじゃなかったか)
そして考える。
ニシノフラワーという小学校から飛び級の身分でも出走した例があったように、本格化を迎えればデビューなどいつでもよいのではないかと。
(デビューはブルボンたちとは別にして、出来れば数年遅らせられれば……)
本来よりデビューを一年でもズラせれば、史実における古馬戦に出ないブルボンとかち合うリスクは大いに減らせる。
これならば、努力のベクトルをしっかりと勝利に向けられるのではないか。保身も兼ね備えたその案は実に魅力的に見えた。
「……よし、これで勝負に出よう!まずは──」
方針が確定すると共に、歩まんとする道が鮮明に見え出す。
だがそのためにまず、やっておかなければならないことがあった。
「あの娘の口調、真似なきゃな……」
元の彼女らしく振る舞うこと。
「が、がんばるぞ〜、おー!」
試しに姿見へ向かって例の台詞を口走ってみるも、羞恥心に沈んだ。
──ここは幾多ものifの世界のうちのひとつ。
世界を動かすきっかけは、決断ひとつで十分なのだ。
次回、『万事は初手で決まる』。