黒い刺客に成り代わったブルボン推しがデビューを1年ゴネる話 作:ィユウ
秋。それはクラシック三冠終着点『菊花賞』や、秋シニア三大競走の開幕でざわつく季節。
10月に入り、デビューがいよいよ一週間後に迫っていたライスは着々伸びてくる力量に手応えを感じながら、今日も今日とて鍛練に励んでいた。
練習コースにて「3kmを走るルドルフをただ追い続ける」というミッションを黙々と遂行するライス。今夏くらいからルドルフと都合が合えばチームトレーニングの度に行っているそれは、最初の頃こそ途中で強制終了を言い渡されるほどの開きがあったものの、最近ではなんとか4バ身くらいの差でのゴールに留まることができるようになった。
だが、今日は過剰に消耗を強いられた。どうにもルドルフが時折加速したりとペースを乱してくるのだ。おかげで虫の息である。
「……カチっと。よし二人とも、そこまでだよ!」
横切ったゴール地点に立っていたタイムキーパー担当のヒシアマゾンの声を聞き、前を走っていたルドルフを若干追い抜かしながら歩行速度まで減速する。
Uターンして超過距離の分を歩きながら息を整えつつ、疲労の全く窺えないルドルフを見やる。
「ルドルフ、あんた遊び過ぎだよ。あんな緩急の付け方したって練習にならないだろ?」
「ふ、レースでは先頭次第でペースが乱れることなどもはや日常茶飯事だ。それに適応できないようではステイヤーとしては半人前でステイや……なんてね」
「なんだい? 急に関西弁だなんて……あ、そういうコトかい!? サムっ?!」
独断で試練の難易度を上げていたルドルフに第三者の視点から苦情を飛ばすヒシアマゾンだったが、ノータイムで流し込まれた駄洒落には身震いで応えることしかできず。
当然その寒波は当事者のライスにも及んだので、ペースをランダムにされる件への抗議は自動的に握り潰されることになった。
「まあ流石に実戦との比較が出来ない走行にしてしまったことは反省しているが、だとしても2000m付近までの追走は及第点と言えるだろう。これならデビューで十分スパートを掛けられる余力は残せるはずだ」
「え、は、はい」
とても秋とは思えぬ空気に震えるライスには半分ほどしか聞こえていなかったが、なんとか無難に返事をする。
「……言っとくけどルドルフはまだ本気を見せちゃいないよ、タイムだってあの時の菊花賞に比べちゃお粗末なもんさ」
寒波から解放され、ストップウォッチの数値をこちらへ見せびらかしながら放たれたヒシアマゾンの言に、心底というほどではないが驚嘆する。
(人間が越えるべき壁は……こんなにも高いのか)
思えばこの肉体は、本来ならもう一線級の実力を持ってGIで鳴らしている頃合いなのだ。意識が本物のライスのものだったならばこの程度屁でもない試練だったろう。
とんでもない皮算用をしていたのかもしれない、と一瞬過去の浅慮を悔いたが、吐いた唾は飲み込めない。
こんな苦難を味わうからには、せめてGIのひとつでも獲らなければ見合わないというものだ。そうライスは決意を新たにする他なかった。
『お待たせしました、本日の京都レース場第4レースとなりますメイクデビューが、いよいよ開幕です!』
実況の声と共に、パラパラと歓声があがる。デビュー戦故に、この場のファン層はレース関係者や玄人に絞られるが、静かながらも確かな熱狂がそこにはある。
7枠7番に位置し、一番人気としてこのレースに出走するライスは既にパドックでの御披露目を終え、スターティングゲートのすぐ側にいた。
一方、それをルドルフとふたり最前列で見守っていた東条は腕を組み黙り込んでいたものの、ふと口を開く。
「阻むとしたら誰かしらね?」
ライスとは師弟関係とすら言える間柄のルドルフに、敢えてそう問いかける。
「そうだな……人気上位三名を除くなら、8番だろう」
さほど考える素振りなくひとりを指差したルドルフ。その8番のゼッケンを背負うのは、端くれとはいえ名門メジロ家出身のウマ娘で、ステイヤー志望のライスにとって警戒対象となるのは当然といえた。
「あとこれは若干の贔屓目が入るが、2番にも注目していてね」
もう一人、と挙げたのは4番人気のウマ娘。
何故? と東条が顎でしゃくって続きを促すと、大した理由ではないよ、と前置いて話し出す。
「実力はもちろんだが、彼女が入学したとき、少々語らったことがあってね。ただそれだけなんだが、この感情は……そう、テイオーを応援するときのものに似ているかもしれないな」
大した理由ではなかったろう? と言いたげな教え子に微笑で応えつつ、東条は揶揄するように言葉を投げ掛けることにした。
「随分感情的な理由ね。ライスに妬かれるかもしれないわよ?」
「ふ、彼女はそういった感情とは無縁だと思うがね」
言えてるわ、と東条が笑うと同時にファンファーレが吹かれ、話題はそれまでとなった。
(できるできるできるできる俺はできる俺はできるやるかやらないかは気持ちの問題……)
とうとう立ってしまったレースの舞台に、内心ガチガチになっているのを必死で取り繕いながら、ライスはゲートへ足を運ぶ。
走るのは1800mの晴れ良バ場。実力を発揮するのになんの障害もない好条件なワケだが、緊張で世界のすべてがプレッシャーの元凶に見えているライスには何の慰めにもならず。
(大丈夫大丈夫大丈夫……こちとらGI3勝の名馬やぞ、こんくらい楽勝や楽勝……いやなんで関西弁やねん)
気を強く持とうと内心で口走った思念に自らツッコミを入れるという滑稽なことをしでかしていたが、そうなると最早一周回って冷静になってきたような気がしてきた。
気付けばゲートに収まっていたライスは気休めの柔軟を行うと頬を軽く叩き気を鎮め、意識をレースのそれに切り換える。
『3番人気は4番ツルサントップ。この評価は少し不満か? 2番人気は9番マイティメビウス。そして1番人気はこの娘! 7番ライスシャワーです!』
前世で飽きるほど聞いてきた実況の台詞に既視感を覚えつつ、スタートの構えをとると、また聞き慣れた言葉が飛んでくる。
『各ウマ娘ゲートに入って体勢整いました』
それをきっかけにしたかのように、世界から音が消える。
──そして数時間にも等しいひとときののち、目の前のゲートの繋ぎ目に現れた芝の緑色を認め、駆け出す。
『スタート! 各ウマ娘、きれいにスタートを切りました!』
人間の走行時の5、6倍ものスピードで動き出したウマ娘らが、横一列になって両脚を前へ前へと進めていく。
肉体を圧砕するような、向かい風にも似た空気抵抗という慣れた異常がライスを襲った。
『まず先頭に立ったのは5番ヨシズミコーカサス。その後ろには9番マイティメビウス、10番ノンブレイキングと続き、その外並んで7番ライスシャワー。また5番手では2番イッテンユートピア、8番メジロミカエルがこちらも並走の様相を呈しています』
作戦に従い位置を概ね確定してきた全員がコーナーを見据え内ラチに寄ってきた頃、ライスは内心で安堵していた。
コーナーまで900mほど直線が続くこの条件では、逃げウマ娘が飛ばすとペースを高速化されやすいのだが、今回は特にその心配はなさそうだったからだ。
消耗戦に自信がないワケではないが、ハイペースはどうしても気持ちが逸りやすいという自覚があった。
『続いて7番手は3番マイティワヘイと6番ハヤシダガリョウが競り合い、1番ビリオンスポンサーと続きまして4番ツルサントップがシンガリという形。ここまでは淀みなく進んでおります』
坂を登りながら、コーナー付近での動きを思案するべく諸々の事柄を天秤にかけていた。自分と並んで内にいるノンブレイキングを追い抜くか、退がるか、などだ。
『坂を登りきっていよいよコーナー! ここからの走りは見ものです!』
そうこうする内にコーナーに差し掛かる。結局ラストで外から抜け出そうと企んだことで、並走続行の構えを見せたライスは位置取りを変えないまま臨んだ。このままスタミナ消費が予定通りの範囲に留まるならば、若干アウトに出ることによるタイムロス程度取り戻せると踏んだからだ。
『第3コーナーを過ぎて下り坂に差し掛かる! ミカエル、ガリョウ、ワヘイ、スポンサーの4人は前に詰め寄る様子が伺えますが、ツルサンはまだ脚を溜めているか!?』
後ろから感じる気配が濃密になり始めた。第4コーナーに入る頃には、先ほどまで5番手だったミカエルが自分の外に並ぶ位置まで来ていた。
『さあ第4コーナー! まだヨシズミコーカサスの先頭は変わっていないが時間の問題か? そして後方では4人がやり合っている!』
頃合いか、と加速を始めて間も無く直線に入る。内にいたブレイキングを抜く……いや抜ききれず2番手にいたメビウスと、無理ー! と叫んで目に見えて失速が始まったコーカサスを二人して順に抜いていき、そのまま叩き合いとなった。
『先頭はライスシャワーとノンブレイキングの一騎討ち……いや、ツルサントップが追い込んできて4……3番手に浮上! 加われるか!?』
全力を以てトップスピードを引きずり出したライスはブレイキングを振り切ろうとするが相手もさるもの。気配が後ろに流れる様子はなく、さらにもうひとつの気配が迫ってきていることも感じ取っていた。
『先頭どちらも譲りません! ツルサンが詰め寄るも間に合うかどうか! その後ろではイッテンが混戦を脱け出しますが流石に厳しい!』
大勢が変わらない。間違いなく全力を投じているのにも関わらず、隣のウマ娘の左半身が視界から消えてくれない。
今に至るまで、転生というハンデをふんだんに使ってきた。それでも圧勝のビジョンが見えない現状に戦慄する。
「くそ、負け、ねえええっっ!!」
吠える。肺に1mlでも酸素を送り込まなければならない現状では何よりもの愚策であったが、そうでもしなければ自分が出していないはずの余力を引き出せる気がしなかった。
2番手との相対速度がゼロに等しいためにまるで静止したような景色を映していた視界から、猛スピードでゴール板が現れ消えていった。
『抜けた抜けた、ライスシャワー! ライスシャワーが1着でゴールイン! 接戦を制したのはライスシャワーです!』
勝者の決定に沸き上がる実況、観客とは対照的に無感動のままゴール地点を通過したライスは、半ば放心状態になりながら減速しつつ、右方の掲示板を見やる。
5着から順に点灯していく番号の表示が頂上に達したところで、自身の7番の位置を目視するやいなや、活力を取り戻したように拳に力を込めた。
「……っ、しゃあああっ!!」
静止すると思わず跳び跳ねるようにガッツポーズをとるライス。本性が隠しきれていないが、全身で悦楽を感じているライスは気付くよしもない。
「だあああっ!! 負ーけたぁーっ!!」
2着となった10番ゼッケンのブレイキングが足元に倒れ込む。仰向けになっていた彼女は右腕の肘関節の部分を垂直に折るとそのまま元に戻す形で、拳を地面に叩きつけた。
「くっそー! エリート様をぶっ倒せるって思ってたのになぁぁっ!!」
彼女は心底悔しそうに言葉を吐く。気分よく応えようとしたライスだったものの、一瞬で自分の演じるべき誰かを思い出した彼は腹の底を氷点下まで冷やしながら言葉を差し替える。
「あ、えっと、お疲れ様……でした。速かった、です。負けるかもと思いまし、た」
「出たー、勝者にのみ許された謙遜……」
「え、あはは……」
「あーいやいや、そんなつもりで言ったワケじゃなくて」
揶揄するように飛ぶ返答に苦笑がこぼれてしまうが、本心からの嫌味ではないらしくすぐに次がれた言葉に生返事を返しつつ会話を続ける。
「にしても庶務様がまさかオラオラ系だなんてねぇ……」
「え?」
「いや……なんでもない」
歓声もあり不意に放たれた呟きを拾えず聞き返すが、はぐらかされてそれ以上は追えなかった。
「まあ……とりあえず、立ってください。ウイニングライブもあることですし」
そう手を差し伸べるライスの掌を、ブレイキングが握り返すには少し時間がかかった。先ほどすぐ隣で聞いていた猛々しい雄叫びとは似つかぬ丁寧な口調に、思わずこみ上げる笑いを処理しなければならなかったからだ。
「ふっ……しゃーない。ま、主役の引き立てくらい一番上手くやってやらないとね」
衝撃を逃がすような形でこぼした笑い声は、いつもどおりの皮肉げなものに演出できていただろうか。そう気にかけながらブレイキングは手を掴み立ち上がる。
なんとなくこの件は墓まで持っていこうと、そう決めながら。
書き上げたあと、思ったより数百倍苦戦してて笑いました。まあライスのマイル適性Cなんで許してください。
原型のレースは一応あるので気になる人は頑張ってググってみてください。
モブのウマ娘の名前は元ネタから連想ゲームする感覚で決めてます(要は適当)ので悪しからず。
実は執筆途中まで、フラッシュとシャカールが欧州のプロサッカーリーグの展望についてひたすら討論してるのをロブロイの産駒ネタ込みの注釈を聞きながら見守るシーンがあったのですが、時系列がライスのメイクデビューと季節単位でズレ込むのと読んでる人が誰もついてこれないという理由で渋々カットした背景があります。
そんな筆者にとって色々事情がてんこ盛りだったメイクデビュー回、お楽しみ頂けましたでしょうか。
次回は多分ブルボンの菊花賞やるんじゃないかと思います。
追記
ブレイキングの「かっそー!」は本来意図的な誤字だったのですが、考え直したらあり得ない発音だったので修正しました。