黒い刺客に成り代わったブルボン推しがデビューを1年ゴネる話 作:ィユウ
感謝祭も終わり、学園にはゆったりとした雰囲気が流れていた。
それは一大イベントが終わったことで職務の負担も軽くなってきた生徒会も同様であり、ふとあるときグルーヴが重機の排気音のごとき吐息を漏らしていたのは印象深かった。
ただし抱えている作業がすべて無くなる訳ではないので、ライスはグルーヴと共にルドルフの確認が必要だった書類を持って生徒会室を訪れていた。
「何をしているんだか、全く……」
書類を預けに近づくと、窓の外へ顔を向け、なにやら苦笑をこぼしているルドルフ。
わずかに聞こえた呟きから、おそらく復帰明けのテイオーが、とある探偵に扮して密偵を行うあのシーンを迎えていることは察せられた。
そういえばこの後ライスのもとにも訪れるくだりがあったが、カット扱いになるのだろうか──今現在、未だ重賞への出走すら行っていない状態である以上そうなるとは思うが──と身の振り方に一瞬悩んでいると、すぐさま次の台詞が吐かれていた。
「どうされました? 会長」
「いや、ちょっとな」
「こちら、ご確認お願いします」
「あっ、失礼ながら、こちらも」
「わかった」
慌ててグルーヴに便乗し、書類を差し出す。あいにく今は仕事中なのである。
10月10日、福島レース場11R、福島民報杯。
ゲームでは2023年現在の競馬状況に合わせたシニア級4月の開催となっているこのレースに、なぜ未だクラシック級のライスが出走できているかと言えば、この世界はクラシック級にあたる馬齢でも出走を可能としていた1993年当時を反映していたためである。彼女はそんなことは覚えても知ってもいないのだが。
『さぁ前二人の一騎打ちだ! 三番手のモンデンフォージュを置き去りにした! しかしわずかに抜け出したかライスシャワー! ケーツースイサンの追走も及ばずゴールです! 福島民報杯を制しました!』
結果といえば、最終直線まで風避けにしていた先頭をかわしてギアを上げていった後は、飛び出してきた2、3番手の追走をなんとか振りきる形に
(もう少し流すつもりだったが……まぁシニア級が相手だったし)
もう少しラクに
(とりあえず、これで菊花賞は出れるだろ)
オープン戦を勝った以上、出走は確定的になったと見ていいだろう。以前2勝クラスを勝ったことははっきりいって無駄になったが、もともと保険で勝っておいたようなものだったので気にすることではなかった。
「よし、じゃあ……ゼェ……ライブの……用意に……やべ、マジで疲れてきた気がするな……」
プラシーボ効果の類だろうか、演技だったはずの息切れが本気になりだしていることに、内心で辟易としながらウイニングライブ控え室に向かった。
「はぁ……はぁ……続いてみせるって……言ってきたばっかなのに……。弱いな、あたしは……」
その敗者の呟きを意に介すことなく。
ある日、久々のスピカとの合同練習が行われていた。
「つーわけで、今日のトレーニングはリギルの皆様方と合同って形になった! おハナさん、よろしく、なっ?」
「……ええ。互いに意義のある時間となるようにしましょう」
トレーナー同士の挨拶もそこそこに、メンバーのもとに引き返してきた東条は、ライスのすぐそばまで歩み寄ると、ひとつ耳打ちをしてきた。
「……伝えていた通り、今日はあなたのために取り付けた合同練習よ。菊花賞のために、マックイーンから技術を盗んできなさい」
「──勿論」
以前、合同練習が決まった日にも伝えられていたその言葉に小さく頷く。
今回、協力を取り付けるにあたって、個別に指名して1対1という形では目立ちすぎる、と懸念した東条は、チーム全体を巻き込んでのトレーニングという体にすることで、隠れ蓑の確保とチーム全体のレベルアップを織り交ぜたこの方式を採用したのだ。
マックイーンとは、プライベートな場での走り込みについていくしか併走する術がなかった本家とは違い、こうして真正面からぶつかりにいけるというのは願ってもないチャンス。
やる気を迸らせているチームメイトをよそにスピカサイドの方を見やると、そのトレーナーが開始の音頭を取ろうとしていた。
「よぉーし! じゃあ早速ウォーミングアップのあとの模擬レースの組み合わせでも決め──」
しかし、スピカTの言葉はそこで止められた。それはこのコースに向かって走る第三者の叫びがあったからだった。
「庶務さーん!!」
突然の登場でメンバー全員の視線を釘付けにしたそのウマ娘は、高く上げたその手に、ライスにとって見覚えのある端末を携えていた。
「え、俺……私のスマホ!? なんで!?」
その正体を捉えるやいなや、驚きから我を忘れかけながら立ち上がったライス。まさか直前に訪れていた生徒会室に置いたまま忘れていたか、と考え彼女に向かって駆け寄る。
目の前まで近づいたところで、スマホが小刻みに振動していることに気がついた。
「えっと、書類を生徒会室に運びに行ったら、これが残ってて、ライスさんのだ! って思って、その、ここまで運んでたら、なんか着信がっ」
「オッケーわかった、わかったから……!」
振動が止まないスマホを片手に、大慌てで言い募る相手をなだめながら東条に視線を送ると、ため息を吐きながらも口を開いてくれた。
「……なるべくすぐ帰ってきなさい、順番はこちらで決めておくから」
「あ、ありがとうございます! ……えっと、届けてくれてありがとう! それじゃ!」
東条の寛大な処置を受けて平謝りをしたのち、届けてくれた後輩にも頭を下げ、ライスはこの場を一時立ち去っていった。
「……もしもし? 電話取るの遅れてごめんね、お母さま」
電話の相手へ、半ば不可抗力ながら対応に時間をかけすぎてしまったことを詫びる。コールしてきたのは、今は仕事で海外にいる母であった。
「ええ、おはよう……いや、こんにちはかしら? ライスちゃん。今忙しいところかしら?」
電話越しの母は、時差のせいか挨拶の言葉に迷いながら時間の余裕を訊いてくる。あまりゆったりとは話していられないライスは、包み隠さず答えることにした。
「う、うん。入ってるチームの練習中で、ちょっと抜けさせてもらったの」
あら、と電話の向こうで驚く母。さすがにスケジュールを細かく教えているわけではないので仕方がなかった。
「ごめんね、う〜ん……でも、この後は……うん、なるべく手短に済ませるから、ちょっとだけお願いね?」
しかし、向こうも多忙の合間を縫っての電話だったらしい。ここは聞くだけ聞こう、と構えたライスが頷いたところで、母は再び口を開いた。
「久しぶりの二連勝、おめでとう」
「……うん、ありがとう。よく知ってたね」
最初に口にされたのは、好調なレース結果についてだった。最近は2着続きでヒヤヒヤしちゃったけど、とついでに添えられたその労いに礼を述べながらも、重賞出走すらしていない自分の戦績をよく把握していたな、と思いそう訊いてみると、母は自分の娘だもの、と笑っていた。
「だからね、ライスちゃんがGIに出るならもうそろそろなんじゃないかって思って連絡してみたの! いつでも応援してるからって、仕事が空いたら駆けつけるからって、そう伝えに!」
そういかにも待ち遠しい、と言わんばかりに語る母。この人になら、と考えたライスは、一つ告げごとをしようと決めた。
「ありがとう。……実はね、もうすぐなの。初GI」
まあ、と洩らす母をよそに、ライスは続けてこう口にした。自分にはステイヤーとしての才能があったため、大きな長距離走のレースがあるこの秋までは重賞出走を控えていたこと。そしてそれにあたってずっと出走を狙っていたのが菊花賞なるレースであること。──そして今回の勝利で、そのレースへの出走が確固たるものになったこと。
「そうだったの……! じゃあすぐにお休みもらえるようにしなきゃね! それでいつなの? 菊花賞!」
「え、ええと」
興奮気味に訊いてくる母に、意味もなくスマホを顔から遠ざけて記憶の全てを辿ったライスは、腕を呼び戻して回答を口にした。
「……来月の7日。絶対勝ってくるから、見てて」
先ほどまでの困惑など忘れたような、精悍な声でそう告げる。
「……7日ね。確かに覚えたわ」
その復唱ののち、まもなく通話は終了の運びとなった──電話をかけたことはお父さんには内緒よ、と添えられたのは完全な余談だ──。
「……うし」
勝たなければならない理由がまたひとつ増えた、と荷を背負い直したライスは、急ぎコースへと戻っていくのだった。
「すみません、帰ってきました」
「ええ、お帰りなさい。あなたが走るのはマックイーンとよ。ウォーミングアップはしておきなさい」
了解です、と返しそのやりとりを終えると、他のメンバーたちの併走を肴に準備運動を行っていく。見れば、今やり合っているのはグルーヴとスカーレットのふたりだった。
そして間もなく準備運動を完了させたライスは、出番まで暇を持て余すことになったため、夏以来ご無沙汰だった、あるウマ娘に話しかけることにした。
「あの」
スピカTのそばで、クリップボードを片手に併走を見つめていた彼女へ、そう声をかけながら隣に並ぶ。
「あ、ライスじゃん! 久しぶりっ!」
「ええ、ご無沙汰してます、テイオーさん」
相変わらず快活な声で応える彼女に内心安堵しつつ、積もる話があったライスはそのまま、視線を併走中の二人に置きながら切り出すことにした。
「今日はイメージトレーニングですか?」
「え? うーん……ま、そんなとこ! トレーナーがみんなの走りを見て、アドバイスしてやれって」
まだブランクを抜け出すには時間がかかるのだろう、今日は走りに来ているワケではないらしい彼女に、ライスは興味本位であの日のことを訊いてみることにした。
「感謝祭のライブ、大変でしたね。何やらジャックがあったと聞きましたよ?」
いけしゃあしゃあとそう言い放ったライスに、テイオーは苦笑気味な笑い声を上げながら答えてくれた。
「まぁね。いきなりでちょっとビックリしたけど、あのおかげで色々吹っ切れたから」
そう言う彼女の横顔をちらっと覗けば、迷いなく目の前を見つめる頼もしい顔がそこにあった。
「そうですか。私もちょっとの間居合わせただけだったのでよく知らないのですが、その様子なら心配はなさそうですね」
ちょっとと言っても数秒だけだったが、と口には出さず、納得した風の返事をしたライス。
「うん。これからは、テイオー伝説の第二章。ライスも見てて、この先のボクを」
そう力強い言葉を紡ぐテイオー。まずは満足、と安堵するのも束の間、ライスには訊いておかなければならないことがあった。
「1ヵ月後……有馬記念が迫ってますけど、テイオーさんはどうするんですか?」
「チームのみんなと見に行くよ。きっとマックイーンも出るだろうし、最高の応援ができるようにしなきゃ」
すると意外にも、返ってきた言葉は回避を示唆するものだった。
あれ、と肩透かしを喰らうライスだったが、よく考えてみれば有馬記念へ出走する最後の一押しはマックイーンの故障だったわけだし、時系列的には「ターフの上を駆けること」以上を望んでいない期間である現在では仕方ない反応といえた。
「……そうですか。まあ、もしこれからご一緒できることがあれば、そのときはよろしくお願いしますね」
ひとり納得すると、待っているぞ、と暗に言い残してライスはそこを立ち去った。
「すみません、マックイーンさん」
「構いませんわ。あなたですわね、今日お付き合いしてくださるのは」
今日の目的であるウマ娘に、遅参を詫びつつ顔を合わせた。思えば直接会うのは初めてであったので、相応の挨拶を組み立てながら。
「はじめまして、ライスシャワーです。最強ステイヤーと名高いあなたに師事できることを嬉しく思います」
それに対し、どうぞよろしく、とマックイーンの短い返答で顔合わせを終えたふたりの会話は、早速次の段階へ進む。
「聞けば、ライスさんは菊花賞を次に見据えているとか。……全力をぶつけて来なさい、相手になりますわ」
「え、ええ。お手柔らかに願います」
圧されつつもその口ぶりに頼もしさを覚えたライスのもとに、ひとりの乱入者が現れる。
「ぴすぴーす! 面白そーな話してんじゃねーか、オイ!」
「んなっ、ゴールドシップさん!?」
にゅっと地面から生えるように現れたゴールドシップ。驚きの声を上げるマックイーンとともに面食らったライスだったが、思い返せば彼女も菊花賞ウマ娘であった、と頭のどこかで納得していると、彼女は意に介さず続けてきた。
「ったく、長距離の話すんのにアタシを呼ばねぇ、なんてこたぁねーだろ! ステイヤーと言えばゴールドシップ、10人のアタシに訊きゃあ7人がそう言うぜ〜?」
「何を根拠に……って答えさせてるのあなた自身じゃありませんの! というか3人は違う方を挙げていらしてますし!」
「え? あ、知らねー。ゴルシって略して答えたんだよ多分」
「自賛にしても雑すぎますわ! まったくもう……!」
目の前で繰り広げられる血統繋がり漫才に、ある種の懐かしさを覚えているライスがしばらく傍観していると、困り果てた様子のマックイーンがフォローにやってきた。
「すみません。このような方ですが、実力は確かなもので、きっとライスさんにとってもよい経験をくれる相手となってくださるはずですわ。ですから……」
「はい、もちろん大歓迎です。どうぞよろしくお願いします!」
間髪入れずにそう言い放ったライスに対し、安堵するマックイーンが目に映るが、ゴールドシップはまだ止まる気はないらしく意気揚々と言葉を紡いできた。
「いい心がけだ! なんせアタシは故郷じゃこう呼ばれてたんだ、ステイヤーのゴールドシップを略してステイゴー……あっやべ、これ言っちゃいけねーヤツだった」
すると、阻むもののなかった彼女の勢いが急に止まる。しでかしたらしい失言を誤魔化す方法でも考えているのか、明後日の方向を向いて押し黙っていた彼女だったが、そこにふたりが踏み込む前に先手を打ってきた。
「あ、次オメーらだぜ? ほら準備しろ準備! 世界は待っちゃくれねーぞ!」
「え、ちょ」
「き、急にどうしましたの!?」
そう自分とマックイーンの背中を押しながらうやむやにしようとする彼女に、二人して強烈な違和感を覚えつつも、そのバリキに抗うことはできず、ズルズルと外ラチまで連れて行かれてしまった。
押すだけ押しておいて、じゃーな! と逃げ去っていった元凶に文句を言う暇もなく取り残されたふたりの間に、微妙な雰囲気が漂う。
「え、えっと……」
「ま、まずは一度走ることに集中しましょう! あの方の言うことを真に受けてばかりはいられませんわ」
「そ、そうですね」
拗れに拗れた空気を切り替えようと声を出したマックイーンに引っ張られる形で、出番の迫った併走に意識を向ける。
やがて始まった併走の出来については、及第点でしたわ、と評される程度には上出来であったと記しておく。
余談だが、ゴールドシップの言いかけたあの件についての追求は、本人が記憶から消してしまったらしく叶わなかった。早々に諦めて、代わりに菊花賞のアドバイスを求めたときに彼女が口にしたのは、「京都の外回りコースは3コーナー手前から仕掛けるのはやめろよ」の一点だった。
「ここでいいかな」
「ええ」
合同練習の終わった夕暮れ時、三人のウマ娘がコースに残っていた。ターフの上に立つライスシャワー、シンボリルドルフ、そのふたりを内ラチ越しに見守るヒシアマゾンらである。
「準備ができたんなら、さっさと始めるよ!」
大声を張り上げたアマゾンは、手にしていた旗をひらひらと振った。特に変わったことをしているワケではない。いつも付き合っている3km併走だ。
東京レース場を模しているこのコースでは、芝3000mの走行はちょうど1.5周分に相当する。
「構わない! そちらのタイミングで始めてくれ!」
そのルドルフの返答で、ならばと旗を頭上に掲げたアマゾンを目視し、ふたりはスタートの体勢をとる。
「よーい……どんっ!」
合図とともに振り下ろされた旗を目視した瞬間、ふたりが駆け出す。
ルドルフより外側でのスタートであったため、内に寄る分のロスを強いられたライスが後ろを付いていく形となったが、今回の併走の主旨を考えれば不利どうこうの問題にはならない。
そして直線の中間から始まったその併走は、すぐさまスタンド前に向かうコーナーへと差し掛かる。
わずかでも気を緩めれば、ルドルフが擁する現役屈指のコーナリング技術で蹂躙されるのが落ちだ。一切の油断は許されない。
「……く」
そして、ルドルフがコーナリングの最中に加速を行ったことを察したライスに、緊張が上乗せされる。追うしかない以上、こちらも加速を試みることで相対速度の発生を潰し、マークを続行する。
そしてスタンド前の直線。コースの内側を横断してきていたアマゾンを内ラチ越しに捉え、まずは半周を終えたことを認識した。
この併走の出来を決めるのは、結局のところどれだけの間肉体に言うことを聞かせられるかという一点のみだ。限界がくるまで、いや、限界がきてからどれだけ動力を捻り出せるか。長距離を走る以上、どうしてもその一点に帰結する。
ライスがその限界を超えた先を気にするのは、なにもレコード破りの先に行くために必要だからという理由だけではない。
──この肉体が、いやライスシャワーというウマ娘が、果たしてシンボリルドルフに手を掛けられる存在なのかという知的好奇心に、傲慢ながら突き動かされているからだ。
ニィ、と口角を上げながら次のコーナーに移った彼女は、その後もルドルフの仕掛けるペースチェンジに動じず追走を続けていった。
向正面の直線を切り抜け、気づけば視界の右側を流れる外ラチの向こうが、スタンドに変わっていた。いよいよゴールである地点は近い。コーナーを抜けたライスに、慣れた苦痛が襲う。
「……ふっ!」
ふとこちらを一瞥すると、片脚に込める力を一息に倍にしたルドルフに続き、こちらもスパートを試みる。得意のロングスパートの形とは異なるそれは、拒み続けた相対速度の発生をしばし許すこととなった。
「……く」
徐々に遠ざかる背に、置いていかれまいとするライス。しかし、ゴール前の坂を踏み締める脚は負担を叫び、肺が酸素をしきりに要求する。
普段のルドルフとの併走の中でも、今回はトップクラスに平均ペースが早いことを感じていた彼女には、それが普段の何倍もの大きさをもってのしかかっていた。
この坂を登りきった瞬間、この併走は終わる。その最終関門が目の前に横たわっていたライスに、ある記憶がよぎる。
『おっと! ここでミホノブルボンが仕掛けたっ! 三冠ウマ娘に向かってミホノブルボンが一気に先頭へと躍り出たー!』
飽きるほど見て来たその記憶が映すのは、淀の坂を越えた精鋭たちの最終直線。
──追いつきたい! もっと……もっと近くに!
三冠を懸けた愛バに猛然と迫る刺客──今は自分が体を借りている存在──が口にした想いとともに、ある炎が自身の心中に灯る。
「──見える」
かすかにそう洩らした彼女をよそに、早回しで回想されていく記憶は次のハイライトを映す。
『逃げるミホノブルボンっ! 2バ身以上のリードっ! しかし外からライスシャワーだっ! ライスシャワーが猛然と上がっていくっ!』
聞こえる、と呟いたのは、どちらのライスだったろうか。しかし刻が進む度に、双方の闘争心は一切の誤差なくグツグツと煮えたぎらせていく。
「……こんな」
目につく偉業を幾度も阻み続けた彼女の走りは──。
『追い上げるライスシャワー!』
5戦の激闘の末、生涯随一のライバルを下した彼女の走りは──。
「こんな、こんな……」
何者にも屈さなかった彼女の走りは──。
『2バ身! 3バ身! そして並んだ!』
愛バを、後には名優をも下した彼女の走りは──。
あらん限りの闘志をもってそう吠えたライスは、坂を意に介さぬように動力のすべてをバリキに変換した。
わずかにこちらを覗いたルドルフの視線に気づくことすらなく、目の前のターゲットを追う彼女は、徐々に広がっていた差を埋めつつあった。
並ならぬ気迫を感じ取ったルドルフもわずかに余力を引き出し、そして──。
「ゴールッ! そこまでだよ二人とも!」
先にルドルフが、ほんのわずかに遅れてライスが目の前を横切ったその瞬間に声を上げたアマゾンによって、二人は走者の領域から解放される。
スムーズにブレーキをかけ、スピードを歩行速度にまで落とすルドルフと対照的に、勢いを殺すまでにルドルフの倍をかけたライスは前転をしたかのように転がり、仰向けになった。
「大丈夫かい!? ラ──」
駆け寄ろうとしたアマゾンを、ルドルフは手で制す。その際アマゾンが片手に保持していたストップウォッチの数字を一瞥した彼女は、悠然とライスに歩み寄った。
「立てるか?」
そう手を差し伸べるルドルフに対し、息も絶え絶えなライスはゆっくりと黙って首を振った。本当なら呼吸の安定や筋肉痛の予防の観点からしても、激しい運動後である今は軽い歩行やストレッチをさせたかったが、精根尽き果てた様子の彼女を引き起こして転倒なりされては目も当てられない。
どこか痛めたか、と続けて放った問いにも同じ反応を貰い苦笑しながらも、大事ないことを確かめるルドルフ。
「……最近、君には驚かされてばかりだな」
思ったままをふと呟くと、よく解っていない顔のライスに再び微笑を溢していたルドルフの背から、ゆっくりとアマゾンも様子を見に近づいてきていた。
「ったく、大丈夫なのかい?」
「ああ、すまないな、どうやら立てない程度に疲れ切っていたらしい」
「えぇ? 本当にそれだけで済んでるのかい? 大体、このペースで飛ばしてたんじゃ──」
ルドルフの検分を不安がったらしいアマゾンは、ストップウォッチを片手に言い募ろうとするが、顔を寄せたルドルフに阻まれる。
「このことは少しの間だけ、黙っていてくれないかな」
「……なんでだい?」
ひそひそ話の声量で頼むルドルフへ、つられるようにアマゾンも声量を落としながら問う。
「死ぬ気でやれば既に辿り着けるところだと知れば、彼女はこれから毎回こうなるぞ」
「誰のせいだと思ってるんだい……」
記録の裁量権は半ばルドルフにあるといってもよい。故に彼女の言っていることは尻拭いをしてくれと頼んでいるのに等しいのだが、それについては「楽しくなってしまった」と短く詫びるのみだった。
「とにかく頼むぞ……ライス、そろそろ起きられるか?」
「おい、アンタ……!」
とうとう押し切ってライスへ向かったルドルフに、小言を告げる間もなく取り残される。
「まったく、アイツは……」
思わず頭を掻き回し、もう一度ストップウォッチを見やるアマゾン。
──そこには、『3:04.8』の記録があった。
菊花賞突入まで秒読み。
ガヤガヤほのぼのできるのも今話限りになるかもしれないのではっちゃけた所存。