黒い刺客に成り代わったブルボン推しがデビューを1年ゴネる話 作:ィユウ
今話末、極めて重大な史実改変の示唆が行われます。
端的に言えばラストランが変わるウマ娘がいます。苦手な方はブラウザバック推奨です。
本当によろしいですね?
警告はしました。
どうぞご照覧あれ。
曇天の京都レース場。ゲートを飛び出した18人が、それぞれ熾烈な牽制を仕掛けていた。
『注目の先頭争いはプライズシーフとムーンピアーシティ、ユリウスルコールは3番手。1番のサートゥンガニェ、マインコメント、おっと外からハナノスカイラインが4番手付近まで浮上してまいりました』
スタートもそこそこに、実況も若干目を回す活発な先行争いからレースは始まった。得意の追込体勢か、それとも不調か、若干離れて最後尾に位置するナリタタイシンをよそに行われるその争い。ビワハヤヒデへのマークを前提としていたライスは、7、8番手に甘んじた彼女の後ろからそれを見守る形となった。
『あ、7番ビワハヤヒデは外に出ました!』
『若干掛かりの色が伺えますが……』
──しかし、その停滞模様は意外にもすぐさま崩れる。なんとハヤヒデは好位置を欲しがったのか、若干の加速を行い外からの浮上を試みたのだ。
「……っ」
見失ってやる訳にもいかず、こちらも外に向け追従したライス。これより差し掛かるコーナーでインを望むことはもはやできなくなったが、ここで位置取りを妥協してマークを切らしたのでは、ハヤヒデのスパートのタイミングを図れない懸念があった。
『すぐそばのライスシャワーもそこに付きます。その後ろにクロスフィーラーがいて、さあウイニングチケットはどこにいるのか!?』
『後ろから4……いや5番手あたりといったところでしょう、末脚勝負に賭けているのかもしれません。一方ナリタタイシンは最後尾から苦しそうに追いかけていますね、心配です』
注目バが前方後方に位置取りを分ける形となった序盤。そしてコーナーにてライスがマークに神経を擦り減らす中、場面は一度目のホームストレッチに移る。
(ちょ、飛ばしすぎだろ──!)
直線に入るやいなや3、2番手と位置を押し上げていくハヤヒデに冷や汗を垂らすライス。現先頭のハナノスカイラインの後ろでようやく位置を安定させたのかと思えば、今度は外から先頭目掛け疾走する別のウマ娘も現れ、先団の状況は混迷を極め始めていた。
『さあウイニングチケットらの動向も注目すべきところではありますが、ビワハヤヒデの方は……ああっともう3番手です! 掛かっているんでしょうか!?』
先ほどまでは中位だったろう、と先団に視線を移した実況の驚く声がスタンドに響く中、続いてのコーナーに向かう18人。
『さあほぼ一団の18人が第1コーナーに向かいます! もう一度先頭から整理していきましょう! 先頭は思い切って行ったクロスフィーラー! 3番のクロスフィーラーが先頭です!』
初動ではハヤヒデ、ライスらの後ろにいた、先述のウマ娘の浮上にまだ驚きを見せながらも、順位の振り返りは依然として続く。
『そしてサートゥンガニェが2番手、3番手にようやく落ち着いたかビワハヤヒデ』
『まだ少し掛かり気味かな、といった様子は伺えますよね』
好位争いに折り合いがついたのか、前に振り上げたついでに右腕でメガネを直すような姿を見せたハヤヒデの一挙一動を捉えながら2周目に向かうコーナーを駆け抜ける。
──まだ、保ちそうか。
『隣にはライスシャワー、そして後ろにユリウスルコール、ハナノスカイライン。その後ろでありますが、おおっとここにウイニングチケットがいた!』
『ライス、ユリウス、ハナノ、そして13番のマインコメントが間にいますが、さほどハヤヒデとチケットは離れていないように見えます』
向正面に入るやいなや、位置を上げてきていたチケットの登場。そしてそれに呼応するかのように、再び順位の入れ替わりは苛烈の様相を呈していた。
『おーっと16番のムーンピアーシティが行った! 激しく、目まぐるしく順位が入れ替わっている!』
突如、内からチケットを追い越そうと企むシティ。二人を挟んだ後ろの方で「ええー!?」とやかましく驚くチケットの声を聞き届けたライスが若干後ろを見やったそのとき、彼女は別の違和感に気づいた。
──ユリウスが居ない。
「うわっ、ちょ、何だっての……!?」
そのとき、最後尾のタイシンから発されたその呟きは、ズルズルと退がってきたあるウマ娘を見送ったために出たセリフ。
その人物こそがユリウスその人であった。ここにきて不整脈の一種を発症してしまった彼女は、もはやレースどころではなくなってしまい、事実上の脱落となってしまったのだ。
(どこに……いや脚を溜めてるのか!? けどそればっか気にしてるワケにもいかないっ……!)
だが遠く離れた最後尾での呟きを聞き届けられるはずもなかったライスに気づく術はなく、早々に違和感への考察を切り上げた彼女はマークを続行する。
『10番ブレイブオオキミ、外にラグビーチャンプ、8番ロイスアンドロイス、11番エンプレスパトラであります! その外にアーケードチャンプ、その後ろがプライズシーフか? そしてノーブルカッセルがいた! もうひとり後ろのイエロージャージが後ろから2番目──』
『いや、待ってください、かなり後ろの方にもうひとりいます!』
タイシンの名を呼んで全員の順位の振り返りを済まそうとしていたところで、ようやく解説が最後方の異変に気付く。
え、と洩らした実況がイエローの順位を訂正する暇もなくレースの全体像を俯瞰すると、まず集団の背後には相変わらずな位置どりのタイシンがいる。
『続きますのはナリタタイシンですが……おっとひとり故障! ユリウスルコールが故障した模様です!』
すでに現在第3コーナーを回る一同から、それもタイシンにすら大差をつけて離されていたユリウスに驚きの声を上げる実況だったものの、すでにレースは終盤の山場に差し掛かっていた。
『あと17人はユリウスルコールを置いて第4コーナーへ向かいます!』
いよいよ淀の坂を下る一同が、スパートの体勢に移る。
「……ふっ!」
ここで明確にギアを上げ出したハヤヒデに、置いていかれまいと加速するライス。
──そこで、ライスに奇妙な体験が襲う。
「な……これはっ!?」
視界がスローモーションになると同時に、辺りの空間が手前、即ち背後から覆うように黒く塗り代わってゆく。
地面までも染め切ったその空間の中で、菱形のトンネルを作るように紫色のイルミネーションが次々に灯る。
これがハヤヒデの使う領域のビジョンなのか、と理解するより早く、彼女の息遣いが変わる。
「これが……私の方程式だ──!」
狙い通り──。そんな声色で、気づけば勝負服を着せたマネキンのようになっていたサートゥン、ラグビーらから抜け出していったハヤヒデ。
「クソ、やらせるかァァッ!」
呆気に取られていた精神を引き戻すと、半ば無我夢中でハヤヒデの抜けていった穴から追いにかかる。間もなく内のサートゥンを見送って2番手に踊り出た。
『さぁ先頭集団はどうか!? ビワハヤヒデはどこにいるか──いや、先頭だ! ビワハヤヒデ先頭!』
佳境に入るレース。いよいよハヤヒデの大きい背中越しに、雄大な最終直線が見えた。
『第4コーナー回って最後の直線に入る!』
コーナリングを終え、これで余計なことを考える必要はなくなった。あとはただ速く走ればよいだけだ。
気づけばハヤヒデと共に他16人を置き去りにしていたライスの肉体に、ドクンと大きな鼓動が響いた。
「ライスだって……咲ける……っ!」
鼓動に引きずられるように飛び出した、そのセリフとともにギアを上げた彼女は、ハヤヒデの背へ猛然と迫った。
『グッと中から抜けたのはビワハヤヒデ……いや、ライスシャワーもいるぞ!』
グングンと後続を引き離す二人のデットヒートをそう謳った実況に、観客からどよめきの声が上がる。
「だ、誰だあの娘!?」
「面白え……やっちまえー!」
ダークホースの登場に驚嘆する観客の声援を浴びながら、ジリジリと先頭に迫るライス。
『BNW無冠の最後の一人が、ついにここにきて頭角を現すのか!? それとも無名の刺客がその予定調和を切って捨てるのか!?』
「よそ者がアウェーなのはどこも一緒だなァ……!」
かすかに聞こえたセリフをそう皮肉ったライス。腹は括った、勝ちを取り上げる覚悟は決めた。悦楽の信号を上げる身体を、ただ前へと進めていく。
「一割四分程度の可能性だと思っていたがな……!」
輪郭を拝めるまでに近づいたハヤヒデが、そう溢したのが聞こえた。こうして自分が上がってくる展開か、そもそも独走できない展開を指しての発言だったのかはわからないが、虚を衝くことができたことには間違いなかった。
──が。
「……起こるまいと楽観するより、起こるかもと備えをしておくものだ」
続けたその言葉とともにわずかに上がった口角の意味を理解するより早く、再加速という返答が飛んでくる。
『外からアーケードチャンプ、ウイニングチケットも伸びてきた! しかしビワハヤヒデ突き放す!』
詰めかけていた距離を目の前で白紙にされたライス。ある種の憤慨を覚えながらその事実を受け止めた彼女だったが、指を咥えて見送る愚図ではなく、迅速に追う足を早める。
「──ンだとッ」
さすがに魅せてくれる、とそう溢すライスであったが、深層心理で『ターゲットの加速』というイレギュラーの前提条件を、ある種過信していた彼女と、織り込んだ独走劇を期していたハヤヒデとで出来てしまった差は埋まらずにいた。
(まずいまずいまずいなんで抜かせない? 遅いからだ、ハヤヒデに、もっと加速したハヤヒデに着いていけているのに、レコード破りに手は掛けられているはずなのに、力はついてるってことなのに、じゃあなんでだ? 遅いからだ、ああくそ──)
打開されない状況と迫るタイムリミットから来る焦りで、堂々巡りになる思考に支配されながらも、諦めてしまうワケにはいかない彼女はエネルギーすべてを燃料として焚べる。
(勝たなきゃいけないんだ……! 俺のわがままで捻じ曲げた娘らの分を……!)
いつかマルゼンに諭されたように、不敗でなく必勝を確かに掲げ駆ける。
だがそれは当然ハヤヒデとて同じであり──。
『ビワハヤヒデ先頭! ビワハヤヒデ先頭! 追走するライスシャワーを徐々に1バ身、2バ身と引き離す!』
「く、そおおおおぉぉぉっっっっ!!」
先見、意地、速力。あらゆる面で同格以上のステージに上がれなかった純然たる事実を、開きゆく差が雄弁に物語るのみだった。
『強さを見せつけるビワハヤヒデ、今ゴールインッッ!!』
──そして一度も並ぶに至れぬまま、視界の右側をゴール板が横切り、勝負は終わりを告げた。
『クラシック最終戦・菊花賞は、BNW最後の一人、ビワハヤヒデが勝利で飾りました!』
『二桁人気ながら、ライスシャワーの猛追は見事でした。これから名を上げることになるでしょうね──』
勝者が決まり、湧き上がる歓声をよそに、ライスは特大の息切れを処理することで精一杯だった。
「……クソッ」
並べもしなかったのだ、写真判定などすがるまでもない──。そんな思いで掲示板を見やれば、やはり一着に灯るのはハヤヒデの7番で。
「ライスシャワー君」
若干吐息の混じる、聞き慣れた聡明な声で呼び止められる。振り向けば、声の主はやはりハヤヒデだった。
「……存外私も熱狂してしまったようでね、極めて陳腐な言葉になるが──」
激戦を終えてすぐ、筆舌に尽くし難い感情を捻り出すように前置きを垂れた彼女は、一度メガネをずり上げると短くこう口にした。
「──いいレースだった。近いうちにまた、再戦願うよ」
新たな好敵手との死闘をそう賛美し、腕を差し出すハヤヒデ。
「……もちろん」
大きく鼻をすすり、手を掴み返すしかできない。
嗚咽が歓声にかき消されていることを祈るほかなかった。
「はぁ……はぁ……ナイスランっ!」
そこへ、勝者となった盟友を祝いに、チケットがやってきた。
「あのハヤヒデについていくなんてスゴいよっ! ハヤヒデと一緒で、夏の間も頑張ってたんだろうなってのが伝わってぎてぇっ……キミとは、もっどばやぐ走りだがっだよお"お"お"お"お"お"っっ!!」
そう泣きじゃくった彼女に対し、ライスは何も言えず押し黙った。
そうして他者の視点からレースの顛末を告げられてようやく、敗北の実感がとめどなく湧き上がってくる気がして。
(ああ、負けた……負けたんだな)
振り返ってみれば、ハヤヒデの勝ちたいという気持ちに、ライスの改変の覚悟が敗れた戦いだった。
歴史に横入りする覚悟など、真に勝ちたいと願う彼女たちの気持ちに到底敵わないのだと実感した。
目の前で示された、常に最良の方程式を追い求め、模索し、更新し続けるハヤヒデの強さ。それ故に彼女は菊花賞ウマ娘であったのだろう。
「ハヤヒデぇっ……どうかじたのぉっ? ……グスッ」
「……いや、今頭が一回り大きいだとか聞こえた気がして……」
間もなく繰り広げられた頭でっかち漫才を意に介す様子もなく、ターフの上にしばらく立ち尽くすライス。
──あと一歩だったというのに……。
ごく短い視界不良に見舞われたあと、頬に伝ったのは脂汗混じりの涙だった。
第54回菊花賞。1着には変わらずビワハヤヒデが輝いた。
ベールを脱いだリギルの秘密兵器は、チームの哲学である先行策で挑むも、名士の鬼謀を前に敗れ去った。
3:04.6のレコードタイムを叩き出した先頭にコンマ1秒の差をつけられていた彼女には、健闘を讃えながらも「一年デビューが違えば」と世代の不運を惜しむ声が多く上がったという。
そして、すべてを終えた彼女が戻った控え室から間もなく上がった衝撃音を、聴いた者はいなかった。
学園に戻った夜。
気持ちに辛くも折り合いをつけたライスは、次の試練を見据えていた。
今の今まで目を背け続けてきた有馬記念だ。
「出れたっておかしくはない、けどな……」
切望した勝利を得ることは叶わなかったが、BNWに食らいついたのだ、出走に足るだけの票を集めていてもおかしくはない。
まずは久方ぶりに検索エンジンを立ち上げ、素早く有馬記念の四文字を打ち込んで適当な記事を漁り出す。
「──なっ」
最初に開いた、有馬記念の有力ウマ娘の特集と銘打った記事の概要を目にして思わず洩らす。
そこには、ミホノブルボンが故障完治と共に同レースでの復帰を宣言している、との情報があったからだった。
「嘘だろ……? 治るにしたって早すぎる」
アニメにおいてミホノブルボンの復帰は、最終盤においても未だ行われていなかった。いや、最後まで言及がなかったと言うべきか。
それが有馬に間に合うまでに早められているこの事実に、再び史実改変が起こったことを悟る。
「満たされていない──。なるほど、それが君の走る理由だっていうのか」
さっと見漁ったその記事には、他でもないブルボンのコメントがあった。三冠でも足りない、まだ走ることはやめられない、まだ何もかもが道半ばであるのだ、と宣言する言葉が。
「嬉しい……嬉しいさ、だがなんで今なんだよ……って俺のせいか、くそっ」
推しの夢を折ることはできない──。かつてそうのたまって逃げ出した彼女には、単に吉報と受け取ることができなかった。
逃げ続けたツケが回ってきた、そう思えてしまって。
「票集めならテイオーだって上位に食い込めたんだ、ブルボンが上がれないワケがない」
有馬記念の出走条件である、得票数というわずかな逃げ道は、自ら否定した。丸一年のブランクを楽観視するには、彼女はあまりにも功績を立てすぎている。
そして彼女のこの決意も、その膳立ても、元を辿れば自分の決断が招いた結果であると気づくことに時間はかからなかった。
「それに、困るのは俺だけじゃない、テイオーだって──」
開いていたサイトを葬ると、続いてテイオーの動向の注視に移るライス。8文字を打ち込んでからの、いつもより数秒長い検索時間を永遠のように感じながら、すぐさま表示されたサイトたちをスクロールしていく。
「な、な……」
そして間もなく彼女は新たな事実を知った。
──今季引退のトウカイテイオー、将来的なトレーナー業転向を明言──
運命など、とうの昔に捻じ曲がっていたことに。
いつからテイオーが復帰すると錯覚していた?
次回、『氷刃─オールカマー ─』。