黒い刺客に成り代わったブルボン推しがデビューを1年ゴネる話 作:ィユウ
運命の分岐点となったあの日。焦がれたライバルの再臨を望み、一世一代の大勝負に出たウマ娘とその仲間たちがいた。
ウマ娘の名はツインターボ。後先を考えぬ大逃げ使いとして知られる、現役屈指の個性派である。
彼女がライバルを自称し対戦を熱望していたのは、言わずと知れた天才・トウカイテイオー。しかし度重なる故障で肉体が限界を迎えた彼女は引退を表明し、トレセン学園のファン感謝祭にて引退ライブを開催。自らに着いてきてくれたファンに別れを告げようとしていた。
しかしそんな結末をターボが認めるはずもなく、同日に行われる中山芝2200mの重賞『オールカマー』を勝利することで、テイオーの闘志を呼び覚まさんとする試みが行われる。
まず彼女が所属するチームカノープスのトレーナー・南坂の提案によりライブ舞台裏の制圧、ならびに放送機材のジャックが行われると、ステージモニターにターボのレース中継を上映。テイオー含め場の全員の視線を釘付けにする膳立てが行われ、あとはターボが結果で覚悟を示すのみとなっていた。
『さあこの場内のどよめき! ツインターボのとにかく逃げ! 何バ身開いているかとても実況では今の段階では分からないくらい、大きく大きく差をつけて逃げていっています!』
「こんな演出聞いてないわよ?」
「どうなってるんだ!?」
突如流れる中継映像に、舞台袖で見守っていたチームメイトから驚愕の声が上がるが、モニターを夢中で見つめているテイオーには届かない。
「あんなことプログラムにありません! 今すぐ中止に……」
「構わない。私が許可した」
文字通り予定外の事態に対処しようと立ち上がったグルーヴを、ルドルフが制す。
無論ルドルフはこの状況について微塵も備えはしていなかったが、テイオーのキャリアを左右する最後の分岐点であることを感じての黙認だった。
「すまない。言い忘れていたんだ」
珍しく訝しげな視線を自身に向けるグルーヴに苦笑しながら言い放つ。ライスに言ったら卒倒するだろうか、内心で詫びるとルドルフは何も言わずモニターに目を向けた。
『ツインターボが逃げる! ツインターボが大逃げだ! ターボエンジンは今日も全開! 第3コーナー入って加速が止まらない! 全霊燃やして走り尽くす! 個性派逃亡者ツインターボが先頭! さあ追いかける一番人気、ブラザーユウショウが上がってきて、3番手を伺う位置! 現在4番手! かつてティアラ路線を最前線で戦った──』
一方、現場はターボの大逃げに踊らされ混乱の様相を呈し……とはいかず、誰一人彼女のペースに付き合うことなく、いつも通りの走りを見せていた。
(……まだ、誰も仕掛けていない、ターボさんが最後に崩れて終わると信じて疑っていない)
出走者でもあり、ターボのチームメイトでもあるイクノディクタスは、内心でほくそ笑んでいた。
(この場の誰もが実力者揃い、だからこそ引っ掛かる)
並の熟練者なら、今のターボに構う選択肢はまず浮かび上がらない。彼女はサイレンススズカやメジロパーマーらのような、ここ一番で違いを作り出せる大逃げ使いではないからだ。
──今までは。
(小細工を使えるタチではない、今までのレースを見れば真っ先に分かることです。その前提が、眼を曇らせる──!)
今のターボは、全力に限りなく近い速度と気迫を引き出してこそいるものの、思考の根底にあったのは温存の二文字であった。
2200mを全力で走りきるスタミナは、彼女にはない。しかし常に先頭で走ることを熱望するこのウマ娘にとっては、温存など故障に次いで忌み嫌う愚行だ。
だがターボは、実力者らを前に採り得る唯一の策としてトレーナーに示されたそれを拒めるほどの愚者ではない。
(脚はまだ残っているはず、ならあとは押し切るだけですよ、ターボ!)
共犯者として併走に幾度となく付き合ってきたイクノは、ここにきて賭けの成功を断ずる。
中団から最後の援護を行おうと肺に酸素を送り込み、言葉を紡ぐ。
「行けぇッ、タ──」
──戦友へのイクノの叫びが、そこで止まる。
彼女の外からひとりのウマ娘が飛んできた、ただそれだけだった。だがイクノへ衝撃を与えたのは、豊富な実戦経験の中でも類を見ない速度を叩き出していたその気迫だ。
赤い帽子を携えたそのウマ娘は、思えば自身が最近走った天皇賞(春)や宝塚記念で見たウマ娘だった。
『ツインターボから1秒、2秒、3秒ほど離れて2番手にはヴァイスストーン、3番手にはインペ……いや、外からシダーブレードだ! シダーブレードが3番手に上がってくるのか!? 最後方から急激な浮上を見せる!』
そう、イクノを抜いたウマ娘の名はシダーブレードといった。鬼のような形相をしたそのライバルは、肉眼で──俯瞰で見る実況ですら──測れない距離の差が開いているのにも関わらず、脚をターボに伸ばしはじめている。大逃げ使いをまさかこのタイミングで追うというのか。無茶だ。逆噴射に賭けるほうが、まだ勝率は高いと言えるだろう。
──しかし、一連の奇策を介した側であるこちらにとって、それは何よりも恐れていた選択だ。
『さあ早くもツインターボだけが、ツインターボだけが、第4コーナーのカーブに入ってきました! ツインターボが大きく逃げる! シダーブレードが早くも追う! 他のウマ娘たちも何人か続いてきます!』
シダーは一切の迷いも見せずターボを追う。この粉微塵の勝ち筋がただひとつの必勝法だと信じているかのように。
彼方に消えていく背に追いすがろうとするも、シダーの浮上に焦った周囲のウマ娘らがイクノを妨げる。
「ッ、ターボッ!!」
戦友に、吠える。彼女の明晰な頭脳は、ターボの代わりに勝利するというスペアプランの実行が、もはや不可能であることを導き出していた。
今この場は、託すしかない──。チームメイトとして、いち走者として最大級の屈辱を味わうことしかできなかった。
『さあ最後の直線! ようやく全員が上がってきた! ツインターボが200mの標識に掛かるが、シダーはもう射程圏内に捉えている!』
そして静かなる凶刃は、尚も逃亡者に迫る。
「これが諦めないってこ…………ッ!?」
待ち望んでいた直線にて、生涯最大のライバルへ吠えようとしたターボの声が止まる。背後から感じる猛烈なプレッシャーによって。
──テイオー、あなたの強さを私にくれ──!
そんな呟きが、ターボには聞こえた気がした。
「っ、うあああああっ!!」
既にプレッシャーの正体が自身のすぐそばまで迫っていると感じ取ったターボは、限界スレスレの肉体に鞭を打ち加速する。
消費を切り詰めていたとはいえスタミナが持つとは到底思えなかったが、ただ先頭の交代を先延ばしにしているに等しいこの状況ではやらない方が愚かだ。
「「トウカイテイオオオオオッッ!!」」
デッドヒートを演じる二人の叫びが、皮肉にも重なる。
『抜け出したか、シダーブレード! ツインターボこれはもう無理!』
間もなくターボの左前方に誰かの背中が映った。誰のものかは至極どうでもよかったが、好ましい状況ではない。
まだだ。まだ追える。脚を引きずってでもその誰かを抜かすのだ──ターボは今一度脚に力を送る。そのとき、あることに気がついた。ターボの視界に映る光景が、徐々にスローと化してきていたのだった。
(なんで!? ターボ全開で走ってるのに──)
減速を疑った彼女は、叫声に等しい思念を紡ぐ。その瞬間、視覚と聴覚へ同時にもやがかかり始め、猛烈な目眩に見舞われた。
『……!? ツイ───ボ、力なく転───走中───』
そのとき、片脚が芝に縫い付けられたようにもつれた。不思議と痛みはなかったが、それは何の慰めにもならなかった。
やがて平衡感覚をも失った身体は、シダーのほうへ向かうどころか、芝から離れることを断固として拒否してくる。
(やだ……テイオー、テイオー、ティ、ォーッ……)
遅れて響き渡った不快な足音が、かすかに連続するのみの暗い世界の中で、ターボはただライバルの名を叫んだ。
『見事に決めたぞ、シダーブレード! デビューすぐの二連勝以来およそ3年ぶりの勝利、そして初の重賞制覇です! 皐月賞でテイオーの喉元に迫ったその末脚は健在だった!』
ライブ会場は静まり返っていた。ラストで競り合った二人の片方が制し、片方が力尽き倒れた。同期同士であるというドラマチックなスパイスも添えたその死闘を全員が目にしていた訳だが、普段のように熱狂しながら見届けた者は一人もいなかったろう。
それどころか──。
『一方ツインターボは残り数メートルのところで転倒……故障によるものかはこちらからは確認できませんが、残念ながら競争中止ということに──』
「ターボちゃん……!」
「ターボっ! ターボっっ!! 立って、ターボってばッッ!!」
勝者を映すカメラからとうの昔に消えていた戦友を案じる叫びが、観客席よりこだまする。
落ち着いてください、となだめる同じ覆面の男性も、教え子を案じると同時に、悔やむ思いが瞳にありありと映っていた。
『……しゃあああっ!! 見たか、テイオーっ!!』
それをよそに、画面の向こうにて待望の勝利を手にした名刃が吼える。誰よりもこの勝利を報せたい相手に向けて。
『ナタールも、ブレスももう居ない……そして今日から、あなたも居なくなる』
シダーがはじめに呼んだその名は、既にターフを去りし同期たちだ。彼女にとっては、テイオーが涙を飲んだ菊花賞を共に盛り上げた、忘れがたい戦友であった。
『──だからどうした、私が……シダーブレードが、ここにいるっ!!』
しかし、かつて三冠ウマ娘ミスターシービーに見初められクラシック戦線を駆け抜けた無冠の大器の見る先は決意に満ちていた。
『私はこれからも走り続ける! あなたが戦った世代がこんなにも強かったんだってことを証明し続ける! だから──』
「やめてッ、言わないでッ! 言ったら、言っちゃったらッ、テイオーがッ」
次がれる言葉を察したネイチャがすがるように叫ぶが、当然届くはずもない。
そもそも成否をターボの勝利に依存し、失敗時の想定など練りようのなかった作戦だ。思わず握りしめた拳に、行き場のない感情を込めるほかなかった。
画面の向こうの同期は、ひとつ息を吸うと最も望ましくない言葉を吐き出した。
『──そこで見てろ、帝王』
その瞬間、映像は途絶え、元通りの画面を映した。
「……」
勝者は決まった。
観客席はざわつきで支配されていた。この場の誰もが、この状況を理解できていなかった。いや、理解することを拒んでいたのだ。
「……滅茶苦茶です」
状況を静観するほかなかったグルーヴが、ふと重たく口を開く。
一方彼女を制したルドルフ自身は、押し黙るままだった。
(現実は……こうも劇的ではないものなのだな……)
テイオーと懇意にしていた──実のところ一方的ではあるのだが──かの逃亡者に、賭けてみたところがないと言えば嘘になる。
(いや、責めることはできない。彼女も、あの勝者も)
彼女がテイオーと引き留めんと選んだのであろうレースという手段は、決して大義名分があれば微笑んでくれる都合の良いものではない。
だが──。
「何故だ、どうしてこうなる……」
わずかに漏れ出た本音は、すべてのウマ娘の幸せを分け隔てなく願う彼女の矜持をもってしても堰き止められなかった。
一方、肝心のステージ上にいるテイオーはといえば──。
「……また、キミに背中を押されちゃったな」
いつかの菊花賞を思い出しながら、センチメンタルな感情を覚えずにはいられないでいた。
意志のみでは、奇跡など起きない。
目の前で示された事実が、かすかに残っていたテイオーの迷いを消し去る。
そうだ、自分が今まで何故勝てたのか思い出せ。
絶対を継ぐ意志、不敗の夢想、信じてくれた師と仲間、そして何より生まれ持った自慢の速力。
どれが欠けても勝利は叶わなかったはずだ。
その内の取り返しのつかぬ一つが朽ち果てんとしている今、なお進化を遂げ続けるライバルたちを越せる道理はない。
(……おっかしいよね、今さらこんなこと考えちゃうなんて)
わかっていたはずだ。トレーナーと共に速力喪失を告げられたあの日から。
やがて、観客を背に満足そうな笑みを浮かべたテイオーは、振り向き様に決意を示す。
「ありがとう、みんな。こんなボクに、戻って来てって言ってくれて」
集まってくれた全員に、嘘偽りのない感謝を告げる。続ける内容は、きっと皆の望むものではないだろうが。
「でもボクには出来ない。出来ないんだ。だって──」
言葉を紡ぐ度に、テイオーの脳裏に今までの日々が再生されていく。敬愛する会長の走りを見たあの日、トレセン学園に足を踏み入れたあの日、このチームに加入したあの日、デビュー戦のあの日、三冠競走を戦ったあの日、マックイーンと激突した天皇賞のあの日。
そして理由を口にする頃には、記憶は今目の前で勝利を掴んだ同期の勝ち姿まで追いついていた。
「──こんなボクのために、他の子の夢が折られていいワケがない」
自分へ言い聞かせるように口走った彼女に、観客はもれなく押し黙る。
大義もなく、過去の栄光を贄に他者を追いやる枠潰しにはなれない──。それがテイオーが短時間で導き出した答えだった。
「それに、2回も骨折したのにジャパンカップを勝った、なんてすっごいこともしちゃったんだし、もう取り返しなら十分済んでるよ」
レース史上最強、とまで評された強豪揃いの顔ぶれを撫で切った去年のそれを回想しながらそうはにかむテイオー。
そうだ、一矢ならもう報いている。マックイーンとの再戦が叶わないのは残念だが、ターフでやるべきことはやり尽くしたのだ。心配ならいらない、自分の分を駆けてくれる人物は、もういるのだから──。
「だからね、ボクは──」
「ふざけんなッッ!!」
突如、続けようとしたテイオーを遮る声が轟く。
そちらへテイオーが首を向けると、いつの間にかステージに上がっていた覆面のウマ娘がいた。
「ち、ちょっとネ……キャプテン!?」
「な、何をするつもりで!?」
他にもいたらしい同じ覆面の人物らの声をよそに、そのウマ娘は荒い息遣いで覆面を脱ぎ去る。
「……ネイチャ?」
覆面を脱ぐと地面に叩きつけた、彼女の名を呼ぶテイオー。
ネイチャにとっては、言い逃れができなくなる決断だったが構わなかった。
たとえ醜い悪あがきだとわかっていても、こんな終わり方を認めるワケにはいかない。
「本気で言うつもりなの? 走るのはもうヤメだなんて」
怒気を滾らせながら問うネイチャに対し、逡巡するテイオー。しかし、もう覆すワケにはいかなかった。
「……うん。言ったでしょ? もう十分だって。それに──」
「それが何だってのよ!」
テイオーの言を斬って捨てたネイチャは、ズカズカと歩み寄る。
目の前、という距離まで近づいた彼女は、テイオーに二本の指を立てた。
「2勝1敗……。アタシとテイオーの勝負のことね」
言葉の最中に中指を折りながらそう告げた彼女。その勝敗の数はもちろんトゥインクルシリーズでのレースにおける戦績だ。
「クラシック級に上がってすぐの頃。初めてテイオーと戦ったとき、あたし……越えられないって思ったの」
わずかに俯きながら、初戦の若駒ステークスについて口にした彼女。ネイチャにとっては、対テイオーで現在唯一の黒星だ。
「あんなキラキラした子に挑むなんて最初から無茶だったって、打ちのめされちゃってさ……トレーナーがいなかったら、走るのをやめちゃってたかも、ってくらい」
示された実力差に絶望して消極的になりかけたそのときを回想しながら、ネイチャは苦々しく語った。
「でもね、こなくそ、って頑張って菊花賞に出たり、年末のグランプリに呼ばれるまでになったりってのは、アンタと出会ってなかったら絶対無理だったと思う」
だがその出会いがなければ、GI常連クラスまでには至れなかったと口にした彼女は、次にシニア級以降の2戦に焦点を移す。
「それでシニア級に上がってからやっとGIで戦えて……覚えてる? 秋の天皇賞と、同着騒ぎの有馬記念のこと」
シニア級の春からテイオーと入れ替わる形で故障を起こしていた彼女には、ほぼ2年ぶりの再戦でもあったその2レース。だがそれは、テイオーが全く実力を発揮できず沈んでいたレースでもあった。
「アンタと戦いたがってたターボには結構うらやましがられたけどさ、アタシにとってはそんないいものじゃなかった! 天皇賞じゃ、らしくなく掻き乱されてて、有馬こそ真剣勝負って意気込んだら絶不調で……なんで、どうしてって」
こんなものは勝ちに入らない、と悔しげに言い募る彼女は、やがてやるせない感情を抑えきれなくなったのか、涙を溢れ出しながらこう懇願した。
「──お願い、最後にターフで見たアンタを、不甲斐ないトウカイテイオーにしないで……ッ!」
こちらを涙越しに射抜く視線に耐えきれず、テイオーは苦しそうに目を泳がせる。
「……ごめん」
「謝ってほしいんじゃないっての! アタシに……こんな虚しい勝ち逃げさせないでよ!」
絞り出すような謝罪を、そう一蹴するネイチャ。出会った中で誰よりも輝いていた、と信じてやまない相手が、このような形で消えていくなど我慢ならなかったのだ。
「アンタは、無敵のトウカイテイオーなんでしょ……?」
すがるように繰り出された、かつて何度も自身が口にしていたそのセリフを受け、テイオーは言葉に詰まった。
「……」
黙り込んだテイオーに呼応するように、再び静寂で支配される会場。
「──想いだけじゃ、勝てないんだよ……」
ふと、誰にも聞こえない声量でそう吐き捨てたテイオー。しばらく答えを探すように俯いていた彼女は、ふと観客席の方へ歩くと、最前列にいたトレーナーを見つけしゃがみ込んだ。
「トレーナーはさ、もう一度走ってくれって言ってたよね」
数分前に叫ばれたばかりの言葉を返すテイオー。するとトレーナーは、黙っていた分が溢れ出したように言い募った。
「……あ、ああ。俺はただお前に走っていてほしいんだ。わがままだって何だっていい。枠潰しだなんて、俺が言わせねえ。怪我する前より速く走れなくたって、勝つ方法なんざいくらでも──」
「──ボクがさ」
しかし、説得は無用とばかりに封殺したテイオーは、まだ若干逡巡するかのようにこう告げた。
「ボクが走る以外の形でレースの世界に居たいって言ったら、ついてきてくれるかな」
「……それは」
その言葉をスピカTが飲み込むまで、少し時間がかかった。
「きっとこれからマックイーンは、ううん、スピカのみんなは今よりずっと大きくなる。そんなみんなを……トレーナーがしてくれたみたいに支えていきたい、なんてちょっと思ってさ」
「俺みたいにって、お前……」
実はこの間のリーダー業務で目覚めちゃったんだよね、と笑ってみせるテイオーだが、無論彼女のトレーナーは、それが本音の全てだと受け取る愚鈍な男ではない。
「本気なのか?」
「うん」
やっぱり嘘だと、そう言って欲しかった。だがそれを望むには、彼女の瞳には覚悟の色がにじみ過ぎている。
「本当にいいのか? それを認めた瞬間、もうマックイーンとも
「トレーナー」
先ほどと同じようにトレーナーの言葉を封じた彼女は、わずかに瞳を涙で潤わせながら続ける。
「もういい……もういいんだよ」
どこか哀しい笑みを浮かべながら告げる彼女に、トレーナーは言葉を失う。引き留めてくれとも、引き留めないでくれとも言っているようなその微笑に投げつけてやるべき煽り文句を、彼は持ち合わせていなかったからだ。
「テイオーさあああんっ!!」
そのとき、舞台袖から一部始終に立ち会っていたスペシャルウィークが涙ながらに駆け寄ってくる。立ち上がりながら振り返ったテイオーの目の前で、崩れ落ちるように彼女はこう懇願した。
「教わりたいこと、まだまだたくさんありますっ! 戻ってきてくださいっ……!」
一瞬戸惑うテイオーの前に、気づけば追従してきたらしいダイワスカーレットとウオッカもやってきて続く。
「頼むよテイオー! やっぱり寂しいよぉっ……!」
「戻ってきて……! また一緒に走ろうっ!」
みんな……とわずかにテイオーが洩らして間もなく、セグウェイを駆り追ってきていたゴールドシップが口を開く。
「……お前はどうしたいんだ?」
いつになく真摯な表情の彼女に、若干呆気に取られながら立ち尽くすテイオーだったが、その視線は至極落ち着き払って歩み寄ってきたマックイーンに吸い寄せられる。
「もう一度言いますわ。あなたがどうなろうとも、あなたにどんな不安や困難が立ちはだかっても私は走り続けます。最強のウマ娘であり続けるために」
ライブの提案を受けたあの日の続きを、厳然と口にした彼女は、すぐさま鼓舞するようにこう続けた。
「もしあなたがその決断を下すのならば……せめて見ていてくださいませ、最後まで」
盟友の言葉を受け、一度瞑想するように閉じられたテイオーの目は、次に開く頃にはいつも通りの彼女のものに戻っていた。
「みんな聞いて!」
勢いよく涙を拭って観客の方へ振り向いた彼女は、思い切り叫んだ。
今までの自分との決別と、今からの自分が掲げる夢の宣言のために。
「ボクは今日から、ターフを降りる。それはやっぱり変えられない。けど、ボクはこのチームで、みんなと成長し続けたい!」
力強く言い放つ彼女の瞳からは、涙は不思議とこぼれなかった。ちょうどいい。新たな船出の日に、涙など必要ないのだから。
「だから……ボクの道はまだ終わりじゃない。走らなくたって、走れなくたって、レースの世界を動かし続けてみせる。ここからは──
──
とびきりの笑顔でそう告げた彼女は今、新たな一歩を踏み出した。
「ミュージックカモーン!」と音響担当を急かしたチャレンジャーは、肉体に叩き込んできたパフォーマンスの披露に移る。
(キミが諦めないなら、ボクだって諦めない。ねぇ、ずっと見ていてあげるからさ──)
流れ出すイントロの中、はなむけの勝利を掴んだ同期へ語りかけるように、内心で吐露する。
(──キミもボクを見ていてよ、シダー)
ターボは特に故障などは起こしていません。そのあたりはひとまずご安心ください。
次回、『連覇か、無敗か』。
1993 オールカマー
ライスシャワー OUT▼
シダーブレード IN△