黒い刺客に成り代わったブルボン推しがデビューを1年ゴネる話 作:ィユウ
なるべく投稿ペース維持できればいいなー。
──心臓が、うるさいほどに叫ぶ。肉体が、けたたましく限界を訴える。
それでも、とすべての異常に目を瞑った彼女は、ただガムシャラに走る。
ただ託し、見ているだけだった自分にできるせめてもの手向けは、このレースを勝つことのみである──。その強迫観念のみが、このウマ娘を支配していた。
「くっ、予想外だらけだ、GIというものは──!」
そう洩らしたのは、表面積の大きい芦毛を振り乱す目の前のウマ娘だ。
ニィ、と口角を上げる暇もなく、詰め寄ったその背へ向けて、叫ぶ。
「あたしがここまで来た理由がっ!」
らしくないと思いながらも、もはや止められなかった。
「連れ戻せなかったライバルに報いるためって言ったら!」
あまりにも未練がましい、置いて行かれた者の八つ当たり──蓋を開けてみれば、そんななんとも醜い感情の発露であったと知れば、嘲笑を買って然るべきだろう。
そう分かっていながら、あえて虚勢を張り続ける。
「──アンタはあたしを笑うかああアアアッッッッ!!!!」
疲労ゆえだろうか、掠れゆく声ともに揺さぶられ続けるような声帯の感覚を味わいながら、頭の中の何かと脚をフル回転させる。
「──僥倖ッ!!」
ごく短い返答とともに示された再加速に歯を軋ませながら、無我夢中で走り続けてゆく。
知っている、想いのみで勝てるレースなどないことは誰よりも──。それに自分のようなウマ娘には、待っていても奇跡など降ってこない。もしそれを望むならば、こうして死力を振り絞ることで主役と同じ土俵まで上がるほかないのだ。
『ナイスネイチャだ! ナイスネイチャが来た! 前のビワハヤヒデとの距離をぐんぐん詰める! 残り200を切った!』
仕掛ける前は4、5バ身ほどあった差を縮めた彼女へ向け、驚愕を露わにしたアナウンスが飛んでくる。三人のウマ娘は、いよいよ長く短い直線へと脚を踏み入れた。
『三度目の正直だナイスネイチャ! ビワハヤヒデに、ミホノブルボンに追いつくことができるのか!?』
そう。ネイチャには、もう一人下さねばならない相手がいる。未だ先頭を駆ける、奇しくもテイオーの逃した三冠を戴いたウマ娘だ。
『必死に追いかけるナイスネイチャ、あと一歩のビワハヤヒデ、そして譲らないミホノブルボン!』
団子状になった三人を、後ろから順に評す実況。誰一人として衰えぬスピードを以てゴールを目指す接戦に、スタンドのボルテージは最高潮に達した。
『先頭との差はあと1バ身、あと少し、あと少しの差が縮まらない、追って追われてのビワハヤヒデ! ミホノブルボンも全く譲らない! 互いに当時の菊花賞レコードを塗り替えてみせた強さを見せる二人!』
人気バふたりが先頭を争うと思われたこのグランプリはしかし、ここにきて三つ巴の様相を呈していた。
『しかしナイスネイチャ、ジリジリと詰める! 残り100m、残り100mを切った!』
いよいよ直線も半分を過ぎ、ネイチャの脚はいよいよ二番手に届こうとしていた。
『最後の攻防! ここでビワハヤヒデに並ぶかナイスネイチャ!』
視界の右隅をうろつく芦毛に嗤いながらも、まだ止まってやる訳にはいかなかった。
万年3着は脱せよう、だがそれでは足りないのだ。
『新世代覇者ビワハヤヒデ、待望の勝利を手にするのかナイスネイチャ! 中山が、中山が震えているぞ有馬記念!』
オーディエンスが巻き起こす心地よい振動をわずかに感じ取りながら、まだだ、とネイチャは吠える。
「ウアアアァァァァァッッッ!!」
──その咆哮とともに、ネイチャの最後の枷は外れた。
『ナイスネイチャ、ナイスネイチャわずかに前に出た! だが後ろとの差はわずか! ビワハヤヒデも負けじと追いすがる!』
上がるスピードと共に、肉体が軋む音が聞こえたが、今の彼女にはどうでもよいことであった。
『ナイスネイチャか、ビワハヤヒデか、ミホノブルボンか!?』
いよいよ目前へ迫った栗毛へ意識を集中させ、その脚を進めていく。
およそ0.9バ身、0.8──7──6──数十メートルを争う長い時間の中で、距離が縮まっていくのが見えた。
やがて、半バ身まで来たか、というそのとき。
オーディエンスは、一世一代の意地を目の当たりにすることとなった。
「起動、開始──」
そのとき、先頭の瞳の色が──ネイチャには見えていなかったが──変わった。
『だが、詰めさせない! ミホノブルボン!』
ネイチャへ呼応したかのようにリミッターを外した彼女へ向け、その強さを叫ぶ実況。
『ミホノブルボンか、ナイスネイチャか! ミホノブルボンとナイスネイチャ! ミホノブルボン、ナイスネイチャ!』
一着を争うふたりの名を、涙を流しながら叫ぶアナウンスが響き渡る。
傍から見れば、差すか逃げ切るかの、意地と意地のぶつかり合いに見えたことだろう。しかしネイチャにしてみれば、既に敗北を突きつけられた気分だった。
『三冠ウマ娘の意地を見せるか!?』
そう聞こえたとき、ゴールまでおよそ何メートル残っていただろうか。
決して諦めるつもりはない。だが、今のネイチャには何一つとして、できることがなかった。
『ミホノブルボンだ、ミホノブルボン、奇跡の復活ッ!!』
──やられたな。
そう洩らしたのは自分か、ハヤヒデだったか。いや、どちらでもあったのかもしれない。
『……一年ぶりのレースを、制しましたミホノブルボン! こんなことがあるのでしょうか!?』
『はい、しかもこれで無敗のGI5勝目となります! 私たちは、歴史的な瞬間に立ち会っているんです!』
興奮に溢れたアナウンスと共に、歓声が沸き立つ。
勝負の世界から解放されたネイチャは、やがて立ち止まって勝者の姿を認めると、とうとう悔しげに洩らした。
「ごめん、また、口だけで……」
そう詫びたのは誰に向けてだっただろう。いや、自分でも分かりきっていた。
しかし集中の切れた肉体は間もなく激痛を訴え、感傷に浸る瞬間も与えられなかった。
(っつ……でも、まだ──)
満身創痍といった有様だが、まだ勝者を讃えに行くだけの活力とプライドは残っている。
脚を引きずってでも、とブルボンのもとへ向かう。
ネイチャの視線の先にあったのは、ブルボンがパーマー、チケットらと、チームメンバーらしき数名に押し倒されてもみくちゃにされる光景だった。
「……おめでと」
やがて、ブルボンを見下ろすように口にしたネイチャの瞳は、わずかに潤んでいるようだった。
「……なんで」
勝者は決まった。三度目の正直を期した名脇役の走りは、サイボーグには届かなかった。
「なんで、そんなに──」
しかし、彼女の意志が運命をわずかにでも変えてみせたことは、知れていた。
「──そんなにも、抗えるんだよ……」
目の前で突きつけられた覚悟に、ライスは呆然と洩らすほかなかった。
ああ、こんなにも光り輝いている。理不尽にライバルを奪われたにも関わらず、ただ奪っただけの自分よりも鮮烈に、健気に、抗い続けている。
(間違ってたんだ。自分勝手を通しておきながら、誰も欠けないようになんて)
我が儘をしている自負はあった。しかしそれでも
どう飾っても自分以外の誰かを蹴落とすしかないこのレース界を駆ける上で、あまりにも不遜な思いであることに今の今まで気付かなかったとは、と自嘲するような感情が心中を支配する。
(こうやってウジウジ迷って何もできなくなるくらいなら、最初から挑む資格なんてなかったんだ。自分の手も汚さずに運命を捻じ曲げようなんて、甘いんだ)
過去の弱い自分を恥じた彼女の胸に、炎が点る。
(しでかしたことのツケは、自分で背負っていくしかない。最後まで走り切るしかないんだ)
誰に裁かれることもできない罪だ。ならば、これを抱えたまま歩んでいくことこそが、自分へ課せられた罰と言えるだろう。
「ライス……?」
突如踵を返した自分へ向けた、東条の声が聞こえる。
しかし、すでに諸々の精算への思考に耽っていたライスには届かなかった。
(変わらなきゃダメだ、こんな俺から。そのためには──)
この先、弱い自分のままではどうしても押し潰されるだろう。
ならば、と手っ取り早い解決策を求めた彼女が、最も易しいやり方に気づくまで時間はかからなかった。
「──いるじゃないか、一番近くに」
場内に響く大歓声の中、その呟きを聞き届けられた者は、誰もいなかった。
「やあ、ライス君」
激闘の有馬記念から、およそ一週間が過ぎた頃。
ライス退院の知らせを受けたルドルフは、再び病院を訪れていた。
「聞けば、あの有馬以降は嘘のように順調だったと聞いている。意気軒昂な君の姿を再び見られて嬉しいよ」
そうチームメイトの帰還を喜ぶ言葉をかけて間もなく、ライスは口を開いた。
「うん、ありがとう。会長さん、おかげさまでとっても元気になれたよ」
以前見舞ったときとはえらく異なる口ぶりに驚きながらも、ルドルフはさほど突っ込まなかった。
もしや「タメ口でよい」と言ったのを真に受けてくれたのだろうか、と考えた故に。
「この間とは見違えるようだ。あのレースのどの
そうジョークを挟みながら表情を伺ったルドルフは、ふと違和感に気づく。
「……私は何も変わってないよ」
そう愛嬌たっぷりに笑うライスだったが、思わず気圧されるように後ずさる。
嘘だ、変わっていないはずはない。しかし、彼女が以前弱音を吐いたときに見せた瞳と同じものを携えていたことが、ルドルフの感情を揺さぶっていた。
「ただ、気づいただけだから。私は……ううん、
果たして他者のレースから、どうやってその気づきを得たというのだろう。訊きたいことは山のようにあったはずだが、驚愕の渦中にいるルドルフには、それが声として出てこない。
「君は、誰だ……?」
ようやく洩らしたその言葉に、ライスは笑う。
「……ライスシャワーだよ。皆に希望を与えられる、そんなウマ娘」
他人事のように語る彼女を前に、ルドルフは唖然としているほかなかった。
「飲み代にはまだまだ足りませんよ?」
「……ああ」
風情のあるバーにて、マスターの隣でグラス洗いに耽っていたスピカトレーナー。
しかし彼の手つきは繊細と言えば聞こえはいいが、どこか覇気がないようでもあった。
「えらく元気がありませんが、いかがなさったので?」
「いや、まあ……な」
振る舞いに違和感を覚えたマスターが問いかけるも、力なくかわされる。
図星か、と苦笑して間もなく、扉が開く音がした。
「ああ、いらっしゃいませ」
来客を知り口を開いたマスターだったが、その人物はカウンターに着くや否や、そこそこ高額な金銭を叩きつけた。
「……この男に酒を」
「……おハナさん」
カウンター越しに二人して唖然としながらも、客の顔に覚えがあったスピカTはそう洩らした。
「……すぐにお持ち致しますね。ああ、もうグラスは結構ですので──」
「──俺はいらねえ」
すぐさまオーダーを飲み込んだマスターはボトルに手を伸ばすが、スピカTは固辞した。
「すまないが、水をくれ。とびきり冷やしたやつをな」
それは用件の重さを見た故の注文だったが、すぐに口にされた東条の言葉によって、酔い醒ましは済まされることになった。
「……あなたに、預けたい娘がいる」
皆様よきGWを。