黒い刺客に成り代わったブルボン推しがデビューを1年ゴネる話 作:ィユウ
待ってくださった方々へ、格別の感謝を。
「失礼しますっ……あれ?」
退院から初めてリギルの部室へ足を踏み入れたライスは、誰ひとりいない空間へそう洩らした。
「みんな、もうコースに行っちゃったのかなぁ? はぁ……」
興が削がれたように手近な椅子へ座り込む。退院を祝ってもらえる、などと自惚れていたわけではないが、それでも誰の出迎えも無いのは堪える。
「ま、トレーナーさんが話したいって言ってたから、そのための人払いなんだろうけど」
事前に聞いていた用件を独りごちると同時に、うな垂れる。しばらくそうしていると、突然ノック音を聞き届けた彼女はドアへ向かう。
「はい只今……え?」
ライスを出迎えた景色は異様なものだった。
いま彼女の目の前には、サングラスとマスクというコテコテの変装姿のウマ娘が複数人いる。
唖然とするライスの脳裏には、何度も目の当たりにしてきたくだりがよぎっていた。
──スピカさんだ。
そうなぞる暇もなく、視界は闇に覆われた。
えっほ、えっほ、と抱えた自分を運搬していく声が聞こえる中、下手人らの意図を読みかねていたライスだったが、間もなく新たな景色が現れる。
「連れてきたぜトレーナー」
「おー……って、どんな連れ方だバカ野郎!」
見回してみれば、スピカのお馴染みのメンバーがいた。
蛮行に声を荒げるトレーナーの調子は相変わらずと言えたが、兎にも角にも状況は不明だ。
「あーその、なんだ……おハナさんから聞いてたと思うが……」
こちらへ向き直るとえらく歯切れ悪く口にするスピカTだったが、心当たりのある話は何も東条から聞かされていない。
そこに間もなく叩きつけられたのは、衝撃の事後報告だった。
「ライス、お前は今日からウチ預かりってことで、よろしく頼むな?」
『何してるの、こっちが話す前に連れて行くなんて』
「本ッ当にすまねえ、おハナさん」
電話越しながら明らかに苛立っている様子の東条へ向け、平謝りを見せるスピカT。
彼の見通しでは、ライスの承諾の知らせを待ってからの招聘となるはずだった。しかし想定より数段素早く、乱暴に行われたそれによって、要らぬ怒りを買ってしまったのだった。
──テイオー、トレーナーを目指すんでしょう?
あの酒の席にて、その切り出し文句からつらつらと語られた説法は、あまり頭に入っていない。
結局『チームと異なる哲学の持ち主との融和』という経験を材料にレンタル移籍を持ちかけた東条の話を呑んだのは、打算的な決断によるものではなかった。
「ただでさえ精神的に参ってるっつってたのに、面目ねえ」
一時的に持ち直しているとはいえ、ライスの状態は不透明だという。
トレーナーとして、屈指の手腕を持つ東条が手放す選択を取るほどだ。込み入った状況であることは理解していたが、それでも見捨てる決断はこの男には下せなかったのだ。
『事後承諾で済んだからよかったものを……』
東条の呆れ声に聞き入りながら、ライスとのやりとりを回想する。
──うん。あの人が言ってたなら、大丈夫だよ。……ライスは、強い子だから。
初めは驚き呆けながらも、経緯を聞けばすんなり飲み込んだ彼女の振る舞いは、よく聞けば以前合同練習で見たものとは大きく異なっていた。
「ああ、俺も驚いたよ……」
どうしようもなく生返事に等しい言葉を紡ぐ彼の脳裏へは、以前ライスと教え子であるマックイーンが言葉を交わしていた合同練習の様子がよぎっていた。
──はじめまして、ライスシャワーです。最強ステイヤーと名高いあなたに師事できることを嬉しく思います。
──全力をぶつけて来なさい、相手になりますわ。
そうやり取りを思い返している内に、思わず感傷的になってしまう。
「あんな怪我さえなけりゃ、続きをさせてやれたってのにな……」
通話中にも関わらず、そう呟くスピカT。
ライスの中で砕けてしまった何かを取り戻すにあたって、この自分の手がけた最高のステイヤーをぶつけてやったあのレースの再現ができれば、という無い物ねだりもあったろうが、それ以上にいちトレーナーとして、あの二人をもう少しでもやり合わせてやりたかった、という思いも彼の中にあった。
『まだ通話は切れてないわよ』
「……悪い」
独り言なら後にしろ、と言外に忠告を受けそう詫びるスピカT。
その後、間もなく通話を終えた彼は、テイオーのもとへ向かった。
何をどうするにしても、このプロセスに彼女を欠く道理はなかったからだ。
一方、件のテイオーも、知人との電話を行っていた。
「──うん、そうなんだ。前にマックイーンと走ってたリギルの娘が、ウチのチームに来てさ」
『そう……でしたの』
つい先ほど仕入れた話題を基に、会話に花を咲かせていたのは、未だ実家にて療養中だという盟友・メジロマックイーン。
まだ立ち直れていないのか、調子が戻らない電話越しの彼女の口ぶりは気がかりだったが、もともと快活なテイオーは努めて元気よく振る舞っていた。
間もなく今日チームメイトのしでかしたことを面白おかしく語ってやったテイオーは、少し感傷的な話題を口にしていた。
「マックイーンさ、そろそろチームに戻ってみる気はない?」
『……いえ、私はまだ怪我が』
違う違う、と首を振りながら語彙を探るテイオーは、楽しげに、そして誇張混じりな誘い文句を口にする。
「トレーナーと一緒にみんなの走りを見てるの、前よりもすっごく楽しいんだ! それにライスはステイヤーの脚だ、って聞いてたし、マックイーンがいればもっと──」
『──お言葉ですが』
しかし、テイオーの声は他でもないマックイーンによって遮られる。
『まだ、諦めたくありませんの。だって、私が居なければ──』
そこまで言うと、失言でしたわ、と取り繕うように打ち切られた。
新世代の台頭があったとはいえ、まだ世間の中で長距離戦における『マックイーン後の世界』を前向きに想像できている者は少ない。彼女の中でも、それは同じだったのだろう。
そう言わんとすることを察したテイオーは、敢えてその言葉尻には食いつかなかった。
「キミがそのつもりなら、止めない。けどさ」
誰でもないライバルの決断だ。こちらの都合を押し付けるのは不義理である。それでも、彼女には伝えなければならないことがあった。
「終わって終わり、じゃない。終わってまた始まるものもあるんだ」
それはテイオー自身の経験則といっていい言葉だ。
岐路となった感謝祭の日に下した決断は、彼女にとって単なる終焉を意味していなかった。
「いっぱい悩んで、いっぱい泣いて……傷付きながら選んで、進んできたボクの道だけど」
誰もが羨む数多の勝利を手に入れたと自負するテイオーだが、それと同等に望まぬ回り道を往かされたこともあった。見方によってはいまこの道も、その内に入るのかもしれない。
「後悔なんて、してない。ボクが……他でもないボクが、歩くって決めた道だから」
──しかし。それらすべてが、彼女にとっては誇るべき道だ。
説教臭いかな、と言い切ってから苦笑したテイオーは、いつかしていたように軽口を叩くことにした。
「キミもこっちに来るっていうなら、ボクも、チームのみんなもいつでも待ってる。……あ、そーなったら、ボクがマックイーンの先輩、ってことになるのかな〜?」
『まったく、あなたは……』
呆れたようなマックイーンの声を聞くのは、思えばいつ振りだろうか。
そんな感傷に浸るくらいには、同レベルで張り合える存在というのは大きかったらしい。
『まだ……もう少し、考え込ませてくださいませ』
さすがに元の調子に戻るには時間がかかりそうだが、それでも数分前よりは穏やかな声色だった。
ゆっくり考えてね、と告げると通話を終えたテイオーは、深く息を吐いた。そのとき、見計らったように別の声が届く。
「おい、テイオー。ライスのことで、少し話させてほしい」
そう口にしたトレーナーに頷くと、駆け寄る。
新たなメンバーを迎え、過渡期へ移ろいつつあるチーム・スピカ。
その行く先は、まだ誰も知らない。
今話から文章、というか書式をまたも改良してます。段落作ってるだけですが。
色々あって燃え尽き気味ではありますが、今年中にもっかい出せるように頑張ります。