黒い刺客に成り代わったブルボン推しがデビューを1年ゴネる話 作:ィユウ
桜散りゆき、春気分はとっくの昔に抜けた5月末。
ライスが生徒会に所属して1年が経った。
常にレースの話題にアンテナを張りつつ、少々密度の増した学園生活を送り続けた彼女。
気付けば世間は皐月賞、ダービーの二冠を手にした天才・トウカイテイオーの故障離脱の話題で持ちきりであった。
(はぁ……今日も取材云々が詰め寄せてきてたしなぁ)
プレスだけに、とつまらない洒落を吐く自分にため息をつくくらいに、ライスは疲弊していた。
テイオーという超注目株の離脱に喘ぐのはチーム『スピカ』のみにあらず、登校時間になるたび湧いてくる取材陣の対応に追われる生徒会役員も同様であったのだ。
ある日自分とグルーヴが校門で時間を稼ぐ内にテイオーをお米様抱っこしたゴールドシップが某配管工ばりの大ジャンプで取材陣を飛び越して学園の敷地に侵入していったのには失笑を禁じ得なかったが。
さて、現在はグルーヴの下での研修期間から脱しているライスであったが、今は彼女と共に練習用のコースにいた。
「ほう、以前よりスタート直後の加速にキレが出ているな。ドーベル?」
「ありがとうございます! 先輩の教えてくれたトレーニング法のおかげです!」
「ああ。まだ歩幅を広げる意識が過剰なきらいはあるが……習慣づける内に解決するだろう。では3分のインターバルののちもう1セットいくぞ」
「はい、よろしくお願いします!」
そう、グルーヴの後進育成の場に同行中なのである。尤もこれは生徒会やリギル云々ではなくグルーヴ個人でやっていることなので付いていく義務はないのだが、無理を言って助手として側に置いてもらった。
今の自分はさながら、器具やスポーツ飲料を運んでグルーヴらに叩き付けるマシーンである── 一度だけ誤って蹴り飛ばしてフェンスに跳ね返ったミニハードルをまともに喰らう無能を晒したが──。
「はいどうぞ、ドーベルさん」
「……! え、ええ。ありがとうございます」
ライスの差し出したスポーツ飲料をやや驚く様子を見せながら受け取るウマ娘。
キリッとした瞳と落ち着いた黒髪でいかにもクールビューティーな印象を抱かせるそのウマ娘は、名を『メジロドーベル』といった。
極度の男性嫌い故に教官のトレーニングへ思うように取り組めず、見かねたグルーヴが面倒を見ているこの構図は前世でも見た通りであった。
(全然警戒解いてくれないな、まさか精神面では男だって見抜かれてるのか?)
礼を述べるとそそくさと背を向けて水分を喉に流し込むドーベルを、糸目気味になりながら見届けるライスに、グルーヴが歩み寄る。
「……言えば混ぜてやるというのに」
「見ているだけで十分ですよ。あいにく私は教官さんに不満はありませんし、手伝いに来た身ですから」
あなたの前で走ったら手抜きがバレるだろうし、という断り文句は当然ながら飲み込む。
テイオーがクラシックレースを沸かせているということは、本来なら次の世代であるライスは本格化どころかデビューに差し掛かる頃合い。
狙っているデビューの遅延には最も重要な時期となる以上、こうやって手札を増やしながらも懸念材料の発生は避けたかった。
グルーヴの少々訝しむような視線が解かれると、ボトルをジェスチャーで示されたので頷いて手渡す。
軽い会釈ののち幾らか口に含んだ彼女はドーベルを召集すると次の練習を相談し始めた。
「……ふー」
ふと帽子を外し息を一つついたライス。
天を仰がんとした瞳は練習コース沿いの、坂を挟んで高度差のある通路を歩む二人の人影を捉える。
ライスの頭脳はそのうちの一人を膨らむような形状の長髪と機械的な動作から、自らが最も入れ込んできたウマ娘『ミホノブルボン』であると判断を下し、その隣にいる人物は、背格好からアニメ版におけるブルボンの指導者である黒沼トレーナーだとアタリをつけた。
距離が距離だ、会話の内容を覗くことはできない。
だが一方的とはいえこの物語のキーマンと言えるコンビとの遭遇にライスの心は躍る。
──そしてそれは単なる歓喜には収まらず、内に秘めた闘争本能が理性の制御を離れ、血肉を沸かすがごとき感覚に飛躍させた。
(く……ア"ア"ァッ)
嗚呼、彼女と走りたい、競いたい、下したい。そんなウマ娘らが残らず持ち合わせる人間の三大欲求クラスの衝動を、文明の発達と共に野性を眠らせた凡人の一人である彼がまともに受け止めきれるはずもなく、帽子を右目に抑え付けるように戻し、持ち主の仮面を被ることでそれを押し包まんとする。
(落ち着け、落ち着け、落ち着いて……)
自己暗示に等しい思考を繰り返す内に、やがて乱れていた呼吸が安定するとともに肉体を突き動かしていたエネルギーが萎むように収束していく。
「はぁぁ……はぁ……まただ」
膨大な欲望に支配されかけるこの感覚は初めてではない。
本格化の兆候を感じ始めた今年に入ってから頻繁に起こるようになったそれは、レースに関する強い興奮をトリガーに暴走状態を引き起こす厄介な代物であった。
就寝中に発作が起こることもあり、悪夢から覚めるように叩き起こされて声を抑えることにしか思考が回らないこともしばしばだ。
なぜそんなことが、と初めは思っていたが、未だ原作でもウマ娘の生態については謎が多く、何が起きてもおかしくはなかった。
仮にこういった感情へのリミッターをウマ娘ら全員が持っているとすれば、異物である自分がそれを持たず苦慮するのは当然と言えるが、単に本格化に対して練習負荷の強化を行っていないことによる消化不良が起こっている可能性なども否定できず、原因は計りかねた。
(もし保健室であいつに会えたら聞いてみるか)
あんしんあんしん、と針を振り回す淑女の姿を想起しつつ完全に平静を取り戻したライスに、相談を切り上げたグルーヴが近づいてきた。
「どうした、苦しそうだが」
見られてたか、と歯噛みするが状況が状況だ。仕方がない。グルーヴに関する記憶を残らず引きずり出した頭脳は言い逃れる術を捻り出す。
「いえ、その……大きめの虫がいたもので」
「な、バカな?! どこにいた、もういないのか!?」
自分への疑念が衝撃でどこかに飛んだことを確認すると、目に見えて焦り出したグルーヴ。
「ああ、いや、もう大丈夫ですから」
「そ……そうか」
内心詫びながら告げると、そうかそうかと平静を取り繕った彼女はバツが悪そうに額を押さえたのち、用件を口にした。
「……ドーベルと併走をしようと思ってな。ゴール地点に立ってタイムキーパーをしてもらえるか?」
「ええ。もちろんです」
「頼む。……よしドーベル、行くぞ!」
「はい!」
ライスが了承するとともに普段より数割増しで声を張り上げ追従を促したグルーヴは、ドーベルと共に振り向くことなく所定の位置へ移動していった。
「はぁ……」
二人が離れ、足元の用具入れからストップウォッチを取り出すと安堵の息を吐く。
(……あまりうかうかしてられないかもな)
歩む道を定めたとき、なぜ自分と同じことを考えるウマ娘がいなかったのか、とどこかで思っていたが、ああして内面から働きかけがあったとすれば解らない話ではなかった。
「いや、どうせ来年……少なくとも年末付近までは待たなきゃ安心はできない」
4歳新馬という例がある以上、焦ればクラシック級からデビューということになりかねないが、年を越してしまえば、半年ほど準備期間として粘る選択肢を取れる。
本能の責め苦に耐える自信があるわけではない。だが今はまだ、動き出してやるワケにはいかなかった。目先の安寧のために、予定と違った一歩を踏み出すワケにはいかなかった。
いつも読破、評価、感想、ここすき、誤字報告などしてくださるすべての方々に格別の感謝を。