わたしのヒーローアカデミア 作:Plot Must Die
学校に行きたくない者が受験勉強をするとどうなるか。それは今、リビングでだらけている被身子を見れば分かるだろう。
つい先日の事。癒々と被身子は雄英高等学校の入試を受けることを決めた。被身子としては学校なんて場所は絶対に行きたくないのだが、癒々の強い希望を前に今回は譲歩することにした。なので、来月の入試まで二人は勉強をしなければならない。尚、今年の雄英の入試偏差値は、79である。
公安で比較的従順に教育プログラムを受けていた癒々は、一応学力は高いので油断しなければ無事合格出来るだろう。むしろ問題となっているのは、被身子の方だ。
中学を卒業してから、渡我被身子は勉強とは無縁の生活を送ってきた。時間にして十ヶ月以上、勉強なんてしなかった。する気はどこにも無かったし、する必要も無かった。しかし来月入試を受けるのなら、そうも言って居られない。彼女の場合は焦ってでも勉強しなければ、間違いなく受験に落ちてしまう。それは本人も分かっている。分かっているのだが、やる気の有る無しはまた別の話だ。
「ぁー……勉強嫌です。したくない……」
癒々の膝を枕にし、ソファに寝転ぶ被身子は目の前に広がる参考書や問題集、そして筆記具から目を逸らす。別に彼女は勉強が出来ない訳じゃない。中学まではちゃんと学校に行って、同級生や教師達からそれなりの評判を得ていた。でもそれは、自分の本性を、彼女にとっての普通を隠し通そうと我慢していた時期だったから出来たことだ。今はそんな真似をしないでも生きていける。我慢しないでも、直ぐ側には特別な人が居る。思う存分チウチウさせてくれるし、衣食住まで用意してくれるのだ。本当なら不要のままだった勉強道具もだ。まぁ正確には、公安がお金を出している訳なのだが。とにかく、被身子が身を置いている環境とはそんなものなのだ。
だから。ベタベタに甘えて、堕落してしまっても仕方が無い。
だらしない人間となりつつある被身子に膝の上を占領された癒々は、片手で分厚い参考書を読み進めている。今日の彼女は伊達眼鏡を掛けていて、普段とはちょっと違う感じのカァイイを発揮している。そのせいか、被身子の視線は癒々に釘付けだ。
「……頑張って」
「ぇー……。ヤ」
「被身子」
「……やる気が起きないです。その気にさせてください」
「んー……」
やる気とは、行方不明になり易いものだ。まったく出てこないこともあれば、ふとした拍子にこれでもかと自己主張してくる。電灯のスイッチのように簡単にオンオフが出来るのであれば、被身子は今頃猛勉強していたことだろう。
まるでその気にならない彼女をどうしたら良いのか、癒々は少し迷う。わがままを聞いて貰ってるのは自分の方で、だからこれ以上勉強を強要するのは気が引ける。取り敢えず被身子の頭を撫でてみるものの、大した効果は無い。むしろ勉強から遠ざけているような気さえしてくる。
「むー……。雄英に合格したら、ご褒美が欲しいです」
真下から癒々の顔を見上げながら、被身子はそんなわがままを口にする。そうでもしないとやってられないのだろう。彼女の言葉を聞いた癒々は一度参考書から目を離し、被身子と目を合わせてから頷いた。
「ん。分かった」
「本当?」
「本当」
「……じゃあ、もう少しだけ頑張っても良いです」
少しはやる気になったようで、自堕落に呑み込まれていた受験生は鈍い動きで体を起こす。ローテーブルの上に置かれた勉強道具を目にすると顔をしかめたが、渋々と勉強を再開する。そんな彼女の隣で、癒々は黙々と読み込んでいた参考書を閉じた。伊達眼鏡を外そうと手を上げ、そして外すことなく手を下げた。被身子が眼鏡姿の自分をやたらと見詰めてくることに気づいているからだ。
結局眼鏡を外さないままの癒々はソファから立ち上がり、キッチンへ。まだ昼食には少し早い時間で、お腹は空いていない。水切りラックからマグカップを二つ用意して、ちょっと迷いながらもココアを淹れていく。
数分後。彼女はココアの入ったマグカップを両手にリビングへと戻る。被身子は何だかんだで勉強を進めている。ようやく調子が上がってきたようだ。さっきまでのぐだぐだ度合いは何だったのかと思える程に集中している。それ程までにご褒美が欲しいのだろうか。だとすればこのまま頑張って欲しいものだが、どこかで集中力を切らしてまた勉強を嫌がる可能性は十分にあり得る話だ。
黙々と勉強している被身子の横顔を見ながら、癒々は音も立てず二つのカップをテーブルに置いて、それからソファに腰掛ける。と同時に、被身子が癒々を抱き寄せた。そのまま彼女は癒々の頭が膝上に乗るように左腕を動かし、けれども右手でシャーペンを動かし続ける。
横にならされてしまった癒々は、特に言葉を発することもなくされるがままだ。頭を撫でられたり、髪を弄られたりしても微動だにしない。
雄英受験まで、あと一ヶ月と二週間。癒々と被身子は勉強とチウチウの毎日を繰り返しながら、
……。
………。
…………。
時間の流れとは早いもので、何かに集中して取り組んでいるとあっという間に月日が経過していく。やりたくもない勉強や公安の
昨年の春まで通っていた中学校の制服とダッフルコートを身に纏い、渡我被身子は雄英高等学校の入試を受ける。正直なところ、気分が悪い。冬の寒さに身を裂かれて体調を崩したわけじゃない。確かな不安を感じているからだ。
被身子の準備期間は短かったし、そもそも学校なんて行きたくない。でも、癒々のわがままを聞き入れたからには二人で一緒に雄英に通いたい。もし不合格だったら、癒々は自分に失望するのだろうか。一緒に学校に行けないことを悲しむのだろうか。そう考えると酷い緊張感が湧いて出て来て、まったく途切れてくれない。
癒々を悲しませるようなことは、したくない。嫌われたくない。離れたくない。そんな思いばかりが溢れ出て来て、悪いことばかり考えてしまって、知らず知らずの内に呼吸が乱れる。頑張って勉強して来た事が、全部頭から抜け落ちてしまいそうになっている。
「大丈夫。わたしも被身子も受かるから」
直ぐ隣に立っている癒々が、被身子の背中を軽く叩いた。何の根拠があってそんな言葉を発するのだろう。彼女達がこれから受けるのは、受験最難関とされるヒーロー科だ。入試倍率は例年300を超えている。今年の一般入試定員は38名だ。今日まで被身子は頑張って勉強して来たけれど、雄英は四十五日程度の努力で入学出来る学校ではない。
だと言うのに、癒々は大丈夫と励ましの言葉を掛ける。本当に、何の根拠があって言っているのだろうか。
「行こ。大丈夫だから」
被身子の内心を分かっているのかいないのか。癒々は被身子の手を引いて、軽い足取りで歩き出す。周囲に沢山見える受験生のような緊張感はまるでない。今この場で、平然としているのは癒々だけだ。余程自信があるのか、落ちる可能性など微塵も考えていないのか。どちらにせよ、いつも通りの様子で居てくれることが今の被身子には少し頼もしく思える。
癒々に手を引かれるまま、被身子は昇降口を通って校舎の中へ。学校に足を踏み入れるのは、本当に久しぶりのことだ。雄英高等学校は入り口からして他の学校とはまるで違う。ここは歴史ある学舎の筈なのに、壁も床も天井も、そして下駄箱すらも真新しい。まるでつい最近建て終わったかのように綺麗なのだ。汚れなんてものは塵ひとつなく、経年劣化すら見当たらない。
「……ところで、どこに行くの?」
昇降口でローファーを脱いだ癒々が、首を傾げた。今日の彼女はジャンパースカートの上にダッフルコートを着ていて、受験に来た中学生と言うよりは制服を着た小学生のように見える。そして行き先をまるで分かっていない。何で被身子の手を引いて歩き出したのだろう。彼女の考えていることはどうにも分からないのだが、特に今日は輪にかけて分からない。
「分かってないのに進んでたの……?」
「学校、入るの初めて」
「……ええっと、確かプリントに書いてあったような……」
筆記具や入試に必要な物が詰め込まれた学生鞄から、被身子は一枚のプリント……入試要項を取り出した。雄英に受験願書を郵送した翌日、雄英から送られて来た封筒に入っていたものだ。記されていることはそんなに多くはなく、大部分は校舎に入った際の行き先と持参する持ち物、それから入試当日のスケジュールで埋められている。
今一度プリントの内容に目を通すと、二人の行き先は講堂だった。周りを見渡すと、他の受験生がプリントに書かれた地図通りに進んでいるのが見受けられる。
「……あっちです。行こ」
マイペースな癒々に当てられて、少しは緊張感が解れたようだ。今度は被身子が癒々の手を引く形で、二人は歩き始めた。
これから彼女達は入試を受ける。結果がどうなるかは分からないけれど、取り敢えず被身子はやれるだけの事はするつもりだ。癒々は相変わらずの態度なので、入試なんて「どうでも良い」とか思っているかもしれないが。
■
一万二千人オーバーが入る馬鹿デカい講堂でボイスヒーロー『プレゼント・マイク』によって行われた実技試験プレゼンは、非常に喧しいものだった。その後、受験生はそれぞれが別の会場に赴くことになり、癒々は被身子と別れてB会場へと向かう。別れ際、癒々は鞄の中から自分の血液を詰めた冷たい小瓶を被身子に渡した。困ったらこれでわたしに変身して。とだけ言い残して。
癒々がB会場前に到着すると、彼女を待っていたのは高いフェンスに囲まれた市街地だった。無人とは言え、わざわざ試験の為にひとつの街を学校敷地内に作ってしまうのだから雄英はとんでもない。他の受験生達はスケールの大きさに圧倒されて各々の感想を溢していたが、癒々だけは無表情のまま無言である。黄金色の瞳は、既に市街地を注意深く観察しているようだ。近くには見覚えのある少年、緑谷出久が居るのだが、意にも留めない。彼の方は、緊張のあまり癒々に気付いていない。
『ハイ、スタートー!』
何とも気の抜けた掛け声が、どこからか聞こえてきた。声の主はプレゼント・マイクなので、どこかの高台から個性を使って受験者諸君に話し掛けているのだろう。彼が突然の合図を出すと同時、癒々は誰よりも早くその場から市街地に向かって跳躍した。その際、彼女の周りに居た何人かが砂ぼこりを被る羽目に。個性『大活性』により強化された身体能力は、人の域を超えつつある。オールマイト程の高さや速度は出ないけれど、それでもイカれた跳躍であることに違いは無い。
今日、七躬治癒々は本気で個性を使用する。雄英に、確実に入るために。
『どうしたぁ!? 実戦じゃカウントなんざねぇんだよ!! 走れ走れぇ!!!』
ボイスヒーローの叱咤激励により、癒々を除いた受験生達が慌てて走り出す。一足先に試験会場入りした癒々は、宙に浮いたまま地上を見下ろす。小さな物音ひとつ聞き逃さないよう耳を澄ましながら、僅かな異変すら察知出来るよう嗅覚を使いながら。
跳躍から約五秒後。彼女はたまたま着地地点に居たロボット……つまり仮想ヴィランを踵で踏み潰した。その衝撃の余波が凄まじかったのか、周囲に居たロボットも軒並み破壊される。散り散りになっていく部品が、音を立てて地面に散らばっていく。
開幕のぶちかましにより、三機のロボが瞬殺ならぬ瞬壊で動かなくなった。実技試験の時間は僅か十分。とは言え開始五秒程で、癒々は3ポイントを獲得。まだまだ試験は始まったばかりで、彼女からすれば時間はたっぷり残っている。
癒々はもう一度跳躍し、建物の屋根を踏み台にしながら街の奥へと進んでいく。途中でとてつもなく大きなロボットがビルの影に隠れていることに気付いたが、そちらは無視。試験開始から七秒で、彼女は市街地の中心部、その上空に到着。
そこには、数えるのも馬鹿らしくなるくらいの数のロボット達が居た。
雄英側からすれば、街の中心部にロボを配置することで街中隅々にまでポイントを行き渡らせるつもりだったのだろう。まさか七秒で中心部まで到達する受験生が居るとは想定していなかったようだ。だがこれを雄英側の怠慢と言えるかは怪しいところである。
七躬治癒々は、公安の特別教育プログラムを受けている。その中で、運動と個性鍛練はしっかりとやっていた。運動には対ヴィラン想定の様々な演習も含まれている。だから、つまり。
彼女の戦闘能力は受験生の中で最もズバ抜けているのだ。
「全部倒しちゃっても良いかな……」
地面に向かって落下しながら、彼女は呟く。着地地点には多数のロボ。その全てが空中に居る癒々を捕捉している。
だけどそんな事は、七躬治癒々にはどうでも良い事だった。
一方、その頃。
C会場に居る制服姿の被身子は早速困っていた。実技試験の内容は仮想ヴィランを倒すこと。しかし彼女の個性は『変身』であり、その力は自分以外の何かや誰かに影響を及ぼすものではない。持ち込みは自由なので、少しは使い慣れた得物である刃物……今回は公安に用意して貰った小振りのナイフを一応ポケットの中に忍ばせてある。しかし相手がロボットである以上、刃物だけでどうこう出来るとは思えない。
このままでは、何も出来ずに終わってしまう。ヴィランとの戦い方なんて知らないし、癒々のように公安から色々と教え込まれているわけでもない。残り時間はあと九分と少し。被身子は取り敢えず路地裏に隠れているが、何をどうしたら良いのか分からず動くことが出来ない。
「……これ、癒々ちゃんの血……だよね?」
被身子がポケットから取り出したのは、癒々から渡された冷たい瓶だ。中には血液が入っている。困ったらこれを飲んでわたしに変身してと彼女は言っていた。しかし変身したところで、姿形が癒々になるだけ。彼女のように戦えるわけじゃない。
それでも。被身子は迷うことなく瓶を開ける。中に入った冷たい血を一息に飲み込み、個性を使う。
「く、ぁ……っっ!?」
その時。体の中心が燃えているかのように熱くなった。同時に酷い頭痛に見舞われて、被身子は思わず壁に体を預ける。毒でも盛られていたんじゃないかと考えてしまう程、胸が苦しい。頭の中を直接叩かれているかのような頭痛が止まない。
「あ゛っ、ぅう……っっ?!」
自分の体を抱き締めて、癒々となった被身子は膝を突く。
体が熱い。今すぐ冷水に飛び込むか、氷漬けになりたいぐらいに。
頭が痛い。目は双眼鏡でも覗いてるかのように見え過ぎる。
耳は遠く離れたところで起きた小さな音を聞き逃さない。直ぐ近くで起きた音がうるさすぎて、鼓膜が破けそうだ。
鼻は色んな匂いを一遍に嗅いでいるのに、匂いのひとつひとつが何なのかはっきりと捉えている。
苦しくて。苦しくて苦しくて苦しくて。
痛くて。痛くて痛くて痛くて痛くて。
だから被身子は地面に向かって拳を振り下ろす。そして次の瞬間、彼女の足元が大きくひび割れた。と、同時に頭痛が治まり始め、体の熱が下がり始める。気が付けば苦しさは無くなって、代わりに感じるのは全身を駆け回る優しい温もりのような何か。直ぐに彼女は気付いた。自分の中に満ちているこの力が、何であるのかを。
「……これ、癒々ちゃんの個性……?」
それは、変身が成長したことによって起きた事なのか。それとも癒々の血がもたらした作用なのか。どちらなのかは分からない。どちらでも無いのかもしれない。だけどもし、体の内に巡るこの力が癒々の個性だったのなら。彼女の個性を、扱えるのなら。
「これなら……」
渡我被身子の実技試験は、まだ終わらない。むしろこれから、始まるのだ。
癒々ノ血、乱用、ダメ絶対。
用法用量、守ロウネ。