わたしのヒーローアカデミア 作:Plot Must Die
春。それは高校生活の始まり。
今年も桜が咲き、誰もが新たなスタートを切る四月。今日、雄英高校に入学する渡我被身子と七躬治癒々は朝六時に目覚まし時計が鳴るようにセットしていた。昨晩、二人がお互いを抱き締め合いながら眠ったのは五時間前。明日は入学式があるからという事で程々にチウチウしたりされたりするつもりだったのだが、ちょっと盛り上がってしまって結局夜中の一時まで起きてしまっていた。
被身子が家族と絶縁させられ、戸籍上は親類縁者を全て喪失し、癒々に突然のプロポーズをされたあの日から、だいたい三週間程が経過している。
彼女達の関係は、特に変わっていない。
あの日のプロポーズは、一旦無かったことになった。癒々が『結婚』が何を意味するのかいまいち理解していなかったからだ。彼女は被身子に説明を求められた時「わたしと被身子が家族になるってことでしょ?」と首を傾げながら言い放ったのである。まぁ大きく間違ってはいないのだが、はっきりと間違えてはいる。仕方無いから被身子が結婚とは何であるのか一から説明し、その上で同性が結婚するのは別に不可能じゃないけれど難しいってことを伝えた。被身子の説明が理解し切れなかったのか、癒々は首を傾げて不思議そうにしていたが。
まぁとにかく、二人の関係は大きく変化していない。妻になったとか嫁になったとか、これを機にお付き合いから始めたとか、そんな事は何一つ無い。ただそれでも、前よりも彼女達の距離が近付いたのは本当の事である。
被身子の両親は親権を放棄し、名前を変えて海外へと移住した。資金や移住先の仕事を公安が用意する代わりに、渡我被身子と言う存在を忘れて暮らす。この取引を誰にも話さないという条件で、だ。
だからもう、被身子は家族に会えない。もう他人になってしまった。彼女からすれば、それ自体は悲観すべき事じゃない。せいせいしているぐらいだ。それにこれで、本当に癒々と二人で暮らしていける。左腕の可愛くないブレスレットは外して貰えないけれど、行きたくない学校にも行かなきゃならないけれど、保護者やら何やらを気にすることなく癒々と同居出来るならそれで良いと被身子は思っている。
「んん……おはよ……」
パジャマ姿のまだ寝足りない癒々が、目蓋をまったく開いていない状態で洗面所からダイニングに戻って来た。ここ最近の彼女は、朝になるとほぼ寝ている状態で髪を切る。前髪も後ろ髪もざっくり切り落として、それでもまだまだ長い髪を揺らしながら一日を過ごす。個性の影響で就寝中に髪が伸びきってしまうものだから、癒々は毎朝大変だ。
「おはよう癒々ちゃん。朝ご飯出来てるよ」
ダイニングで朝食の準備をしていた被身子は、既に雄英の制服姿だ。ブラウスの上にグレーのブレザー、そして緑のスカートに黒ストッキング。ネクタイはまだ首に引っ掛けているだけだが、その内ちゃんと締めるのだろう。広々としたテーブルの上には、何枚ものトーストが乗った白い大皿。それから野菜ジュースがなみなみ注がれたグラスと紙パックのヨーグルトジュースが置いてある。最近、被身子はこのくらいの簡単な朝食を少し早起きして用意するようになった。癒々にはちゃんと朝食を取らせないと、昼食や夕食が大変な事になると学んだからだ。
「んー……ありがと……。いただきます……」
「どういたしまして。いただきます」
テーブルに着いた二人は、のんびりと朝ごはんを食べ始める。癒々の目蓋はまだ開ききっていない。それでも彼女は焼いただけの食パンをちびちびと口の中に放り込んでいく。対面の席に座る被身子の朝食は、グラスに半分程注がれた野菜ジュースのみ。昨晩たらふくチウチウしたので、食欲は全く無い。
まだ朝の六時半にもなっていないが、通学時間を考えると遅くとも七時過ぎには家を出ておきたい。となると実はそんなに時間は無いのだが、まだ彼女達はゆっくりしているつもりのようだ。
「癒々ちゃん、学校は楽しみ?」
「んー……別に……? 被身子は?」
「あんまり。でもクラスが一緒だと良いね」
朝食を食べつつ、二人は他愛ない会話を広げていく。癒々も被身子も、別に学園生活を楽しみにしているわけではない。癒々はオールマイトの役に立つ為に雄英に行くのであって、ヒーローになりたいわけじゃない。被身子もヒーローに興味は無いが、癒々にお願いされたから雄英を受験した。まさか受かるとは思っていなかったのだけれど。
何はともあれ、今日から彼女達は雄英高校のヒーロー科で様々な事を学んでいくことになる。出来れば二人一緒のクラスが良いと、被身子は思っている。これで癒々とは違うクラスだったら、気分的には最悪の一方だ。
「わたしも被身子もA組だよ?」
「えっ、何で知ってるんですか?」
「昨日
「何であの人が知ってるんですか……? まさか雄英の中にまで入ってくるなんてことは、無いよね?」
「さぁ? 知らない」
実は被身子と癒々のクラスはA組で決まっている。本来なら昇降口前に張り出される掲示物を見なければ分からない情報を、何故か大独活は知っていたようだ。疑問は残るけれど、癒々と同じクラスであることを先に知れて被身子は少し安堵した。
「友達、出来ると良いね」
「友達、必要?」
「どうせ行くなら、友達を作った方がきっと楽しいです。折角学校に行くんだから」
「んー……どうでも良い……」
友達を作ることに然したる興味を持たない癒々である。公安からしたら友達を沢山作ってコミュニケーション能力を獲得して欲しいところなのだが、三年間雄英に通ったとして彼女が人とコミュニケーションを取れるようになるか早速怪しくなってきた。
「食べ終わったら制服着ようねえ。癒々ちゃんが制服着たら、きっとカァイイです」
「制服嫌い。動きにくい」
癒々のちゃんとした制服姿をこれから見れると考えたら、ちょっとテンションが上がってしまう被身子である。もっとも、癒々自身は制服を着たいとは思っていないようだ。彼女はオーバーサイズの服を着ることを好む傾向があるので、きっちりした格好をするのは窮屈なのだろう。現に今着ているパジャマはサイズが大きすぎて袖に手が隠れてしまっているし、下には何も穿いていない。
これからの学生生活の中で制服を着ることに慣れてくれれば良いのだが、どうなることやら。
「……ごちそうさま。制服どこだっけ?」
「ソファの上です。ちゃんと着てね?」
「んー……ネクタイ嫌い……」
朝食を食べ終えて、癒々は渋々と学校へ向かう準備を進める。十分後、制服姿になった彼女はそれはもうネクタイを締めることを嫌がったので、被身子は少し手を焼かれてしまうのであった。
■
バスを使って二十分。癒々と被身子は雄英高校にやって来た。今日は入学式であり、見知らぬクラスメートと顔を合わせる初日である。既にネクタイを緩めている癒々は被身子の腕に抱き付いたまま、広々とした校門を通り抜ける。これまた大きな昇降口で上履きに履き替えて、廊下を進み今日からお世話になる教室へと向かっていく。
これから新しい学校生活が始まると言うことで、廊下には浮き足立ってる新入生だったり緊張で固まっている新入生がちらほらと見受けられる。癒々は全く緊張していないし、別に浮き足立ってる様子もない。ただ本当に制服を着ていることが窮屈のようで、隙あらばブラウスのボタンを緩めようとする。その度に被身子は癒々を止める。最初はネクタイも締め直そうとしていたが、バスの中で何度も緩めるのでネクタイについては諦めたようだ。
昇降口から歩くこと数分足らず。彼女達は目的の教室に辿り着いた。1-Aと書かれた扉はあまりにも大きく、そんなに大きい必要がどこにあるのか設計者に聞きたいぐらいだ。既に教室の中には何人かの生徒が居るようで、廊下まで喋り声が届いている。
「あ、来た来た! 噂の一般入試トップの子!」
「えっ、ちっちゃい。あの子がトップってマジ……?」
「皆さん、見世物にするのは失礼かと思います」
大きな扉を開いた瞬間、教壇の前に集まっている女子グループが一斉に癒々に向かって視線を飛ばす。同時に、教室に居る生徒全員もそれに便乗。いきなり好奇の目に晒されてしまった。が、やはり周囲の反応などどうでも良いらしい。特に気にすることなく、被身子の腕を抱いたままで教室に足を踏み入れた。
「ねえ! ねえねえ! 入試トップの子だよね!? これからよろしく!」
教室に入るなり、我先にと癒々に声を掛けたのは宙に浮いた女子制服だった。顔が見えなけれ制服から伸びている筈の手足も見えない。パッと見は服が独りでに動いて喋っているかのようだが、実際はそうじゃない。顔も体も見えないだけで、そこには確かに女子生徒が居る。そう、彼女は透明人間なのである。そして非常に明るい性格をしているようだ。
個性とは多種多様なもの。透明人間が世の中に存在していても何ら不思議なものではない。とは言え初めて直接見る透明人間の姿は不思議に思えるものである。他者に関心を抱かない癒々でも、透明人間には視線が釘付けになった。
「んー……」
目を細め、耳を澄まし、匂いを嗅ぐ。意識を透明なクラスメートに向けること数秒。被身子の腕から離れた癒々は、目の前の少女に向かって手を伸ばす。そして何も見えない透明な顔を遠慮無く両手で挟み込み、とんでもない事を口にした。
「ん。見えた」
「えっ!?」
見えた。とは、どういうことか。見ることが出来ないのが透明。透明になれる個性を持っているのが目の前のクラスメート。不可視の存在を前にして、癒々は見えたと言い切った。これまでの人生の中で誰かに見られたことの無い少女は、驚きのあまり大きな声を出してしまう。
「み、見えるの? 私、透明人間だよ!?」
「ちょっとだけ。貴女以外の物が全部見えてるから、逆に見える」
「ちょっと見えた……!? 逆に見えるって何……!?」
顔を両手で挟み込まれたまま、透明少女はひたすらに驚く。むしろ驚くしかない。今癒々が発した言葉は正直意味不明の部類で、他の誰もが理解出来ていない。ただ彼女の中では、見えた理由がそれなりに有るのだろう。全く説明しようとしないから、彼女だけにしか分からない理由となっているのだが。
見えたことで透明クラスメートへの興味が失せたのか、癒々は再び被身子の腕にしっかりと抱き付く。離すつもりはないと言いたげだ。そんな彼女に、被身子は小さな声で耳打ちをする。
「本当に見えたの……? どう見ても見えないと思うけど……」
「んー。説明が面倒……」
突拍子も無いことを口走り、その上で説明を面倒くさがる癒々である。相変わらずのマイペースぶりをクラスメートとの顔合わせ早々に発揮した彼女は、教室全体をぐるりと見回し、一度深く息を吸い込むことで匂いを嗅いだ。何の意図があってそんな真似をしたのかはさっぱり分からないが、何か意味があってのことだろう。癒々の中では何かしらの理由があるのだ。多分、恐らくきっと。
「あ、そうだ! 私は葉隠透! 二人は何て言うの!?」
「……? どうでも良い」
「えっ、ドウデモイイ……さん……?」
透明少女の葉隠ちゃん。癒々に自己紹介を求めたのは大きな間違いである。何せ彼女は自分の名前を適当に指差して決めるような人間だ。自分の名前にも他人の名前にも、実はあんまり興味が無い。たった今された葉隠の自己紹介もちゃんと記憶しているか大変怪しい。それに、癒々が初対面の人間に愛想良く出来るなら、公安が彼女を雄英に入れようとはしなかっただろう。
「ええっと、この子は七躬治癒々ちゃんです。カァイイけど凄くマイペースなので、取り扱い注意なのです……。私は、渡我被身子。よろしくね葉隠さん」
「あ、うん! よろしく渡我ちゃん! あ、渡我ちゃんって呼んでも良い?」
「はい。じゃあ私も透ちゃんって呼びますね」
「いやー、いきなり名前呼びは照れるなーっ」
コミュ障な同居人のしでかしを、早速被身子はフォローした。せざるを得なかった。彼女は愛想笑いを顔面に張り付けて、癒々の紹介と自分の紹介をさらっと済ませる。いつもとは全く違う作り物の笑顔だけれど、聞き分けの良い子を演じることで周囲に馴染もうとしているようだ。
被身子の愛想笑いと自己紹介を切っ掛けに、今日からA組で学生生活を送る女子達が一斉に集まってきた。既に教室に居る女子は癒々と被身子を含めて七人。男子は十三人。教壇に置かれた席順には、二十二人分の名前が五十音順に記載されている。つまりあと二人はこの教室にやって来るのだが、まだ姿は見えていない。
「私は芦戸三奈! よろしくね二人共!」
「蛙吹梅雨よ。梅雨ちゃんと呼んで」
「ウチは耳郎響香。よろしく」
「八百万百ですわ」
「どうで、むぐむぐ……」
「はい、よろしくお願いします。えーっと、三奈ちゃんと梅雨ちゃんと響香ちゃんと百ちゃん」
二度目のどうでも良いが炸裂してしまう前に、被身子は癒々の口を両手で塞いだ。喋ることを禁じられてしまった癒々はもごもごしているが、残念ながら声を出すことは許されない。
放っておけば何を言い出すか分からない同居人を黙らせつつ、被身子は何とか挨拶を済ませる。四人からの自己紹介をしっかりと聞いて名前を覚えている辺り、学校での彼女は本当に聞き分けが良い。
「私思った事を何でも言っちゃうの被身子ちゃん。七躬治ちゃんて、去年まで小学生だったのかしら?」
長い長い黒髪と、大きな手のひらを持つ蛙っぽい少女の蛙吹が胸の内に湧いた疑問を真っ直ぐ口にした。彼女が首を傾げながら質問するのも無理は無い。癒々の身長はこのクラスの女子の中では最も低く、顔付きも体つきも幼く見える。だからとても高校一年生には見えないし、小学生と言われてもおかしくはない背格好をしているのだ。しかし実際に癒々は十五歳で、年齢で言うなら高校生で間違いない。
癒々の体に幼さが残っているのは、彼女の個性が原因だ。ただそれを説明するとなると、被身子には少し難しいものがある。癒々の個性の大まかな概要は知っていても、細かくは知らない。何がどう作用して、どんな理由で成長が遅れているか説明出来ないからだ。
「むぐむぐむぐ……」
「癒々ちゃんはこう見えて十五歳です。私も初めて知った時はちょっと信じられなかったですけど、確か個性のせいとかなんとか……」
「そうなのね」
「むぐ……」
まだ口を塞がれている癒々は何かを喋りたそうにしているが、残念ながら発声はままならない。口をもごもごさせるのがせいぜいだ。迂闊に手を離すと何かとんでもない事を言い出して周囲をドン引きさせかねないので、まだ被身子は癒々の口から両手を外さない。それでも女子一同からの質問責めはあれこれと続き、その全てを被身子が代弁する形で少しずつ親睦を深めていく。男子達が話し掛けて来ることはなく、男子は男子同士でぎゃあぎゃあと騒いでいる。
そんなこんなで初対面のA組女子達はお喋りを続けていると、まだ教室に顔を出していない残る二名の内、一人が教室に入ってきた。何やら緊張した面持ちの出久だった。癒々は彼の姿に真っ先に気付いたが、口を塞がれている上に被身子に抱き寄せられているので挨拶も出来ない。ただ彼の方に視線を向けただけだ。
「俺は私立聡明中学の……」
「聞いてたよ! あ……っと僕緑谷。よろしく飯田くん……」
ちょっと震えた声で、出久はクラスメートとの挨拶を済ませていく。彼の事を気にしている者はそう多くなく、一人は癒々で一人は机に足を乗せているツンツン爆発ヘアーの人相が悪い男子だ。ついさっき眼鏡の飯田とちょっと揉めていた。
「……あの子も同じクラスなんですね」
「むぐむぐ」
女子とのお喋りの隙間に、被身子はまた癒々に耳打ちをする。彼女も緑谷出久の事を知っている。会話をしたことはないし、本当に顔を知っているだけなのだが。ただ癒々と関わりがあることは知っているし、癒々の視線が出久の方に向いたことも気付いている。何なら小さな体が彼の方に行きたそうに傾いているので、どうしたものかと被身子は考え始めた。そして周囲と女の子達と会話しつつあれこれ考えていると、まだ姿を見せていなかった最後の一人がやって来て、予鈴が鳴った。
「お友達ごっこがしたいなら他所へ行け。ここは、ヒーロー科だぞ」
教室の出入り口前で、いつの間にか廊下に転がっていた寝袋がゆるゆると立ち上がる。ゼリー飲料を一口で吸い込みながら喋りだしたのは、外見などまるで気にしていない大人。今日から1年A組を担当する、相澤消太だった。