わたしのヒーローアカデミア 作:Plot Must Die
「緑谷くん。いっそ出たとこ勝負ってのは……どうです?」
あと数分もしない内に戦闘訓練が始まるのに、ヒーローチームはまだ作戦が決まりきっていなかった。お互いの個性についての説明は済ませてあるので、どんな作戦を立てるにしてもある程度の連携は取れるだろう。十五分と言う時間の中でどのように核爆弾(ハリボテ)を奪取、もしくはどんなプランでヴィランチームを捕縛するのかを考えなければならない。なのに、被身子が言ったことは突拍子も無い。どうしてこのタイミングで、一分一秒でも考える時間が欲しい時に「出たとこ勝負」を提案出来るのか、何の意図が有ってそんな事を口走るのか、出久も麗日も理解が及ばず固まってしまう。
「えっと、それはどういう……?」
「……ここでどんな作戦を立てても、多分癒々ちゃんが聞いてるから筒抜けになってしまうのです」
「えっ、聞こえてるの?」
「はい。個性を使ってたら、ですけど」
個性を使った癒々の聴力がどの程度のものなのか、被身子は何となくではあるが知っている。彼女は常日頃から片時も離れず癒々と行動しているのだ。故に癒々が何を考えて行動するのか、この場で誰よりも理解している。と言うよりは、癒々が何を考えて行動するか分からないから、備えることが出来ていると言った方が正しい。
今、被身子が言ったことは可能性のひとつでしかない。だけど、知っていれば備えておくことは一応出来る。
「えぇ……ズルだ。デクくん、カンニングって有りなのかな……?」
「……ズルいとは思うけど、駄目とは言われてない。事前の情報収集をするヴィランだっているだろうし、屋内のヴィランは賢しいってオールマイトも言ってたから……状況設定的には、有りなんじゃないかな……?」
「えぇー、嘘ー……。じゃあどんな作戦立てても、駄目ってことじゃん……」
作戦が筒抜けになってしまっているのなら、作戦を立てる意味が無い。癒々を通してヒーローチームの意図がヴィランチームに全て伝わってしまうなら、相手はまず間違いなく作戦の裏を突いてくるだろう。それを逆手に取ってた別の作戦を立てると言う手段も有るが、その場合は癒々の聴力の範囲外まで離れなければならない。そして、そんな時間は無い。
だからいっそ、出たとこ勝負をしようと被身子は提案したのだろう。こちらの作戦がバレてしまうなら、あれこれ相談したって仕方が無いのだ。
……とは言え、何の作戦も無しに挑むのは流石に難しいものがある。最低限の方針ぐらいは固めて、どうにか癒々に聞かれないように共有しておきたい。
考えることが多過ぎて、時間が足りない。このままでは本当に出たとこ勝負になってしまう。策も無しにヴィランチームを相手取ることを、出久はどうにかして避けたい。だけど結局、考えも作戦も纏まることは無くて。時間は迫る一方で。
こうなってしまったら、後はもう腹を括ることしか出来ないだろう。
「デクくん大丈夫? 凄い緊張してる……」
「……そう、だね。相手がかっちゃんだから……。飯田くんや七躬治さんもいるし。
ちょっと、だいぶ身構えちゃって」
「かっちゃんって、爆豪くんのことですか?」
「ああ……。何か凄いデクくんに突っ掛かってくる人……。あの人怖いよね」
「怖いと言うか、関わりたくないです。ああいう人と関わると、絶対ろくなことにならないので」
爆豪がどのような人間であるのか、それはもうA組全員が知っていることだ。粗暴で横柄、触れれば間違いなく大爆発を起こすタイプの危険物。個性把握テストの時は、何が気に食わなかったのか出久に突撃しようとしていた。相澤先生が止めてくれたから良かったものの、そうでなかったら出久はどんな目に遭っていたことやら。
あんな爆発的な人間に目を付けられたら、萎縮してしまうのも仕方無い。
「凄いんだよ。嫌なやつだけど……自信も体力も目標も個性も、僕なんかより何倍も凄いんだ。
でも、だから
例え訓練の場だとしても、彼はあの爆発問題児には負けたくないと言い切った。爆豪の嫌な所も、良い所も、出久だけは他の誰よりも知っているようだ。だからこそ今、勝つ為に挑もうとしている。勝率は、そんなに高くない。個性だけで言えば、ヴィランチームの方が圧倒的に戦闘向きだ。分の悪さは確実にある。
それでも、出久は挑むのだ。爆豪には負けたくないと言う意地が、心のどこかにしっかりと有るようだ。
「男のインネンってやつだね!?」
「え、いやそんなんじゃなくてっ。ごめん、僕の問題で麗日さんや渡我さんには関係無いのに……」
「あるよ! チームじゃん!! 頑張ろう!」
「〜〜〜っっ!!」
挑む決意を表明した出久に、麗日の真っ直ぐな言葉が突き刺さる。こうも同意的な意見が飛び出てくると彼は思わなかったようで、驚きと喜びが入り交じって感情が変に乱れてしまったようだ。そんな仲良しな二人を横目に、被身子は目の前の雑居ビルを見上げた。何かを探しているような目付きになっているのは、いつも一緒の癒々と離れているからだろうか。
(……何か、癒々ちゃんに会いたい……)
被身子が癒々と離れてから、そんなに時間は経っていない。なのに彼女の胸の内には、小さな寂しさが芽生え始めてしまっている。毎日欠かさず側に居る少女と、少し離れてしまっただけでこれだ。我ながら毒されていると彼女は思ったが、別に悪い気はしていないようで、被身子は困ったように微笑んだ。と、その時。
『屋内対人戦闘訓練、開始!!』
モニタールームに居るオールマイトから無線越しに号令が掛かった。作戦を立てることは出来なかったヒーローチームだが、それでも訓練は始まってしまった。これから三人はビルの中に潜入し、目的を達成しなければならない。途中、ヴィランチームの誰かと戦闘することになるだろう。建物の中に踏み入れば、その瞬間癒々に居場所を察知される可能性が高い。
故に、ここからはろくに喋ることも許されない。せめてハンドサインぐらいは決めておけば良かったと、出久は早速後悔し始める。麗日はここに来て緊張した表情になり、被身子は顔面に張り付けていた愛想笑いを消した。金色の瞳が見詰めているのは、建物の一番上。つまり、屋上だった。潜入向けの個性を持ってる彼女だからこそ思い浮かぶことがある。たった一ヶ月程度とは言え、癒々と出会う前は警察やヒーローに見付からないよう生きてきた彼女だからこそ、考えられる作戦がひとつだけあった。
「……麗日さん、私を浮かせて貰えますか……?」
出来る限りの小声で、被身子はチームの二人に耳打ちをする。癒々が相手なら、何を話すにしろ普通の声量で喋ることは許されない。小声での会話ですらリスクが生じる。それでも、言葉を使わず意志疎通をするのは難しい。多少のリスクが有ったとしても、チームの二人には自分の意図を話しておかなければならない。
「屋上から入ってみようと思います。麗日さんの個性なら、上から忍び込めますから」
「ぇ、でもそれ危ないよ……? 誰か居たりしたら、直ぐ捕まっちゃうかも……」
「……どうせ三人で居ても、私の個性じゃ戦闘の役には立てません。それなら潜入して、核爆弾の位置とか、ヴィランチームの配置を二人に伝えた方が良いと思うのです」
「それは、……そうかもしれないけど……」
被身子の作戦は、彼女の個性や麗日の個性を組み合わせた潜入だ。自分が戦闘では何の役に立てないことも分かってるからこそ、戦闘以外の方法でチームの役に立とうとしている。上手く行けばヴィランチームを一網打尽に出来るかもしれない。ただこれは、相手が屋上に居なければの話だ。誰か一人でも麗日の個性を警戒し、屋上で待ち構えていたらその瞬間に破綻してしまう。
それに、一人で潜入するのはどうしても危険が伴う。そのリスクを考えたら、麗日は直ぐに首を縦に振ることは出来ない。他の意見も欲しいのか、彼女は出久と目を合わせる。
「渡我さん、一人で行くのは危ないよ。その作戦なら、せめて麗日さんか僕と一緒に」
「……それだと、もし癒々ちゃんが屋上に居たら間違いなく二人とも捕まっちゃいます。大丈夫です。隠れんぼや鬼ごっこは、……少し得意なので。
それに、時間も無いですから」
出久や麗日が引き留めようとしても、被身子は言うことを聞きそうにない。訓練時間は十五分。この訓練はそもそもヒーローチームには不利な形で行われている。ここで立ち止まって話しているような時間は、あまり無いのだ。まして意見をぶつけ合って、喧嘩するような暇も無い。
「……、分かった。気を付けて。僕と麗日さんは、どこか別のところから潜入してみる。戦闘になったらなるべく敵を惹き付けて、渡我さんに意識が行かないようにするから」
「渡我さん、気を付けてね。怪我しちゃダメだよ?」
「はい。行ってきます」
二人に心配されながら、被身子は麗日の個性で無重力となり屋上に向かって跳躍する。体がふわふわと宙に浮く初めての感覚を不思議に思いながら、彼女の体は上へ上へと上がっていく。被身子は上昇しつつ下を見ると、もう出久と麗日はその場には居なかった。どこか別の場所から潜入しようと、動き始めたのだろう。
十秒も経たない内に、被身子の体はビルの屋上に到達する。彼女は転落防止用の柵を掴み、放っておけばどこまで飛んでいってしまう体を固定する。それから耳に挿した小型無線を使ってこの無重力状態を麗日に解除して貰い、なるべく音を立てないようにして着地。そして屋上を見渡すと、直ぐに誰かが居ることに気付く。慌ててその場にしゃがみ込み、柵に体を隠す。
屋上には、癒々が居た。呑気に欠伸をしながら、ボーッと空を見上げている。周囲に気を配っているのかいないのか、まるで分からない。
「……緑谷くん、麗日さん。屋上に癒々ちゃんが居ます。多分直ぐにバレちゃうかも……」
『分かった。こっちは二階の窓から潜入出来たよ。渡我さんは七躬治さんをやり過ごすか、駄目そうなら足止めを。出来る限りで良いから』
「……はい。やってみます」
出久からの指示に被身子は頷いたが、これからどう動けば良いのか全くわからない。言われた通りに癒々をやり過ごそうにも、直ぐに察知されてしまうだろう。かと言って、癒々の足止めをするのも難しい。彼女に見付かってしまったら、被身子に出来ることは何も無い。あっという間に捕らわれてしまうのがオチだ。
柵伝いに屋上の隅を移動しながら、それでも被身子は癒々から目を離さない。正直今すぐ抱き付きたい気持ちが有るのだろう。授業中じゃなければ彼女は間違いなくそうしていた。でも今は、そうも行かない。
被身子はヒーローを目指してはいないが、クラスメートの前で良い子を演じ続ける為に、ちゃんと訓練をしなければならない。爆豪のように周囲から目を付けられるのは、どうしても避けておきたいのだ。まぁ既に、雄英の生徒達に変な意味で目を付けられてしまっているのだが。
(……気付いてない? でも、そんな事は……)
出来る限り音を立てないように、静かにゆっくりと被身子は動く。目的は、彼女の対角線上にある出入り口。屋上の中心に癒々が陣取っている以上、真っ直ぐ下の階に向かうことは出来ない。このまま柵沿いに迂回して、出来ることなら気付かれないように階段へと通じる扉を開きたいところだ。
しかし、どんな些細な音でも癒々の耳は聞き逃さないだろう。それこそ音を消す個性でも持っていなければ、彼女の耳を誤魔化すことは難しい。とっくに被身子に気付いている筈だ。ならば何故、癒々は全く動かずにいるのか。その意図はさっぱり理解出来ない。
(そーっと、そーっと……)
気付かれてはいけない状況だが、それでも被身子は変に緊張することなく動き続ける。早く動くことは決して出来ない場面で、時間に焦る素振りも見せない。息を潜め足音ひとつ立てず、衣擦れもなるべく起こさないように注意しながら、ゆっくりじっくりと出入り口を目指す。勿論、柵越しに癒々を見て彼女の動きをチェックすることも忘れない。
静かに、焦ることなく動き続けること数分。被身子はようやく、出入り口の側まで移動することが出来た。潜入はここからが本番だ。音を立てずに柵を乗り越え、扉を開いてビルの中に入らなければならない。迂闊に音を立てたら、その瞬間癒々に見付かってしまう。そこから戦闘になってしまえば、勝ち目は絶対に無い。逃げることだって出来やしないだろう。柵を乗り越えるのは、最初の難関と言っても良い。
まだ動く気配を見せない癒々から目を離し、被身子は柵に手を掛け、ゆっくりと跨いでいく。程無くして彼女は柵の内側に静かに着地。音を一切立てずに済んだことに胸を撫で下ろし、再び意識を癒々に向ける。そして、中央を陣取る彼女と目が合ってしまった。
「……っ」
見付かってしまった。いや、最初から分かっていてここまで被身子の好きにさせていたのかもしれない。癒々の意図は相変わらず分からないままだけれど、見付かってしまった以上は何もしない訳には行かない。階段への道のりは僅か数メートル。急いで走れば、癒々が動き始める前にビルの中に逃げ込めるかもしれない。
これからどう動くか、被身子は一瞬考える。だがその一瞬の思考が、命取りとなった。彼女は癒々に見付かってしまった瞬間に、駆け出すべきだった。
次の瞬間。被身子の体は柵に叩き付けられて鈍い音を立てた。
「うぐっ……!?」
強い衝撃が背中を走る。視界が大きく揺れて、気が付けば体が倒れてしまっていた。息が苦しく、手足から力が抜けていく。どうしてこうなったのか理解も出来ぬまま、彼女はただ苦しむしかなかった。
いったい何が起きたのか被身子にはさっぱり分からない。だが端から見ていれば、事は単純だった。
空を見ていた癒々が後ろを振り向くと、そこには柵を乗り越えようとしている被身子が居た。だから癒々は、被身子を見付けるなり右腕を真っ直ぐ伸ばし親指で人差し指の爪先を強く押さえる。繰り出したのは、デコピンだ。本当にただのデコピン。本来なら指先が届く範囲でしか届かない、攻撃とも言えないような攻撃。だけどその動きに、個性『大活性』の力が加えられると全くの別物に変わってくる。
癒々が繰り出したのは、大活性によって膂力を大幅にブーストした状態でのデコピンだ。それは強い風圧を容易く引き起こし、その風圧の勢いは被身子の体を柵に激突させる程。そんな目に遭ってしまえば、体が動かなくなるのも当然だ。
「ぐ、ぅう……っ」
背中の痛みに悶えながら、何とかして立ち上がろうと被身子は手足に力を入れていく。顔を上げれば、癒々がゆっくり向かって来ていることが分かった。二人の距離は、徐々に縮まり始めている。このまま動かないで居たら、被身子は間違いなく捕縛される。今すぐ立ち上がって逃げ出すか、或いは立ち向かうか。選択肢はそう多くない。だから被身子は、まず口を開いた、
「今の、な……にっ?」
少しでも捕縛されるまでの時間を引き伸ばす為に、少しでも回復する時間を稼ぐ為に、被身子は癒々に向かって話し掛ける。すると近付きつつある彼女は足を止めて、わざわざ律儀に返答した。
「ただのデコピン。わたしがやれば人が飛ぶ」
「……っ、ほんと、癒々ちゃんの個性はとんでもないです……っ」
「オールマイトや出久と比べたら大したことない。それで、次はどうするの?」
「まずは、こうします……っ」
何とか立ち上がった被身子は、手首を覆うサポーターの中から筒状の短い棒を取り出す。それを強く振ると、先端から刃が飛び出した。彼女が手に持っているのは飛び出し式のナイフ。刃渡りはそこそこで、刃幅は広め。間違いなく人を刺し殺せる代物である。
吹き飛ばされた衝撃で乱れた息を少しずつ整えながら、ナイフを構える。戦う素振りを見せる被身子を見た癒々は、特に怯むことも臆する様子も見せず真っ直ぐ被身子に向かっていく。ナイフなど、癒々にとっては大した驚異ではないのだ。
「それで?」
易々とナイフが届く距離まで近付いた癒々が、首を傾げる。刃物を前に構えようともしない。それどころか、自分に向けられている刃先すら視界に入れていない。黄金色の瞳が見詰めるのは、直ぐ近くにある金色の瞳だけ。つまり、被身子の目を見詰めるだけでナイフを全く警戒していない。
「っ!」
あっという間に距離を詰められてしまった被身子は、手に持つナイフを真っ直ぐ突き出した。思い切り良く狙ったのは、喉だ。幾ら癒々でも、首を刺されそうになったら多少は怯むと思っての行動だろう。だが、その読みは間違っている。
癒々はナイフを一瞥することもなく、被身子の手首を掴んで刃先を止めた。そのまま流れるように手首を捻った。すると被身子の目に映る癒々の姿が、まっ逆さまに引っくり返る。また、鈍い衝撃が背中に走った。
「思い切りは良い。でも動きが単調」
「ぅ、く……っ! げほっ」
逆さまになった癒々を見上げながら、被身子は痛みに悶える。固い床に叩き付けられれば、人の体は無事じゃ済まない。場合によっては骨ぐらいは簡単に折れてしまう。苦しさと痛みで目に涙を溜めながら、それでも被身子はどうにかして立ち上がろうと体を動かす。が、手首を捻られたままでは立ち上がることなど出来やしない。むしろ、手首に走る痛みがどんどん増していく。
「それで、次はどうするの?」
「……っ、こうするって、言ったら……?」
癒々の目の前で、被身子は変身する。彼女の個性使用に反応して、着ているコスチュームも変身していく。一秒と掛からず、被身子は癒々になった。その意図は明白だ。これから、癒々から逃れる為に、もしくは癒々と戦う為に『大活性』を使う。個性を使った後は倒れてしまうかもしれないが、使わなければ一方的に捕らえられてしまう。少しでも時間を稼ぐ為には、それしか方法が無い。
「何もさせずに気絶させる。わたしの個性を使う暇は」
「 っ!」
癒々からの返答が全てなされる前に、被身子は
『大活性』を使おうと体に意識を集中させる。全身を余すところなく活性化させる為に、意識を頭のてっぺんから爪先まで張り巡らせる。そして。
「あぐっ!?」
癒々のデコピンが、眉間を打ち抜いた。凄まじい衝撃が脳を貫いて、被身子は視界が大きく歪んだ。平衡感覚は失われ、体は倒れているのにぐらぐらと揺れていると彼女は感じてしまう。起き上がろうにも、手足に力が入らない。視界の歪みは酷くなっていくばかりで、もう目の前に何があるのかも分からない。
「はい確保。ほら、変身解いて」
脳震盪が起きてしまった被身子は動くことも喋ることも出来ない。何一つ抵抗することも出来ずに、手首に確保テープを巻き付けられてしまう。気が付けば、変身は解けてしまっていた。
屋内対人戦闘訓練開始から、三分と十六秒。分かっていた事とは言え、被身子は何も出来ないまま癒々に捕縛されてしまった。
■
七躬治癒々の実力は、もはや学生の枠組みの中には収まらない。個性が強力過ぎる上に、公安の元で七ヶ月は訓練していた。つまり今回の屋内対人戦闘訓練は、彼女からすれば訓練にもならない。屋上でボーッと空を見上げていたのは、ヒーローチームに多少のハンデを与える為だ。癒々は勝手に訓練開始から三分だけ動かないと決めて、実際その通りにした。動かないでいる間に誰かが屋上を通り抜けようが、下から登ってきて防衛対象に触れようとしても、動くつもりは微塵も無かった。
読み通り被身子が屋上から潜入しようとやって来たのに、すぐに動かなかったのはそういう理由だ。つまりは舐めプ。しかしその舐めプの中ですら、動き出したら二十秒も経たない内に被身子を捕縛してしまった。制限時間は十五分。この調子だと残り三分まで動かないでも良かったかな、……何て考えながら、癒々は現在核爆弾(ハリボテ)の前で床にペタンと座り込み、膝上に乗せた被身子の頭を撫でている。
訓練開始から、既に六分以上が経過している。下の階からは時折爆発音が聞こえて来るので、爆豪が大暴れしているのだろう。
「さて……こんなものか。綺麗に片付いたな」
雑居ビル五階。その中央にある大部屋にヒーローチームが目指す
気絶した被身子を抱えてこの部屋に戻って来てからと言うもの、癒々は何もしようとしない。むしろ被身子に膝枕をしたまま寝ようとしているぐらいだ。既に目蓋が閉じているし、体はちょっとだけ船を漕いでいる。
「七躬治くん! 授業中に寝るのはいけない! こんな状況でも寝ようとするのはヴィランらしいが、せめて起きたまま取り組みたまえ!」
「んー……。だって被身子捕まえたから暇だし……。音を聞こうにも爆豪がうるさくて全然聞こえないし……」
爆豪が暴れると、その爆発音で癒々の聴覚は阻害されてしまう。外ならばまだ問題は無いのかもしれないが、ここは室内。戦闘音は響き易く、だから癒々は周りの音を聞こうとしていない。ヴィランチームがしっかりと連携を取れていたなら、ヒーローチームはもっと早い段階で全員捕縛されていただろう。しかしそうなっていないのは、偏に爆豪が暴走しているからだ。飯田や癒々と作戦を立てることもなく、一人で出久に向かって突進してしまっている。それを止めようにも聞く耳は持たないし、無線越しに何を話し掛けたとしても返ってくるのは暴言だけだ。
だから、ヒーローチームにはまだ勝機がある。既に被身子が捕らえられてしまっているが、付け入る隙が無いとはまだ言い切れない。
「……しかし、爆豪くんはナチュラルに悪いが今回の訓練に関しては的を射てるわけだ。七躬治さんもこんな調子だし、なら僕もヴィランに徹するべきか……そうだ」
飯田は飯田で癒々に注意したと思ったら、今度は何かをブツブツと呟きながら考え事に夢中になっている。自分本意で振る舞う人間の事をヴィランだと言うのなら、もうヴィランチームの三人は立派なヴィランと言っても良いのかもしれない。
まるで出久のようになっている飯田を放置し、何かに気付いた癒々は右目だけを開く。黄金色の瞳が見詰めるのは、この広い部屋の出入り口。爆発音が響く中でも、どうにか別の音を聞くことが出来たようだ。彼女はスンスンと匂いを嗅ぐ。そしてまた、目蓋を閉じた。
「俺はぁ……至極悪いぞぉお……!!」
ちょっと訳の分からない事を突然言い出した飯田である。その直後、どこからか息を噴き出した音が聞こえた。どうやら飯田の様子を見て気が緩んでしまった者が居るらしい。
「来たか麗日くん…! 君が一人で来ることは分かっていた。だから先程……
君対策で、このフロアの物は全て片付けておいたぞ! ぬかったなヒーロー!! フハハハハハ!!!」
飯田の笑い声が木霊する。ヴィランぽい演技が様になっているのは気のせいでは無いだろう。麗日対策もしっかりと機能しているので、彼女一人だけではこの状況を突破するのは厳しいかもしれない。せめてもの救いは、癒々が全く動こうとしないことだ。まだ目覚めぬ被身子の頭を撫でるばかりで、麗日に対して何かしようと言う意思はまるで感じられない。
「さぁヒーロー! 大人しく諦めたらどうだ? 君達の仲間は我々が捕らえた。彼女の命が惜しければ投降するが良い!」
「ぅ……、ど、どうしよう……」
まさかの人質作戦が始まった。ヴィランらしいと言えばヴィランらしい行動である。ヒーローチームである麗日としては、当然仲間を見捨てることは出来ない。どうにかして被身子を助け出したいところだが、相手が二人も居たらそれも難しいだろう。残り時間はもう半分を切っている。あまり悠長にしている場合ではない。
(せめて渡我さんが動いてくれれば……! 何で七躬治さんの膝枕で寝て……、いや、もしかして気絶してる!?)
「ちなみに渡我くんは気絶中だ。今は七躬治くんが介抱しているから、心配には及ばない。さぁ掛かってこいヒーロー! 残り時間は少ないぞ! ぐへへへ!」
真面目なのかヴィランなのか、それとも真面目なヴィランなのか。キャラが行方不明になっている飯田だが、得体の知れない圧力があるのも事実だ。すっかり役になりきっている彼は、両腕を広げてジリジリと麗日に近付いていく。その気になれば、今すぐにでも麗日を捕縛出来るだろう。しかしそうしないのにはちゃんと理由がある。万が一にでも麗日に触られてしまったら、その瞬間行動不能になってしまうことが分かっているからだ。
自分達が有利だと分かっていても、ちゃんと警戒しているのだから厄介この上無い。この状況を麗日一人で打破するのは、かなり難しい。
「……ぅ、んん……っ……」
「起きた? まだ寝てた方が良い」
「……私、どのくらい気絶して……?」
「五分ぐらい。動いたら駄目」
「頭が痛いです……」
「ごめん」
「……訓練だから良いですけど」
飯田と麗日がそうこうしている内に、被身子が意識を取り戻した。彼女は体を動かそうとしたが、癒々に頭を押さえられて起き上がることはままならない。まだ少しボーッとしてはいるが、取り敢えず状況を確認しようと被身子は寝たまま周囲を見渡す。すると、目標である核爆弾が直ぐ側にあることに気付く。咄嗟に手を伸ばそうとしたが、それも癒々に軽く押さえ込まれてしまった。体も起こせない、手も動かせない。無線からの指示を聞く以外で、被身子に出来ることは何もなさそうだ。
「大人しくしてて。また気絶させたくない」
「……はい。何も出来そうにないから、そうしてます」
「ん。良い子良い子」
「こ、子供扱いしないで……」
意識を取り戻した直後と言えど、動こうと思えば被身子は動ける。ここで癒々の膝上から逃げ出して、麗日に確保テープを外して貰えば二人で戦うことが出来るだろう。けれどその場合、また癒々を相手に戦わなくちゃならない。彼女一人だけでもどうしようもないのに、その上飯田まで居るとなると勝率は限り無く低い。
それに、捕縛を理由に癒々の膝枕を堪能することの方が被身子には魅力的に思えてしまう。真面目に訓練に参加した結果、一度は気絶させられてしまったのだから残り時間全てをサボっても誰にも咎められることは無い。そう考えると、一気に動く気力が無くなってきた被身子である。
……と、その時。盛大な爆発音と振動がビル全体を揺さぶった。同時に麗日が察するに爆豪が何かしでかしたらしい。飯田は慌てて爆豪に状況説明を求めるが、返答は何も無い。
『渡我さん、行くよっ』
爆発音と大きな振動が発生した直後、無線から麗日の声が聞こえる。彼女は飯田に向かって駆け出しており、どうやら真正面から突破するつもりらしい。わざわざ無線を使った理由は、癒々に動かれたくないから。被身子にどうにかして癒々の足止めをして欲しいからだ。
とは言え、事前に合図があったとしても現状被身子は動けない。動こうとしても、癒々に押さえ込まれてしまう。何か出来ることと言えば、喋ることぐらいだ。しかしどうやって、癒々の気を惹けば良いのか。話し掛ければ間違いなく返答はしてくれる。ついでに麗日の存在を忘れてくれれば都合が良い。
「……あっ。癒々ちゃん。そう言えば私、雄英に合格したご褒美を貰ってない……」
何を話し掛けるか少し考えた被身子が一月頃にした癒々との約束を、ふと思い出した。あれから三ヶ月程が経過している。彼女は見事雄英に合格したのだから、癒々から何かご褒美を貰う権利がある。ただまぁ、食と睡眠、そして被身子以外に大した関心を持たない彼女の事だ。すっかり約束を忘れてしまっていてもおかしくない。現に、被身子だって忘れていたぐらいだ。
「そうだっけ?」
案の定、約束なんて綺麗さっぱり忘れていた癒々である。彼女は閉じていた目蓋を開いて、じっと被身子の目を見詰め始めた。取り敢えず、意識を麗日から外すことは出来たようだ。それはそれとして、被身子の胸に不満が募る。約束を忘れられていたことにお冠だ。
「……今どうでも良いとか言われたら、ちょっと怒るのです。だからちゃんと、ご褒美ください」
癒々に子供扱いされるのも仕方無いような拗ね顔になりながら、被身子はご褒美をねだる。癒々の口癖みたいなものである「どうでも良い」は事前に封じた。これなら、ちゃんと答えてくれるだろう。自分勝手な彼女が何を言い出すかは分からないし、何をくれるかも分からない。それでも約束は約束だ。
「全部あげる」
「えっ」
また、癒々がとんでもないことを言い出した。ちょっと前の結婚発言と同じぐらいとんでもないことを、彼女は平然と口走る。癒々の気を惹くつもりだったのに、むしろ被身子の気が惹かれてしまっている。
「命以外は全部あげる。被身子になら」
「な……っ、ぇっ、ちょっ、何言って……っ!?」
「だから、被身子に全部あげる」
「聞き直してるんじゃないです。どういうつもりで言ってるのか聞いてるのっ」
「?」
本当に、癒々の意図はこれっぽっちも理解出来ない。何をどう考えたら、誰かに自分の存在を全てあげるなどと口走ることが出来るのか。彼女の突拍子もない発言により被身子は盛大に混乱したが、それでも麗日から意識を外させることは出来ただろう。ひとまず役割は果たせたと言って良い。代わりに大き過ぎる疑問が出来上がってしまったが。
「な、何ぃーーっっ!!」
「負担の大きい超必ですっ」
飯田が叫んだ。何事かと思った被身子が視線を向けると、麗日が宙に浮いて飯田を飛び越している姿が確認出来た。飛んだ彼女が真っ直ぐ向かうのは、回収目標である核爆弾。このままタッチすることが出来れば、その瞬間ヒーローチームの勝ちが確定する。
残念ながら、話はそう簡単に進まない。ハリボテの前には癒々が居るのだ。彼女は座り込んでいる上に被身子に膝枕をしているから急に立ち上がることは出来ない。と言うより、立ち上がる必要が無い。癒々には
「ぎゃっ!?」
無重力状態を解除して目標にタッチしようとした麗日が、悲鳴を上げて吹き飛んだ。真下からの風圧に当てられて天井に激突し、体が吹っ飛んだ理由も分からないまま床に落下した。
全身を強打してしまった彼女は痛みに呻いているものの、特に大きな怪我はしていないようだ。体を貫いた衝撃が強すぎて多少手足が動かし難いようだが、動けない程ではない。痛む体に鞭を打って、麗日は何とか立ち上がる。
「〜〜〜っ、今の、何っ!?」
「デコピン」
「デコピン……っ!?」
自分を吹き飛ばした何かが癒々のデコピンであることを知った麗日は、困惑しながらも飯田や癒々から距離を取る。二人に飛び掛かられて捕縛されてしまったら勝ち目が無くなってしまうからだ。
もっとも、距離を取ったところで何が出来るわけでもない。負担の大きい超必はあっさりと迎撃されてしまった。その上、何度も連発は出来ない。近接戦闘ではまず飯田には勝てない。彼の虚を突こうにも、後ろには癒々が控えている。戦況は不利。麗日一人なら、勝つことは出来ない。
そう。一人では勝てない。だから、ヒーローチームは三人で勝つ。
『行くぞ渡我さん!! 麗日さん!!!』
無線から、出久の叫び声が届く。合図を聞いた被身子と麗日は、同時に動き出した。
被身子は勢い良く体を起こし、癒々に向かって両腕を伸ばす。が、呆気なく腕を掴まれて床に叩きつけられた。今の被身子では、どんなに足掻いたとしても癒々を押さえ込むことは不可能だ。それが出来るなら、今回の訓練で劣勢を強いられることは無かった。
だから目的は、数秒、一秒でも良いから癒々の意識を麗日から外させること。
下の階から、得体の知れない轟音が響き出す。それは爆豪が起こしている爆発とは、まったくの別物。音の正体が何であるのか、飯田は床が弾け飛んだことで理解した。癒々はこうなることを事前に察知していたようで、即座に片耳を塞ぐ。
「ごめんね飯田くん! 七躬治さんっ! 即興必殺、彗星ホームラン!!」
真下から吹き上がる大小様々な形をした床の欠片を、衝撃によって引っこ抜けてしまった柱を振り回すことで打ち払う。上へ上へと吹き飛ぶ筈だった砕けた建材が、柱に叩かれることで別の方向へと飛んでいく。
「ホームランではなくないかぁあああ!!?」
実際ホームランではない。ただの瓦礫の弾幕だ。飯田は一瞬
「っ!!」
体の痛みを引きずって、どうにか被身子は再び癒々に手を伸ばす。左腕を伸ばすと、左の脇腹が酷く痛んだ。それでも、歯を食い縛って癒々の腕を掴んだ。
そして。
『ヒーローチーム! WIIIIN!!!』
オールマイトの号令が響き渡る。結果はヴィランチームの敗北、そしてヒーローチームの勝利で終わったのだった。