わたしのヒーローアカデミア 作:Plot Must Die
デートが始まった。色違いの、だけどお揃いの服を着た被身子と癒々は、すれ違う人々の目を奪いながら木椰区のショッピングモールにやって来ている。県内最多店舗数を誇る商業施設なだけあって、平日でもかなりの混み具合だ。人混みに流されて離れ離れになってしまうなんてことは無いだろうが、それでも念の為に被身子は癒々の手を握り直す。彼女達は互いに連絡を取る手段を持っていない。なので万が一にでも離れてしまったら、最悪迷子センターに駆け込む羽目になる。今日はサボってるとは言え高校生なのだから、そんな事態は避けたい。
今日のデートプランは、まず服を買うこと。どうやら癒々に可愛らしい格好をさせてしまったことで、もっとお洒落させたいなんて欲が被身子の思考を支配したせいだ。
服を買い終えたら昼食を済ませ、映画に向かう予定となっている。これは癒々のリクエストだ。映画と言うものは知識として知っている彼女だけど、実際に観たことも映画館に入ったことも無い。だから行ってみることになった。
ショッピングと映画が終わった後は、最後に海を見に行く。当人は喪った記憶に拘りが無いようだが、被身子としては取り戻せるのなら取り戻した方が良いと思っている。だから、癒々が好きな海を見に行くことにした。もしかしたら記憶を取り戻す切っ掛けになるかもしれない。何の手掛かりにもならない可能性は高いが、その時はその時だ。
「んふふっ。良いなぁ、こうして学校サボってデートするの!」
軽い足取りで癒々の手を引っ張りながら歩く被身子は、とてもご機嫌だ。このままスキップでもしそうなぐらい、歌でも歌い出しそうなぐらいとってもご機嫌である。手を引かれている癒々は、されるがままに振り回されているようだ。
人混みに巻き込まれ過ぎないよう、人にぶつからないよう二人はお目当ての店舗に向かって歩いていく。大型ショッピングモールと言うこともあって、ブティックやアパレルショップは幾つもある。夜までに帰宅するとなると片っ端から回るような時間は時間は無いが、数店舗ぐらいは覗くことが出来るだろう。
「カァイイ服、沢山買おうねえ。試着もいっぱいして、それからアクセも!」
「んー。あんまり買うと公安がうるさそう」
「良いじゃないですか、怒らせとけば。公安なんて今はどーでも良いのです」
「そうだね。どーでも良い」
二人の生活費は、公安から毎月支給されている。高校生の二人暮らしが使い切るには大分難しいぐらいにだ。なので、お金の心配は何もない。何なら毎日贅沢に遊び歩いていても、何の問題も無い。日本の将来、及び安寧を考えたら金も人材も惜しまず癒々の為に使うべきだからだ。
ただ、公安は子供に大金を持たせるとどうなるのか、少しくらいは考えた方が良かったかもしれない。
人通りばかりの広い通路を歩き、エスカレーターに乗り、また広い通路を歩くこと数分。お揃いコーデの彼女達は、店頭に可愛らしいワンピースが展示されているブティックに足を踏み入れた。
二人が店内に入るなり、にこやかな店員が現れて被身子とあれやこれやと話し始める。癒々は被身子に手を握られたまま、何となく店内を見渡した。どこもかしこも服が置いてある光景が不思議なのか、首を傾げている。
「癒々ちゃん、あっちでこれ試着して欲しいです」
もう楽しくて楽しくて仕方がない被身子に話し掛けられた癒々が目にしたのは、それはもう大量の衣服を抱えた店員の姿である。前が見えていないんじゃない勝手ぐらい服を積み重ねているのは、被身子が「ここからここまで、全部試着させてください」と棚の端から端まで指差したせいだ。
そんなこんなで、第二回・癒々にどんな服を着させるかコンテストが始まった。参加者は被身子ひとりのみ。何なら勝敗を決めるのも被身子である。残念なことだが、ここから癒々が一息吐くような時間は全く無い。被身子が少しでも気になった服を、全部試着しなければならないのだ。金色の瞳が、静かに燃えているのは多分気のせいじゃない。尚、第一回目は昨年夏に開催されている。
前が見えているのか定かではない店員に案内され、癒々は試着室に入る。被身子は別の商品を物色し始めたようだ。
「これ、どう脱ぐの?」
「お客様、良ければお手伝いしましょうか?」
「んー……。よろしく」
「はい。では失礼します」
自分が着ている服の着方どころか、脱ぎ方すら癒々は全く理解していないようだ。最近は服を着ることすら被身子に任せきってしまっているので、着衣も脱衣も自分の手を使うことが殆ど無い。癒々を甘やかすのは被身子の勝手だけれど、少し自重しないと癒々はどんどん駄目人間になってしまうだろう。まぁ、もう既にその片鱗が見え隠れしているから今更気を付けたところで手遅れかもしれないのだが。
そんなこんなで、癒々は店員に服を脱がして貰うことになった。仕方無いと言えば仕方無いのかもしれないが、それでも被身子は気を付けるべきだった。癒々の服を脱がすのは、彼女がやるべきだった。何故なら、今癒々の首には噛み痕が残っている。今朝のじゃれ合いの証が、まだうっすらと残ってしまっているのだ。何も知らない他人が噛み痕を見て目を丸くしたり、余計な邪推をしてしまうのは仕方無い。
一方その頃。被身子は癒々にどんな服を着せようか楽しくて頭を悩ませていた。少しでも目に付いた物はその場で広げて、想像の中の癒々に着せる。そして似合うだろうと判断した物は覚えておいて、また次の服を漁り始める。可愛くお洒落した癒々の姿は、どんなものでも見たいのが今の被身子だ。いつ満足するのかは分からないが、少なくとも当面はこの店で服を選び続けるのだろう。
「ねえねえ」
「なーに癒々ちゃん。あ、もう着替え終わった?」
「違うよお姉ちゃん。わたしは癒々ちゃんじゃない」
「……何言ってるんですか? 癒々ちゃんは癒々ちゃんで……、えっ?」
癒々が突拍子もないことを口走るのはまま有ることなので、今日も何か企んでいるのだろうと思って取り敢えずスルーした被身子だったが、声の方向に振り返った瞬間驚くことになった。
振り返った時彼女が目撃したのは、癒々だった。いや、よく見れば所々が違う。服装は勿論だが、背丈や髪の分け目、何より同じ色の筈の瞳に冷たい光が宿っている。髪の色も、癒々と比べればほんのり暗い。白ではあるが、ほんの僅かに灰色に寄った白なのだ。なのに声だけは、被身子が癒々と思って受け答えする程にそっくりで。
黒いセーラーワンピを着ている癒々のような少女を前に、被身子は唾を飲み込む。カァイイからじゃない。少女の姿を認識した瞬間から、異常な寒気が背筋を凍らせたからだ。気が付けば腕に鳥肌が立っていて、次第に息が浅くなる。指一本でも動かせば殺されてしまうのではないかと思ってしまう程の圧迫感が、店内を埋め尽くす。
それは、悪党が、犯罪者が、ヴィランがヒーローに向けるもの。世間に放つもの。人々を恐れさせるもの。
少女が放つものは、紛れもない殺気だった。
「……っ、誰……ですか……?」
「わたしね、人を探してるんだけどね? お姉ちゃん何か知らない? ふふっ、知ってるよねぇ?? 知らない筈無いよね。だってお姉ちゃんからはすっっっごいナナサの匂いがする! あ、ナナサって言うのはわたしの大切な人でね? わたしにそっくりで、食いしん坊な女の子なんだけど。
ねえねえ、どこかでナナサに会った? 教えてくれるかな? かな? ナナサは大事な妹なの。外に出たら一緒に暮らす約束だったのに、わたしを置いてどこかに行っちゃったみたいで。あの子って寂しがりでひとりじゃ駄目な子だから、早く見付けてあげないときっと泣いちゃう。
ね? ね? だからお願いっ、ナナサを知ってるなら教えてっ!」
「っっ」
その少女は、被身子の言葉に答えることなく一方的に捲し立てる。口元は優しく楽しげに微笑んでいるのに、目はこれっぽっちも笑っていない。彼女が何者であるかはまるで分からないが、確かなのはこの黒い少女が癒々を探していること。そして、彼女と癒々を絶対に会わせたくないと被身子の本能が叫んでいる。
今、癒々は試着室に居る。もう少しすれば出てくるだろう。そうしたら二人は出会ってしまう。それは、避けたい。絶対に避けなければならない。だからどうにかしなければならないのに、被身子は微塵も動けない。どうすれば良いのかも、全く分からない。
「おいナロク。勝手にふらふら居なくなんなって。言うこと聞かないならすぐ帰るって言ったろ?」
「あっ、ごめーんトムトム! ナナサの匂いがしたから、近くに居るのかなーって思ったの!」
少女の意識が、被身子から急に離れた。ナロクと呼ばれた彼女は踵を返し、店の外へと真っ直ぐ出ていく。さっきまでの冷たい笑みは何だったのかと思わせる程に、明るくて暖かな笑顔を浮かべながら。
店外には、フードを被った細身の少年が呆れた顔をして立っている。きっと二人で買い物にでも来ていたのだろう。
「お前が探してる奴? 居ないだろこんなとこに。ほら、目当てのゲーム買ったんだから寄り道しないで帰るぞ。スマブラやりたいんだろ?」
「そうだった! ごめんねお姉ちゃん、ナナサの事は今度教えてね? また聞きに来るから!」
「つーか誰その女。何か血の臭いすんだけど」
「うーん。人殺しか、血を飲みたい変質者だよ? あ、両方かも。物騒だねトムトムっ」
「その呼び方止めろって。ゲーム取り上げるぞ」
「ええーーっっ!? やだやだトムトムと大乱闘するーー!!」
フードの少年と、セーラーワンピの少女は楽しげで騒がしい会話を繰り広げながら何処かへと去っていく。その様子を目で追うことすら被身子は出来ず、少女が立ち去った数分後、ようやく息を吸い込むことが出来た。全身から嫌な汗を浮かべて、彼女はその場でしゃがみ込む。今になって動悸が激しくなり、直ぐに立ち上がれそうにない。顔色も真っ青だ。
得体のしれない威圧感に晒されたのは、時間にして僅か数分。だけど被身子は、その数分を永遠にすら感じていた。
あの少女が何者だったのか、それは分からない。分からないけれど、出来ることなら二度と会ってはならない。少し会話をしただけで、被身子はそう確信している。
「被身子?」
「っっ!!」
膝を抱えてしゃがみ込んでいた被身子が、大きく体を震わせた。今の声が癒々のものなのは、分かっている。分かっているけれど、癒々と同じ声をした少女に殺気を向けられていたのだ。どうしても、体や心が反射的に怯えてしまう。
「大丈夫? 顔色悪い……」
「……癒々ちゃん……。だ、大丈夫です。ただちょっと、はしゃぎ過ぎて疲れちゃったかも……」
「……ん。来て」
被身子の隣にしゃがみ込んだ癒々が、両腕を広げる。着ているのはついさっき被身子が店員に持って行かせた服だ。まだ値札を切っていなければ、買ってもいない試着品。それでも、彼女は躊躇いなく癒々に抱き付いた。こうしないと、とても平静には戻れそうにないから。目の前に居る少女が、癒々であることを確認したいから。
「ゆっくり呼吸して。大丈夫。大丈夫だから」
「……はい」
「ん。いいこいいこ」
抱き付いてきた被身子をしっかりと受け止めて、癒々は彼女の頭を優しく撫でる。
さっきまで体の芯を凍らせていた恐ろしさは、気が付けば溶けて無くなっていた。すっかり安心した被身子は、それでも癒々の肩に顔を埋めて静かにゆっくりと呼吸を繰り返す。
「癒々ちゃんて、時々子供扱いしますよね……」
「被身子って子供っぽいし」
「癒々ちゃん程じゃないですっ。……でも、ふふっ。お揃いかも」
「わたしは子供っぽくない」
「……胸に手を当てた方が良いです。絶対に」
「……? 心臓が動いてる」
「そういう意味じゃないのです……。本当に入試一位なの……?」
そんな風にじゃれ付きつつ、二人はゆっくりと立ち上がる。とんだハプニングが有ったものの、まだ時間は大分残っているのだ。
被身子は気を取り直して服選びに戻ろうとしたが、着せ替え人形になることに早くも飽きてしまった癒々が、先に選ばれた服を全て買い取って「この店は終わり」と引き止めた。
残念ながら第二回・癒々にどんな服を着させるかコンテストは特に盛り上がることなく幕を閉じる。何だかんだ最初に着させられた緩くて黄色いパーカーワンピースが気に入ったのだろう。ダボっとした服装になった彼女は家を出る時に着ていた服を再び着ようとはしなかった。なので被身子は同じデザインで違うサイズのパーカーワンピースを購入して早速着替えた。今日一日はお揃いの格好で居たいらしい。
「まだ服を選びたいです……」
「んー。今日は飽きたから、今度ね」
「むうー。癒々ちゃんは服に頓着が無さ過ぎですっ!」
なんてじゃれ合いながらも、二人は手を繋いで店を出る。山のように買った服は荷物になってしまうので自宅に発送して貰うことにしたようだ。
大分ご不満な被身子に引っ張られながら、次に癒々が連れて行かれるのは映画館だ。まだまだデートは終わらないのである。
頭の中で『ナロク』と言う少女の存在が引っ掛かる被身子だが、今は気にしないことにしたようだ。
■
ポンポンポンッ。そんな感じの音を立てながら、ガラス張りの四角い機械の中でポップコーンが跳ね回っている。映画館に来たのに、癒々はすっかり食べ物に意識を奪われてしまっているようだ。上映スケジュールとか、今はどんな映画が上映しているのかとか、そんな事よりもポップコーンが出来上がっていく様子をつぶさに見詰めているのだから、やはり彼女は食いしん坊だ。癒々らしいと言えば癒々らしいが、折角映画館に来たのに映画に興味を持たないのは如何なものか。
そんな癒々にちょっと呆れつつも、被身子は券売機でチケットを購入。それから飲み物とポップコーン(塩味)を売店で買っておいた。たまたま十五分後に上映される映画があったのは、運が良いと言えるだろう。
ポップコーンを抱えた軽い足取りの癒々を連れて、被身子はシアターへと向かう。
入場口で係員にチケットを切って貰い、妙にふかふかした絨毯が敷き詰められた薄暗い廊下を通り抜け、まだ明るくて空席だらけのシアターに入った。
「あ、席はこの列の真ん中です」
「もぐもぐ……」
「……もうそんなに食べてる……」
「
もう既に総量の半分まで食べ進めている食いしん坊なお子様を連れて、何とか席へ。被身子は柔らかなシートに腰掛けて、右隣の座席を指差した。ポップコーンを口の中に放り込み続ける癒々は、指し示られた通り座席に座る。目の前に見える大きなスクリーンが近い内に上映される作品のCMが大音量で流しているが、食べることに夢中になっている癒々が他の事に興味を持つことはない。この調子だと、これから始まる映画をちゃんと見ることはないのかも。本当に何の為に映画館に来たのやら。
「そんなに食べちゃうと、映画の途中で無くなっちゃうよ?」
「……そへは、……悲しい」
「もう一個買っておけば良かったです」
「次からそうする」
渋々と食べる手を止めて、癒々はドリンクに口を付ける。割と容赦なく飲み進めているのは、ポップコーンを頬張り過ぎて思いっきり喉が渇いたからだろう。やっぱり飲食に夢中になっている。
「そんなに飲んでると途中でトイレに行きたくなっちゃいますよ? あと、上映が始まったら静かにしようねえ。私語は厳禁です」
「……むぅ。映画館は不便……」
「まぁ、不便と言えば不便だけど……。どう? 今のところは楽しい?」
「ポップコーンは美味しいけど喉が渇く。あと量が少ない」
「十分多いと思います……。ほんと、癒々ちゃんは食いしん坊」
なんて二人が話していると、シアターの照明が薄暗くなった。と、その時。癒々が被身子の手を掴んだ。彼女にしては珍しく、そわそわしている。きっとこれから始まる映画が楽しみなのだろう。
映画館に入ってからというもの、すっかりお子様になってしまっている癒々を横目で見つつ、被身子はくすりと微笑む。何だかんだ映画を見に来たことを正解だったと思いながら、彼女は癒々の手を握り返した。そして、映画が始まった。
………。
…………。
……………。
たっぷり二時間後。映画を見終わった被身子は大きく溜め息を吐いた。理由は単純。映画が物凄く詰まらないものだったからだ。面白そうな映画をチョイスしたつもりだったのに、現実は二時間の退屈。見所と言えば主役の側に居続けた大きな白い犬が可愛かったぐらいのことで、それ以外は面白くもなんとも無かった。
癒々にとっては初めての映画だったのに、退屈な思いをさせてしまったことを被身子は申し訳無く思う。ちらりと隣の様子を窺うと、癒々は口元を押さえていた。被身子にとって面白くなかった映画でも、癒々には面白いものだったのかもしれない。
「映画、どうでした? 面白かった?」
「犬は可愛かったと思う。被身子に似てて」
「どっちかっていうと癒々ちゃんに似てたと思うけど……」
「そう? 結構被身子っぽかったけど。しょっちゅう飼い主噛んでたし」
「……私、別に癒々ちゃんのペットじゃないです」
「じゃあ、わたしの何?」
「それは……その」
自分が癒々にとって何なのか。被身子はその質問に即答出来そうにない。同居人であるのは事実だ。同じマンションに住んで、一日中行動を共にしている。友人と言えば友人だ。そこに間違いはない。……だけど友人の一言で済ませてしまうのも、何か違う気がしてならない。
きっと何を言ったとしても、癒々はちゃんと受け入れてくれるだろう。彼女はそういう人間だ。だから、胸の内の願望を言っても良いんじゃないかと被身子は思う。癒々にとっての何で在りたいのか。それはただ、シンプルなもので。だから。
「被身子?」
つい、熱のある視線で癒々を見詰めてしまう。黄金色の瞳は真っ直ぐ、被身子の瞳を見詰め返してくれる。まだ彼女達の関係は、昨晩を経ても変わっていない。どちらも同居人から次のステップに進もうとしていないからだ。
「っ、ゆ、癒々ちゃんは……何が良いですか? 私が、癒々ちゃんにとっての……何なら嬉しい……?」
「んー……、……夫?」
ちょっと考えた後に、何故か突拍子もない言葉を口走っている。どうしてこう、彼女は被身子と結婚したがるのか。せめて段階と言うものをしっかり踏んで欲しい。昨夜、段階を踏まず手を出したのは被身子の方で、だからって癒々までこの調子で居たら二人の関係はハチャメチャなものになってしまう。
まぁ癒々がぶっ飛んだことを言い出すのは今に始まったことじゃない。とっくの昔に慣れている被身子は、肩透かしを食らった気分になってがっくりと項垂れた。
「だから、結婚はまだ出来ないです。それにそこは、お嫁さんの方が嬉しいんだけど……」
「じゃあお嫁さん。結婚しよ?」
「……今はまだ、もっと別のを所望します。せめて恋人とか」
「じゃあ恋人」
「っ、本当?」
「……? わたしの恋人なんでしょ? 被身子がそれで良いなら、わたしもそれが良い」
「……癒々ちゃん、私……」
ドクンと心臓が跳ねる。このまま癒々の言葉に甘えて、彼女を恋人になれるのなら被身子はそうしてしまいたい。何も考えず癒々の手を取って、抱き締めて、キスをして、お互いを愛し合えたなら。きっと毎日がもっともっと楽しくなって、もっともっと癒々が欲しくなって、どこまでもどこまでも堕落する。
そんな日々も送るのも、決して悪くはないのだけれど。そうなる事を阻むものは、何も無いのだけれど。
でも。それで良いのかと、被身子は躊躇する。
そんな彼女の頬を癒々は両手で包み込み、そして。
「んっ」
何の躊躇いも無く、唇を重ね合わせた。こんな場所で、人目も憚らず。その行為が何を意味しているのか、癒々は理解しているのだろうか。
「っっ、癒々ちゃ、っ!?」
「恋人ってこうするんでしょ? さっき映画でやってた」
「な……っ、……っ、っっ!」
もう本当に、どこまでもどこまでも自分勝手で。被身子の気持ちなんて、癒々はこれっぽっちも考えていなくて。
そんな彼女を見ていたら、被身子はもう考えることが馬鹿らしくなってきた。癒々がそれを望むなら、それで良いんだと思い始める。
何より、今の自分の気持ちに我慢はしたくない。とても、出来そうになかった。
「……もう、癒々ちゃんのバカ」
困り顔になりながら、被身子も自分からキスをした。初めてのキスも、二度目のキスも、甘酸っぱくも何ともなくて。
ただ、少ししょっぱいものだった。
まて、まだだっ、まだはやいっ!癒々お前っ、何をしてっっ!!どうじでぞんなごどずるのぉおっ!!!あ゛゛っっ(ポップコーンキスに堪えきれず消滅)
意図せずここがひとつのターニングポイントになってしまいました。ここからスタートです。何がとは言いませんが、ねぇ?(映画館でちゅっちゅする二人を見ながら)
私は覚悟を決めました。プロットなど切り捨てろ。どうせうまく行かないんだ。ちくせう。あ、サブタイの意味は「堕落」らしいです。
よろしければ今後ともお付き合い頂けたら幸いです。