わたしのヒーローアカデミア 作:Plot Must Die
「……この子、が……欲しい」
七躬治癒々は、確かにそう言った。腰の上に乗っているトガヒミコを自由な片腕で肩に抱き寄せながら、たった今病室の中に入ってきたオールマイトに向かってそう言い切ったのだ。ワン・フォー・オール以外には固執を見せない記憶喪失の少女が、今朝はずっとトガヒミコに執着している。
それは、良い傾向と言うには余りに難しい。
癒々が執着している相手は、殺人犯だ。大人には程遠い子供だとしても、トガヒミコがやって来たことは到底赦されないことばかり。既に二人、毒牙にかけた。一人は命を取り留めたが、もう一人は殺されてしまっているのだ。
心に善悪の境界が無い者。
悪の境界を軽々と踏み越えた者。
それを人は、ヴィランと言う。
トガヒミコは、ヴィランと呼ばれるだけの事をしてきた。そんな彼女を、癒々は欲しいと言う。何の目的があって、何を考えてそんな事を口走るのか全く分からない。彼女の肩に抱き寄せられたトガヒミコ自身、癒々の言動は理解し難い。だけど、ひとつだけ確かなことがある。
血を吸わせてくれたこの子は、普通を受け入れてくれたこの子は、本当に期待を裏切らない。昨夜新たに胸の内に芽生えた期待を、トガヒミコは最後の最後で信じきれていなかった。どうせまた裏切られるだけだと、心のどこかで思っていた。諦めてしまっていた。どうせ駄目なのだと、ふて腐れた。でも、違ったのだ。今自分を抱き締めてくれている小さな少女は、トガヒミコの心を抱き留めて離さない。
膨れ上がった期待を塞き止めることは、もう出来そうになかった。
「……ほら、泣かな、い……。泣か、ない……の……」
泣きじゃくる少女を宥めながら、癒々は真っ直ぐオールマイトの目を見る。相変わらずの無表情だけれど、黄金色の瞳には確かに宿ったものがある。それは誰が何を言ったところで、揺らぎそうにない強いもの。固く、強く、真っ直ぐに立つ何か。
……それは、決意と呼ばれるものだ。
理由も、事情も、もはや何の意味も持たない。七躬治癒々は今、ひとつの決意をした。きっと彼女は、それが誰に理解されなかったとしても貫き通すのだろう。
彼女が見せた意思は、余計なお世話なのかもしれない。実際にトガヒミコはそう言っていた。でも、間違いとも言い切れない。
余計なお世話は、ヒーローの本質なのだから。
だけど。事はそう単純には運ばない。癒々がトガヒミコを欲しがっていようと、トガヒミコが犯罪者であることには変わりない。だから警察が、病室に踏み込んでくるのは当然の事だった。
「……取り込んでるところ、失礼するよ。君は渡我被身子だね? 署まで同行して貰って良いかな?」
塚内が、数人の警察官を引き連れて戻ってきた。トガヒミコを確保する為だ。彼女は傷害に、殺人を起こしている犯罪者。その事実が覆ることは有り得ない。然るべき法の裁きを受けなければならない。
今泣きじゃくっていたとしても、犯罪者は犯罪者。癒々が抱き締める少女を確保しようと、警察は動く。
「……だめ。渡さな、い……」
「七躬治さん。その子は犯罪者なんだ。人を傷付けた。してはならない事をしたんだよ」
「……多分、もう……、しな、い……よ?」
「これからはそうだったとしても、過去にしたことは無くならないんだ」
「……な、ら、……無くせば……良い」
「そんな事は出来ないんだ」
「……出来る、よ……。だって、公安の人……わたしの望み、に……応える……って」
「……待った。あの話を受けるのか? その子の為に?」
「……受け、る。嫌だけ、ど……ね」
「塚内くん、七躬治少女。それは、何の話で?」
「……あの時オールマイトは居なかったね。君だから話すが、まぁ……、かいつまんで話すと……」
流石に他の者に聞かれるわけにはいかないのだろう。塚内はオールマイトにそっと耳打ちをする。
……話は、一ヶ月程前に遡る。
先月。その日は一日雨だった。
塚内が富士中事件唯一の生存者に事情聴取をしている最中、ヒーロー公安委員会の者が病院にやって来た。この時の癒々はまだ目覚めて間も無く、医者に記憶喪失と診断されたばかり。起きていても反応が乏しく、うわ言のように「役に立たなきゃ」と繰り返してばかりだった。そんな少女に彼等は、とある話を持ち掛ける。その際、塚内は退席するように命じられたのだが、癒々が彼の袖を掴んだことで話に同席することになってしまった。これからの話に口を出さないことを条件に。
公安が持ち掛けてきた話は、彼女の立場や生活を保障する代わりにその個性を世の役に立てると言うもの。簡単に言えば、スカウトだ。君なら素晴らしいヒーローになれる。君が望むことは何でも与えよう。だから力を貸してくれ。君の力が必要だ。……なんて、大抵の子供なら目を輝かせて飛び付く甘い言葉も添えて。
全ては、個性『大活性』が強力過ぎるが故に。
その個性は正しく使えば世の為になるが、間違った扱いをしようものなら世は暴動に支配される。だから公安……つまり
記憶喪失であることも、おぞましい研究によって産み出された彼女が戸籍を持たないことも、正直公安にとって都合が良い。何せ生き残った少女には、出生記録や血筋といった情報が何もない。偽の個人情報を用意するだけで良いのだから、それこそ好きなようにやれる。
だから。
公安は、何がなんでも生き残った少女を保護したい。手中に収めておきたいのだ。手段は選んでいられない。彼女の個性には、そうするだけの価値がある。そうしなければならない程の、危険性がある。
ただ、公安からの提案に癒々が頷くことは無かった。そもそも頷く理由がない。彼女はOFAの役に立つことだけが生きる理由だ。残ってしまった命はその為だけに使う。だから繰り返すのだ。彼の役に立ちたいと。オールマイトの役に立たなきゃいけないと。
結局この日、公安はスカウトをするだけして帰っていった。まだ彼女は、話が出来る状態じゃないと判断したのだろう。帰り際に、他言無用と言い残して。
「あんな話、受けなくて良い」
そう言ったのは、塚内だった。彼は警察官だ。警部と言う地位も持っている。富士中事件の捜査に尽力し、オールマイトと共に癒々を救け出した。正義感が強く、日々警察官として奔走している。そんな彼だから、公安の話は到底受け入れられない。特別な力を持っているとは言え、記憶喪失の少女を権力の下に閉じ込めることを由とはしない。
そんな未来を与える為に救けたわけじゃない。憶えていなくとも、これまでずっと虐げられてきた女の子の未来は幸せなものじゃなきゃいけない筈だ。明るくて、眩しくて、暖かくて、優しくて。この子の未来は、そうじゃなきゃいけないと彼は思う。
「……ん」
この時。まだ朦朧とした意識の中で、癒々は塚内の言葉を確かに受け止めていた。それが、彼女にとって最初に触れた人の優しさだったから。本当に、
■
「なるほど。話は分かったよ……。とは言え……」
癒々の意思がどうであれ、トガヒミコが犯罪者であることは変わりない。警察署に連行しなければならない。ワン・フォー・オール以外に初めて見せた執着だったとしても、塚内は警察官として癒々からトガヒミコを引き剥がさなければならなかった。それには大変苦労した。彼女達はお互いを抱き締め合っていたし、どちらも離れる素振りを見せなかったからだ。
結局、オールマイトに説得される形で癒々は一度トガヒミコを手離した。その後は警察官達が迅速に二人を引き離し、トガヒミコを連れていこうとしたのだが、ここでまた問題が起きた。癒々がトガヒミコの手を掴んで離さなかったのだ。その力は強く、入院している少女のものとは思えない程に。
さてどうしたものかと塚内やオールマイトが困っているところに、公安の者がやって来た。それも複数人。ぞろぞろと遠慮無しに病室に踏み込んできた。これは、癒々にとっては都合が良い。彼女の意思はもう決まっていて、その為には今、公安の力が必要だからだ。
「全員静かに。ここは病院でしょうが!」
パンパンと手を叩き合わせながら、大きな声を出した大きな体躯の男性が居る。それはたった今この病室に足を踏み入れた者で、つまりは公安の人間だ。彼の言うことは正しいものなのだが、彼自身がかなり響く大声を出しているのは大変よろしくない。通りすがりの看護師に「お静かに」と怖い笑顔で注意され「すみません」と苦笑いを浮かべる姿は、少し頼りないように思える。
「で、これは何の騒ぎですか塚内さん。あ、オールマイトさん後でサインくれます? 娘が欲しがってて」
今度は声を抑えた彼は、真っ先に塚内に今の状況が何なのか問い質す。そのついでに、オールマイトにサインを求める。
「……少し、犯人確保に立て込んだだけです。
話し掛けられた塚内は、溜め息を吐いて大独活から顔を逸らした。彼とは馬が合わないのか、それとも彼が気に入らないのか。どちらにしても、塚内は大独活から大きく一歩距離を取る。
「ああ、トガヒミコね。じゃあさっさと連行しましょうよ」
「それがそうも上手く行かないんですよ」
トガヒミコを警察署に連行したいのは山々なのだが、癒々がトガヒミコから離れようとしない。大人数名がかりなら強引に引き離すことも出来るだろうが、相手はまだ子供。それも入院患者だ。乱暴な振る舞いは正直しにくい。しかも、七躬治癒々は要警護対象だ。下手な扱いをすればどんな処分が下るかも分からない。
だから、警察の面々は困っている。事の行く末を見守っているNo.1ヒーローだってそうだ。
「……何で癒々ちゃん、犯罪者の手を掴んでるわけ?」
「……七躬治さんが、彼女が欲しいと言って聞かないようです。オールマイト以外にこうも執着するのは意外で、ちょっと困ってますね」
「なるほど。そうとは聞いてたけど、本当にそうなんだなぁ」
「こうなると、知っていたんですか?」
「昨晩トガヒミコと接触したことと、今朝からどんな様子かは報告入ってますし」
当たり前と言えば当たり前のことなのだが、癒々を手中に収めたい公安が彼女の同行を見張っていない訳がない。昨晩の出来事も、今朝起きた出来事も、彼等は把握している。それは彼女が要警護対象であるのと同時に、要監視対象でもあるからだ。この国の平穏の為に、個性『大活性』に万が一でも間違いがあってはならないが故に。
「知っていたなら聞かないでください」
「確認は大事でしょうが」
確かに確認は大事と言える。他の警察官や公安の者とは違って、癒々と接する機会が多い塚内から癒々の話を聞くことは大切なことと言えるだろう。公安は、どうしても彼女が欲しいのだから。
とは言え、分かっているならわざわざ聞くなと思ってしまうことがあるのが人間だ。塚内の反応は仕方がない。
「……ねぇ」
塚内と話し込んでいる大独活に、癒々が話し掛けた。これまでの入院生活の中で、彼女はオールマイト以外の誰かとは基本的に口を聞かない。話も聞かない。そんな彼女が話し掛けてきたものだから、大独活は少し驚いたようだ。二度三度瞬きを繰り返し、やがて柔らかな笑みを顔面に張り付ける。
ニコニコとした笑顔を振り撒きながら、彼は癒々の前でしゃがみ込む。大独活の取った行動は、相手が子供だからこそのご機嫌取り。下手に彼女の機嫌を損ねることは、公安が考えている未来に支障が起きかねない。
「お、初めて話してくれたね。何かな?」
「……この子、が、欲し……い」
「んー……。それは、何でかな?」
「……寂しそう、だった……から」
何故トガヒミコを欲しがるのか。彼女の普通を受け止めようとしたのか。癒々は寂しそうだったからと繰り返す。犯罪者を抱き締める理由には、正直なっていないだろう。だから今回の件は、子供のわがままと言ってしまった方が幾分か理解が出来る。
誰も七躬治癒々の心が分からない。理解しようにも、彼女自身がろくに口を開かないのではどうしようもない。
そんな癒々を前に大独活はうんうんと頷き、とんでもないことを言い出した。
「じゃあ、あげるよ。ちょっと難しいかもだけど、まぁ何とかなるんじゃない?」
さらっと有り得ないことを大独活は口にした。公安に居るのなら、犯罪者をどう扱うべきか分かっている筈だ。彼の発言は常識的なものではない。犯罪者にだって人権はあるのだ。欲しがってたからあげるなんてことは出来ないし、到底認められることじゃない。この発言に賛同するものはこの場には誰も居ない。
なのに、彼はトガヒミコを癒々にあげると言う。癒々の目を真っ直ぐに見詰めて、笑いながら。ご機嫌取りにしては、大分行き過ぎている。
「ほん、……と?」
だけど今回の場合は、それが正しい。ここで癒々に恩を売っておくことは、後々に公安……つまり世の中の為になる。彼女を手に入れる為ならば、黒を呑み込むことすら厭わない。黒を白にでっち上げることだって、構わない。
正しいか正しくないか、ではないのだ。これはチャンスだ。公安が癒々を引き入れるための、チャンスなのだ。真っ当な判断基準に足を引っ張られて、大きな収穫を見過ごすことは大きな損失になってしまう。
「ほんとほんと。それで、僕達を頼るってことは……ちょっとは考えてくれたのかな?」
「……受ける、よ。この間の……話……」
「おっけー。じゃあ後は任せて。でもその前に、その子はいったん警察に預けて。大丈夫、悪いようにはしないから」
癒々が頷くことを、公安は待っていた。彼女の善意……と呼ぶには定かではないが、ともかく彼女の心を利用した。事実、今の癒々はトガヒミコを手に入れるためなら何だってする。
「……ん……。なら、良い……けど」
「ははは。じゃあ、これからよろしくね癒々ちゃん」
「……個性使、うの……、やめて」
「分かるの? ごめんごめん。勝手に出ちゃうんだ」
「……」
個性『安心感』。喋ると発動。彼の言葉は、人に安心感を与えるようになる。疲れた人と子供に効果抜群。ただし、距離を離して敬語で喋る人には効果が無い。どんな赤子も彼が子守唄を歌うと熟睡だ。
「そう言うわけで、七躬治癒々及びトガヒミコは今から公安預かりになります。癒々ちゃんの側に置いておくように。
それから君。癒々ちゃんが居なければ問答無用で逮捕だったんだ。くれぐれも彼女に危害を加えないように。以上、解散!」
また大きな声を出しながら両手を叩き合わせ、大独活は人を引き連れて病室を去っていく。スキップでもしそうな勢いで歩き去るものだから、また看護師に怒られていたのはご愛敬……かもしれない。
「それで、どうするんですか塚内さん。公安はああ言ってましたけど」
塚内が連れてきた警察官の一人が、彼に指示を仰ぐ。公安はああ言っていたものの、だからと言って「はい分かりました」と目の前の犯罪者を野放しにすることは出来ない。まして要警護対象である癒々の隣に、トガヒミコを置いておくなんて真似も出来やしない。
だから警察官達は困るのだ。癒々が絶対に、トガヒミコの手を離さないことが分かっているからだ。せめて距離ぐらいは置いて欲しいところだが、そうも行かないから頭を悩ませることになっている。
「……不本意だが従おう。ただトガヒミコに監視を付けるように。そこばかりは譲れないからな」
警察として正しい判断とはとても言えないが、それでも塚内は苦渋の判断を下した。現状トガヒミコは大人しくしているし、公安と癒々が話している時も静かにしていた。自分がまるで物のように扱われていたのにも関わらずだ。
それは癒々と出会えたことで、少しは狂暴性が抑えられたのか。或いは腹の内で何かを画策しているのか。塚内はトガヒミコに探るような視線を向けるが、彼女は俯いている為に表情が分からない。腹の内を探ることは、今は難しいだろう。
もう一度溜め息を吐き、彼は癒々に視線を戻す。彼女はまだ、トガヒミコの手を掴んでいる。
「……聞いての通りだ。七躬治さんには絶対に危害を加えないこと。七躬治さんは大人しくしていること。でないと、今度は無理矢理引き剥がすからな」
「……ん。分かっ、た……」
「トガヒミコも、それで良いな?」
「……はい。それで良い……です」
癒々の選択が正しいものなのかは分からない。間違ったものなのかもしれない。それでも彼女はトガヒミコを抱き締めて離さず、自分を売るような真似をしてでもトガヒミコが置かれている状況を変えた。ヴィランと呼ばれる者にすら、我が身を犠牲に救いの手を差し伸べる。
それはまるで、
事を静観していたオールマイトは、平和の象徴である男は、この時ひとつ確信した。七躬治癒々には、ヒーローになる素質があると。
この日。渡我被身子は救いの手を差し伸べられた。それを掴む勇気は、彼女には無かった。だから、七躬治癒々が強引に手を取った。救けられる覚悟の無い者の手を、無理矢理にでも掴み取った。
人はそれを余計なお世話と言うのかもしれない。
……だけど。だとしても。
余計なお世話は、ヒーローの本質なのだ。
癒々の事は作者が一番分かってないです。何だこいつ。
次回、イチャイチャ。