わたしのヒーローアカデミア 作:Plot Must Die
「……単刀直入に言う。どうか僕の兄を……治して欲しい」
広々としたダイニングにて。
立ったまま俯き、強く強く拳を握り締めた飯田の一言は、今はキッチンで飲み物を用意している被身子から、作り笑いを奪うには十分過ぎるものだった。
どんな事情があって、彼がそんな事を口走ったのかは分からない。朝も早くから癒々を訪ねに来たぐらいだ。それだけ切羽詰まっているのかもしれないし、時間が無いのかもしれない。であれば、癒々に縋るのも仕方がないと言える。だけど、そんな事情は被身子にはどうでも良い。
今分かる確かな事は、飯田が癒々の命を使おうとしている。彼女に誰かを治して貰うということは、彼女の命を消費するということに他ならない。それを黙って見ているなんて、被身子には絶対に出来ない。
「……飯田くん。自分が何を言ってるか、分かってます? 癒々ちゃんの個性は……」
「ああっ、分かってる! 分かってるさ!! 七躬治くんの個性は、命を使うんだろう!? クラスメートの命を私欲の為に使うなんて許されない!!
でも、だけど……っっ、可能性が少しでも有るなら、僕は……っっ!」
彼としても、癒々を頼ることは苦渋の決断だったのだろう。彼女の個性の仔細は分からないし、命を使うと言うのがどういう理屈なのかも飯田は分からない。癒々が個性を使って怪我を癒す場面を直接見たことがある訳でもないし、癒々の個性については人伝に聞いたぐらいだ。
ハッキリ言って、彼は癒々のクラスメートでありながら、癒々の個性については何も分からない。全く知らない。それでも、飯田は昨日の出来事を鮮明に憶えている。ボロボロとなった出久の手足を、癒々が綺麗に治しているところを。その後リカバリーガールの助手として、出久の手術に立ち会っていたことも。
「お願いだ、七躬治くん……! 君の個性が人を癒せるものなら、どうか……、どうか僕の兄を救けてくれ……っっ!!」
癒々の命に関わる何かしらのリスクが有るのを知っている上で、今自分がしようとしている事がクラスメートからの信頼を損なう行為だと分かった上で、それでも飯田は頭を下げる。今にも泣き出しそうな顔で、今にも折れてしまいそうな心で。
そんな彼を、癒々は黙って見詰めている。黄金色の瞳は目の前でクラスメートが苦しんで居ようとも無感情なもので、そこには同情も哀れみも無い。ただ静かに、目の前にあるものを真っ直ぐ見詰めているだけだ。
「……引き受けても良い。その前に幾つか聞くけど」
「……っ! ほ、本当か……っ!?」
ずっと頭を下げていた委員長が、顔を上げた。癒々の一言で希望を見出だしたのか、さっきよりも少し表情が明るい。本当なら笑いたいのだろう。でも彼は、癒々の顔を見て直ぐに表情を引き締めた。
兄が治るかもしれない。治して貰えるかもしれない。それ自体は、彼にとって喜ばしいことだ。だけど、その為に癒々にリスクを背負わせる事を無視して、一人で喜ぶわけには行かない。
そして被身子は、今の癒々の発言を無視出来ない。飯田に何か事情があって、どうしても癒々の力が必要だと頼って来たのは分かっている。分かっているけれど、やはり納得は出来ない。本心を言えば、こんな話は断って欲しい。だから、横から口を挟む。
「癒々ちゃん、それは……っ」
「被身子は黙ってて」
「……っ」
口を挟もうとした被身子だけれど、癒々に一喝されてしまった。今の癒々の意識は飯田にだけ向いていて、だから恋人ですらぞんざいに扱ってしまう。それが不満で、気に食わなくて、被身子は飯田を睨んだ。
「飯田。家族仲は良いの?」
「……? ぁ、ああっ。良好だとも」
「兄は、大切?」
「大切だ! 僕にとって兄は目標で、掛け替えのない人だ! 弟としても、ヒーローの卵としても……!」
「その兄の為に、わたしの命を使うの?」
「……それ、は……。それは……っ」
無表情のまま淡々と話す癒々を見て、ここに来て飯田は揺らぐ。兄をどうしても救けたくて、救けて貰いたくて、だから彼はここにやって来た。クラスメートに頭を下げて、自分が最低な選択を取ろうとしていること分かって居ながらも、それでも癒々に頼ろうとした。彼女の個性ならば、もしかしたら兄を治せるかもしれないと。だからこうして頼みに来た。来てしまった。
でも、それが本当に正しいものなのか今になって考えてしまう。直ぐに出てきた答えは、自責の念となって彼の胸を酷く締め付ける。
「……っっ、間違ってることは、分かってる……。でも……っ」
「どうでも良い。使うか使わないか、どっち?」
「……っっ、っっ! 僕は、僕は……っっ!!」
「もう良い。帰って」
「っ、待ってくれ! 今、今決める、から……っ」
「待たない。帰って」
取り付く島もない。飯田はたった今、ひとつのチャンスを棒に振ってしまった。もう癒々は彼の話を聞こうとしないだろう。無表情なままの彼女は椅子から立ち上がり、欠伸をしながらソファに向かっていく。
「……っっ、済ま……ない。お邪魔、しました……っ」
自らの愚かさに打ちのめされながら、失ったものの大きさに押し潰されながら、飯田はとぼとぼと帰っていく。そんな弱った委員長を見た被身子は、彼に悪いとは思いつつも少しホッとする。癒々が引き受けても良いと口走った時は、気が気じゃ無かった。怖くなってしまった。でも結果として、癒々は飯田を追い返した。
いくら自らの命に無頓着な彼女でも、誰彼構わず個性を使う訳じゃない。それが知れただけで、被身子はつい安心してしまう。
「……飯田くんの話、引き受けちゃうかと思ったのです」
気を抜いた被身子は苦笑いを浮かべながら、飲み物が入ったグラスを両手に癒々の元へと向かう。飯田の分も用意していたのだが、彼は帰ってしまったので無駄になってしまった。
「断るとは言ってない」
「え……」
ソファに腰掛けた癒々は、欠伸をしながら背もたれに体を沈めていく。いい加減寝てしまいたいのだろう。彼女は目蓋を閉じて、ゆっくり呼吸を繰り返す。
「今晩、治しに行くから」
最後にそれだけ言って、癒々は眠ってしまう。被身子は、黙って俯くしかなかった。
■
まぁそれでも、最近はマシになってきた方だと大独活は思っている。そう思いたい。癒々が雄英入ってから一ヶ月と少し。劇的な変化は無いものの、少しずつではあるが人との関わりを持ち始めた。
例えば、緑谷出久。クラスメートの中で唯一、癒々が強い興味を持っている。異性の友人と言っても差し支えないだろう。しかも、あの癒々が体育祭までの十日間、付きっきりで指導していた。その甲斐あってか、雄英体育祭ではベスト8と言う記録を残している。二回戦で轟焦凍にぶつからなければ、ひょっとしたらベスト3ぐらいまで勝ち残っていた可能性が有る。
そして、芦戸三奈・蛙吹梅雨・麗日お茶子の三人。他者と深く関わろうとしない癒々が、出久のついでとは言え訓練に参加させた。体育祭後には、女子会と称して彼女達三人を含めたクラスの女子全員を家に招いていたりもした。案外それなりの交遊関係を、雄英高校の中で育んでいると思われる。少なくとも、大独活の目からはそう見える。
他にも耳郎響香・葉隠透・八百万百の三人も公安からすれば監視対象だ。決して悪い意味ではなく、良い意味で。癒々の人間性……特にコミュニケーション能力を培う要素になってくれるのであれば、公安からすれば万々歳だ。
大独活個人としては、大人に出来なかった事を子供に任せるのは如何なものかと言ったところだが。
ちなみに、悪い意味で監視されているのは爆豪勝己である。
「……ふぅ」
夜十時。癒々がトガヒミコと住まうタワーマンションの前で、車の運転席に居る大独活は溜め息を吐いた。彼はこれから、癒々を東京都保須市にある保須総合病院まで護送しなければならない。まず、車で一時間かかる公安訓練施設まで護送。次にヘリコプターに乗り換え、二時間程は空を飛ぶ羽目になる。どうしてそんな目に遇わなければならないのかと言うと、つい三十分程前に癒々からかかってきた電話に出てしまったからだ。わざわざ「お願いがある」なんて言われた時点で通話を切ってしまえば良かったと今になって彼は思う。もっとも、そんな真似は絶対に出来ないのだけれど。
何せ公安は、七躬治癒々の機嫌を損ねてはいけないと考えている。それは彼女が持つ個性が非常に強力で、強大なものであるからだ。彼女がその気になった時点で、日本と言う国は混沌に包まれてしまう可能性が有る。それは絶対に、避けなければならない。
なので、急遽ではあるが先日保須市某所にてヒーロー殺しと交戦し、負傷してしまったターボヒーロー『インゲニウム』を治療目的で癒々と接触させることが決まった。事は内密に済ませたいので、人目の少ない時間、つまり真夜中に治療は行われる。これは癒々の個性を隠す為であると同時に、癒々の個性がどの程度強力なものなのかしっかり計測する為のものでもある。
個性『大活性』は人の傷を癒すことが出来る。とは言え、それがどれだけ強力なものであるかを知る為に、わざわざ人に大怪我を負わせるわけには行かない。服役中の犯罪者を使うなんて人道を逸れた選択肢は、大活性を隠す上では使えない。かといって、死んでいない程度に重症で、かつ信用が置ける人間などそうそう居るものじゃない。
だが今回、インゲニウムである飯田天晴がぎりぎり死なない程度の重症を負った。これは大活性の治癒力を計る上で、またとない材料になる。なので、癒々の申し出は本当に都合が良かった。
「じゃ、よろしく」
後部座席のドアが外から開かれたと思ったら、車内に制服姿の癒々が乗り込んできた。そして当然の如くもう一人、同じく制服姿の渡我被身子も車に乗り込んで来た。そんな二人をバックミラーで見た大独活はもう一度溜め息を吐き、後ろを振り向く。そしてジロリと被身子を睨んだ。
「渡我さんは来ちゃ駄目だ。部屋に戻って」
「大独活、被身子も連れてく」
「……何故彼女まで?」
今回の一件。事は内密に済ませたいのが公安だ。であれば、如何に同居人で癒々が強い固執を見せている相手とは言え、この話に関係の無い者を連れては行けない。だから被身子が車に同乗したことを、大独活は許すことが出来ないのである。
しかし困ったことに、癒々が被身子を連れていくと言う。その言葉にどんな意図があるかは分からない。大した理由じゃ無いかもしれないが、一応聞いておかなければならない。場合によっては、病院に向かう前に癒々を説得しなければならないだろう。
「それを気にする権利は公安には無い。そういう契約でしょ」
「……、分かった。同行を許可するよ。ただひとつだけ言わせて貰うけどね、今回の件で見聞きしたもの全ては他言無用だ。良いね?」
「聞かなくて良い。公安はわたしの許可無く、被身子に何かしちゃいけないから」
「……えっと、……はい」
「お行儀良くしてればそれで良いよ。……はぁ……」
大独活、そして公安を悩ませる理由のひとつがここにある。それは渡我被身子だ。彼女の存在自体、世間的にも常識的にも許されたものじゃない。同級生に危害を加え警察から逃走した挙げ句、行方不明となっている内に善良な市民を殺害した。そんな彼女が今、罪に問われず普通の暮らしを送れているのは、過去の経歴が公安により全て抹消されているからだ。斉藤に危害を加えたことも、町本を殺害したことも、書類の上では全て無かったことになっている。それが癒々に公安に属して貰う上で、癒々から出された幾つかの条件のひとつ。
結局被身子が同行することになってしまったので、小難しい顔をした大独活は車を走らせる。保須市までは遠いのだ。あまり時間を無駄にしている暇はない。
「……癒々ちゃん。何で飯田くんのお兄さんを治すって決めたんですか? だって、癒々ちゃんの個性は……」
「別に。ただの気まぐれ」
「気まぐれって……。もう、自分勝手にも程があるのです。それに……気まぐれなんかで、命を使わないで」
癒々の個性がどのようなものであるか、被身子自身も詳しくは知らない。体感した限り、かなり強力な個性なのは分かっている。でもその力のリスクである「命を使う」と言うことがどういう意味なのかまるで分からない。反動が大きいと言う点については、まだ納得が出来る。過去三度使った限りでは、被身子の体力はほぼ全て消耗する事態になった。でもそれだけなら、命を使うなんて大袈裟な言葉は使わない筈だ。
大活性には、明確なリスクがある。でなければ、癒々の個性についてオールマイトまでもが命を使うなどと口にしない。だから被身子は、いい加減に知っておきたい。命を使うとは、いったいどういう意味なのか。
「命を使うって、どういう意味なの?」
癒々の左隣に座る被身子は、恋人の手を握りながら問い掛ける。すると癒々は、被身子に体を預けて匂いを嗅いだ。目蓋を閉じて、被身子の肩に額を当てる。口元に手を当てて少し考え込み、それからゆっくり、淡々と喋り始めた。
「活力って、知ってる?」
「……ええっと、……はい。人の体力とか精神力とか……そういった物の総称ですよね?」
「そう。個性の中には活力を使って発動するものがある。わたしの大活性は、それを使う」
「……でもそれなら、命を使うなんて……」
「話は最後まで聞くの。ちゃんと話してあげるから」
「んむっ」
被身子の唇に、癒々の指が当てられた。顔の位置をずらせば喋ることは出来るだろうけど、取り敢えず被身子は黙っておくことにした。このままでは話せないけれど、話の続きが気になる彼女は癒々に向かって目配せをすることで続きを促す。
「活力を使う個性は、活力が無くなったら個性を使えなくなる。でもわたしの場合、活力が無くなった後でも個性を使える。その際消費するのは、体の栄養。正確には、無くなった活力を作り出そうとして栄養が消費される」
「……んん」
「でもそれは、酷く体に負担がかかる。無いものを無理矢理絞り出そうとしてる訳だから、当たり前」
「んぅ……」
「栄養が無くなれば、次は細胞を殺すことで栄養にしようとする。そんな事を長時間やれば、当然体は死ぬ。最終的に、衰弱死と餓死が同時に来る」
「……んん? むぅ……」
「それと、長時間の個性使用は心臓に負担がかかる。わたしの個性は心臓を起点に発露するものだから、使い過ぎると寿命が縮む……らしい」
「……んん」
癒々がひとつひとつ説明をしていく度に、口を塞がれた被身子は眉間に皺を寄せたり首を傾げたり考え込んだりしている。ちゃんと話を聞いているけれども、理解が直ぐに追い付くかはまた別の問題だ。癒々はゆっくり話してくれているからまだ話に付いていけてるようだが、直ぐに呑み込んで理解している訳じゃないらしい。
「分かった?」
「……? えーっと……説明が長くていまいち」
「……」
「つまり……活力を使って、栄養を使って、やり過ぎると体が死んじゃって、しかも心臓に負担がかかる。ってことですよね……?」
「ん。あってる」
ざっくりと癒々の話を呑み込んで、被身子は自分なりに「命を使う」のがどういう事なのか理解していく。取り敢えず大きな憶え間違えは無いようだ。
説明が終わった後、彼女は癒々の体を抱き寄せる。小さな体を横からしっかりと抱き締めて、恋人にそっと耳打ちをする。出来る限りの小さな声で、被身子は囁いた。
「……私、我慢した方が良いですか……?」
癒々の個性。そのリスクが何であるのかを知った今、被身子はひとつの不安に駆られる。今日まで思う存分チウチウしてきた。毎日毎日、シーツを洗わなければならない程に恋人の血を啜ってきた。だけどもう、知ってしまった。それはどこかでとっくに気付いていたけれど、改めて気付いてしまった今、もう無視は出来ない。無視してはいけない。癒々の個性が体に大きな負担をかけると言うのなら、調子に乗って沢山の血液をチウチウするわけには行かない。
チウチウはしたいけれど、だからって唯一無二の恋人を殺してしまいたいわけじゃないのだ。なので、被身子は珍しく我慢しようとしている。何よりもしたい事を、胸の内に湧き上がる衝動を、どうにかして抑え込もうとしているのだ。
我慢することになったら嫌だなと、本心では考えながら。
「しなくて良い。あのぐらいじゃ大した負担にはならない」
「……んふふっ。良かったぁ……!」
今更我慢してと言われても、正直我慢など絶対にしたくない被身子である。チウチウする権利を取り上げられずに済んだことが嬉しくて、彼女は笑いながら恋人の首筋に鼻先を当てた。まるで癒々のように匂いを嗅いで、それから舌先で肌を舐める。本当はチウチウしたいところなのだけれど、場所が場所だ。流石に公安の前で噛み付くなんて馬鹿な真似はしない。そんな事をしてしまったら、被身子にとってろくでもない事が起きてしまうからだ。
……ただ、今の質問は二人きりの時にするべきだった。公安は渡我被身子に対し、ある程度の警戒心を抱いている。もう罪に問われることが無い彼女ではあるけれど、過去二度も犯罪に手を染めている以上は野放しにしておくわけには行かない。だから癒々
ここ最近、被身子が大人しく普通の生活を送っているからこそ不気味に見えるのだ。血に強い憧れを持っている少女が、癒々と暮らすようになってからそんな素振りは一切見せなくなった。つまりその事実からは、ひとつの真実が推測出来てしまう。
何よりたった今、大独活は聞いてしまった。癒々の個性のリスクを知った上で、我慢するべきかと問う囁き声を。彼女達は聞こえていないと思っているようだが、公安に属する大人の耳が悪いなんて事は残念ながら無いのである。
(……この件は、流石に無視できないな。とは言え、渡我被身子への干渉は……ああもう! 面倒この上無い……っ!!)
今日何度目になるか分からない溜め息を吐いて、大独活は緩やかにブレーキを踏んだ。少し先の信号が、赤くなっていたからである。
THE・説明会でした。そして公安にチウチウばれた。渡我ちゃんが迂闊ムーヴしてしまいましたが、最近タガが外れてるので仕方ないね。あと大独活の耳が良かったって話でもありますが。
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