わたしのヒーローアカデミア 作:Plot Must Die
危うく新居の玄関が血の海になりかけた日の翌日。七躬治癒々は朝も早くから訪ねて来た
癒々からしたら何処とも分からないような場所だが、ここは東京都から車で一時間も移動した先にある山奥であり、公安関係者しかこの施設の所在地を知らない。
そんな所に、癒々が連れて来られた理由はひとつ。
特別な個性を持つ彼女に、特別な教育プログラムを受けて貰う為だ。癒々の個性は下手に扱うと危険が伴う。故にその存在を秘匿した上で、公安は彼女を優秀な人材に育て上げたい。
施設に着くなり、癒々は机と椅子だけが置かれた広い個室に通された。大独活曰く、まずは癒々が個性以外にどんな才能を持っているかテストする為らしい。
少しの休憩の後に、癒々の才能を見極める為のテストが行われた。最初は簡単な質疑応答から始まり、小難しい質問を何度も繰り返され、その途中で本当にテストかどうかも分からないような遊びもさせられた。そんなこんなであっという間に午前は過ぎ、昼食を挟んで午後になると次は運動場に連れられていった。
広い体育館と言えるような場所に連れて来られた癒々は、厳つい顔をした公安の面々に囲まれながら、まずは体力テストを行った。個性無しで走ったりボールを投げたり、跳んだり。専用の機材で反射速度を試されることもあれば、動体視力を試されることもある。個性を使わないままの測定が済んだら、今度は同じ事を個性有りで行う。これは夕方になるまで何度も行われて、終わる頃には疲労と空腹で彼女はくたくたになっていた。
一日かけて行われたテスト結果は、以下の通り。
・コミュニケーション能力 ✕
性格は素直なものだが、表情の変化に乏しく、コミュニケーション能力に欠ける。他者への関心が薄く、自己への関心も薄い。ただし一度でも他者に興味を持った場合はこの限りではない。善悪の判断基準が曖昧で、危険思想に染まる可能性は否定出来ない。
また、個性を使用した際の観察能力が非常に高い。些細な変化を決して見逃さない。どのような嘘も通じない。観察能力を高める訓練を積めば、驚異的な精度のコールド・リーディングを行えるようになるだろう。
・個性を含む身体機能 ◎
運動能力は非常に高い。個性による身体への影響か、素の体力は小さな身体には釣り合わない程のものを持っている。ただし個性を使用した場合、筋力や瞬発力は大きく向上するが、持久力が大きく下がる。特に反射神経、動体視力の向上が凄まじい。個性使用時に起きる体力消耗は個性訓練で克服出来る可能性有り。
尚、健康面は記憶喪失であること以外は一切問題無し。健康優良児である。
癒々本人には伝えられていないが、以上が今日行われたテスト結果だ。公安はこれらの情報から彼女の適性を見極め、教育プログラムの方針や内容を定めて行かなければならない。
身体能力や個性だけ見れば、ヒーロー適性がある。医者にだってなれるだろう。だが、コミュニケーション能力がまるで無い事が問題だ。こちらは教育プログラムで改善出来るかも知れないが、今のところは雲行きが怪しい。興味の無い事柄には、とことん興味を持たないのが癒々だ。一度でも興味を持ったことには凄まじい執着心を見せるが、それをコントロールすることが出来るのかは怪しいところである。
ただ、世の中には国ですらコントロールしきれないヒーローが確かに存在する。才能と実力、そして成果を以て上を黙らせながら活動する者が居るのだ。日本でそのようなヒーローを生み出すことは公安的には回避したいところだが、場合によっては自由奔放なヒーローになることを許容しなければならないだろう。
七躬治癒々が間違った道に行くことは、何としてでも避けたい。彼女の個性がヴィランに渡るような事態は、絶対に回避しなければならないのだ。そうしなければ、日本は混沌の渦に呑み込まれて崩壊しかねない。
そうならないように、これから公安は時間を掛けて癒々を教育していくのだ。
……今より約半年後。公安は癒々を高校に通わせることを決意することになる。どんなに教え込んでも、彼女がコミュニケーション能力を身に付けなかったからだ。
知識の上では人の心知っていても、当人の心が他者の心を理解しようとしない。ならばいっそのこと、同年代の子供達と勉学を共にさせることでコミュニケーションとは何たるかを学んで貰おうと思ったのである。
■
帰宅後。くたくたな癒々は着替えもシャワーも済ませぬまま被身子に抱き付いた。空腹感も疲労感も強いのだが、それらを無視してでも同居人の存在を感じたかった。彼女はどうにも寂しがりで、被身子が側に居る時は離れようとしない。無表情で自分勝手なものだから何を考えているか分からない時が多いのだが、甘えん坊なことは確かだ。被身子はこうして癒々に甘えられることに、悪い気はしない。むしろ喜ばしいまである。
リビング。大きなテレビの前に置かれたソファの上で、癒々は被身子の膝上に頭を置いた。仰向けに寝転んだ彼女は何が楽しいのか、お腹をくぅくぅと鳴らしながらジーっと被身子の顔を見上げて視線を逸らそうとしない。癒々は帰って来てから、ずっとこんな調子だ。黙って待っていれば食事が出てくると思っているのかもしれない。
しかし残念ながら、入院していた頃とは違って食事は自動的には出てこないのだ。ちゃんと自分達で用意しなければならない。だから被身子を見詰めたって、出てこない物は出てこないのである。
「……お腹空いた……」
「出前はそんな直ぐに来ないのです。もう少し待とうねぇ」
「んぅー……」
昨日といい今日といい、二人は出前やスーパーの惣菜、コンビニ弁当なんかで食事を済ませている。この家での同居が始まった際、公安から巨額の生活費を渡されているのだが、どちらも自炊する気分にならないのだ。そもそも、癒々は記憶喪失で家事という概念が無い。一応洗濯に関しては今日は被身子がやってくれた。乾燥機付きの洗濯機に洗い物を雑に詰め込んだだけだが、何もしないよりはずっと良い。血濡れのシャツやタオルを
そんなこんなで、今二人は出前が届くの待ちだ。早く食事にしたい癒々は幼子のようにぐずったが、そんなことをしても夕飯はまだやってこない。癒々はもう暫く、ひもじい思いをすることになるだろう。
『電話が来た!!』
腹ペコ少女がぐずって居ると、ソファの前のローテーブルでスマホが鳴った。バリバリ頑丈で、しかもオールマイト仕様の可愛くないやつだ。着信音が彼の声なのは正直どうかしている。
「癒々ちゃん、電話鳴ってます」
「んー……」
「出なくて良いの? あの人からだけど」
「今は被身子優先」
「じゃあ切っちゃお」
被身子の手によって、オールマイトからの着信は容赦なくぶった切られてしまった。今の癒々にNo.1ヒーローの相手をするつもりは毛頭無い。その事実が少し被身子の心を擽る。
オールマイトの役に立ちたいし、なんならしっかり彼のファンである癒々が、自分との時間を優先してくれることが嬉しい。つい膝上にある同居人の頭を撫でながら、被身子はスマホをテーブルに向かって放り投げた。
「ねぇー……被身子」
「なんですかー?」
「何でもない」
「……癒々ちゃん」
「んー?」
「何でもないです」
お互いを呼び合って、彼女達はじゃれ合う。晩御飯が届くまで、こんな調子で過ごすつもりなのだろう。現に癒々は被身子の膝枕を堪能していて、もう暫くはこのまま甘えるつもりのようだ。枕にされている被身子だって、このまま甘えさせておくつもりらしい。
寝転んだままの甘えたがりは、たまに被身子の手を取っては、握ったり摘まんだりを繰り返す。お腹は相変わらず鳴っている。
「今度、髪切りに行こうねえ。そんなに長いと、邪魔だよね?」
癒々の頭を撫で続けてている被身子が口にしたことは、ある意味当然と言える。何せ癒々の髪は全体的に伸び過ぎており、生きていく上では間違いなく邪魔だろう。これから公安で教育プログラムを受けていくのだし、前を見え易くしておくことは悪いことじゃない筈だ。
しかし被身子の提案に癒々は頷かない。無表情な彼女が、今回は珍しく嫌そうな顔を浮かべている。
「切っても良いけど……次の日には元通りになる」
個性による身体への影響か、実は彼女の髪は異常な速度で伸びてしまう。だから膝下まで毛先が届いているし、前髪だって伸び過ぎなのだ。その上、切っても翌日には元通りになってしまうのだから、美容院に行くのは時間や労力の無駄だ。癒々が嫌そうにするのも、仕方無い。
「それでも、ちゃんと整えた方がカァイイと思う」
「切った方が嬉しい?」
「うん。嬉しい」
髪が長いと言うことは、色々な髪型に変えられるということでもある。どんな風に切っても良いし、どんな風に纏めても良い。幾らでも好きなようにアレンジ出来る。もっとも癒々自身に髪に対する頓着は殆ど無く、髪型を決めるとしたらそれは被身子が選ぶことになりそうだ。
「じゃあ、そうしようかな」
「本当?」
「ん。約束」
あっさり髪を切る約束をして、癒々は目を細める。それは最近よく見せる表情のひとつで、もしかしたら本人的には微笑んでいるつもりなのかもしれない。口が全く動いていないので、とても微笑んでいるようには見えないのだが。
だけど被身子は、その表情が大好きだ。 初めて自分を受け入れてくれた人の笑顔(?)を嫌いになる理由なんて、どこにもない。
目の前に差し出された癒々の小指に、被身子の小指が絡まる。こんなちょっとした触れ合いが嬉しくて、つい笑みが溢れてしまう。
「教育プログラム、大変だった?」
「んー……。結構疲れた……」
「ご飯が届くまで、ゆっくりしてて。何なら、寝ちゃっても良いよ?」
「それも悪くないけど……」
「癒々ちゃん?」
癒々がくたくたなのは事実で、空腹さえなければ寝てしまっていただろう。夕飯が届くまで仮眠を取るのもそんなに悪い選択肢じゃない。無表情に疲労を滲ませた彼女は寝転ばせていた体を起こし、真っ直ぐ被身子を見詰める。眠るつもりはまだ無いようだ。そもそも、空腹で眠るどころじゃない。腹が満たされるまで癒々は起きているだろう。
「んぅー……」
「わ! ちょっ、いだっっ!?」
ずっとソファに座っている被身子に、癒々は飛び付くかのように抱き付いた。彼女の首に腕を回して、そのまま軽い体重を目一杯にかける。つまり、癒々は被身子をソファの上に押し倒したのだ。押し倒されてしまった被身子は、肘掛けに後頭部をぶつけて悲鳴を上げた。
うっかり星が見えそうになった被身子は痛みに悶えつつ、それでも小さな癒々の体を抱き締める。髪に隠れた白い首筋がチラチラと見えてしまって、気が気じゃない。このまま噛み付いてしまいたい欲に駆られるが、目を背けることで溢れだしそうな欲求を押し留めようと努力する。
別に、このままチウチウしてしまっても癒々は嫌がらないだろう。むしろ積極的にチウチウさせようとしている。でも、今はタイミングが悪い。彼女は腹を空かせていて、個性がまともに扱えるかどうか正直怪しい。また昨日のようなことになってしまったら、流石に死んでしまうかもしれない。
……今の被身子に、人を殺すつもりはない。十五年の人生の中でやっと自分を受け入れてくれた人を殺すなんて真似は、余程感情が昂っていなければ出来そうにない。
「……っ、癒々ちゃん。そんな急に飛び付いたら危ないです」
「んー……だって、お腹空いた……」
くぅくぅと鳴っていたお腹が、更に大きな音を出し始めている。空腹の限界で思考回路がどうにかしてしまった癒々は、被身子の首筋に鼻を当てて匂いを嗅ぎ始めた。好きな匂いを嗅いで、腹ペコを誤魔化したいのだろう。口の端から涎が垂れ始めているのは気のせいではない。
正直なところ、今の状況は被身子にとって良いものではない。癒々に甘えられるのは嬉しいのだが、チウチウ欲が次第に肥大化していくのが問題だ。このまま何も考えず目の前の首筋に噛み付けたら、どれだけ幸せだろうか。
………。もう良いや。噛み付いちゃえ。
と、被身子が口を開けたその時。
「……ご飯来た」
癒々が勢い良く立ち上がった。彼女は真っ直ぐ玄関に向かっていき、一度リビングから姿を消す。チウチウの直前で放置されてしまった被身子は残念な気分になりつつも、救かったと溜め息を吐く。
温もりが離れてしまったことに少しの寂しさを感じながら、被身子は体を起こす。鼻を擽る良い匂いを感じながら、彼女はゆっくりとした足取りでキッチンへ。これから遅い夕飯を二人で食べるのだ。飲み物の準備ぐらいはしておきたい。とは言っても、棚からグラスを取り出すだけなのだが。
「ご飯にしよ」
上機嫌な癒々が、高く積み上がったピザの箱や何本ものコーラを片手に戻って来た。今日の夕飯も、常人ならばとても二人では食べ切れそうに無い程の量だ。しかしこの家には、成人男性の何倍もの食事量を持つ少女が居る。だから注文した食べ物を食べ残すなんて事態は、絶対に発生しない。
一時間後。約十枚のピザが癒々の胃袋に消えた。その内、被身子が食べた量は僅か三切れのみである。