もう、13年も前のことになる。
俺には担当がいた。吊ったような丸い目に、自由気ままに外に跳ねた長い髪。
名を「ミスターシービー」という。
決して強いウマ娘では無かったが、世界一のウマ娘だった。
ダービー出走、中山大障害の健闘、最後に上げた4勝……
彼女との現役生活は短く、思い出は数えるほどしかない。
けれど、君を思い出すものは数えきれないほどあった。
ペアのマグカップ、プレゼントの腕時計、二人で選んだ指輪……
俺たちは未来を、将来を誓い合った仲だった。
笑顔が素敵な娘だった。人を惹きつける娘だった。
その純粋さと奇行に、何度振り回されただろう。
けれど、俺は全てをひっくるめて彼女に惹かれていた。
けれどあの日、あの雨の夜に彼女は事故に遭った。
誰を責められるわけでもない、不幸な事故だった。
その知らせを聞いた時、俺は迷わず病院に駆け出した。
けれど、間に合わなかった。
俺の時間は止まった。白い布に覆われた冷たい彼女の亡骸を見た瞬間に、深い、暗い絶望が俺の未来を閉ざした。
葬式に行けなかった。墓参りにも行けなかった。
それは悲劇というにはあまりに唐突で、事実というにはあまりに重苦しくて。
理屈では理解していても、彼女の死を受け入れられない自分がいる。
きっと、忘れてしまえば楽になれるのだろう。
酷く薄情で冷酷な男になれば、今抱えている全ての苦しみから解放されるのだろう。
でも忘れられない、忘れられるわけがない。
彼女と過ごした記憶は、手放してしまうにはあまりにも眩しすぎるから。
あの日以来、ずっと担当をつけることができていない。トレーナー室も引き払ってしまった。
何度も学園を辞めようとした。過去に囚われた亡霊の俺が、希望に満ちた担当の夢を背負えるわけがないと。
しかし辞めさせてくれなかった。幾らかの事務作業と非常勤の教官を手伝わされ、無理矢理学園に居残っている。
もうトレーナーに戻る気など無いというのに、また今日も、意味のない選抜レースが始まる。
走りに目を焼かれ、無駄に胸を掻き立てられるだけの時間。
そう、終わるまでは思っていた。それなのに
「キミ、見てるだけなんて面白いね。決めちゃったかも」
「何を?」
「キミと契約するってこと、アタシはミスターシービー。よろしくねミスター」
目の前にいるのは吊ったような丸い目に、自由気ままに外に跳ねた長い髪。
そして、俺の全てに焼き付いて離れない名前。
あぁどうして、運命はこんなに残酷なのだろう。
止まっていた時計の針が、ギシギシと動き出す音がした。