「よし、いい感じになった」
部屋の窓に差し込む日差しは、すっかり茜色になっていた。
フローリングには白いカーペットが敷かれた。
シーツも枕カバーもライムグリーンで揃え、デスクチェア脇には何が入るかわからないカラーボックスが並ぶ。
何らかの琴線に触れて始まった衣替えも、これでようやく終了だ。
そして、新調して前より大きくなったテーブルにはぐつぐつと煮える陶器がひとつ。
「鍋って一人だと意外としないよね」
「あぁ、そうだな」
「トレーナーはそもそも料理しないでしょ」
「俺だって料理くらいしてたさ」
「彼女がいた時?」
「まぁな」
「妬いちゃう」
「冗談はやめろ」
ベランダの窓から見える外は段々と暗く、テレビは久々にニュース以外のバラエティ番組を流している。
久々の料理……といっても具材を切ってつゆに放り込むだけだが、鍋を楽しんでいた。
やっぱり寒い冬は芯から温めるに限る。辛いのは苦手だが。
「白菜煮えてるぞ」
「こっちの皿ちょうだい。あとにんじんも」
「わかった、生姜入れるか」
「入れる入れる」
「ポン酢かけるか」
「かけるかける」
もくもくとハムスターみたいに膨らんだ頬が可愛らしい。俺が1枚肉を湯がく間に、細い指に持たれた箸は3枚も取っていく。
もはや半ば召使いと化していたが、誰かの世話をしてる方が俺には合っていた。まったく、職業病だな。
「にしても、鍋なんて久々に食ったな」
「鍋はやっぱつゆが美味しいよね」
「あぁ、ネギも美味い」
「〆はモチ入れようよ」
「いや、ここは溶き卵で雑炊だ」
「モチでしょ」
「雑炊だ。モチは味が染みない」
「雑炊は粘っこくなるじゃん」
割とくだらない言い争いが始まる。こんなやり取りも本当に久々だ。
まだ同棲する前、彼女とは日にちを決めて家に上げていた。
そこで他愛もない話をして、一緒にテレビでも見て、色んな料理を作った。
餃子、カレー、夏は流しそうめん。冬はおでん。どれも一人ではしない料理ばかりだ。それが俺たちが繋がっていることの証だった。
今思えば、俺はこういう普通の幸せに飢えていたのかもしれない。
手に入らないと分かっていたから、自分には似合わないと遠ざけることで心を保っていたのかもしれない。
折衷案で〆はうどんになった。薄っすらきつね色に染まった麺をすすりながら、シービーは思いついたように耳をピクリと揺らす。
「そうだ、これからはたまにご飯作りに来るよ。一人じゃチャーハンぐらいしか作らないからさ」
「それ、トレーナーと担当の一線超えてないか?」
「アタシと出会う前はトレーナーなんてする気無かったんでしょ? ならいいじゃん」
「親御さんに説明がつかないんだよ。大人には責任があるからな」
心が拒む提案を理屈で断る。
するとシービーは途端に耳を倒し、箸をテーブルに置いて俯いた。
何かを憂いた顔は沈んでいそうだが、落ち込んでいるようには見えない。
それから数秒目を右往左往させ、薄桃色の唇はゆっくりと言葉を発した。
「トレーナー、アタシ両親いないんだ」
「いない?」
「そう、交通事故でさ。心臓発作だったんだって」
器を持つ手が止まる。静かな、けれど衝撃な告白だった。
俺も死別を経験した者の手前として、誰かを喪う痛みはよく理解している。
それが血の繋がった肉親、それもまだ年端もいかない子供ならなおさらだ。
その苦しみを、目の前の自由奔放そうな彼女が背負っていたなんて。
「……それは、大変だったな」
「気にしなくていいよ、子供の頃の話だから」
「それで、一人暮らしなのか」
「まぁね、叔母さんのとこに行く話もあったけど、やっぱ住み慣れたとこだし」
「立派だな、お前は」
「そんなに褒められるものでもないよ? アタシ結構テキトーだから」
当たり障りのない返答しか返せない。それ以上会話が続かない。何気ない言動に傷つけられる苦しさは、俺が一番よく知っていたから。
ため息さえも今この部屋には吐き出してはいけないような空気。そんな俺を気遣ってか、シービーは焦ったように笑う。
つけていたバラエティ番組も終わり、テレビは淡々とした夜のニュース番組に切り替わっていた。