ミスターシービーの担当になってから3か月が経った。
近頃は蝉のうるさい季節を迎え、東京は気温が28度を超えることも多くなってきた。
校舎のあちこちに巣を構えたツバメは、今年もターフの害虫駆除に一役買っている。
まぁ、弊害として事務では糞掃除が目下の課題となっているが…………
「テーピングってまだあった? アタシBNLのやつしか巻きたくないよ」
「BNLならストックしてある。それより、ダンス練習用のカセットテープが少ない」
そして今日、俺とシービーはトレーニング用品の補充のため二人買い物に来ていた。
冷房の効いた店内は外界の日差しも湿度も遮断し、無上の快適さを顧客に提供する。
汗ばんだシャツはすっかり乾き、今はさらさらと背筋を撫でていた。
「あ、コンソメ安いし買っておこうかな」
「何か作る予定でもあるのか?」
「いや、決めてないけど。コンソメ入れれば大抵のものは食べれる味になるし」
そして用品の調達が終わった後、俺たちは各々の私生活の買い出しを続けていた。
どうやらシービーは一人暮らしらしい。まだ中等部なのに逞しい子だ。
現役中の彼女は寮暮らしだった。たまに俺の部屋にやってきて、一人暮らしじゃ作らない大皿料理をつつくのが楽しみだったな。
…………今はすっかり、料理をすることも無くなってしまったが。
「へぇ、このピーラー千切りいけるんだ。面倒だし買っておこうかな」
俺の苦い記憶もつゆ知らず、シービーは便利グッズの棚を漁っている。
そんな光景がかつての自分のようで少し懐かしくて、彼女と違うシービーの一面を知れたのに安堵して、俺はつい思い出を口走ってしまった。
「おいシービー、刃物は寮じゃ持ち込み禁止だろ」
「…………うん? アタシ一人暮らしだよ?」
シービーのきょとんとした顔が視界に写り、それが後悔の痛みを出力するまでそう時間はかからなかった。
やってしまった。一線を越えてしまった。また、君を傷つけてしまった。
ずっと、彼女は君とは違うと自分に言い聞かせてきた。
君は君で、彼女は彼女だと切り離しているつもりだった。
でも違うのか? 俺がシービーに惹かれたのは、君に似ていたからなのか?
俺は何も知らない彼女に、自分の寂寥感を押し付けているだけなのか…………?
「あの、ミスタートレーナー? 何か心配事?」
気づけば、人の流れに取り残されて俯いていた。シービーは少し不安そうにこちらを覗いてくる。
あぁ、俺はまた、自分の孤独で彼女までも傷つけてしまうのか。
「…………釣り銭で何か買ってこい」
耳を傾けるシービーに500円玉を手渡し、顔を見られないよう足早に逃げる。
頼む、こっちを見ないでくれ。俺についてこないでくれ。彼女と同じ姿をした君の前で、醜く吐き戻してしまう前に。
数分後、なんとか顔色を戻した俺は、ようやく手洗いから戻ってきた。
辺りを見渡した。シービーは律儀にベンチに座って俺を待っていた。
「シービー……悪かった………少し調子が悪くてな」
なんとか平静を繕った。苦し紛れにハハハと笑ってみせる。
しかし、シービーはすたすたと詰め寄ると、そのまま何かを胸に押し当てた。
「はいこれ、クレーンゲームで取ってきたよ。現品処分でアームの設定が強くなってたからすぐだった」
手に取ったそれは黒い紙袋、封には『何が入っているかお楽しみ!』とタグがつけられている。
きっと、彼女なりの気遣いなんだろう。断る道理はなかった。
「ただいま………」
何も返ってこない、空っぽの玄関に声を流す。買ってきたものを棚に仕舞い終わると、部屋には夕暮れの朱が差しこんでいた。
君がいた頃は、もっとにぎやかで狭かったのに。君を喪ってから、部屋は一人で使うには広くなってしまった。
かつて二人分のコートハンガーやパキラの鉢植えがあった部屋。今はただ、最低限の家具と仕事用のデスクが壁沿いに並んでいるだけだ。
「…………今日、楽しかったな」
一人で寝るには大きすぎるベッドに腰かけ、黒い紙袋を手に取る。
中身は何だろう。余りものだし鬼が出るか蛇が出るか。でも、シービーがくれたものなら大切にしよう。そう心に決めて封を閉じるタグを切り、封を開ける。
中に入っていたのは『ミスターシービー』と書かれたゼッケンを着用した、古いぱかぷちだった。