「ここが僕の部屋だよ。僕のというか、学園から借りてる部屋になるかな」
ユウに連れられてヒナは学園を回っていた。何度か訪れたことがあったので、新しい発見は無かったけれど、彼の説明には興味津々のようだった。そしてついに今、ユウが仕事をしているという部屋に到着した。もちろんここに入るのは初めてである。興味と緊張が同時に彼女を襲った。
「はわわ……!」
そこにはオフィスの一室のようなさっぱりとした空間が広がっていた。その清潔さは彼がトレーナーとしてまさに一流であることを高らかに証明している。しかし、不思議と張り詰めた空気は感じなかった。開いた口を塞ぐことができないでいると、ユウはふっと笑って、ソファに案内した。
「ヒナにそう言ってもらえて嬉しい。結構気を配ってるんだ、昔はヒナに色々やってもらってたから、ちょっとは成長したところを見せたくて」
ユウは、はにかむように笑った。昔はよくユウくんのお部屋を掃除したっけ――。彼の笑顔に呼応し、思い出が滝のように流れ落ちてくる。
「ユウくん、勉強熱心でよくお部屋散らかってたよね、行く度に掃除したの、覚えてるよ……!」
「ここに来てから、ヒナがどれだけ丁寧に掃除してくれていたのか、それがどんなに大変だったか身に染みたよ。もう僕も大人になったから、綺麗な部屋に招待しないとね」
冗談混じりの口調で言った。ユウの成長を感じるのは嬉しかったがその裏側で、胸がチクリと痛んだ。ユウくんに頼られることがまた一つ減っちゃったな……。静かにコーヒーを喉に運んだ彼女を見て、ユウは口を開いた。
「掃除はできても、トレーナーとしてはまだまだなんだ、僕は。ヒナもここに来るまでに感じたかもしれないけど、色々あったから僕は周りに結構嫌われてるんだ、もちろん良くしてくれる人もいるんだけどね。だからトレーナーとして切磋琢磨できる人がいないから一人ぼっち。ああ、例えば僕の近くでサポートしてくれるような人がいてくれるといいんだけど、できれば同年代で。ヒナ、誰か知らないかな」
じーっ、ヒナに突き刺さる黒い視線。どぎまぎが治らない彼女だったが、ある考えが脳裏に浮かんだ。そうだ、今の私はもうトレーナーなんだ。掃除はできなくなったけど、今度はトレーナーとしてユウくんを支えることができるんだ……、いや、支えたい!
目の色が変わったのを見て、ユウはうんうんと頷いた。
「決まりだね、よろしくお願いします、ヒナトレーナー!」
「う、うん、私、精一杯頑張るね!」
それぞれが別のウマ娘を担当し、トレーナーとして信念を持ってぶつかり合う。一緒に働くとはそういう意味だと解釈していた。そうはいっても、自分でウマ娘をスカウトする勇気もなければ、知識ばかりで実践に乏しい彼女にとって、この誘いは願ってもないことだった。
「私、ユウくんのサポート頑張るね!私にできることなら何でもするから、言ってほしいな……!」
頭の固い僕一人よりも彼女がいてくれる方が今よりもレベルの高いメニューを組んであげられる、その確信があった。ヒナがトレーナーとなってここまでやってくるだなんて想像もできなかったが、考えてみればメリットだらけだった。これが棚からぼたもちというやつなのだろうか。僕は一言お礼を述べて、現状を語り始める。
「僕が担当しているウマ娘についてなんだけど、まずはこの子がアリアンス。僕のトレーナーと生活はこの子と始まったんだ。そうは言っても、まだ一年だけどね」
履歴書のような整った線が引かれた用紙には、アリアンスのプロフィールと写真が記載されていた。じっと眺めていると、じわじわとカタチになっていくイメージ。あ、この子はジュベナイルの時の――。ヒナは確かにこの子を知っていた。強烈な末脚で他のウマ娘をねじ伏せる一番人気に最後まで食らいついていたあの子に間違いない。ヒナはここで働くにあたって過去のレースは何度も見直したが、ジュニア級でこれほどの駆け引きができるのかと感心したレースこそ、去年のジュベナイルだった。まさかその相手のトレーナーがユウだったのだから、驚きを隠せなくても当然だろう。
「アリアンスは強い。その胆力と精神力、そして何よりウマ娘には無くてはならない、夢に向かって羽ばたく翼を持っている。この子のトレーナーになれて本当に良かったと思ってるよ」
アリアンスちゃん、うまく言葉にできないけど、この子のレースを見ると、胸が満たされる。自分の応援していたウマ娘がハナ差でこの子に負けたとしても、仕方ないと思うことができる。明らかな実力差も、この子なら吹き飛ばしてくれるんじゃないかって、そう思える。いったいどうしてだろう。これがユウくんが言う強さなのかな。
「次に、この子がショートウール。アリアンスの一番の親友で、いつも一緒に行動してる。コープコートの強さに何度も打ちのめされそうになるアリアンスを、彼女はいつも支えてあげていた。アリアンスも彼女の前ではよく冗談を言うしね。スピードや加速が抜きん出てるとか、パワーが他の子よりあるとか、フィジカルの面では大きく目立った部分はないけど、目立ちたがりだから、レースでは思い切った判断で重賞を勝ち取った。僕の自慢の一人かな」
とにかく爽やかな印象を受ける子だった。アリアンスちゃんが静なら、この子は動。アリアンスちゃんが百合なら、この子はヒマワリ。まだ二人のことは何も知らないけど、良いパートナーだな、そう思った。
「最後にフルアダイヤー。ダートが得意なウマ娘で、重賞を勝つポテンシャルは十分に持っている。口数は少なくて、サッパリとした子だけど、アリアンスにはベッタリくっついてる。まあ仲が良いのは素敵なことだよね。時計だって最近は加速度的に良くなってきてるし、あとは僕の腕次第、彼女の適性をしっかり見極めないと」
ファイルに刻まれた三種類の資料を見せながら、ユウくんは饒舌に語った。私はこれから、今紹介された未来ある三人のウマ娘のサポートをするんだ。うまくできるかな、そもそも受け入れられるかな、こういう時に前向きになることができず不安ばかり募ってしまうのが私の悪い癖だった。
「大丈夫、僕とヒナならきっとやれるし、彼女たちもきっと歓迎してくれる。いや、絶対だよ、絶対。自信を持って。よし、それじゃ改めて、ヒナ、これからよろしくね!」
夜天をかき消すほどの笑顔は、ヒナの心の奥深くまで突き刺さった後、優しく包み込んだ。