「ねえねえヒナちゃん、今のところどの子がお気に入り?やっぱりあたし?それともアーちゃんかなー。まああんたはナシとして。無愛想だし」
「なんか言った」
カラスのように鋭く睨みつけるアイちゃん。困惑するヒナさんを私たち三人は興味津々に囲んでいました。特にウールちゃんが暴走しています。新しいトレーナーさんに夢中のようです。三つの視線にとり憑かれて、頭が真っ白になっているようです。
「み、みんなかわいいと思うよ……!」
「じゃああたしが一番ってことで!あ、そうだ、ヒナちゃんはユウトレーナーとどんな関係なの?」
「ウール、あまりヒナを困らせないで。聞きたいことはたくさんあるかもしれないけど、トレーニングの後にしよう。ヒナ、今日のトレーニングの説明をお願い」
ユウさんから渡された紙を、何度も噛みながら読み上げています。なんだか我が子を見守るお母さんのような気持ちでした。隣でニヤニヤしているウールちゃんも、そんな心持ちだったと思います。読み終わると、肩を撫で下ろしました。
「お疲れさま、初めまして早々で悪いけど、準備ができたらターフに集合しよう。ヒナはしばらくトレーニングの様子を見ながら、色々と学んでほしい。きっと僕じゃ見逃してしまう発見も、ヒナなら気づける、そんな気がする」
「う、うん!」
「ちょっとびっくりしたけど、優しそうな人でよかったー。アーちゃん、すっかり懐いてたよね」
「ヒナさん、とっても綺麗な目をしてたの。まるでユウさんみたいな……」
「アーちゃんはほんとに『目』が好きだよねぇ」
「私はウールちゃんの目も大好きだよ」
「な、なな、かわいい奴め、このー!」
ターフに向かう途中、ヒナさんの印象について話し合っていました。これから私たちのトレーニングがどんな風に変わっていくのか、その甲斐で私たちはどんな成長を見せるのか、仲間というには上から目線かもしれませんが、新しいトレーナーさんの登場に、足取りも軽やかになってしまいます。
「久しぶりだけど、頑張らないとね!」
「うん!」
久しぶりの芝の匂いが鼻に絡まります。踝まで浸かる長い芝はふかふかのベッドのようでした。疼く気持ちを抑えながら、まずは念入りに準備運動を行います。さあ、早くトレーニングを、腕を伸ばす二人からも私と同じ気持ちを感じます。
「よし、再来週の桜花賞に向けてトレーニング再開だ。三人とも、少しずつ慣らしていこう。まずはウールとアリアンスから」
対照的な二人が直線に並んだ。芝に足を食い込ませて、ホイッスルが鳴る。動きを見せないハシビロコウが、目の前を過ぎ去る獲物に一瞬の加速で噛みつくように、二人は轟音と共に駆け出した。まだスタートダッシュを決めただけのはずなのに、ヒナは既に二人から目が離せなかった。向正面に差しかかり、一バ身の差は未だ埋まらない。しかしコーナーに入った瞬間、その均衡は崩れた。アリアンスが前を走るウールに襲いかかったのだ。直線、一度は抜かれたウールが差し返す、しかし、アリアンスももう一度。二人の表情に一切の余裕は見られない。ウールの小生意気な様子も、アリアンスの静謐さも、そこにはない。目を見開き、腕を振り抜き、呼吸は乱れていく。身体中の血液を沸騰させて走力に変換し、お互いを越えるためだけにその蹄鉄を芝の土まで抉らせる。その迫力はヒナにとって、ウマ娘二人が並走している、という客観的情報だけで収まるものではなかった。ただひたすら貪欲に、前向きに、ひたむきに、一歩だけでもその先に、執念と執念のぶつかり合いに見えたのだ。これが、この迫力で、練習なの……。言葉を失っていた。そんな中、走り切った二人が汗を流しながら戻ってくる。並走時に感じた猛獣のようなオーラはすっかり消え失せ、溌剌なウールと清廉なアリアンスが笑顔で会話していた。
「いやー、もうちょっと待つべきだったかなー」
「うふふっ、今日は私の勝ちだね」
夕日に二人のジャージが照らされている。これが、今のが、ウマ娘……。「夢」を追いかけるウマ娘の姿を、ヒナは確かに胸に刻んだのだった。
「どうだったかな、二人の走りは」
動揺では済まされない、圧巻と憧憬が渦巻くこの感情。魚のように口をパクパク開閉させていたヒナを見て、自慢げだった。
「二人とも、とっても凄かった……。速いだけじゃなくて、それで……」
続く言葉が出てこない。しかしそれでも、ユウは続けた。
「これが、ウマ娘の可能性。アリアンスたちの可能性は、まだまだこんなものじゃないよ。そして、その可能性を切り拓くのが、僕たちトレーナーの役目だと思ってる。それはいつか夢になってレース場の皆に広がり、どこまでも光り輝く。僕は、アリアンスたちが輝いている姿が見たいんだ」
その言葉を受けて、ヒナは自分の感情と改めて向き合った。喉元まで出掛かっているのは、この子たちと一緒に歩んでいきたいという思い。私にできることなら精一杯サポートしてあげたい。走りに魅せられた彼女は、トレーナーとしての自分を確かに意識した。
「後でヒナが感じたこと、聞かせてほしい。ほら、二人が帰ってきた」
「ヒナちゃん、あたしたち速かったでしょ!あとちょっとで勝てたんだけど、今日は調子が悪かったかな、うんうん。いつもは勝ってるんだよ、ほんとだから!」
隣のアリアンスの笑顔を見て、それが嘘であることはすぐに分かった。しかし見栄を張ってしまうところも、負けず嫌いが現れているのかもしれない。
「二人とも、映像で見るよりずっと速くて、本気なのが伝わってきたよ。アリアンスちゃんもウールちゃんも、本当に強いんだなって。なんだか勇気を与えられたっていうか……。ごめんね、こんなことを聞きたいんじゃないよね……」
「嬉しいです」
ウールに発言を許していたアリアンスが食い気味に言った。
「私たちは勝つためだけに走っているわけじゃないです。私たちのレースが誰かを勇気づけられて、力になれる。それは、ウマ娘にとって勝利と同じくらい嬉しいんです。だから、ヒナさんの言葉、とっても嬉しいです……!」
私の中で色々な正の感情が暴れていた。二人の走りは活力に溢れていて、その躍動は観戦する私に勇気を与えてくれる。ウマ娘のレースの魅力を再発見させられた。この感情をうまく言葉にできなくて、強いとか速いとか、ありきたりな感想しか言えなかったのに、アリアンスちゃんはとびきりの笑顔を私に向けてくれている。世代の頂点で争っている彼女たちは、強いも速いも、勇気を貰えたという言葉さえ聞き飽きているはずなのに、まるで初めてその感想を受け取ったかのような反応をアリアンスちゃんはしてくれた。彼女をユウくんがスカウトした理由がまた一つ分かった気がした。この子はどこまでも実直で、自分とレースの可能性を信じているんだ――。
「もっともっとヒナさんの感想、聞きたいです……!」
「アーちゃんにこんなに言わせるなんて、あーもう、また敵が増えちゃったじゃん!ヒナちゃんずるい!アーちゃんの笑顔はあたしのものなのにー!」
夕日を吸収する彼女の白い髪に、努力の汗が滲んだ。