「レゾルーラは確かに隙が無く戦術も多彩ですが、こちらはこちらの戦術で戦うだけです」
「彼女の弱点は把握しています。徹底的にマークして、絶対に逃しません」
レゾルーラは他の出走者陣営のインタビューを見ていた。圧倒的な一番人気を目の前に、どこまでやれるのか。そのスピード感や一瞬のミスが命取りとなる様子から、ただでさえ他とは一線を画すスプリンターの世界。些細な展開のズレがレースに大きく影響し、予想しないような番狂わせが起こることも珍しくない。つまり、レゾルーラが下位に沈んでしまう可能性は十分にあった。スマホの電源を落とし、八重歯をギラつかせて、彼女は部屋を出た。
「こいつらみんな、ウチを見誤り過ぎだっての」
一番人気の登場に沸き立つ大観衆。中京レース場に集う五万人を超えるオーディエンスのほとんどが、スプリンターズステークスと高松宮記念という二大短距離レースの制覇を期待していた。
「レゾルーラ先輩だ!おーいおーい!こっち見てー!ダメだ、集中してるのか全然こっち見てくれない」
「アイドルじゃないんだから、そんなファンサはないわ」
コートちゃんも参戦し、いよいよ熱戦の火蓋は目の前です。ちなみに、コートちゃんに見えるようにわざとぬいぐるみを腕に抱えていたのですが、とにかく照れていました。何も言えないコートちゃんを見るのは新鮮で、それそれはそれはウールちゃんの餌食になっていました。
それはそれとして、実況も解説も緊張が抑えられない様子です。
「いつもは笑顔を見せる一番人気レゾルーラも、今日はこの集中ぶりです。その燃えたぎる瞳には、一体どんな思いが託されているのか、そして、今日はどんな走りを見せてくれるのでしょうか!」
燃えたぎる、というには少し泰然としているように感じます。私がレゾルーラ先輩だったらこの重圧は大き過ぎますが、何とも思っていないようです。萎縮することもなく、かといって落ち着きをなくすこともなく、まるでそれは、勝ちを確信しているようでした。
「あー、ナタリーはあそこでルドルフがそっち、シービーはあっちで、ブライアンは思ってたより近い。よし、これなら全員見てる。ウチのレースは雷よりハヤイ!」
レースの緊張を何倍にも引き上げる生演奏のファンファーレが暮れの中京に響き渡った。
「さあ、続々とゲートに入れられて、一番人気六番レゾルーラも落ち着いています。最後に十二番が入って、今スタートしました!」
地鳴りのような激しいスタートと共に、レースはスタートした。
「まずは予想通り八番が逃げていきます。目立った動きはなく、そのままコーナーに差し掛かっていきます。レゾルーラはどこにいるのか、ここにいました、いつものように好位につくことは叶いません。若干後ろの展開からどう動くのか」
少し急な中京のカーブを集団演技のように無駄なく曲がり切っていきます。縦長だった隊列は横に広がっていきました。まだ中盤だというのに、蹄鉄が芝に激しく突き刺さり、土を大きく飛ばします。この速度、刹那の判断ミスも許されません。これが究極の六ハロン、息が詰まる思いでした。
「カーブを曲がって最終直線!集団は大きく横長に!おっとここでレゾルーラがぶつかったぶつかった!外に大きく膨らみました!」
コーナーのちょうど中間あたりで七番が躓き斜行して、体重をかけられたレゾルーラ先輩は外へと大きく吹き飛ばされました。長い髪で表情を隠してはいるものの、衝撃で飛び散る汗とよろける脚は、先輩にとっての緊急事態を表しています。短距離のスピードでぶつけられたら勝利は絶望的、誰もがそう思いました。最終直線に入ったところで、客席からは絶望と歓喜と驚愕の声が飛び出します。そのパニックに私は何も言葉を発することができず、息を呑んで展開を見守るしかできませんでした。
「この不利は絶望的だ!さあ直線は横一線!一番が内から飛んでくる!外から十六番も飛んできた!残り200!」
誰もが一番と十六番やその他の拮抗を見届けていたその時、その魔物は大外からやってきた。オッドアイの眼光を悪魔のようにギョロリと開かせ、洗い呼吸も忘れて笑っている。かなりのロスを被った彼女は、残り数百メートルというところで、一人、また一人とその影の後ろに隠していく。その走りはウマ娘とは思えないほど一心不乱で乱れていたが、かけっこをする子どものようにも見えた。
「あははっ、あははははっ!へへ、へへ、へへへっ!これが、これがウチ?軽い、身体が軽い!あはははははっ!」
一瞬の間に十人以上を薙ぎ払う彼女の走りに観客の興奮は最高潮。その大声は止まることを知らない。タップダンスを踊るように滑らかに、けれど暴力的に音を立てて芝を踏み抜き差を広げていく。
「一、ニ、一、ニ。世界が遅くて遅くてシカタナイ!ほら、みんな、見て!ウチを見て!これがウチの……。最強のスプリンターの
誕生……!」
「何ということだ!一バ身、ニバ身、どんどん突き放していく!これがレゾルーラの走りだというのか、今圧勝でゴールイン!レゾルーラは人気に応えその実力を遺憾なく発揮しました!」
ああ、視界が歪む。でもその感覚が気持ちいい。ウチがウチでないみたい。コーナーで吹き飛ばされて、終わりだと思った。心臓が破裂するくらい跳ねまくって、身体中が石像のように硬直して、何も考えられなかった。無意識のうちに敗北を悟ったその瞬間、何かが弾けた。切れちゃいけない何かが、ぷっつりと。そしたら途端に身体が沸騰するくらい熱くなって、気分が高揚した。わたあめみたいに足取りが軽くなって、自分でも想像できない速度で走れるから、視界が歪む。あんなに絶望的だった差が一瞬で埋まって、後ろのウマ娘が遅くて遅くて惨めに見えた。そして今、節々が痛くて、頭痛も激し過ぎて吐きそう。でも、デモ、それが心地よくて、気持ちよくて仕方がなかった。今のウチは、誰にも負けない、ルドルフにもシービーにもブライアンにも、ナタリー
にも――。
「ナタリー、見てる?ウチはやっとあんたを超えたよ。誰にだって負けやしない、だってこんなに気持ちが晴れてるんだもん。負けようがない、あはは、アハハハ!」
慟哭するような激しい狂笑が天に向かって響いた。