「はあ、はあ、はあ……」
結果は惨敗。長くはない直線で、一バ身、二バ身。がむしゃらに走るだけだった私を、ウオッカ先輩はどんどん突き放していきました。レース中、一番踏ん張らないといけない場面で、実力の差を否応なく分からされてしまうこの感覚。息が荒くなって、泣きそうになって、練習で積み上げた自信がドロドロに溶かされてしまうこの感覚――。私は力なく膝をつき涙を落としていました。
「アーちゃん……」
ユウは口を開かない。彼女の抜け殻のようなその姿に、ウールはただ憐憫の眼差しを向けることしかできなかった。周囲の空気が澱んでいく中、その悔しさに唇を噛むアリアンスにウオッカが手を伸ばした。
「いいじゃねえか、それで」
「えっ」
大敗した私を責めるつもりでも、傷つけないように繕っているわけでもなさそうでした。とても見せられないようなレースをしたはずなのに、ウオッカ先輩は満足感に満ちた表情をしています。けれどその姿は、動転していた私の心を少しずつ宥めていきました。
「レース運びはどうだったか、いい勝負ができたかどうか、そんなの関係ねえ。俺たちに必要なのは、こいつに負けたくないって気持ちだけ!どれだけ情けなくても、弱くても、醜いレースを見せたとしても、ライバルをぶっ倒してやるって思いが熱く燃えたぎっているなら、いつか必ず成功する。俺はそう思うぜ!」
ウオッカはアリアンスが自分に及ばないことを知っていた。桜花賞を数日後に控えたウマ娘を本気で叩き潰すのは、彼女の自信を大きく削いでしまうと考え、少しだけ手加減をして接戦を演じようかとも、心の奥底では考えていた。しかしスタートの合図が鳴った瞬間から、そんな邪な考えは吹き飛んだ。アリアンスの気迫が彼女を襲ったからだ。全力で、本気の走りで、絶対に差し切ってやる、お淑やかな言動からは想像もできないほど危機迫った表情で。それを感じてしまったのだから、応えないわけにはいかない。ウマ娘として、これほどカッコよくて、ロックで、クールで、嬉しいことはなかった。
「どんだけ強かったとしても、やる気も根性も消し飛んだダッセェレースをするなら俺は認めねえ。ただ、アリアンスは違うだろ?今日のレースは醜くなんかねえ、ダサくなんかねえ。俺を心から倒したい、追いつきたいっていうアンタの熱がバイクのように真っ直に俺に届いた。カッケェよ!アリアンス!」
歯を見せてへへっと笑いました。感激、尊敬、そんな言葉では語り尽くせない感情が私を襲います。コートちゃんに勝ちたい、例え無敗のウマ娘だったとしても、勝たなきゃいけないんです。彼女を倒したいという気持ちだけは誰にも負けません。ウオッカさんの熱意は私の闘争心をみるみる高めていきました。ぎゅっと手を掴んで、グイと顔を寄せます。
「ウオッカ先輩、今日は本当にありがとうございました!」
「お、おう!その、初めて見た時から思ってたんだけどよ……、アンタ、モデルとかにはならないのか?スタイルとか、顔とか、イケてると思うし……。ほ、ほら、髪も白色って結構レアだろ?俺はクールでロックだと思うぜ!」
「クールでロック……、ですか?」
いつの間にか私の隣にいたウールちゃんがニヤニヤと笑みを浮かべています。楽しそうに何か言っていましたが、聞き取れませんでした。
「ま、まあともかく。本番、スカーレットも呼んで、絶対見に行くからな!このウオッカに認められたんだ、ドンと構えてかっ飛ばせ!」
最後にガッツとエールを私にプレゼントして、ウオッカ先輩は去っていきました。
「あ、アリアンスさん!?これで四杯目よ、今日はやけにたくさん食べるのね……!」
質素なお椀に箸が進んで一杯、二杯とアリアンスに取り込まれていく。普段は少食のアリアンスでも、今日ばかりは大量に掻きこんでいた。
「もうすぐ桜花賞だから、たくさん食べないと……!」
「ウオッカ先輩との並走でやる気がぐーんと上がったみたい。ちょっと気合の入れ方が間違って気がするけど、そんなところもアーちゃんらしくてかわいいよね」
「適当なこと言わないで!無茶してはダメよ、もっとゆっくり、よく噛んで食べないと!」
「私のゼリーもあげる。いや、アンが望むなら何だって……」
「アンタ、そんなキャラだったっけ?」
目の前の白米と格闘する彼女の隣にフルアダイヤーが寄り添う。彼女もアリアンスと桜花賞でぶつかるというのに、コープコートに見られるような覇気やライバル心は無かった。
「ちょっとだけ、休憩……」
「二人とも、アーちゃんはあたしが見ておくから、先寮戻っちゃってよ。しっかり休んで睡眠取って、最高のパフォーマンスを見せるように!」
半ば強引に誘導されて二人は部屋へと戻っていった。ウールは彼女から一秒たりとも目を離さない。ようやく完食し終わった時、大きなため息をついた。
「さっきまでアーちゃんを囲んでいた三人が、数日後には殺気と熱気の海の中でバチバチにやり合うんだもんね」
ウールは残念そうに俯いていた。アリアンスはその消えるような声を聞き逃さない。食器を片付けるのも忘れていた。
「何回も何回もシュミレートしたんだ。コートが勝ったら、あいつが勝ったら、そして、アーちゃんが勝ったらどうなるんだろうって。クラシックは生涯一度で、何千人のウマ娘の内、一人の夢しか叶わない。それを念頭に置いてまたまた何度もシュミレートしても、あたしが考える最高の展開は訪れなかった。みんなが幸せになる未来は訪れない。勝った一人以外はみんな涙を流して悔しい思いをしているんだ」
でも――、ウールはそう続けた。その声は力強く食堂中を反響し、駆け巡った。
「それならあたしは、アーちゃんに勝ってほしいって思っちゃったな。だって、あたしに夢を教えてくれたのは、アーちゃんだから……!」
涙が溢れて止まりませんでした。ウールちゃんの目の前で、恥ずかしいと思う暇もなく涙が流れてきます。ウールちゃんの笑顔が、その想いが、言葉を伝って私の心に響くのです。一番近くで支えてくれた親友の温もりが、最後の一歩の勇気を私に与えてくれました。
「ちょっぴり泣き虫なところも、アーちゃんのかわいいところだね」
「うふふっ、こんな姿、ウールちゃんにしか見せないんだから……!」
彼女は袖で腫れたまぶたを拭って、ウールの紅潮に満面の笑みを返した。
「やっぱりウオッカに頼んで正解だったよ。あの子くらい前向きで、けど泥臭く実直に努力できる人材がアリアンスには必要だった。アリアンスは桜花賞間近にして、コートちゃんに負けないくらいの精神力も手に入れた。ヒナ、ウオッカを連れてきてくれてありがとう。ヒナの助言がなかったら彼女を連れてくることはなかったかもしれない」
「ぜ、全然大丈夫だよ!ユウ君の役に立ててよかった……!」
彼の言葉がよほど嬉しかったのか、大量の付箋が貼られたノートをぬいぐるみのように抱えていた。