秋の向こうへ、その向こうへ。   作:たいたい35

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桜に滲む緊張

「や、アーちゃん」

 

控え室で瞑想していた私のもとに、ナタリーさんはやってきました。ウオッカさんとの訓練からあっという間に当日。どれだけ気持ちを落ち着かせようとしても、すぐに不安が漏れ出てしまいます。一人で心細かった私には、ナタリーさんの訪問は少しだけ胸が温かくなりました。

 

「やっぱり勝負服は様になるね、パドックも全員分見たけど、アーちゃんが一番似合ってる。そして、アーちゃんが一番強い」

 

一瞬、ナタリーさんの声が低くなった気がしました。

 

「ナタリーさんからの最後のアドバイス、聞きたいです」

 

待ってましたと言わんばかりに、私との距離を詰めました。指は少し震えています。

 

「あたいはあたいなりにアーちゃんを見てきたつもりだけど、やっぱり最後はどれだけ自分に自信を持てるかどうか、かな。G1を勝つようなウマ娘ほど、最後には自分自身と戦っているものだよ」

 

聞きたいことが多すぎて、言葉がうまく出てきません。ナタリーさんも経験したはずのこの空気、そして、どうやってそれを打ち破ったのか、今は少しでもナタリーさんの言葉が欲しかったのです。

 

「手、震えてる。アーちゃんはこんなに強いのに、どこまでも人間味があっていいね。あたいは負ける気がしなかったから、正直何も感じなかったよ。あたいとはまるで対照的なアーちゃんだったからこそ、期待しちゃうのかな」

「わたし、絶対に勝ってみせますから……」

 

当日でも、ナタリーさんはいつものように私の頭をポンポンと叩きます。でも、今朝から止まる気配のなかった激しい心臓の鼓動が、少し優しくなった気がしました。そんなことをされたら、ナタリーさんだって震えてるだなんて野暮なことを言う気になんてなれませんでした。

 

「頑張れ、アーちゃん。桜の夢はもうすぐそこだよ」

 

気持ちを落ち着かせ、振り向いた時にはもう、ナタリーさんはいませんでした。代わりに視界に入ってきたのはユウさんです。

 

「桜花賞は直線一気でも十分に間に合うコース。さらに、外枠を引いたコープコートは間違いなくその瞬発力でもって差し切りを狙ってくるはず。つまり、彼女はよっぽどのことがない限り全力を出せる。だからこそアリアンスは、多少ペースが流れたとしてもじっくり脚を溜めていくことが大切だ。直感よりも窮屈じゃない、決して焦ってはいけない。コープコートはもちろん周囲から警戒されているけど、それはアリアンスも同じだ」

「そんな一気に言っても伝わりませんって。ほら、アーちゃんキョトンとしてる」

「確かにそうだ、僕が緊張してちゃ世話ないよ。とにかく、自信を持って。今までアリアンスが積み重ねてきたものの全てに嘘はない」

 

ユウさんから最後のアドバイスをもらって、私は桜舞う舞台に降り立ちました。

 

 

 

「トリプルティアラ第一冠、桜花賞!桜が見頃なここ阪神で、若姫たちが争います。一番人気は八枠16番、無敗のジュニア級女王コープコート!世間の期待を大いに背負い、名家の女王が第一冠戴冠へ!続く二番人気、女王に待ったをかけるのは、五枠10番アリアンス!惜敗続きの美少女は、春に一面の雪景色を演出するのか!三番人気は二枠三番ビジョンスター!重賞制覇を果たした実力は本物、アリアンスを破ったその末脚で桜の栄冠を虎視眈々と狙います」

 

ターフに立ち入ると夥しい数の拍手喝采。私を奮い立たせるのは、いつだってこの歓声でした。今日まで続けてきた努力は、この瞬間のためにあるのです。緊張が極限まで高まって、歓声によってアドレナリンに昇華する。今の私は、誰にだって負けません。もちろん、無敗の女王だって倒してみせます。

 

「アーちゃん、頑張ってーーーー!!」

 

ウールちゃんの声援はいつも通りです。いつも通りの、私の大好きなウールちゃんの声。そう、いつも通りでいいのです。そよ風が吹き抜ける柔らかい芝に足跡を残して、私はゲートに向かいました。

 

「うぅ、私、緊張でどうにかなっちゃいそうだよ……」

「大丈夫だよヒナちゃん!アーちゃんがぶっちぎって勝つから心配しないで!そうだ、アーちゃんが帰ってきたらお花見行こうよ!」

 

最前列でアリアンスを見守る二人。ヒナの拳は手汗が滲み、ウールは少し呼吸が荒かった。まばたきの回数も少し増えている。身を乗り出して柵を越えたくなる気持ちをグッと堪えて、ただレース開始の瞬間をソワソワしながら待つだけだ。

 

「そろそろ始まるよ!」

 

生演奏のファンファーレ、陽気軽快な音色と手拍子がアリアンスの胸にズキズキと突き刺さる。ここに立つことを許された十六人を讃えるそれは、アリアンスには形容し難いほどの重圧だった。しかし、自身に向けられた期待と、圧倒的な一番人気を覆す情熱でもって、コープコートを睨みつけるように見つめた。

 

「いい顔だわ、アリアンスさん。あなたのその怒りにも似た瞳は今日は私だけのもの。でも、今日の主役は私、絶対に負けるわけにはいかない」

 

女王が静謐にゲートインを終えると、ついに桜の戦いのゲートは開かれた。

 

「アン、絶対についてくから」




だいぶ期間が空いてしまいました。大変申し訳ございません。今度こそは期間を空けることなく絶対に完結させますので、どうか見ていただけると幸いです。
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