夕暮れの下、四人の影がいた。沈むにつれて一つ、また一つと欠けていき、二つになった。
「あたしね、自分が情けなくて情けなくて仕方がなかったんだ」
コープコートと別れ、フルアダイヤーと別れ、周囲に人はいない。残映が眩く迫る中、ベンチに腰かけたショートウールとアリアンスとの間には不自然に隙間ができている。
「あの日、アーちゃんが落ち込んでいるのは客席からでも明らかだったのに、一言も声をかけてあげられなかった。アーちゃんの一番の親友だって自負してるくせに、励ましの言葉一つ浮かばなかったんだよ、あたしは……!」
ショッピングモールで一緒に買い物をして、アイスを食べて、プリクラを撮って洋服を見て、あっという間の時間が過ぎてしまった今、ウールは唇を噛み涙を流していた。情けなくて情けなくて仕方がない。確かにあたしは混乱していたけれど、アーちゃんはそれ以上に苦しんでいたはずなのに。
「ぼぉーっと佇んで、コートとのやりとりを怯えながら見つめてさ……!」
この事実をアリアンスに伝えたところで何かが変わるわけではない。懺悔のつもりではなかったが、彼女が回復したことを頼みにして黙っていることもできなかった。
「何もできなかった……」
ただごめんと独白するしかなかった。届いているのかも分からないような小さな声で。大粒の涙を落とす彼女の頭上を、嘲笑うかのようにカラスが通り過ぎていった。
「あ、アーちゃん……!?」
アリアンスはいつのまにか距離を詰め、やがてそのまま身体を倒し、ウールにもたれかかってしまった。甘える犬のように、わざとらしく頬擦りをして、腕を優しく絡ませる。唐突の行動に、彼女も動揺を隠せなかった。
「あわわわ、アーちゃんどうしたの!これじゃまるでカップルみたいじゃん……!」
顔は真っ赤になっているくせに、頭は真っ白だった。自責でアリアンスと目を合わせることすらできず、返事も聞かずに一人後悔を述べていた彼女は今、アリアンスとの密着にすっかり沸騰してしまっていた。やばい、アーちゃんの艶やかな髪がツンツンとくすぐったい。やばい、クチナシみたいな甘い匂いが鼻から全身へと渡って、頭がフラフラする。待って待ってよ、天使がさらに身体を寄せて密着してきた。絶対に起きているのに、アーちゃんは目を閉じたまま寝たふりを決め込んで、あたしをいっそう惑わせる。まるで、あたしの言葉なんか一切聞いていなかったよって言っているみたいに。
「ど、どういうつもりなの……!」
「うふふっ、今の、コートちゃんみたいだね」
「も、もう。からかうなんてアーちゃんも趣味が悪いなあ。あたしじゃなかったら勘違いしちゃうところだったじゃん!」
ウールがいつもの調子を取り戻したところで、アリアンスはストラップを取り出した。ちょうど、ウールのカバンにも同じ物が付いている。
「さっきみんなで買った、私の大切な宝物。これだけじゃないよ、アイちゃんが恥ずかしがってたこのプリクラも、ウールちゃんが一回で取ってくれたこのぬいぐるみも、一緒に食べたポテトだって、全部私の宝物なの。あの空間、あの時間、全てが愛おしくて……。そのきっかけをつくってくれたのはウールちゃんだよ」
ポテトは無くなってるけどね、ウールは苦笑いした。
「ウールちゃんはいつも隣で私を支えてくれてるの。今回はそれが今日のお誘いだったって、それだけだと思うな。桜花賞で負けちゃった悔しさも、みんなでお出かけしてる間にすっかり忘れちゃった……!」
どんな励ましより、吹っ切れてしまうくらい楽しい出来事を。ウールならそう考えることくらい、アリアンスには分かっていた。さらに、あの場で言葉を発する資格を持つのは雌雄を決した者達だけであるという思考に至ることくらい理解していた。彼女は重賞ウィナーなのだから。彼女が自身を後ろめたく感じていたとしても、放課後の四人での時間がアリアンスにとって笑いの絶えない空間だったことは確かな事実だ。だからこそ頭を下げるその誠実さに、どこまでも深い尊敬と誠実さをアリアンスは抱いていた。
「少しくらい怖い顔してくれなきゃ参っちゃうじゃん……。あはは、結構心の準備、してきたんだけど、褒められちゃった」
ウールの鼓動が静まっていくのを感じた。会話の弾みで放ったはずの一言から感情を吐露するこの時まで、一日中張っていた緊張の糸がぷつりと千切れた瞬間だった。今ようやくアリアンスの温もりが身体の深い部分まで浸透していく。
「夕日、綺麗……」
「アーちゃんが隣にいてくれるからかな」
「私じゃなくて、ウールちゃんに照れてるみたい」
「あはは、何それ」
今日一番の笑顔に、私も顔が熱を帯びていくのを感じました。ほら、やっぱりウールちゃんのせいです。ウールちゃんがトリックスターなのは、誰よりも人の心に寄り添えるからだよ、そう言いたかったのに、彼女が近いこの時間を離したくなくて、とうとう言えませんでした。賛辞なのに、変な感じです。
「皐月賞、ずっとずっと、最後まで、応援するね」
「あたしの武器は、アーちゃんの声を独り占めできること。ラプソディだかレクイエムだか知らないけど、あんなトンチキな奴に負けてたまるかっ!」
二人を赤らめていた夕日は、闘志の炎に変わっていくのだった。
「どうして負けた」
嫌だ、この時間が嫌だ。現実に引き摺り下ろされるこの時間が。トレーナーとは思えないその冷たく残虐な瞳、独裁政権のような身勝手さ、私の言葉なんて一言も聞かない傲慢さ、そのくせ今はこんなつまらない質問を投げかけてくる。私を陥れるためだけに。
「フルアダイヤーさんが、相手が強かった。それだけよ」
「そうだ、お前が弱過ぎたんだ」
スパイクで臓物を踏み潰されたみたい、吐きそうになる。培ってきた戦績も、名家としての矜持も全て否定されて、私は一体何を求めて走ればいいの?そう叫びたいけれど、残されている道は、歯を食いしばりながら目の前のトレーナーに従うことだけ。心の声は誰にも聞こえないし聞こえてはいけない。むしろそのジレンマだけが、私の唯一の誇りだった。
「一着の生意気なクソガキも二着の娘も、先輩の息子がトレーナーのようだ。この意味が分かるか?」
「いえ」
俺は怒っているぞと分かりやすい圧力を突きつける。耐えようと思っても、顔が強張り、尻尾が伸び切ってしまうのをコープコートは感じた。
「一秒コンマ三。足も鈍けりゃ反応も遅い。負けて当然だ。お前が阪神JFを勝てたのは俺のおかげ。それをお前は自身の実力だと驕り、過信した。絶対に許されない相手に敗北したんだよ」
「違う、私は全力で……!」
咄嗟に出た言葉さえ許されず、男は恫喝の大音声を挟み叫んだ。澄ました態度を繕うことで精一杯の抵抗を見せていた彼女も限界だった。しかし、男の罵声は止まらない。
「先輩が!どれだけ怒りを募らせているか分かるかッ!」
机を思い切り叩いた振動でティーカップが落下し割れてしまった。甲高い音が耳障りだった。怖い、早くここから逃げ出したいのに、一歩でも動いたらあのカップのようになってしまう、その恐怖がコープコートを支配する。そう思うと、必死に抑えていた不安が心奥から一気に押し寄せてきて、視界が真っ黒になった。ダメだわ、これ以上はいけない。このままこの男の言葉を浴びていたら、私というウマ娘自体が壊れてしまう。他にも何か言葉を吐いていたけれど、私は凍ってしまった両足を必死に動かして、重い扉をこじ開けてその場から逃げ出した。
「俺のメンツは丸潰れ。調子に乗るなよクソガキがァ!」
咆哮が部屋中に響き渡る。机を力の限り蹴飛ばした男は、しばらく時間が経った後大きく息を吸って、吐いた。そして残った椅子にゆったりと、深く沈み込むように座った。
「このまま逃げられると思うなよ」