「無様だな、お前の軟弱なボンクラは」
「アリアンスが、負けた……」
「そうだ、その顔をもっと俺に見せてくれ。いつだったか、お前は偉大なる父の俺に向かって、節穴だとかほざいていたなァ。それがどうだ、結局このザマだ。一体いつになったら俺を超えてくれるんだァ?」
何も言い返すことができなかった。何がいけなかったんだ、彼女には何が足りなかった?僕には何が足りなかった?頭を抱え、あらゆる可能性を模索する。しかし、どう足掻いたところで、人生一度の栄冠である樫の女王の称号が、自分のせいで霧散してしまったという自責は消えなかった。
「違うな、何もかも足りていないんだよ。瞬発力も、スタミナも、根性すら全て。レースを支配するのは圧倒的な能力。そこに感情や思惑は介在しない、圧倒的な力の前にあらゆる条件は無に帰す。お前もお供のボンクラも、貪欲になれ。血眼になって俺に啓示を乞え。最後の警告だ」
「黙れ、彼女はお前の手駒のような無感動のレースはしない」
下品な笑い声と共に去っていった。甘く見ていたわけではない、自分にできる最大限を彼女に与えたつもりだった。しかしだからこそ、コープコートに敗北した事実はユウに鉛よりも重く乗しかかる。一体僕は……。いや、違う。そんなことじゃないだろう。今一番傷ついているのは彼女のはずだ。このままではアリアンスが壊れてしまう。それだけは、それだけは絶対に阻止しなければ。そうなってしまったらいよいよ、親父と同じじゃないか。ユウは人目も憚らず場内を全力で駆け出した。
ぽた、ぽた、ぽた。小雨が降るように、アリアンスは力なく歩いていた。脳内で、レース映像がただただリピートされる。絶好の調子、完璧な体内時計、乾坤一擲の仕掛け。彼女の持つ全てを発揮した。最後に待っていたのは、敗北の瞬間。夢が夢で終わったと彼女が理解するには、時間が足りなさすぎるのだ。
「アリアンス……っ!」
控え室に向かう彼女の前に、ユウが飛び出してきた。実際にレースをしたのは彼ではないのだが、息を切らし、汗を拭く間もなくやってきたのだ。都合のいい言葉が浮かんだわけでもないのになんとか言葉を吐き出そうとしたユウのそれをかき消すように、アリアンスは呟いた。
「私は、大丈夫です。強くなりましたから。ここでまた後ろを向いてしまったら、私は桜花賞から成長してないことになっちゃうから、大丈夫、なんです……」
麗しい瞳は真っ赤に腫れていた。それは抜け殻のようで、かろうじて魂を身体に繋げている。惨めに腐り落ちていく評価や自信と、何度手を伸ばしても、最後の最後に遠く散ってしまう幻想。大丈夫だと言うことさえ、どれだけ大きな絶望を乗り越えないといけないのだろう。ユウは何も言葉を与えることができなかった。
「もう、負けたくない……」
幾度となく流した涙の先で、アリアンスはようやく一つの答えを見つけた。
「ユウさん、私、気づいちゃいました。負けない方法」
それはこんなところで挫けていることでも、いつまでもウジウジと負けを引き摺ることでもありません。そう、その答えは――――。
「勝つことです。簡単なことでした。勝てばもう、負けなくて済みます。こんな思い、しなくていいんです。だから、私はもう負けません。秋華賞、見ていてくださいね?」
うふふっ、乾いた瞳でアリアンスは笑った。まるで、オークスをなかったことにするかのように。ユウはその言葉に深く安堵してしまった。よかった、アリアンスは崩れていない。夢を諦めていなかったんだと。最悪の展開、それはアリアンスがトゥインクルシリーズの舞台から去ってしまうこと。でもその心配はなかった。なぜなら彼女は、笑っていたから。だけれども、どこか不気味だった。
「私、みんなのところに行ってきます」
アリアンスはブーツを履き直し、屈辱のターフへ戻っていった。その後ろ姿にはもう、弱々しい歩みはない。
「アーちゃん……!」
彼女が見えるや否や、ウールは涙しながら抱きついた。マロンナット、も駆け寄ってくる。二人とも、抱える気持ちは同じ。アリアンスのことがひたすらに心配だった。
「ナットちゃん、ごめんなさい。絶対に勝つって、約束したのに。私、守れなかったの」
「いいんです、いいんです……。無事に帰ってきてくれただけで、それだけでアリアンスちゃんはカッコいいんです……!」
マロンナットの手を、そっと握り返した。
「あたし、本当に心配で……!今度こそ本当に、いなくなっちゃうんじゃないかって……!」
「負けたのは、私が弱かったせいだからしょうがないの。強くもないのに調子に乗って、思いとか夢だとか、
みんなの期待を煽る言葉や言い訳ばっかり、そんなウマ娘は負けて当然なのかも」
「アーちゃんは弱くなんてない!あたしも、ナットちゃんも、生意気なフルアダイヤーだってみんな、最後の直線に夢を見たんだよ……!みんなの夢が重なって……、そんなレースができるアーちゃんは誰よりも強かった……!」
「勝たなきゃ、意味ないの」
「えっ」
その声はとてもアリアンスのものとは思えなかった。生気のない凍えた一言。頭を思いきりハンマーで殴られたような衝撃だった。
「言い訳ばかりの惨めで弱い私はもういないよ。私はもっと強くなって、勝ち続けるの。負けるなんて情けないこと、もうしないから、安心してほしいな……?」
「アーちゃん……?」
ウールには違和感があった。アリアンスは今、生涯癒えないかもしれない心の傷がはずなのに、皆の前だからと涙を堪え、笑っているはず。吐き気を催すような脱力感と絶望に蝕まれながらも必死で立ち上がろうとしている、はず。しかし今のアリアンスには、そんな苦悩は見当たらなかった。違う、そんなことを考えるのは失礼だ。乗り越えられているのならいいじゃないか、桜花賞を経てアーちゃんは強くたくましくなった、それだけの話だし、それはウールにとっても望外の喜びだと、信じたかった。
「ウールちゃん、見ててね。私、もう負けないから」
「負けない負けないって、そんな……」
呆気にとられてしまい、濁った返事しかできなかった。ウールの言葉は本当だった。オークスをめぐる最後の直線、がむしゃらに走り続けたアリアンスの姿に自分の夢を重ねてしまうほど、彼女は惹かれてしまった。あたしは確かに、ひたむきに走るあなたをどこまでも美しいと思った。それは着順だけに反映されるものじゃない、たとえアーちゃんが最下位だったとしても、その姿だけで満足できた。でもどうして、それを自ら否定しているの?素直でひたむきで、他人を尊敬できて、誰とでも仲良くなれて、自然と周囲を笑顔にしてしまう、そんな気高く尊いあなただからこそ、みんな応援したくなっちゃうんだよ。何回でも夢を見ることができるんだよ。
でもこんなの、今のアーちゃんはまるで――――。
「もう、行くね」