秋の向こうへ、その向こうへ。   作:たいたい35

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すれ違う道

「アン、今日はもう終わりにした方が。身体に響く」

「最近頑張りすぎだと思います。いくらアリアンスちゃんでも心配です」

 

アイちゃんとナットちゃんに止められて、今日の練習は終わりを迎えました。もう少し、もう少しだけと身体が疼きます。疲労と焦燥で足がもつれたところを二人に支えられてしまいました。

 

「まだ大丈夫だから、もう少しだけやってくね」

 

アイちゃんの静止を振り切り、私は走り出しました。つま先から指先まで、限界の身体を奮い立たせ、遥か彼方のカラスを追いかけるように遠くまで。休んでる暇なんてないのです。

 

「私が、私が弱いから……!」

 

さらにスピードを上げようとギアを入れると、目の前に巨大な壁が立ちはだかりました。ターフの上に黒いスーツ、その正体は私もよく知るユウさんでした。

 

「これ以上は許可できないよ。アリアンスは走る度に強く速くなってる、焦らなくても大丈夫」

「弱いから負けたんです。同じメニューじゃコートちゃんに勝てない、秋華賞だけはもう許されないんです……。私が、私が弱いからウールちゃんは……!」

 

前へ前へと向けていた全身の力がふっと抜けて、私は膝から崩れ落ちました。練習しなきゃ、頭ではそう考えているのに、身体が動いてくれません。

 

「責任は全て僕にある。僕が不甲斐ないからアリアンスをここまで追い詰めてしまったんだ。どれだけ謝っても足りない、だけど、秋華賞は必ず君を頂に連れていく。だから今日は、ゆっくり休んでほしい」

 

ユウさんは深く頭を下げました。その姿はまるで、今の私を映し出す鏡のようでした。拳を握り、悔しさと虚しさに身体が支配されて。数々の悔恨が背後に憑きまとっているのです。負けた私が悪いのに、自分のトレーナーに謝罪をさせて、そんな自分が惨めに思えて仕方がありませんでした。

 

「はい……」

 

何も答える気力はなく、間の悪さに耐えきれない私は夕日と共に寮へと逃げていくのでした。

 

「アンは焦りすぎてる。ユウトレーナー、どうにかして」

「ショートウールさんも授業にすら出てないですし、二人とも、どうしちゃったんでしょうか……」

 

二人とは対照的に、ユウが不満を漏らすことはなかった。右手のボードに貼りついた資料をただ黙々と見つめている。けれど、溜まりに溜まった感情を必死で抑えているようにも見えた。

 

「大丈夫、僕が何とかする。ウールのこともアリアンスのことも。二人も今日はもう終わってもらって構わないよ」

 

そう告げると、去っていったアリアンスの足跡を辿るようにユウもまた消えてしまった。ターフに残されてしまった二人。フルアダイヤーが何も言わず片付けを始めようとしたとき、マロンナットは叫ぶようにして言った。

 

「私、今度ウールちゃんのお部屋に行ってみます。こんな状況、もう耐えられません!」

 

練習を終え、二人の間に空いた空白もちょうど二人分だった。騒がしいウマ娘と、優しい笑顔のウマ娘。帰路につく四人の幻影が、商店街の路地裏の闇に消えていった。

 

 

 

外に気配を感じて、ショートウールは起き上がった。

 

「またですか、本当にしつこい」

「あわわ、急にごめんなさい。私なんかが来られても迷惑でしたか……?」

 

声の主に驚き、彼女は咳きこんでしまった。まさかユウトレーナーではなくナットちゃんが訪ねてくるなんて。

一言目から冷たくあしらった自分に少し胸が痛んだ。けれど、態度を改めるなんて情けないことをする度胸もなかった。

 

「何をしにきたの」

「一回でいいんです、お話しできないかなって」

「いいけど、何を言われても戻らないよ」

 

正直なところ、マロンナットの想像の何倍も彼女の声はやつれていた。生気のない、冷たい抜け殻のような声色。以前までの彼女とは似ても似つかないその様に激しく気圧され息苦しくなった。ダメです、諦めてはいけない。握り拳に力を入れて、深呼吸を二、三回。緊張に押しつぶされそうになりながら、ようやく口を開いた。

 

「オークスが終わって夏休みに入ったら、みんなで花鳥園に行こうって、アリアンスちゃんと約束したんです。笑顔で承諾してくれて、楽しみだねって言ってくれました。でも、その中にウールちゃんがいないなんて考えられないんです。だから、ずっと待ってます!」

 

彼女の返事を待つことなく、マロンナットは去っていってしまった。そんなこと言われたって、じゃああたしは一体どうしたらいいんだよ。ショートウールは枕を深く被って、自分だけの暗がりに蓋をした。

 

「みんな都合のいいことばっかり。『待ってる』なんて、アーちゃんもあいつも、声すらかけにきてくれたことないじゃんか……」

 

うつむいたまま、彼女は動かなくなった。ちょうど太陽が一周したころ、ようやく起き上がる瞬間、強烈な不快感に襲われる。両手で心臓のあたりを押さえ、止まらない鼓動を静めようとした。ここにいると、不安だけが隕石のようにあたしを押し潰す。記憶の底の紫の瞳が、歪んだ笑顔でほほえみかけてくる。「勝たなきゃ意味がないよ」って。あたしは弱い。圧倒的なスピードやパワー、技術があるわけじゃない。だからこそすがるしかなかった。アーちゃんの眩しさに。あの日、ウールちゃんならできるよって言ってくれたその優しさに。でももう、そんな彼女はいない。ただひたすら勝敗に拘泥するロボットになってしまった。アーちゃんはもう、コートに勝ちたいわけでも、みんなの笑顔を見たいわけじゃないんだ。負けたくないだけ。オークスの敗北で彼女の美しい顔は歪んでしまった。足並み揃えて練習した思い出も、何十通ものファンレター全てに寝る間も惜しんで返事を書いていたことも、自分に負けたウマ娘への賛美も、今はもう勝利を妨げる呪いなのかもしれない。けれどどうしても、胸に引っかかっていることがある。そんな彼女を前にして、ナットちゃんは一緒に待っていると言った。確かめないといけない、アーちゃんは本当に変わってしまったのか。あたしの大好きな彼女は、本当に待ってくれているのか。

 

「いい加減少しくらい、外に出ないとな」

 

本当は心のどこかで、まだ彼女の言葉にすがる気持ちがあったのかもしれない。でもそれを認めたくない。ほんの少しでも、もしかしたらみんなが、アーちゃんが笑顔で待っているんじゃないかって、この期に及んでくだらない希望を思い描く自分を殴りたくなった。だから、わざと大きな声でひとりごとをつぶやき、私は数週間ぶりに部屋の外に出た。

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