秋の向こうへ、その向こうへ。   作:たいたい35

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覚醒の領域

クラシックの最終戦である菊花賞、トリプルティアラの最終戦である秋華賞、どちらも秋真っ盛りの時期に行われる。春に活躍していたウマ娘が秋では失速する、またはその逆も大いにありうる。それはつまり、夏はウマ娘にとってあらゆる可能性を秘めた成長の特効薬だ。そして、アリアンスは夏をひたすらトレーニングに捧げた。今までユウのトレーニング内容に忠実だった彼女だが、最近は限界まで追い込もうとしてしまうため、ユウは夏休みの間、そのオーバーワークを毎日監視していた。フルアダイヤーもマロンナットも幾度となく彼女に心配を投げかけるが、分かったと返事はするものの、心には全く響いていない様子だった。

 

「もうすぐローズステークスか。大本命のコートちゃんは紫苑ステークスに出走、そして最近のアリアンスのトレーニング量と成長が著しいことを考えれば、相手関係も含めまず負けることはない。ようやく彼女は初重賞を取ることができる。なのにどうして、胸騒ぎがするんだ」

 

ユウは分かっていた。これでは親父と何も変わらないと。ウマ娘の身体を限界までに痛めつけることによって手に入れる勲章、まさに軽蔑してきた奴のやり方そのものじゃないか。この夏で溜まった大量のレポートが床に散乱している。彼女の成長が確かに記録されているそれに、彼は酷く恐怖していた。

 

「人生一度きりのトリプルティアラの最終戦だ、負けたくない、その気持ちは分かる。けれどどうして急にそこまで自分を追い込むようになってしまったんだ、アリアンス……」

 

いつも彼女の隣にいたウールはもういない。一人レースで戦ったアリアンスを、一番近くで、笑顔で出迎えてくれた親友はもういない。果たして本当にこれでいいのか。大切なみんなのために、応援してくれる人のために、その中心にウールがいない状況で、アリアンスは笑って走れるのだろうか。

控え室、アリアンスは鏡を見つめている。理由を聞くと、いつウールちゃんが帰ってきてもいいように、笑顔の練習をしていると答えた。桜花賞、オークスで見られた手足の震えは消えていた。

 

「ウールちゃん、おみやげ何がいいかな」

 

頰に手を当てて、夕飯の献立を考えるみたいに。ユウは戦慄していた。これは果たしてリラックスしているだけなのか。まるで敗北が見えていないかのような余裕。 彼はただ唾を飲み、見守ることしかできなかった。そんなとき、ドアが開き、マロンナットとフルアダイヤーがやってきた。二人の手にはうちわが握られている。

 

「えへへ、昨日作ったんです。ちょっと浮いてるかもしれないですけど、かわいいかなって」

「これくらい変な方が、アンを勇気づけられると思った。もちろんぬいぐるみも持ってきた」

「うふふっ、なんだかコンサート会場みたい」

 

顔色はいつもと変わらない。むしろ自信を仄めかすように笑っている。彼女を励ましてあげようとやってきたのだろう、しかしその心配はいらなかった。

 

「いつもの調子、出せそうですか?」

「心配しなくても大丈夫だよ、ナットちゃん。私は絶対に勝つの。だってみんな、私より弱いから」

「えっ」

 

胸にナイフを突き立てられたような気がした。血の気が一気に引いていく。その不気味な笑顔に、部屋中の空気が凍てついた。だってアリアンスは、三人の知る彼女は、他人に弱いだなんて言うはずがない。弱さを克服しようとあがく気高さ、その美しさを知っているアリアンスは、そんなことを言うわけがない。空いた口が塞がらない三人を不思議に思い、彼女はハテナを浮かべる。何か変なこと言ったかしら、そう言いたげだった。呆気にとられていると、アリアンスはブーツをトントンと鳴らし、深呼吸した。

 

「行ってくるね」

「待て、アリアンスっ!」

 

ふんふん、鼻歌とステップを刻み揺れるようにターフへ向かう。その姿はかつて見た高松宮のレゾルーラによく似ていた。ユウの静止は届かなかった。

 

「違う……!彼女は親父とは違う……!」

 

手に汗が滲み、動揺を隠せないユウを二人は心配そうに覗き込んでいた。

 

 

 

 

 

「秋を目指すなら、ここは負けられない。どんなウマ娘にもチャンスはあります、三枠の優先出走権を賭けて十五人のウマ娘たちが争います。各ウマ娘続々とゲートへ、一番人気は八番アリアンスが今入ります」

 

バコッ。十五人は揃ってゲートを出た。いや、一人、強烈な出遅れを見せたウマ娘がいる。彼女の靡く白き髪にに夕日が透過する。まるで何かを噛み締めるように、一抹の焦りもなく、大きく一歩を踏み出した。

 

「おっと、アリアンス出遅れました!場内騒然!しかしレースは止まりません、徐々に隊列が決まっていきます」

 

一番人気の彼女が出遅れたのだ、当然観客は無言ではいられない。家族で観戦していただろう子どもが周囲をキョロキョロと見回している。その父はその隣、青ざめた顔で拳を握っていた。

 

「ああ、出遅れです。あれだけ練習していたのに、お尻から二番手までは四バ身くらいでしょうか」

「アンの様子がおかしい。もしかして、わざと?」

 

跡が残るくらいがっちりとうちわを握り、二人は最前列で彼女の動向を見守る。向正面、隊列は決まって、集団は固まり先頭が少しずつペースを落とす。しかしアリアンスはなぜかそれに追いつこうとしなかった。過激なまでの違和感、まるでレースに気合が入っていない。上の空、見えない何かに意識を持っていかれているのだ。彼女だけがどこか遠い場所で走っている、そんな気がしてならなかった。

 

「みんな、遠いよ……。待って、待ってってば」

 

アリアンスは必死で前の集団を追いかける。しかし、追いつけない。全力疾走しているわけでもないのに、ちょっと速度を上げれば追いつけるはずなのに。身体が重い。

 

「あっ」

 

違う、後ろなんだ。背後の地面から白い手が何本も生えて、私を捕まえようとしています。ついにそれが私の両足に絡みついて、必死で邪魔をしているのです。スタートの躓きもこれが原因でした。しかしその腕は、どこか見覚えがあるのです。それは私の手でした。今まで負けてきた私の怨嗟の結晶なのだと気づくのに、時間はかかりませんでした。アルテミスステークス、阪神JF、チューリップ賞、桜花賞、オークス、数多の敗北の記憶が私を押し潰しています。どれだけ追っても埋まらない絶望の差、鼓動が焦りに変わっていくあの瞬間、虚無感と客席からのブーイング。それら全ての辛苦が呪いとなって降り注ぎ、私は前に進めなくなっていました。

 

「あぁ、あああ……」

 

最終コーナーを過ぎても、私の身体は動きません。怖い、怖い、怖い。ただ地面の芝を見つめるしかないあの時間。あの冷たい視線、友達さえ傷つけて、一人ぼっちになる私。もうあんな思いはしたくない。もう二度と負けたくない。負けたくない、マケタクナイ。

 

『こっちに来なよ、君。全てを破壊しよう、ウチらのスピードで。へへっ、ははハッ、アハハッッ!』

 

あれ、どうして私は、今まで負けてきたのだろう。みんな、カメより遅いのに。私はタカより速くて、トラより速くて、みんなはアリより遅いのに。私は強くて、みんなは弱いのに。ダメだ、足が止まらない。加速が止まらない。妙な浮遊感。私が私ではないみたい。私は個体?液体?それとも気体?新幹線も追い抜く加速で、四次元に飛ばされてしまったような。ぐちゃぐちゃに溶けて、私が再構築されていく。いや、もう私が誰かなんてどうでもいいのかも。今はただ、この速さが、強さが何よりも気持ちいいの。

次の瞬間、アリアンスは光になった。

 

「うふふ、ふふっ。あはははっ!」

 

ぐちゃぐちゃになるまで、もっと速く、もっと強く。もう誰も追いつけないように、誰にも負けないように、コートちゃんですら影を踏めない私だけの境地へ。ああ、空が曲がっています。雲が、夕日が、観客席が、ユウさんが。何もかも曲がっています。カラスの鳴き声が鼓膜を破って、全身を食い破りました。多分きっと、私に追いつけていないんだ。私はただ、この至極の快感に身を任せ走り続けます。

 

「アリアンスが来た!アリアンスが来た!残り200!圧倒的なスピードで!外から外からやってきた!あっという間に抜け出して、一バ身、二バ身、三バ身!」

 

ついに、アリアンスは領域にたどり着いた。

 

「なんとなんと圧勝ゴールイン!大差では収まらない圧勝劇!アリアンスついに完全覚醒!桜花賞、オークスの惜敗を見事力に変えました!」

 

気がついた時にはレースは終わっていて、それどころか半周分長く走っていたそうです。ああ、気分がいいです。豪雨で濡れきった全身に温かいシャワーを浴びたような。勝ったからではありません。そんなことは当たり前です。それは、まるで新しい生命になったかのように、私はスピードの全てに成りました。ついに私は、弱さを超えたのです。敗北に敗北を重ねることしかできなかった醜く弱い私を捨て去って強さをその手に掴みました。

 

「これだ、これならコートちゃんなんて……。うふふっ」

 

空を仰いでいた私の元に、ナットちゃんとアイちゃんが駆け寄ってきてくれました。

 

「アン、圧巻の走りだったよ」

「すごいです、すごいです!一時はどうなることかと思ったけど、やっぱりアリアンスちゃんはすごいです!」

「もう、大袈裟だよ」

 

アリアンスは口角を上げて笑った。しかし、その側にはユウはいない。二人が来た方向にも彼はいなかった。不思議ではあったが、それよりも解放感に流されてしまっていた彼女にとって、それは些細なことだった。

 

「掲示板、見ましたか!」

 

振り返ると、そこにはレコードの赤文字。アリアンスはなんと、正真正銘、誰よりも速くターフを駆け抜けたのだった。目を大きく見開き、自分が打ち立てた記録に驚嘆の声をあげるアリアンス。声にならない歓喜が彼女の身体を駆け巡った。

 

「アンなら絶対、コープコートに勝てる」

「うん!次こそ、秋華賞だけは、私が取ってみせるから……!」

 

祝福の歓声に包まれて、アリアンスはターフを去っていくのだった。

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