秋の向こうへ、その向こうへ。   作:たいたい35

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月下の静謐

「ウイニングライブ、とってもかわいかった!」

「カッコいいって言われたいんだけどね、あたし的には」

「ウールちゃんがカッコいいのはいつものことだから……」

「なっ!?もう、このこのー!」

 

激動の菊花賞から数時間、興奮冷めないうちに笑い合っている。祝杯の代わりに温泉に来ていた二人は、髪を乾かし、夜風の当たる場所で休憩していた。欠け始めた月を見ていると、菊花賞での出来事が嫌でも思い出されてしまう。もしかしたら孤独なあの月は、今のアーちゃんと同じなのかもしれない。

 

「あのね、アーちゃん」

 

宵を照らす月が一瞬の間に雲に隠れてしまう。どこまでも続く闇夜の光源は月だけで、一気に心細くなる。そうか、あんなに大きな月も、空の流れで雲に閉ざされてしまうんだ。

 

「本当はあたし、飲み込まれそうだったんだ。最後の直線、足が全く反応しなくて、ミールラプソディが遥か彼方にいて、苦しくて苦しくて仕方がなかった。でも諦めたくなくて、そんなとき、領域(りょういき)の影が見えたんだ」

 

月を覆う雲と領域(りょういき)が重なった。それは孤独と無力を盾にあたしたちに近づいてくる。一人で戦うことを強制してくる。周りには助けは何もないと錯覚させてくるのだ。

 

「勝ちたいならこの手を取りなって、遠い向こうからレゾルーラ先輩が言うんだ。あたしはとっさに手を出しそうになって、でもギリギリの瞬間に、アーちゃんの声が聞こえたんだ」

 

抗えない何かに取り憑かれるというよりは、自分の心の弱さが剥き出しにされてるような感じだった。私たちはどこまでも、強大な力を誇示されるよりも、己の無力を晒される方がよっぽど堪えるみたいだ。でもだからこそ、アーちゃんの優しい声が日光のように眩しかった。

 

「一年前のエリザベス女王杯、ナタリーさんがアーちゃんの声に力をもらえたのと同じように、あたしもそうだったんだ。アーちゃんの祈りと勇気が、力を与えてくれた」

 

何よりも大切だったアーちゃんの声が聞こえた。反対に、彼女もみんなを大切にしていた。だからあたしにその声が届いたのだと思う。

 

「みんなを笑顔にしたいと走り続けるアーちゃんの思いは、ちゃんと伝わっているんだよ。今回みたいに、いざってときに勇気に、力になるんだ。だから安心して走れば大丈夫だよ」

 

真っ直ぐ煌めく緑の眼差しが、アリアンスを貫いた。彼女の優しい言葉とともに、忘れていた温もりが彼女を包み込む。

 

「アーちゃんは一人じゃない。きっとみんな、アーちゃんを信じてる」

 

忘れていた温もりの正体に、私は気づきました。これはきっと、今日まで歩んできた日々なのです。入学して、ウールちゃんたちと出会って、切磋琢磨して、旅行に行って、たくさん負けて、それでも走って。かけがえのない毎日の積み重ねが、私の力になっていることをようやく思い出しました。ああ、こんな幸せを、私は否定しようとしていたのかな。敗北を重ねても、それまで積み上げてきたものは、決して無駄でも嘘でもなかったはずなのに。

 

「一緒に成長していこ?もっと大きな期待を背負って、多くの人を笑顔にするために……!」

「うん……!」

 

大きな何かから解放された気がして、心が晴れやかになりました。私を救ってくれたウールちゃんの一言一言は、居ても立ってもいられない状況にさせるのです。私はウールちゃんに抱きつきました。

 

「こ、困るってアーちゃん!ほら、みんな見てるのに……!」

「ウールちゃん、ウールちゃん……!」

 

周囲なんてお構いなしに私はその身体を離しません。もう何も失わないように、ちゃんと抱きしめておかなければならないのです。特にウールちゃんはG1ウマ娘、しかもクラシックだから、いつ誰が狙っているとも限りません。私とユウさんが渡すわけがないのですが、万が一があります。精一杯の力でぎゅっと抱きしめました。

 

「あ、違うんですこれは……、はい、すぐ辞めますので!」

 

隣のお客さんがクスクスと笑っているのが見えました。違くないのに、そう心の中でぼやいた私はようやく彼女から離れました。ウールちゃんは、菊花賞の時よりも顔を紅潮させています。

 

「こ、こんなに積極的だったっけ?あたしが休んでいる間に何かあったの……?」

「うふふっ、内緒」

 

極限まで高まったあたしの恥じらいを、遠い鈴虫の音色が遠くまで運び去っていく。しばらくそのまま休憩していると、どうしても逆らえない睡魔が襲ってきて、あたしはあろうことかアーちゃんの肩にもたれかかってしまった。

 

「最後は私の番。ウールちゃんに恩返し、しないと」

 

アリアンスは寝ているウールを起こさないようにスマホのカレンダーを確認する。ユウさんに今後の連絡をしないと、そう慌ててラインを送るのだった。

 

「あ、牛乳飲み忘れちゃった」

 

隣で静かに眠るウールちゃんのために、私はとても自動販売機まで行くことはできませんでした。

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