私たちがいつも使っている席に、思ってもみなかった先客がいました。
「あれ、コープコートじゃん。珍しいね、食堂にいるの」
コープコートちゃんがいました。いつもは食堂ではなく購買で軽めのパンなどを買っているみたいなのですが、今日はここでにんじんハンバーグを食べていました。
「なによ、いちゃ悪い?私だってハンバーグくらい食べたくなるわ」
獲物を睨みつけるような目でウールちゃんを見ています。コープコートちゃんは名門出身のお嬢様ということもあって、食事にもかなり気を使っているのです。その証拠に、せっかくのにんじんハンバーグなのに、一番小さいサイズです。サラダは超大盛りなのに。
「ここ、使うの?邪魔して悪かったわね。すぐ移動するわ」
「待って、コープコートちゃん。せっかくだから一緒に食べたいな。私、コープコートちゃんに聞きたいことたくさんあるの」
「そ、そう?そういうことなら、ご一緒させてもらうわ」
気恥ずかしそうにトレーを机に戻すコープコートちゃん。さっきよりも少し食べるペースを早めていました。まるで小動物のようです。もしかして、少しだけ期待していたのでしょうか。ストレスの溜まる食生活なだけに、誰かと会話できれば少しは軽減されるはずです。
「どうして今日はここにいるの?」
「トレーナーに言われたのよ、今日は好きなもの食べていいって。いつも我慢してるのよ、パンとかばっか食べてるの、見たことあるでしょ」
「厳しいもんね、コープコートちゃんのトレーナーさん」
「コートでいいわ。まあ勝つためだからしょうがないわね、たまにはこうしておいしいハンバーグも食べれるわけだし」
「そう、だよね。勝つためならそのくらいするよね」
さすがの覚悟だと思いました。これが名門の勝利へのこだわり。これくらいは当たり前。そう言いたげな雰囲気が、私から穏やかを消し去りました。これなら、私が模擬レースで負けたのも当然の摂理です。話によると、トレーナーさんが日々の食事のカロリーなどを計算して、食事の献立も、お付きの人に考えてもらっているそうです。強い子たちはここまでしているんだという思いが膨らんでいきます。今の私は大丈夫なのだろうか、こうしている間にも周りとの差が広がっていないだろうか、そんな思いが身体中を駆け巡っていました。三人で楽しい食事をしているはずなのに、胸の奥が刺されたように痛くて、その痛みが思いのほか苦しくて、泣いてしまいそうになりました。ついには、あんなに楽しみにしていたオムライスに、大量の涙を落としてしまいました。
「アーちゃん大丈夫?顔青いよ。保健室行く?」
「私が連れて行くわ、アリアンスさんの食器を片付けておいてくれる?アリアンスさん、立てるかしら」
胸の奥の痛みはついには心臓を貫きそうになって、動く気力が湧きません。コートちゃんにもたれかかるようにして、震える足をなんとか動かして、引きずられるように保健室へと運ばれました。
「失礼します。アリアンス、大丈夫か」
乱れた髪と荒い息遣いでユウさんがやってきました。こんなにも心配して飛んできてくれたのに、私を気づかって、至って冷静に振るまっていました。
「ごめんなさい。トレーナーさん。少し、辛いことがあって」
「そうか。すいません、少し二人にしていただけますか」
保健室の先生が笑顔で頷いて、出ていかれました。私は溢れ出る涙と思いを必死に押さえつけながら、深呼吸を何回も繰り返しました。
「私、このままでいいんでしょうか。もっともっとできることがあるんじゃないかって、そう思うんです」
「それは、自分は周りに比べて努力していないから、それがどんどん差が広がっていくんじゃないか。そう感じて、それで不安になってしまったってことかな」
「はい。さっき、コープコートちゃんとお話ししていました。それで、コープコートちゃんは、食事制限をしていて、さらに私の何倍も努力しています。なのに私は、私は……」
目頭を真っ赤にして、もう涙を抑える術も持っていなくて、ただ溢れ出していくだけでした。そんなみっともない私を、ユウさんは叱るでも慰めるでもなく、ただ慈愛に満ちた目で見守っていました。何十分か経って、私が少し落ち着きを取り戻すと、ユウさんが口を開きました。
「そこまで追い込ませちゃってごめん。辛い思いをさせちゃってごめん。僕はアリアンスの気持ちも考えないで、何も言わずにひたすらトレーニングの指示だけをしてしまっていた。本当にごめん。アリアンスが望むなら、僕はアリアンスのトレーナーを辞めてもいいと思っている。でも、これだけは言わせてほしい。僕は、アリアンスが他の子と比べて差になるようなメニューを考えたことはないよ。最善最短で追い抜く、そんなメニューを考えてきた。それだけは信頼してもらってもいい。食事制限なんか、する必要がある時点でマイナスだ。もちろんダメとは思わないよ。ただ僕はそんなことしなくてもいいようにメニューを考えている。そこにだけは誇りを持ってるんだ」
さっきようやく止まったはずの涙が、さらに止めどなく流れてきました。しばらくは自分がなぜ泣いているのか、ユウさんの言葉は、自分の心をどのように動かしたのか、色々なことが分からないまま泣いていました。静寂を保っていた保健室は、私のすすり泣く声と、嗚咽だけでした。またしばらくして、ようやく整理がつきました。ハンカチで目を擦って。考えてみれば、私はユウさんを信じていなかったのです。ユウさんはいつだって本気で、最適を私に与えてくれていたはずなのに、それを裏切るような最低な勘違いをしてしまいました。そして何より、私はこのままでいいんだという安心感に包まれて、なんとか涙を抑えることができました。ユウさんに謝らないと。私は、再び訪れた静寂を切り裂くように口を開きました。
「私の気持ちは、ユウさんと一緒です。私はユウさんがいいです。なのに、ユウさんを裏切るようなことを言ってしまいました。本当にごめんなさい」
「そんな、謝らないで。僕の方こそ悪かったから。しかし、それだけ思い悩めることは、アリアンスのレースにかける想いの強さだよ。大丈夫、アリアンスは絶対に強くなれる、僕が保証するよ。でも、これからも何か不満があればどんどん言ってくれて構わない。練習メニューだって、アリアンスと一緒につくっていきたい。さあ、もうしばらく休んだら、授業に戻ろうか」
鏡を見てみると、目を真っ赤に腫らせて、普段よりもずっとひどい顔をしていたのに、それでも、その奥に光が宿っている気がしました。私なら大丈夫、そう何度も心の奥で自分を鼓舞しました。テストも近いだろうし、今は勉強だよ。その言葉に後押しされて、私は保健室の戸を開きました。
「アーちゃん!大丈夫?さすがのあたしもいてもたってもいられなくて、抜け出してきちゃった」
「ウールちゃん。もう大丈夫だよ。心配かけちゃってごめんね」
ウールちゃんが初めて目を潤ませながら、私を覗き込むように見つめてきました。私の言葉を聞いて、本当によかったと耳をピクピクさせていました。ウールちゃんは私をこんなに心配してくれて、こんなに優しい友達を持つことができて、私は本当に幸せ者です。ユウさんは、後は任せましたと会釈して、去っていきました。
「さ、アーちゃん、行こ?歩ける?あたしサポートするよ」
今度はウールちゃんにもたれかかるようにして、二人三脚で、教室まで歩いていきました。