テストが終わって七月に入りました。トゥインクルシリーズの初めての一戦となる、メイクデビューの日がいよいよ近づいてきました。梅雨が明けてまだ湿った空気が残る中、夏の熱気も容赦無く私たちに襲いかかります。それに呼応するように、ユウさんの指導にも熱が入ります。いつも通り柔軟から始めて、レース中にかからないように、周りのペースに惑わされないために、自分のペースをつくり、把握するためにターフを何度も走っています。
「うん、完璧だ。タイムも大きくぶれていない。足の柔軟さも比べ物にならないほど成長している。さすがアリアンスだ。僕も鼻が高いよ。それで、これからなんだけど、今までの練習に加えて、一つ試してみてほしいことがあるんだ。正直、メイクデビューの日はこれだけを気にして走ってくれればいいくらいだ」
ゴクリ。息を整えながら、ユウさんを見つめました。ユウさんも深呼吸をして、続けました。
「ずばり、ラストスパート。当たり前じゃんって思ったかもしれないけど、やっぱりこれが一番大切だ。模擬レースの時は完璧だった。かけるタイミングを見極めるコツは、アリアンスの身体が勝手に示してくれるとは思う。けど、万が一のためにスロー、ミドル、ハイペースそれぞれのラストスパート練習をしておきたい」
模擬レースの時を思い出します。身体が勝手に動いて、ただ勝ちたいという一心だけでした。けれど、状況に応じて自分で判断できるということは、当たり前ながら大切なことです。少しずつ実力も上がってきた今だからこそ、分かることがあると思います。練習にあたって、他のクラスのウマ娘と併走することになりました。ユウさんに言われた通りに、前の子がつくるペースを頭の中で考えながら、色々なペースに慣れていけるように、ラストスパートの踏み出しタイミングを調整していく。そんな練習を、何日間か重ねていきました。
「よし、今日の練習はここまでにしよう。週明けはいよいよメイクデビューだけど、あまり緊張しすぎないように、休日はリラックスして過ごそう」
「はい。私、絶対に勝ってみせます」
「その意気だ。今日はお疲れ様」
お疲れ様でした。深くお辞儀をして、私は夜ご飯を食べるために食堂へと向かいました。食堂では、先に練習を終えていた二人が待っていました。
「アーちゃん、いよいよ明々後日だね。メイクデビュー。あたしもう落ち着いていられなくて。アーちゃんのレース、早く見たくて見たくて」
「珍しく同意見だわ。ほんと、待ちきれない、アリアンスさんの初陣。あの模擬レースで私が一番警戒していたのは、実はあなただったのよ。そんなアリアンスさんが負けるわけない、そう思ってるわ」
二人からも激励の言葉をもらいました。二人よりも一足先にデビュー戦なので、今年のB組は強いんだって会場の人たちに見せつけてやろうと誓いました。今日はいつもよりも多めのライスと、ありきたりのカツカレーです。にんじんも多くトッピングしてもらって、気合い十分。負けるわけにはいきません。みんなの前で、センターで堂々とウイニングライブを踊ってみせます。実はダンスはあまり得意ではないのですが。みんなに見られないようにこっそり練習していたので、多分大丈夫だと思います。
「あたしも結構速くなってきた感じはするんだけどな。トレーナーはなかなか認めてくれないけどね。もう今から自分のデビュー戦が楽しみだよー。二人とも、あっと言わせてみせるからね」
「休憩中にあなたの練習が目に映ることがあるけど、あれならまだ私の方が速いわね。もっともっと努力すべきだわ」
「私からしたら、二人ともすごいなと思うな。あんなに頑張ってるんだもん」
二人のやがて来るメイクデビューに思いを馳せながら、時間は過ぎていきました。食堂の窓には、いつか見た白月が佇んでいます。そろそろいこっか、ウールちゃんの声で、食堂を後にしました。二人に手を振って、私は自分の部屋へと戻りました。
「おかえりー。来週、気負わず頑張ってね。もちろん勝ってほしいけど。負けたら負けたで、得るものはその分大きい。メイクデビューだけが全てじゃないよ。分かってるとは思うけどね」
学園に入ってきたばかりの頃、ナタリーさんが一度だけ見せた本気の顔、本気の目。今日はあの時ほど怖い口調ではなかったですが、何か強い気持ちを押さえつけて話しているように見えました。負けてもいい、口ではそう言うものの、やっぱり絶対に勝ってほしいのだと思います。私がいる手前、無理やり繕っているような気がしてなりませんでした。
「無理しなくて大丈夫です。ナタリーさんの気持ち。私が全部受け止めます。私は、絶対に勝ってみせますから。見ててくださいね」
「やっぱりアーちゃんはすごいね。見透かされちゃうかあ。正直、絶対にここは勝ってほしい。あたいはアーちゃんに、何回夢を見たか分からない。走るたびに飛躍的に実力を伸ばすものだから、この子ならやってくれる。その思いがずっとずっと強くなっていくんだ。だけど、今回負けてもいいって言うのも嘘じゃない。夢はこれでは終わらないから。だから、アーちゃんが思う最高のレースをしてほしい。それで今は十分だよ」
涙を落とそうとするナタリーさんの瞳を、私はそっとハンカチで拭って、返事の代わりに心からの笑顔を向けました。ナタリーさんは、くくっと八重歯を見せて笑いました。安心した。そう一言だけ呟いて、ベッドに潜ってしまいました。それを見届けた私は、床に就きました。いよいよ、メイクデビューです。