今日は、ウールちゃんのメイクデビュー当日。コートちゃんと一緒に中山までやってきました。
「いよいよだね、ウールちゃん。頑張って!」
「二人が見てる前でかっこ悪い姿は見せられないからね。ほら、アーちゃんが選んでくれた靴も履いてきたよ。かっこかわいいでしょ?」
「あら、結構いいじゃない。さすがアリアンスさん。センスバッチリだわ」
感心するコートちゃんの隣で、つま先をトントンと弾ませてアピールしています。ウールちゃんは今日までの練習で目まぐるしく成長していました。それはクラスの皆の知るところです。前日の雨で稍重のターフとなってしまいましたが、ウールちゃんなら難なくこなしてくれると信じています。
「第5R、ウマ娘が入場します」
軽い足取りでゲートへと向かいます。私たちに気づいて、手を振っていました。初めてのレースでも緊張は感じていないように見えました。私の場合はとにかく落ち着きが無くて、緊張して全く何も考えられなかったくらいでしたが、この様子を見ると、練習通り、軽快に決めてくれるのではと思ってしまいます。ウールちゃんは四番。私の大好きなお友達の最初の晴れ舞台、一番人気に支持されて、ファンファーレが高らかに鳴り響きました。
「世代を担うウマ娘は現れるのか、中山第5R、今スタートしました」
結果から言うと、ウールちゃんの圧勝でした。ウールちゃんは、三番の子の逃げを待っていたかのようにスムーズに番手につくと、とにかく落ち着いたレース運びで、かかることもなければ、コーナーで鈍くなることもない、安定した走りでした。そんな状態で最終コーナーを迎えてしまえば、あとはもうウールちゃんが抜け出すだけでした。完璧なレース運びをしたウールちゃんは、残っている体力もスピードも加速力も全てが抜けていて、五バ身差ほどの圧勝で、1800を走り切りました。あまりの強さに震えるような思いをしていた私に、ウールちゃんは笑顔でピースしていました。どう、かっこよかったでしょ、そう言っているような気がしました。
「嘘をついてしまったわ。あれなら、私の方が上だなんて、そんなことないのかもしれない。今のあの子なら、私でも苦しいかもしれないわね」
好敵手が現れたのを感じて、ニヤリとほほえむコートちゃん。ウールちゃんが焼きつくほどに見せつけた、ウマ娘としての威厳でした。
「あの子、強いじゃん。クラシックでもやっていけそうだね」
ナタリーさんがいつのまにか隣にいました。ナタリーさんが言うには、メイクデビューでここまで周りを見て冷静に動けるウマ娘も少ないそうです。私から見ても、とにかく気負わず、「楽」に走っているような感じでした。緊張だとか、周囲の雰囲気に惑わされない。それが、ウールちゃんの武器なのだと思います。
「ウールちゃんはやっぱりすごいです」
ずっと練習は見ていましたが、ここまで完璧なレースをいざ見せつけられてしまうと、少しだけ気後れしてしまう私もいます。今の自分に足りないものをはっきり見せつけられた気がしました。ただそれは、落ち込むようなことではなくて、今の時点でそれを身につけているウールちゃんを讃えることなのだと思います。
「またまた、褒めてる場合じゃないよ。それに、あれだったらあたいはアーちゃんが劣ってるとは全然思わないけど。むしろアーちゃんなら全然勝てるよ」
「そう、思いますか」
私が不安そうにナタリーさんを見つめると、くくっと笑いました。
「もちろん。アーちゃんが何を思ってるか分からないけど、その気持ちは損だね。二人は強さのベクトルが全く違う。アーちゃんはまだあの子の強みを身につけようともしていないだけ。トレーナーだって分かってると思うよ。それに、あの子に無いものを持ってる。ベクトルが違うというのは、そういうこと。そしてそれは、今の時点でとっくに完成されていて、少し失礼な言い方だけど、あの子にはどれだけ努力しても手に入れられないもの。あたいとルドルフの違いみたいなものだよ」
ナタリーさんの、全てを見通したかのような達観した瞳に、私は何度も二冠の威厳を感じて、同時に救われてきました。ナタリーさんにそう言ってもらえることが、どれだけ自信につながってきたか、分かりません。だから、ここまで期待されているのに、悩んでも仕方がないです。もっともっと頑張るしかないのです。
「だめだよ、そんな顔しちゃ。せっかくの大切な友人の晴れ舞台なんだから、行っておいでって、言わなくてももうこっち来そうな雰囲気してるし。アーちゃんはすぐ深刻に考えちゃう癖があるからね、もっと気楽にいかないと。じゃ、あたいは帰るね。色々話したいこともあるだろうし、バイバイ」
冗談交じりに、ピシッと敬礼をして帰っていきました。その代わりに、ウールちゃんがやってきました。
「ふう。結構気持ちいいもんだね、勝つっていうのは」
「お疲れ様、ウールちゃん」
「あたしにしてはなかなかグッドなレースしてたんじゃない?そこのお姉さんも、ちょっとは見直してくれたみたいだし」
「なかなかね。思ってたより、ほんの少しだけ強かった、それだけよ」
「コートちゃん、ほんとに嬉しそうにしてたんだよ、ライバルが現れたって」
「ちょっと、アリアンスさん!それは違うのよ、ただ、言葉を間違えただけで」
視線を逸らすコートちゃんを、すかさずウールちゃんが覗き込みます。恥ずかしそうに指遊びをして、これはいつも強気なコートちゃんにしてみればなかなか新鮮な光景です。きっとウールちゃんの仕返しなのかもしれません。でも、おそらくですけれど、コートちゃんのさっきの言葉は本心で、二人で高め合っていきたいと心から思っている気がします。そうでなければここまで顔を真っ赤にしないはずです。
「私も続かないと。二人とも、見てて。圧倒的な力の差を見せつけてやるわ」
少し間隔は空きますが、コートちゃんのメイクデビューも近づいています。私を含めた皆がコートちゃんの勝利を確信していて、疑いようの無い一番人気になると思います。今日のレースを見て、また一段とギアをいれたみたいで、少し昂りを残したままコートちゃんは帰っていきました。
「あたしね、分かっちゃった」
コートちゃんが帰って、少しの間続いた沈黙を破ったのはウールちゃんの一言でした。
「あたし、正直自信なかったんだ。口では色々言ってたけど、心の奥では、どうせ勝てないだろうって気持ちも強かった。だから、真面目に練習はしてきたつもりだけど、勝てたらいいなくらいの気持ちでいた。自分にそこまでの才能が無いのは分かってたからね。でもそれは全然しょうがないことなんだよ、もちろん恨んじゃいない。ただ、今日知っちゃったんだ。勝つことの意味を、先頭の景色を、みんなの期待を背負うことの凄さを。分かっちゃったんだ。ほんとはあたし、勝ちたいんだって。心の底の底、あたしも分からない場所では、できるって信じてたんだ」
ウールちゃんが今までにないほど澄んだ瞳をしていました。何と言えばいいのでしょうか。橙に広がる残映よりも澄んでいるのに、どこか瞳の奥は遠くのものを見つめているような気がするのです。
「口では濁してたけど、心では勝ちたくて勝ちたくてしょうがなかったんだなって。それが分かったから、もう重賞制覇が目標だなんて言わない。絶対に勝ってみせるよ、G1。前に誰もいないまま、ゴール板を通過して、アーちゃんたちの歓声をめいいっぱい浴びて、勝ってみせるよ。いつか、アーちゃんとも勝負してみたい。だから、見ててね、アーちゃん」
夕日に溶け込むウールちゃんの笑顔は、何よりも真っ直ぐです。ウールちゃんは、周りの子には目標を大きく言うけど、それを否定する自分がいて、さらに強い自分を肯定する自分がいるのです。私は、否定するウールちゃんには全く気づけませんでした。しかしそれは、ウールちゃんの負けないと言う気持ちが練習から存分に伝わってきたからです。妥協を許さないウールちゃんのどこに弱気が存在しているのでしょうか。元々そんな弱気は無かったと思います。芝にわずかに残る砂を、そよ風がさらっていきました。ウールちゃんの、肩を少し超える天色の髪が揺れました。
「もちろんだよ、ウールちゃん。でも、私はウールちゃんのG1制覇が高望みだと思ったことはなかったよ。だって、あんなに練習頑張ってるんだもん。それに」
少し照れくさくて、なので深呼吸をしてから、私はウールちゃんを瞳に捉えて、口を開きました。
「ウールちゃんが、トリプルティアラを取れるって言ってくれたこと。すごく嬉しかった。今でも覚えてるの。だから私も、言うね。ウールちゃんなら絶対勝てるよ。私、周りに自慢しちゃおうかな。これが私の友達のG1ウマ娘のウールちゃんですって」
初めて会った時のことを思い出したのか、ウールちゃんもクスッと笑っていました。二人の間を流れていた重苦しい空気は鳴りを潜めて、少しの間笑い合いました。
「らしくないこと言っちゃったね。さ、忘れて忘れて。ウールちゃん、これから練習頑張っちゃうからねー。とりあえずウイニングライブ頑張らないとね。あんまりダンス好きじゃないんだけどなー」
そこには、夢を預け合った二人のウマ娘の健気な姿がありました。