教室に戻ると、私の席に誰かが座っていました。声をかけようか少しとまどっていると、ウールちゃんが助け舟を出しました。
「ちょっとこの席、空けてくれないかな?ごめんねー」
「ごめん。すぐにどく」
「ごめんね、あ、そうだ、お名前はなんていうの?」
「私はフルアダイヤー。これからよろしく」
「よ、よろしくね。」
私の席に座っていたのはフルアダイヤーちゃんでした。漆黒の髪をなびかせて、足早に自分の席へともどっていってしまいました。もう少しお話ができたらと思いましたが、ダメでした。
「なかなかクールな子だね、確かに少し怖いかもー」
「えへへ、フルアダイヤーちゃん。お友達になれるといいな」
「そうだねそうだね、これから少しずつだね」
「うん!」
そのような感じで、私のトレセン学園での初日は終わりました。トレセン学園で過ごすほとんどのウマ娘たちは、寮で暮らします。なので放課後は、それぞれトレーニングをして、定められた時間までには寮に戻り身体を休めます。先輩たちは、落ちゆく夕陽のもとで、自分を追い込み、成長の糧としていました。英雄みたいでかっこよかったです。私たち新入生はまだトレーニングはしません。今日は部屋のチェックや物の整理などを行います。さっそく部屋を見にいってみることにしました。
「私の部屋は、よし、ここだよね。お邪魔します」
まるで他人の部屋に上がる時のように、行儀良く戸を開きました。すると一人、小柄なウマ娘が中にいました。その子は、機嫌良く鼻歌を歌って、カバンの中身を整理しています。ただ私は、そのウマ娘のことを知っていました。
「いらっしゃい、新入生の子だよね。場所空けておいたから、自由に使っちゃっていいよ。色々慣れないこともあるだろうけど、何かあったら頼ってね。どうもよろしく」
「よ、よろしくお願いします」
間違いありません。そのウマ娘は、数年前、桜花賞とオークスを制した二冠ウマ娘、デュエットナタリー先輩でした。
「もしかして、デュエットナタリー先輩ですか」
「あたいも有名人だね。そんなかしこまらなくていいから、さ、気抜いて、お茶でも入れようか」
これが貫禄というのでしょうか。デュエットナタリー先輩の周りには、静電気のような、帯電した空気がヒリヒリと流れ、その気取らない振る舞いにも、どこか近寄りがたい雰囲気さえあるような気がしました。これが二冠ウマ娘、格の違いを強く思い知らされました。
「はいどうぞ、特製ルドルフコーヒー。マルゼンスキーが流行らせようとしてて、余りもらったからぜひあったかい間に飲んでみて。ほらほら、そんな上司みたいに接さなくていいよ、せっかく何かの縁で同部屋になったんだし、友達みたいにいこう」
デュエットナタリー先輩にここまで気を使わせてしまっている私は、どれだけ罪なウマ娘なんでしょうか。目の前の故知らぬ覇気に、ただ足を竦ませるばかりでした。先輩は全く困ってしまったのか、一息ため息をついて、私に駆け寄りポンと背中を叩きました。
「ほーら、コーヒー冷めちゃうよ。あたいのことはナタリーでいいから」
「ご、ごめんなさい、その、ナタリーさん。それでは、いただきます」
「やっとちゃんと話してくれたね。そうそう、ナタリーでいいからね。改めてこれからよろしく。アリアンスちゃんだよね。せっかくだからあだ名を決めちゃおう。こう呼んでほしいとか、ある?」
「あの、じゃあ、アーちゃんでお願いします」
「オッケー、アーちゃんよろしく。なんでも聞いてね。どう、コーヒー」
なんとか少しずつ会話ができるようになってきました。喉にコーヒーをくぐらせて。そうすると、さっきまでの蒸し苦しい梅雨の季節のような部屋の空気は、少し弱まりました。緊張している後輩への対応も素敵で、畏敬の念をさらに強く感じました。
「とってもおいしいです。マルゼンスキーさんが作ったんですか」
「いや、あいつは配ってただけなんだけどね、誰が作ったんだか、会長の名前はあってもルドルフは渋い顔してたよ」
ナタリーさんは、マルゼンスキー先輩とも、シンボリルドルフ会長とも親しい間柄のようでした。その後は、ナタリーさんに手伝ってもらいながら、荷物の整理をしたり、食堂を見にいったりしました。
「じゃあ最後に、入学祝いにせっかくだから受け取ってよ。これ」
「え、いいんですか。ありがとうございます。とっても綺麗で、かわいいリボンですね」
「めちゃくちゃ高い物ではないけど、よかったら使ってみて」
「はい、ありがとうございます!」
紅葉を思い浮かべるような鮮やかな赭色のリボンでした。先輩から頂いた大切なリボン。長い髪をまとめることにしました。鏡を見ながらピョンピョンと浮かれて。夕食までしばらく時間があるので、先輩方の練習を見にいくことにしました。