秋の向こうへ、その向こうへ。   作:たいたい35

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アルテミスステークス

「やっぱりこうしてみると人結構多いね。さすが重賞。みーんな、アーちゃんを見にきてるんだよ」

「あんまりアリアンスさんを緊張させないで。落ち着いていけば絶対勝てるわ」

 

大勢の観客に包まれる東京レース場に、私たちはやってきました。ウールちゃんとコートちゃんは、私を邪魔しないようにと観客席に向かいました。この人数、確かに緊張します。けれど、それを吹き飛ばすほどの自信が今の私にはありました。デビュー戦の時のような気温ではないですが、秋らしい絶好の日和となりました。ちょうど、夕日が顔を出し始める頃です。

 

「アリアンスなら大丈夫だ。何も全部完璧にこなす必要はない。最後に先頭でゴール板を通過すれば問題ない。がんばって」

 

大きく頷いて、ターフに入場しました。

 

「やっほー。アーちゃん見えてるかな、あ、こっち見てる。手振れば気づいてくれるかな」

 

ナタリーさんが遠くから手を振っていました。コートちゃんとウールちゃんの応援も聞こえてきます。

 

「一番人気は二連勝中、快勝ウマ娘、アリアンス!内枠から重賞初勝利を狙います。二番人気はビジョンスター!ここでリベンジなるかどうか!大外枠からのスタートとなります」

 

メイクデビューでも戦ったビジョンスターちゃんとの再戦です。至って落ち着いて観客を見つめていました。

 

「この前は確かにすごかった。けど今日は勝たせてもらうよ」

 

ビジョンスターちゃんが静かに闘志を燃やしています。けど、私も一歩も引くつもりはありませんでした。

 

「私も負けないよ。お互い頑張ろうね」

 

私はゲートへと向かいました。会場にファンファーレが鳴り響きます。観客の熱気は最高潮です。私の緊張も少しずつ高まっていくのでした。風に髪が少し揺れて、鼓動も高鳴ります。

 

「続々とゲートに収まっていきます。三番アリアンスも順調にゲートイン。今日は落ち着いています。さすが一番人気の貫禄か。七番ビジョンスターも収まりました。さあ、いよいよG3、アルテミスステークスの発走です」

 

ゲートの中は自分一人。周りの様子は見えません。ただ一人、ゲートが開くのを待つだけです。バンッ。

 

「おっとアリアンス、出遅れました!今日は後方からのスタートとなります。四番がハナを取り切り、逃げていきます。ビジョンスターは前から5、6番手の位置です。今日はアリアンスとビジョンスターの位置が入れ替わるようなレース展開となりました。波乱の幕開けになるのか」

 

足を滑らせてしまいました。多少のマークもあって、これでは前に行くことは叶いませんが、もとよりそのつもりです。今日は後ろから、ビジョンスターちゃんを狙います。皆軽快な足取りで、比較的スローでペースは流れていきます。問題は、出遅れのせいでコースの外を走らされることになりました。早めに抜け出さないと届きません。でも大丈夫、何回も練習してきたことです。落ち着いていけば問題ありません。

 

「なかなか動きはなく、ゆったりとした展開になりました。おっと、ここでビジョンスターが動いた!まだ半分だぞ、まだ半分だ!馬なりだったレースが動き出します!ビジョンスターが先頭に立った!どんどん加速していく、これには周りもついていくしかない!」

 

レース中盤、動きを読み合っていた関係は一気に崩れて、ビジョンスターちゃんが全速力で先頭に立ちました。稍スローだったペースは一転、皆先頭を追いかけていきます。けど、早めに出ようとしていた私には好都合でした。

 

「それなら私もっ」

 

一息入れて、加速を始めます。最終コーナーに入り、二番手を交わします。けれど少し息が苦しいです。出遅れ、大外、ビジョンスターちゃんの全力疾走。身体は悲鳴をあげていました。

 

「さあ外からアリアンスも追ってきた!最後の直線だ!まだ差を広げるビジョンスター、アリアンス追いつけるのか!さらに内から五番も迫ってくる!」

 

持てる全てを使い切って、先頭を追いかけます。けれどなかなか距離は縮まりません。負けたくない。負けたくない。焦りで息がさらに乱れます。体力は後ほんの少し。けど、限界の先まで、その向こうまで、絶対に負けられません。

 

「やばい、やっぱりアーちゃんかなり疲れてるよ」

「信じましょう。アリアンスさんならまだ追いつけるわ」

 

少しずつビジョンスターちゃんとの距離が縮まっていきます。800m近くの全力疾走。体力が持つはずがありません。お互いに満身創痍。ここからは意地と粘りの叩き合いです、絶対に負けません。

 

「負けるもんか。負けるもんか!」

「ビジョンスター粘る!しかしアリアンスが迫ってくる!交わすのか、交わすのか!残り100m!残り50m!」

 

手を伸ばせば、手を伸ばせば届くところに彼女はいます。けれど、もう体力が持ちません。これ以上足を加速させることができないことを、悟ってしまいました。意識が遠のく限界まで走り切ったのに、私は届きませんでした。周囲の歓声がだんだん遠のいていきます。それはもう、私に向けた歓声ではありませんでした。

 

「ビジョンスターゴールイン!粘った!粘り切りました!アリアンスはハナ差の二着です!ビジョンスター、やりました!重賞の舞台でついにリベンジを果たしました!」

 

走り切った瞬間。もう足は動かなくて、ただ下を向いて息を整えることしかできませんでした。敗北の味。それは模擬レースの時とは比べ物にならなかったです。勝利の歓声は心の底から気持ち良くて、嬉しくて、けれど、それが敗北に変わった瞬間、弾丸と化すのです。汗と共に涙が溢れてきました。負けるって、こんなに悔しくて、辛くて、苦しいものだったんですね。一番人気の私が負けることは、その分だけ悲しむ人がいるということ、非難する人がいるということ、呆れる人がいるということでした。

 

「お疲れ、アーちゃん。良いレースだったよ」

「私、私は負けてしまいました。みんなの期待を、裏切ってしまいました」

「勝者が得るのは自己満足だけだよ。悔しい思いなんて一切できないからね。今のアーちゃんの思いだけで、今回のレースは価値のあるものになる。アーちゃんは今回の負けを通して、三倍は強くなる。もし無敗で挑むトリプルティアラだったら、アーちゃんは負けていたかもしれない。そして、プライドが傷つけられて二度と立ち上がれない。だから、そんな顔、しちゃダメだよ。せっかくあたいがあげたリボンが解けてる」

 

涙で前が見えませんでした。止めようとしても、止めようとしても、溢れる悔しさが私に涙を流させます。何度も涙を拭く私を見ていたナタリーさんは、髪の私のリボンを直してから、そっと抱きしめました。

 

「あたいは小さいけど、あったかいでしょ。これはあたいが負ける度にもらってきたみんなの温もりだよ。アーちゃんにもおすそわけ。大事なのは、アーちゃんが見た夢を追い続けること。それは変わり続けるものだから、アーちゃんが今大事にしている、皆の期待に応えるということも一つの夢だと思う。けど、アーちゃんが最初に見た夢は、トリプルティアラだったはずだよ。皆の期待を全部背負うのは、それからでも遅くないと、あたいは思う。少し、重く考え過ぎだよ」

 

その通りでした。私の目標は、お母さんのためにトリプルティアラを取ること。皆の期待に応えるために全てのレースを勝ち続ける、そんな殊勝なウマ娘ではありません。むしろ逆で、負けても負けても、勝ちたいレースだけには勝つ。そんな一生懸命なウマ娘であるべきなのです。ナタリーさんの言葉に気づかされました。

 

「私、間違っていました。私の夢は、トリプルティアラです。そして、トリプルティアラを取ることは、私を応援してくれるみんなの期待に応えることにもなります。だから、ここで泣き続ける必要なんてないですよね」

 

私はようやくハンカチをしまって、前を向きました。ナタリーさんの優しい笑顔と、観客のねぎらいや罵声が心に染みました。

 

「結構周りが言うんだけど、アーちゃんは雪みたいに可憐だって。確かにそうだよね。見た目は雪を纏った天使のようだし、走る姿も雪みたいにふわっと浮いているようで、綺麗で美しい。さらに泣き顔さえこの上なく儚い。確かに可憐な雪だよね。だからこそアーちゃんはみんなから期待されて愛されるんだなって。変なこと言っちゃってごめんね。さ、トレーナーが待ってる。行っておいで」

「はい!」

 

私は今できる精一杯の笑顔をナタリーさんに向けました。

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